クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ロッシーニ:「アルジェのイタリア女」序曲

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団1959年6月9日~10日録音





Rossini:Overture to L'italiana in Algeri


わずか3週間で仕上げたオペラ

舞台はアルジェリアで、そのアルジェリアの太守ムスタファと妻エルヴィラ、そしてイタリア人奴隷のリンドーロと難破船から連れてこられたイタリア人女性イザベッラが主な登場人物です。
妻エルヴィラに飽きたムスタファは海賊に新しいイタリア人女性を連れてくるように命じます。彼は、エルヴィラを奴隷のリンドーロに払い下げて新しい妻を迎えるつもりなのです。そうして、新しく難破船から誘拐されてきたのがイザベッラでした。

ところが、このイザベッラはイタリア時代のリンドーロの恋人だったのです。さらに勝ち気なイザベッラはムスタファの妻になるなんて御免被ると言い放って場は大混乱になります。やがて、エルヴィラとリンドーロ、そしてイザベッラはムスタファに対して「パッパターチ」という怪しい行事をしないかと持ちかけます。「パッパターチ」とはイタリアではとても名誉ある行いだというのですが、もちろんそんな事は全くのでっち上げです。
しかし、何があっても沈黙を守って食べ、飲み、眠るという儀式にムスタファは興味を示し、その間にリンドーロとイザベッラはエルヴィラの協力を得てイタリアに脱出する準備を始めます。

やがて、船出の準備が完了してイタリア人たちが船に乗り込み始めると、それに気づいた召使いたちがムスタファに報告するのですが、ムスタファは「パッパターチ」の最中と言うことで取り合おうとしません。やがて、船がイタリアに向かって出発すると、そこで初めて欺されたことに気づくのですが全て後の祭り。
ムスタファは仕方なくエルヴィラに詫びを入れて仲直りを果たすのです。

お話の内容は実に馬鹿馬鹿しいのですが、ロッシーニが21才の時にわずか3週間で仕上げたという話が伝わっています。

豊かな歌心と確かな構成力は一人の指揮者のなかでしっかりと一つになっている


ジュリーニという指揮者に対しては「コンサート指揮者」というイメージしか湧きません。しかしながら、ヨーロッパの、それもイタリア出身の指揮者がオペラと無縁であるはずもなく、調べてみれば50年代の初めにはあのミラノ・スカラ座の音楽監督を務めています。そして、マリア・カラスと「椿姫」の録音なども行っているのです。

しかしながら、この「カルロ・マリア・ジュリーニ」という指揮者は不思議な人物です。ミラノ・スカラ座の音楽監督は1953年から1956年にかけて務めているのですが、その後は長い期間フリーの時期が続きます。その後1969年からはシカゴ交響楽団の首席客演指揮者としてショルティとともに低迷していたオケを鍛え直します。その後は1973年からウィーン交響楽団の首席指揮者に就任し、1978年からはロサンジェルス・フィルの音楽監督を務めています。
おそらく、彼が望めばもっとメジャーなオーケストラのシェフの地位は得られたのでしょうが、それよりは束縛が少なく自由が許されるポジションを彼は選んだように思われます。そして、そのロサンジェルス・フィルも妻の病気のために1984年には辞任し、それ以降はフリーのの活動しか行わなくなりました。

つまりは、この「カルロ・マリア・ジュリーニ」という指揮者は「音楽」以外のことに煩わされるのが心底嫌だったようなのです。オーケストラのシェフというものは「音楽」以外の社交儀礼や繁雑な事務を強いられるものです。プログラムにしても、客の入りを考えなければいけないので、自分のやりたい作品だけで構成するという自由も許されないのが普通のようです。
おそらく、ジュリーニはそう言う束縛を嫌い、お金よりは自由を選んだのでしょう。そう考えれば、よくぞ3年とは言え、伏魔殿のうな歌劇場で、それもカラスとテバルディが火花を散らしていた時代のミラノ・スカラ座でよくぞ音楽監督を務めていたものだと感心してしまいます。

振り返ってみれば、ジュリーニが亡くなってからすでに15年という時間が経過してしまいました。その15年というときを経た「今」という時代からこの男を振り返ってみれば、彼は真の意味で「貴族的な指揮者」であったことに気づかされます。
「貴族」という言葉には往々にして否定的な意味合いを伴うことが多いのですが、ほんとうの貴族というものは芸術や文化に対する高貴とも言うべき素養を持った人々でした。そして、それは洋の東西をとはず、例えば日本の万葉集などを繙けば奈良時代の貴族というものがどれほどまでに高い教養と知性、そして高貴な精神を持っていたがよく分かります。

ジュリーニもまた、その様な高貴な精神を持った指揮者でした。それが最もよくあらわれているのが、彼が「全集」というものに全く興味を示さなかったという事実です。もちろん、「全集」を作ることが悪いことだというのではありませんが、それでも「全集」というものを作ろうと思えば、それほど好きにもなれない作品も演奏をしなければ行けません。しかしながら、ビジネスという観点から見れば「全集」という形で完結した方がメリットが大きいので、好きになれない作品でも何とか形にしておこうという誘惑を断ちきるのは難しいのです。
しかしながら、ジュリーニはほんとうに自分が演奏するに値すると思う音楽しか指揮をしませんでした。ブラームスの交響曲だけが「全集」になっているのは、それは彼がその4曲全てを愛していたからです。

と言うことで、ロッシーニやヴェルディの音楽とは関係ない話が延々と続いたのですが、それらの演奏を聞くとさすがにミラノ・スカラ座の音楽監督を務めただけのことはあると感心します。
とりわけ、ロッシーニの序曲と言えば真っ先にトスカニーニやセルの録音を思い出します。あれはもう、イタリアのパリッと乾いた陽光を思わせるような明るくて切れのある音楽でした。しかし、それは、逆から見ればオペラの始まりを告げる「序曲」と言うよりは一つの「管弦楽曲」として完成させられた音楽のように聞こえます。
もちろん、それはそれで素晴らしいことなのですが、ジュリーニが指揮する序曲はどれもこれも、聴き終わった後に幕が開くような思いにとらわれます。
音色も乾いた陽光と言うよりは薄暗い歌劇場の雰囲気に相応しい、いささか湿り気味の音色であることがそう言う思いにさせるのかもしれません。

そして、その序曲のどれもがイタリアの指揮者らしい「歌心」にあふれていながら、オケを締めるべきところはしっかりと締めて野放図になることを戒めています。
おそらく、この豊かな歌心と確かな構成力は一人の指揮者のなかでしっかりと一つになっていることこそがジュリーニの魅力であり、この一連のロッシーニとヴェルディの序曲からはその様なジュリーニの魅力が存分に発揮されています。

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