リヒャルト・シュトラウス:交響詩「死と変容」 Op.24
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 パリ音楽院管弦楽団 1956年5月7日~8日録音
R_Strauss:Death and Transfiguration - Symphonic poem for Orchestra Op.24
「暗黒から光明へ」というロマン派の思想が反映した作品

この作品は「ドン・ファン」と平行するように書かれた作品で、1889年11月11日にドンファンの初演が行われた1週間後の11月18日に完成したと言われています。
この作品について、シュトラウスは友人への手紙の中で、「極めて高い目標に向かって努力している一人の芸術家としての人間が死の瞬間をむかえるときの様子を交響詩で表現しよう」としたと述べています。
つまり、生きている間は実現できなかった芸術的理想が、死を迎えることによって永遠の宇宙の中で実現されるというモチーフを音にしようというのです。
正直言って、今の時代を生きる人間にとっては、そのあまりにも大仰な物言いはピンとくるものではないのですが、これがいわゆる19世紀のロマン主義というものなのでしょう。
なお、この作品のスコアの冒頭にアレクサンダー・リッターという詩人の詩が掲げられていますが、これは、作品の内容を聴衆に理解しやすくするために、シュトラウスが詩人のリッターに音楽を聞かせて書かせたものです。
もともとは、初演の祭にパンフレットのような形で聴衆に配布したらしいのですが、後に、リッター自身が作品の不十分さを感じて全面的に改定し、それがスコアに掲げられるようになったものです。
「暗から明へ」「暗黒から光明へ」というロマン派好みの分かりやすさに貫かれた作品だと言えますし、管弦楽法の達人と言われるようになるシュトラウスの腕がはっきりと感じ取れる作品となっています。
「どいつもこいつもお利口さんばかりになってつまらない」と思わせられる演奏かもしれません
この録音は指揮者というものの本質を考える上で非常に興味深い録音です。
カルショーは1954年にDeccaを離れてCapitolに移っていたのですが、そのCapitolがEMIに吸収されたために1955年8月に再びDeccaに復帰します。カッチェン&マークによるモーツァルトのコンチェルトが復帰後初の録音だったようです。
そしてその翌年の5月にはパリの録音現場を担当しています。
このパリの録音現場というのはDeccaの口座が開設されていて、担当者はサイン一つでそこからお金を引き出すことが可能だったようなのです。
1951年にカルショーが始めてそのポジションを与えられたときのことを以下のように回想しています。
「Deccaは、数百万の旧フランを私のサイン一つで使えるように、小切手帳をわたしてくれた。」
彼は1956年のことに関しては詳しくは述べていませんが、事情はほぼ同じであっただろうと思われます。
そして、その「自由」を生かして、彼はパリで「トリスタンとイゾルデ」の公演を行ったクナパーツブッシュのわずかな空き時間を利用して、リヒャルト・シュトラウスの交響詩を2曲録音しているのです。
実は、クナパーツブッシュはウィーンでフラグスタートとワーグナーの録音を行う予定になっていたのですが、カルショーはその録音を担当したくて胸は張り裂けんばかりだったと回想しています。
しかしながら、ウィーンはオロフの縄張りでしたから、彼にとってはどうしようもないことだったのです。
そこで、彼は自らの「抑えがたい思い」を少しでも和らげるために、彼に許された「自由」を行使したわけです。
クナパーツブッシュのリヒャルト・シュトラウスの交響詩のスタジオ録音というのは非常に珍しくて、さらにはオケがパリ音楽院管弦楽団と言うことで、この時期にその様な録音が行われたことの意味が分からないと首をかしげるクナパーツブッシュのファンも多いのですが、おそらくは上で述べたような事情だったのではないかと想像されます。
前振りが長くなってしまいました。(^^;
しかし、その録音はカルショーにとっては満足のいくものではなかったようです。
それは、パリのコンセルヴァトワールのオケに原因があります。
この音楽院のオケはフランスを代表するオケではあったのですが、規律のなさに関しては疑いもなく世界一でした。おそらく、「労働とは神が人間に与えた罰である」というカソリックの伝統が染み込んでいるのでしょう。
そして、そう言うオケに対して、クナパーツブッシュという人は決して無理強いはしないのです。オケにやる気がなければ、それを何とかしようという気持ちは決して持たず、無理のない範囲でまとめてしまうのです。
ですから、この時に録音された「ドン・ファン」と「死と変容」には、そう言うクナパーツブッシュの指揮者としてのあり方みたいなものが刻み込まれています。クナパーツブッシュという指揮者はよく「気ままな指揮者」と言われるのですが、実際気ままなのはオーケストラの方であって、クナパーツブッシュはそれにあわせてそれなりの音楽に仕上げていた面もあったのかもしれないのです。そして、「ドン・ファン」のようにゆるゆるになってしまった演奏に対してクナパーツブッシュらしさを感じて愛でる人もいるのです。
しかし、コンセルヴァトワールのオケにとって不幸だったのは、その後にショルティが乗り込んできたことでした。
おそらく、この録音を行うためにカルショーはパリにやってきていたのだと思われます。
そして、クナパーツブッシュのような偉大な指揮者であっても適当な演奏でお茶を濁すことが出来たオケは、若造の指揮者が相手となればさらに舐めた態度で録音に臨んだのでした。
ここから、両者の壮絶なバトルが始まります。
ショルティは最初のリハーサルが始まるとすぐにだらけきったオケに鞭を入れ始めます。
闘いのゴングは鳴ったのです。
翌日ショルティが録音会場に行くと、各パートの首席奏者の席には違うプレーヤーが座っているのでした。
前日行ったリハーサルは全て無駄になってしまったショルティは激怒して、この録音から降板することを主張したのです。
慌てたカルショーは首席奏者が交代しないこと条件に4回のセッションを追加することでショルティをなだめます。
オケのマネージャーもセッションの追加を喜んで、病気による欠席だけは例外と言うことでその申し出を受け入れます。
そして、1回目のセッションは何とか終えることが出来たのですが、2回目のセッションでは何人かの首席奏者(オーボエ、ホルン、トランペット、チェロ)の姿がなかったのです。
それを見て帰り支度を始めたショルティに対してオケのマネージャーは必死の言い訳を始めるのです。
「恐ろしい悲劇が起こりました。」
「食中毒なのか、それなら医師の診断書を見せろ。」
「いや、もっと恐ろしい悲劇のためです。彼らは、アルジェリアでの軍務につくために、家族から引き離されて軍服を着せられたのです。」
そして、そのマネージャーは同じような徴兵の恐怖にさらされている楽員達のためにも、どうか録音を続けてほしいと懇願したのでした。
ショルティはその言い訳に仕方なく同意して録音を継続したのですが、驚くことに次のセッションでは彼らは軍務から解放されたようで、何事もなかったかのように姿を現したのでした。
しかし、オケのマネージャーはそのまま姿をくらまして二度と録音会場に現れることはなかったのです。
そうして出来上がったのがこのチャイコフスキーの交響曲なのです。
ショルティという一切の妥協を許さない男が、全くやる気のないコンセルヴァトワールのオケの首根っこをつかんで引きずり回しているのです。
そこには、良いとか悪いとか言うレベルを超越して、ショルティという男の本質がさらけ出されているのです。
それにしても、わずか2週間ほどを隔てただけなのに、クナパーツブッシュとショルティの録音を聞き比べると、全く同じオケが演奏したものだとは信じがたいほどの違いです。
もちろん、それはどちらが優れているとか言うような問題ではなくて、指揮者の資質というものがどれほどオケの姿を変えるかの見本のような例がここに提示されているのです。
しかし、時代は明らかにショルティのような指揮者を求めていました。
そして、そう言う時の流れに最後まで抵抗し続けたコンセルヴァトワールのオケはこの10年後には解体されてしまうことになるのです。
それを「進歩」と見るのか、それとも、「どいつもこいつもお利口さんばかりになってつまらない」と思うかは、人それぞれでしょうが、そう言う流れはもはや誰にも止めることは出来なかったことだけは確かです。
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