バッハ:音楽の捧げもの
(Con & Cemb)リヒター:(Cemb)ヘトヴィヒ・ビルグラム (fl)オーレール・ニコレ (vn)オットー・ビュヒナー・クルト・グントナー (va)ジークフリート・マイネッケ (vc)フリッツ・キスカルト 1963年録音
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [1.Ricercar a 3]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [2.Canon perpetuus super thema regium]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [3.Canon a 2]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [4.Canon a 2 violini in unisono]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [5.Canon a 2 per motum contrarium]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [6.Canon a 2 per augmentationem, contrario motu]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [7.Canon a 2 per tonos]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [8.Fuga canonica]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [9.Ricercar a 6]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [10.Canon a 2 - Quaerendo invenietis]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [11.Canon a 2 (Quaerendo invenietis) Fassung B]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [12.Canon a 4]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [13.Sonata a 3 - I Largo]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [14.Sonata a 3 - II Allegro]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [15.Sonata a 3 - III Andante]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [16.Sonata a 3 - IV Allegro]
Bach:The Musical Offering in C minor, BWV 1079 [17.Canone perpetuo]
バッハの意地
バッハ最晩年の作品であり、「フーガの技法」と並んで特別な地位を占める作品なのがこの「音楽の捧げもの」です。
よく知られているように、この作品はプロイセンの国王であったフリードリヒ2世が示した主題(王の主題)をもとにした作品集です。王の主題は、「3声のリチェルカーレ」の冒頭に提示されています。
見れば(聞けば?)分かるように、非常に「現代的」な感じが漂う主題であり、バッハの時代においてはかなり異様な感じのする旋律だったはずです。当然の事ながら、これを主題として処理していくのは不可能とまでは言わなくても、かなりの困難さがあることは容易に想像がつくような代物です。ですから、本当にフリードリヒ2世自身がこの主題を示したのかは疑問です。
当時、プロイセンの宮廷には息子であるフィリップ・エマヌエル(C.P.bach)が勤めていたのですが、そこへ親父であるバッハが尋ねてきたのです。おそらくは、この宮廷楽団の中でバッハ一族の力が伸びていくのを快く思わなかった一部の音楽家達が、その鼻っ柱をへし折ってやろうという「悪意」に基づいて作り出したものではないかと想像されます。(真実は分かりませんが・・・)
何故ならば、フルート奏者としても名高かったフリードリヒ2世は作曲も行っていて幾つかの作品が残されているのですが、その作風はこの主題とは似てもにつかないギャランとな性格を持っていたからです。
ただ、バッハの高名はプロイセンにも届いていましたから、その実力の程を試してやろうという「悪戯心」は王も共有していたかもしれません。
しかし、王にとっては一場の座興であったとしても、バッハにしてみれば真剣勝負であったはずです。そして、「どう頑張ってもこの主題をもとにフーガに展開などできるはずがない!!」とほくそ笑んでいる反対派の音楽家を前にしてみれば、絶対に失敗などできる場面ではなかったのです。
それ故に、ここではバッハという人類が持ち得た最高の音楽的才能が爆発します。
バッハは王の求めに応じて、即興でこの主題をもとにした3声のフーガを演奏して見せたのです。おそらく、この時の即興演奏が「音楽の捧げもの」の中の「3声のリチェルカーレ」として収録されているはずです。
想像してみてください。
どう頑張ってもフーガに展開などできるはずがない、上手くいかずに醜態をさらすのを今か今かと待ちわびている宮廷音楽家達の前で、彼らの想像をはるかに超えるフーガが即興で展開されていったのです。その驚きたるやいかほどのものだったでしょうか。
しかし、それでは彼らの面目は丸つぶれなので、さらに彼らはこれを6声の主題によるフーガに展開することを求めます。
これも容易に想像がつくことですが、3声を6声に複雑化するのは難易度が2倍になる等という単純な話ではありません。単純な順列組み合わせで考えても、3声ならば組み合わせパターンは6通りですが、6声ならば720通りになってしまいます。フーガがその様な算術的計算で割り切れるようなものでないことは分かっていますが、それでも難易度が飛躍的に上がることは容易に想像がつきます。
さすがのバッハもその求めに即材に応じることはできずに1日の猶予を願い出るのですが、それでもその様な短期間で6声に展開することはできなかったので、バッハは自らの主題に基づいた6声のフーガを演奏してプロイセンを離れます。
結果としてこの勝負は1勝1敗となった訳なのですが、これほど不公平な勝負をドローに持ち込んだだけでも「人間技」をこえています。
しかし、バッハにしてみれば、この1敗が気に入らなかったようです。
彼はプロイセンから帰ってくると、この王の主題に基づいた6声のフーガに取り組み、その成果を13曲からなる「音楽の捧げもの」としてフリードリヒ2世に献呈するのです。なんだか、バッハの「ドヤ顔」が想像されるようなエピソードですが、そのおかげで私たちは人類史上例を見ないほどの精緻なフーガ作品を手にすることができたのです。
この「音楽の捧げもの」は大小あわせて13曲からなるのですが、それをどのような楽器で演奏するのか、さらにはどのような順番で演奏するのかが明確に指定されていません。(楽器については3曲だけが指定されている)
ですから、今日の研究では、これを一つの作品として全曲を通して演奏することは想定されていなかったとされています。しかし、全13曲が以下の3つのグループに分かれることだけは確かなようなのです。
- 第1部:「3声のリチェルカーレ」「6声のリチェルカーレ」
- 第2部:「王の主題に基づくトリオソナタ Largo~Allegro~Andante~Allegro」
- 第3部:「王の主題のカノン的労作 第1グループ(6曲)~第2グループ(4曲)」
なお、この作品群を詳細に紹介する力は私にはないので、そう言う細部に興味ある方は、「
音楽の捧げ物」などを参照してください。
しかしながら、このエピソードには残念な後日談があります。
それは、これほどの作品を献呈されたにも関わらず、さらには、自らが命じた形になっていたにもかかわらず、フリードリヒ2世はこの作品集には何の興味示さなかったらしいのです。ですから、この作品が、その後プロイセンの宮廷で演奏されたという形跡もありませんし、もしかしたらフリードリヒは楽譜に目も通さなかった可能性もあるのです。
バッハのような「知性」を必要とする音楽よりは、陽気で楽しい音楽が持て囃される時代へと移り変わるようになり、フリードリヒの嗜好もその様なものだったのです。
おそらく、時代はバッハを理解しなくなっていたのです。
そして、この残念な後日談は、その後100年近くにわたってバッハが忘却されることを暗示する最初の出来事だったとも言えるのです。
リヒター盤と言うよりはニコレ盤
礒山雅氏なる音楽学者は「音楽の捧げ物」を「厳しい精神性の音楽として受けとめようと思うならば、リヒター盤に勝るものはない。とくに、ニコレとビュヒナーの共演した「トリオ・ソナタ」の高貴で奥深い表現は素晴らしい。」と述べています。
さらに続けて、「一方これをオリジナル楽器の演奏で聴くと、現実的な室内楽としての生気がクローズアップされてくる。・・・レオンハルト夫妻とクイケン3兄弟の顔合わせによるセオン盤に、バロック音楽の精髄ともいうべき世界が展開されている。」と続けていました。
この人物の名前を聞くと、真っ先に思い浮かぶのがノンフィクション作家として有名な柳田邦夫氏です。
柳田は「かけがえのない日々」「犠牲(サクリファイス)」などの中で、オリジナル楽器による演奏を推し進めている人たちがメンゲルベルグの「マタイ受難曲」を聞いて感動する多くの人々を冷笑していることを厳しく批判し、その代表として磯山雅氏の名をあげていたからです。
今さら、オリジナル楽器による演奏にあれこれの言葉を追加するつもりもありませんが、それにしても己の価値に添わない人を冷笑して恥じないというのは人間として大切なものが欠落していくと言わざるをえません。
もっともこういうサイトを長くやっていると、「この人はきちんと社会生活を営めているのだろうか?」という不安がよぎるようなメールをよく戴きますから、少なくとも音楽を聞くことが「人格の涵養」に役立つというのは「嘘」であることは間違いありません。
ただ、興味深かったのは磯山氏がオリジナル楽器による演奏の他にリヒターの演奏にも言及していたことです。
しかし、久しぶりに聞き直してみて、その理由が何となく分かるような気がします。
この演奏の素晴らしさは磯山氏が指摘しているようにまずはフルートのニコレ、次いでヴァイオリンのビュヒナーに帰することが出来ます。
とりわけ、フルートのニコレが参加すると、音楽の雰囲気が一変します。
それは、何が面白いのか、淡々と時間を流れていくだけだった世界に突然人の血が通うような雰囲気です。磯山氏の言葉を借りれば「現実的な室内楽としての生気がクローズアップ」されてくるのです。
しかしながら、それは決して「厳しい精神性」の世界でもなければ「高貴で奥深い表現」とは思えず、人の血の通った、ある意味で言い切ってしまえばロマンティックな世界だと感じてしまうのは、私の耳がおかしいのでしょうか。
そして、ふともう一つ頭に浮かんだのが、マルケヴィッチ編曲版をマルケヴィッチ自身が指揮した録音でした。
マルケヴィッチはピリオド演奏を推進する人たちから見れば「恥知らず」と言うしかないほどの大規模編成の管弦楽曲に仕立て直しているのですが、それは豊かな響きであるがゆえに複雑に入り組んだバッハの音楽を見事に描き分けていました。
そして、見事に描き分けながら響きが豊かであるがゆえに、そこには人の血の通うロマン性が溢れていました。
このリヒター盤もニコレが参加すると、音楽のベクトルがリヒター的なものからマルケヴィッチ的な世界に変異したかのように聞こえるのです。
出来れば、このマルケヴィッチ盤も紹介したいのですが、マルケヴィッチによる編曲の著作権が切れていないのが残念です。
その意味では、この録音は一般的にはリヒター盤と呼ばれるのですが、音楽の価値としてはニコレ盤と呼んだ方がいいのかもしれません。リヒターには申し訳ない物言いになるのですが。
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