ワーグナー:さまよえるオランダ人「序曲」
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ウィーン交響楽団 1959年11月録音
Wagner:The Flying Dutchman Overture
ワーグナーの終生のテーマである「女性の愛による救済」の原型
ワーグナーはこれ以前にもいくつかのオペラを作曲していますが、ワーグナーの個性が初めて輝きだしたのはこの「さまよえるオランダ人」からです。そして、ワーグナーの終生のテーマであった「女性の愛による救済」がはっきりと明示されたのはこの作品からです。
「女性の愛による救済」というのは、何らかの理由で苦悩や宿命を背負った男(時には世界)が、女性の自己犠牲的な純愛によって救済されるというモチーフです。ワーグナーがこのモチーフがよほど好きだったようで、その後タンホイザーやトリスタン、リングなどで何度も何度もこのモチーフを持ち出しています。考えようによっては、エゴイストの権化であったワーグナーにはピッタリの好都合なモチーフだったのかもしれません。
この作品は古くからヨーロッパに伝わる「さまよえるオランダ人」の伝説、さらにはハイネによる寓話「フォン・シュナーベレヴォブスキー氏の回想記」をヒントとしていますが、それに加えてワーグナー自身の嵐での航海体験も反映していると言われています。
ここにはその後のワーグナー作品の全てがはっきりと姿を著していますし、逆に古いイタリアオペラの脳天気な響きも至る所に顔だすという不思議な雰囲気が満ちています。そういう意味では過渡期の作品といえるのかもしれませんが、後のワーグナー作品と比べるとコンパクトにまとまっていて話の展開もそれほど複雑ではないので、初めてワーグナーにふれるには取っつきやすい作品といえるかもしれません。
序曲
冒頭のホルンの不気味な響き「オランダ人の動機」が一気に観客を荒れ狂う北の海へと誘います。そして、それが一段落すると木管楽器が穏やかに「救済の動機」を歌い始めます。
この二つの動機は作品全体を通して核となるものなのですが、これを序曲のなかで見事なまでに対比させて物語り全体のテーマを暗示させる技術は実に見事なものです。
ワーグナーへの強い共感
サヴァリッシュ先生の演奏を凄いとは思うけれど、メンデルスゾーンのようなロマン派の作品だとあと一つ何か足りないモノを感じると書きました。そして、その理由として、作曲する側の「俺が俺が」と前に出てくる強烈な自己主張に呼応する演奏する側の「自己意識」みたいなモノが希薄ではないか、と書きました。
しかし、この一連のワーグナーの管弦楽曲集を聞くと、事はそれほど単純ではないことに気づかされます。
演奏のテイストは大きくは変わっていません。
オーケストラを完璧にコントロールして、精緻に、そして一点の曖昧さもなく音楽を形作っていきます。
しかし、不思議なことに、このワーグナーではメンデルスゾーンの時に感じたような「何か足りない」みたいな感覚は希薄です。
もちろん、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュみたいな演奏と比較すれば物足りなく思うかもしれませんが、そもそも、サヴァリッシュの音楽はそういう音楽とはアプローチの仕方が全く異なります。
セルやライナーなども基本的に同じだと思うのですが、彼らは「音」そのもの精緻に積み重ねていくことで、その結果として自ずからワーグナーの世界を描き出そうとしています。
サヴァリッシュもまた同じです。
そして、きっとメンデルスゾーンの時は音そのものを積み重ねた造形美には感心させられるモノの、結果として、そこからはメンデルスゾーンの自意識みたいなモノは感じ取れなかったわけです。しかし、このワーグナーからは、明らかにサヴァリッシュの自意識がワーグナーの自意識に呼応している事を感じます。
最弱音から始まるリエンチ序曲は、精緻に積み重ねられた音がフィナーレに向かって拡大していく様は、まさにワーグナーの自己意識に呼応するサヴァリッシュの姿が浮かび上がります。
ジークフリート牧歌では、精緻さと透明さを保持しながら、明らかにワーグナーに呼応する音楽のうねりが感じ取れます。
そうやって、思い至るのは、サヴァリッシュは素晴らしいオペラの指揮者だったという事実です。
私たちにとってサヴァリッシュと言えば、いつもN響を指揮しているおじさん、コンサート指揮者というイメージが強いのですが、若き時代のサヴァリッシュはカラヤンやビングからウィーンやメトへ誘われるほどのオペラ指揮者だったのです。特に、ワーグナーのオペラは彼にとってはもっとも親しいモノであったのですから、そこには強い共感もあったのでしょう。
ですから、ロマン派の作品になると「何か足りない」と感じてしまうと言う言い方は、あまりにも短絡的な物言いだったと反省する次第です。
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