リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 Op.34
ロリン・マゼール指揮 ベルリンフィル 1958年2月録音
古今東西の数ある管弦楽曲の中の最高傑作の一つ
もともとはヴァイオリンのコンチェルト風の音楽として着想された作品ですが、最終的にはヴァイオリン独奏をふんだんに盛り込んだ輝かしいオーケストラ曲として完成されました。構成上は5楽章からなるんですが、連続して演奏されるために単一の管弦楽曲のように聞こえます。ただ、それぞれの楽章はホセ・インセンガなる人の手になるスペイン民謡集から主題が借用されていて(手を加えることもなく、そっくりそのまま!!)、その主題をコルサコフが自由に展開して仕上げる形をとっていますので、5楽章というのはそれなりに意味を持っていると言えます。
第1楽章:アルポラーダ(朝のセレナード)
スペインの輝かしい朝を思わせる派手な音楽です。
第2楽章:変奏曲(夕べの踊り)
第1楽章とは対照的な夕べの穏やかな雰囲気がただよう音楽です。
第3楽章:アルボラーダ
第1楽章と同じ主題ですが、半音高い変ロ長調で演奏され、オーケストレーションも変えられています。(ヴァイオリンとクラリネットが入れ替わっている・・・等)
第4楽章:ジプシーの歌
小太鼓の連打にヴァイオリンの技巧的な独奏とジプシー情緒満点の音楽です。
第5楽章:ファンダンゴ
カスタネットやタンブリンの打楽器のリズムに乗って情熱的な踊りが展開されます。フィナーレはまさに血管ブチ切れの迫力です。
おそらく、古今東西の数ある管弦楽曲の中の最高傑作の一つでしょう。この曲の初演に当たって、練習中の楽団員からたびたび拍手がわき起こってなかなか練習が進まなかったというエピソードも残っているほどです。
チャイコフスキーもこの作品を取り上げて「作曲者自身が現代一流の音楽家であると自認して良いほどの素晴らしい管弦楽法を見せる」と絶賛しています。
こういう作品を前にすると「精神性云々・・・」という言葉は虚しく聞こえるほどです。クラシック音楽を聞く楽しみの一つがこういう作品にもあることをマニアックなクラシック音楽ファンも確認する必要があるでしょう。
上りの美学、下りの美学
「マゼールがこの時期に、ウィーンフィルとの間でシベリウスとチャイコフスキーの交響曲全集を完成させることができたのはマゼール自身にとっても、聞き手ある私たちにとってもとても幸運なことでした。
何故ならば、ここには頂点を目指して駆け上がっていく溢れる才能がほとばしっているからです。」
こんな事を書いたことがあるのですが、それは20代後半というもっと若い時期にベルリンフィルを相手に録音した演奏でも同様で、もしかしたら、もっと大きな「幸運」を感じることができるかもしれません。
この少し後になるとアバドやムーティ、そしてメータや小沢などと言う若手が同じような勢いに溢れる演奏を聴かせてくれるようになります。
確かに、若い頃の小沢は今からは想像もできないほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれたものです。
ただし、彼らには残念な共通もがあります。
それぞれが世界的にトップクラスのオケのシェフと言う地位を手に入れて、そこで安定して音楽活動を始められるようになると、平均点はそこそこなのに、彼らが何をしたいのかが聞き手に伝わってこないような音楽ばかりを生み出すようになったことです。
いや、こんな言い方をすると反論もあるでしょう。しかし、私には、そう言う不満がいつもついて回り、結果として90年代以降になると彼らの新しい録音は殆ど聴かないようになってしまいました。
それはマゼールにおいても同様です。
当時は別に何故なんだろう?などとは考えませんでした。
私も若かったですから、ただ「面白くないものに金は使いたくはない」という一点だけでした。
しかし、年を重ねてきて、気がつくこともあります。
頂点目指して駆け上がっていくのは体力も必要ですし気力も求められますから、しんどいことはしんどいです。
しかし、目指すべき頂点ははっきり見えているわけですから、その見えている一点を目指して駆け上がっていくのはそれほど困難なことではありません。
問題は、頂点に近づいてきて、今度は何処を目指して進んでいくかを自分で見いださなければならなくなったときです。そして、彼らの多くはその頂上付近でぐるぐる回るばかりでした。
その違いは、たとえばテンシュテットやクライバーと比較してみれば明らかです。
しかし、山は登れば下りなければいけません。
やがて、彼らもまた下山の時を迎え、その衰えを自覚して下りの芸術に取り組むことを余儀なくされるときがきています。
しかし、どうしても下れない人もいます。
世間はそれを「老醜」と言います。
指揮者にはこの「老醜」をさらす人が多いのですが、稀に、見事に下って見せる人がいます。
そして、驚くべきは、同世代の指揮者の中では一番ギラギラしていると思われていたマゼールが見事に山を下ってみせたことです。結果として、大きな環を閉じることで、この若い時代の勢いに満ちた演奏にも大きな価値が生まれたのです。
指揮者にとって「若い頃は良かったのにね」と言われるのは屈辱以外の何ものでもないと思われます。この屈辱をはねのけるには、誰もが認める天辺まで駆け上がるか、見事に山を下ってみせるかの二つしかありません。
その事を思えば、もう少しでもいいので長生きをしてほしかった指揮者の一人でした。
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