モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
オットー・クレンペラー指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1962年11月3日録音
Mozart:Symphony No.41 in C major, K.551 "Jupiter" [1.Allegro vivace]
Mozart:Symphony No.41 in C major, K.551 "Jupiter" [2.Andante cantabile]
Mozart:Symphony No.41 in C major, K.551 "Jupiter" [3.Menuetto (Allegretto) - Trio]
Mozart:Symphony No.41 in C major, K.551 "Jupiter" [4.Finale (Molto allegro)]
これもまた、交響曲史上の奇跡でしょうか。
モーツァルトはお金に困っていました。1778年のモーツァルトは、どうしようもないほどお金に困っていました。
1788年という年はモーツァルトにとっては「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」を完成させた年ですから、作曲家としての活動がピークにあった時期だと言えます。ところが生活はそれとは裏腹に困窮の極みにありました。
原因はコンスタンツェの病気治療のためとか、彼女の浪費のためとかいろいろ言われていますが、どうもモーツァルト自身のギャンブル狂いが一番大きな原因だったとという説も最近は有力です。
そして、この困窮の中でモーツァルトはフリーメーソンの仲間であり裕福な商人であったブーホベルクに何度も借金の手紙を書いています。
余談ですが、モーツァルトは亡くなる年までにおよそ20回ほども無心の手紙を送っていて、ブーホベルクが工面した金額は総計で1500フローリン程度になります。当時は1000フローリンで一年間を裕福に暮らせましたから結構な金額です。さらに余談になりますが、このお金はモーツァルトの死後に再婚をして裕福になった妻のコンスタンツェが全額返済をしています。コンスタンツェを悪妻といったのではあまりにも可哀想です。
そして、真偽に関しては諸説がありますが、この困窮からの一発大逆転の脱出をねらって予約演奏会を計画し、そのための作品として驚くべき短期間で3つの交響曲を書き上げたと言われています。
それが、いわゆる、後期三大交響曲と呼ばれる39番?41番の3作品です。
完成された日付を調べると、39番が6月26日、40番が7月25日、そして41番「ジュピター」が8月10日となっています。つまり、わずか2ヶ月の間にモーツァルトは3つの交響曲を書き上げたことになります。
これをもって音楽史上の奇跡と呼ぶ人もいますが、それ以上に信じがたい事は、スタイルも異なれば性格も異なるこの3つの交響曲がそれぞれに驚くほど完成度が高いと言うことです。
39番の明るく明晰で流麗な音楽は他に変わるものはありませんし、40番の「疾走する哀しみ」も唯一無二のものです。そして最も驚くべき事は、この41番「ジュピター」の精緻さと壮大さの結合した構築物の巨大さです。
40番という傑作を完成させたあと、そのわずか2週間後にこのジュピターを完成させたなど、とても人間のなし得る業とは思えません。とりわけ最終楽章の複雑で精緻きわまるような音楽は考え出すととてつもなく時間がかかっても不思議ではありません。
モーツァルトという人はある作品に没頭していると、それとはまったく関係ない楽想が鼻歌のように溢れてきたといわれています。おそらくは、39番や40番に取り組んでいるときに41番の骨組みは鼻歌混じりに(!)完成をしていたのでしょう。
我々凡人には想像もできないようなことではありますが。
フィラデルフィアのクレンペラー
1962年にクレンペラーはアメリカを訪れてフィラデルフィア管と3回の公演を行っています。オーマンディが招聘してそれをクレンペラーが快諾したという話をどこかで聞いたような気もあるのですが、本当のところは今ひとつよく分かりません。また、クレンペラーはフィラデルフィア以外にもニューヨーク、ワシントン、ボルティモ等で公演を行ったようです。
さて、その3回のフィラデルフィアでの公演なのですが、プログラムは以下の通りです。
1962年10月20日
- ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調, Op. 55「英雄」
- ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調, Op.68「田園」
1962年10月27日
- ベートーヴェン:「エグモント」序曲
- ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 Op.90
- シューマン:交響曲第4番ニ短調 Op.120
1962年11月3日
- J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調 BWV.1046
- モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
- ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 Op.92
面白いのは、全ての公演でヴァイオリンを対向配置にしていることです。
言うまでもないことですが、フィラデルフィア管と言えば戦前のストコフスキーの時代からファーストとセカンドを隣り合わせにする現在的な配置を行ってきたオーケストラです。それだけに、いかにクレンペラーとは言え、よくぞその要求を受け入れたものです。
それだけに、フィラデルフィア管も随分と苦労したと思われるのですが、そのあたりは腕利きのプレーヤーを揃えたオケですから、そう言う「汗」のような部分を微塵も感じさせないのはさすがです。
そして全体的に言えば、華麗なサウンドが持ち味のフィラデルフィア管の魅力は十分に発揮しながら、クレンペラー独特の遅めのテンポ設定と構築性を大事にした情緒過多にならない音楽作りがせめぎ合っているあたりが実に面白いです。
ただし、あくまでも個人的な意見ですが、クレンペラーの持ち味よりはフィラデルフィア管の持ち味が前面に出た演奏の方が面白く聞けました。
その意味で、一番面白かったのはバッハのブランデンブルク協奏曲です。ここでは、クレンペラーのバッハへの保守性ゆえにか、ソロ部分はオケのプレーヤーの好き勝手にさせているようです。それは、クレンペラーがつくり出した美しいフレームの中で、個々のプレーヤーが自分のソロ部分が出てくるたびにそこに喜々として美しい絵を描き込んでいくような雰囲気です。
もっとも、当時のバッハ演奏の流れから言えば「これはバッハじゃない!」と言われても仕方のない演奏なのですが、そんなつまらぬ様式感などを吹き飛ばしてしまうほどの面白さに溢れています。
そして、次に面白いと思ったのはモーツァルトのジュピターです。
これはクレンペラーの頑固さに上手い具合にフィラデルフィアの美しい衣が巻き付いた感じで、同じ年にフィルハーモニア管とスタジオ録音をした演奏と較べてみれば、モーツァルトに必要な微笑みのような物が消えてしまっていないのが魅力的です。スタジオ録音の方はいかにもクレンペラーらしくはあるのですが、何ともいえず無骨で不器用な音楽だなと感じてしまう面もあるので、それをフィラデルフィアのサウンドが適度に中和させています。
さらに、指を折ればブラームスの3番とシューマンの4番に注目します。
ここでも、フィラデルフィア管らしい音色の美しさと歌う本能が上手くクレンペラーの構築性ととけ合っています。また、時々あらわれるソロパートなどでは、「これがフィラデルフィアのサウンドだよ!」と言いたげに美しい音楽を聞かせてくれるあたりも聞きどころでしょうか。
しかし、そこはさすがはクレンペラーで、締めるべきところは締めて、例えばシューマンなどでは終楽章ではぐっと腰を下ろして堂々たる盛り上がりを築いています。
ブラームスに関しても、この第3番は彼がもっとも得意とした作品で、フィルハーモニア管とのスタジオ録音でも情緒にもたれることなくかっちりとしたフォルムの中から寂寞とした雰囲気がにじみ出してくる演奏を聞かせてくれていました。そう言うアプローチはこのライブ演奏でも変わるところはないのですが、それがフィラデルフィアのサウンドで聞けるところは大きな魅力です。
と言うことで、最後はベートーベンだけが残るのですが、一番最初の10月20日の演奏会での第3番「エロイカ」はに関しては初手合わせと言うこともあったのか、お互いが手探り状態で終わってしまったという感じです。しかし、そのあとの第6番はフィラデルフィアのサウンドとクレンペラーの悠然とした音楽作りが上手くマッチングして、57年のフィルハーモニア管とのスタジオ録音とは一時違った魅力が楽しめます。
それから、スタジオ録音の時にプロデューサーのレッグが「いくら何でも遅すぎる」とぼやいた第3楽章の異形はここでも健在で、それがクレンペラーのこの作品に対する確固たる解釈でったことが確認できて興味深かったです。
それから10月27日のエグモント序曲ですが、これはその毅然たる音楽作りに好意的な評価を寄せている人が多いのですが、私はなんだかワンフレーズごとに念押しをされるように感じられて、聞いていて立派だとは思うのですが今ひとつピンと来ません。
それから、最終日の第7番の交響曲も実に立派な演奏ではあるのですが、スタジオ録音の重戦車が驀進して地上のあらゆるものを薙ぎ倒していくような迫力を既に聞いてしまっている身としては物足りなさを感じてしまいます。
やはり、ベートーベンに関してはクレンペラーの指示に完璧に追随しているフィルハーモニア管との録音があまりにも素晴らしすぎるので、どうしてもそれらと比較してしまいます。
なお、音源によっては10月20日が10月19日、11月3日が11月2日とクレジットされているものもあります。
ここでは、取りあえず私が持っている音源の録音クレジットに従いました。
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