モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
エーリッヒ・クライバー指揮 ケルン放送交響楽団 1956年1月録音
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [1.Adagio - Allegro]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [2.Andante con moto]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [3.Menuetto (Allegretto) - Trio]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [4.Finale (Allegro)]
「後期三大交響曲」という言い方をされます。
それらは僅か2ヶ月ほどの間に生み出されたのですから、そう言う言い方で一括りにすることに大きな間違いはありません。しかし、この変ホ長調(K.543)の交響曲は他の2曲と較べると非常に影の薄い存在となっています。もちろん、その事を持ってこの交響曲の価値が低いというわけではなくて、逆にト短調(K.550)とハ長調(K.551)への言及が飛び抜けて大きいことの裏返しとして、その様に見えてしまうのです。
しかし、落ち着いて考えてみると、この変ホ長調の交響曲と他の二つの交響曲との間にそれほどの差が存在するのでしょうか?
確かにこの交響曲にはト短調シンフォニーの憂愁はありませんし、ハ長調シンフォニーの輝かしさもありません。
ニール・ザスローも指摘しているように、こ変ホ長調というフラット付きの調性では弦楽器はややくすんだ響きをつくり出してしまいます。さらに、ザスローはこの交響曲がオーボエを欠いているがゆえに、他とは違う音色を持たざるを得ないことも指摘しています。
つまりは、どこか己を強くアピールできる「取り柄」みたいなものが希薄なのです。
しかし、誰が言い出したのかは分かりませんが、この交響曲には「白鳥の歌」という言い方がされることがありました。しかし、それも最近ではあまり耳にしなくなりました。
「白鳥の歌」というのは、「白鳥は死ぬ前に最後に一声美しく鳴く」という言い伝えから、作曲家の最後の作品をさす言葉として使われました。さらには、もう少し拡大解釈されて、作曲家の最後に相応しい作品を白鳥の歌と呼ぶようになりました。
当然の事ながら、この変ホ長調の交響曲はモーツァルトにとっての最後の作品ではありませんし、「作曲家の最後に相応しい作品」なのかと聞かれれば首をかしげざるを得ません。
今から見れば随分と無責任で的はずれな物言いでした。
ならば、やはりこの作品は他の2曲と較べると特徴の乏しい音楽と言わざるを得ないのでしょうか。
しかし、実際に聞いてみれば、他の2曲にはない魅力がこの交響曲にあることも事実です。
しかし、それを頑張って言葉で説明することは「モーツァルトの美しさ」を説明することにしか過ぎず、結果として「美しいモーツァルト」を見逃してしまうことに繋がります。
ただ、そうは思いつつ敢えて述べればこんな感じになるのでしょうか。
まずは、第1楽章冒頭のアダージョはフランス風の序曲であり、その半音階的技法で彩られた音楽の特徴がこの交響曲全体を特徴づけています。そして、この序曲が次第に本体のアレグロへの期待感を抱かせるように進行しながら、その肝心のアレグロが意外なほどに控えめに登場します。そして、ワンクッションおいてから期待通りの激しさへと駆け上っていくのですが、このあたりの音楽の運び方は実に面白いです。
続く第2楽章は冒頭のどこか田園的な旋律とそこに吹きすさぶ激しい風を思わせるような旋律の二つだけで出来上がっています。この少ないパーツだけで充実した音楽を作りあげてしまうモーツァルトの腕の冴えは見事なものです。
そして、この交響曲でもっとも魅力的なのが続くメヌエットのトリオでしょう。これは、ワルツの前身となるレントラーの様式なのですが、その旋律をクラリネットに吹かせているのが実に効果的です。
しかしながら、この交響曲を聞いていていつも物足りなく思うのがアレグロの終楽章です。
これは明らかにハイドン的なのですが、構造は極めてシンプルで、単一の主題を少しずつ形を変えながら循環させるように書かれています。そして、その循環が突然絶ちきられるようにあっけなく終わってしまうので、聞いている方としては何か一人取り残されたような気分が残ってしまうのです。
ザスローはこれをコルトダンスの形式に従ったある種の滑稽さの表現だと書いていて、それ故にこの部分はある程度の「あくどさ」が必要だと主張しています。つまりは、モーツァルトの作品だと言うことで上品に演奏してしまうと、この急転直下がもたらすユーモアが矮小化されるというのです。
なるほど、そう言われれば何となく分かるような気がするのですが、ほとんどの演奏はこの部分で期待されるあくどさを実現できていないことは残念です。
暖かい生命の燦めきのようなものもまた聞き手に与えてくれる
ベートーベンは悲しんでいる人の首根っこをつかんで、「さあ立ってともに戦おう!」と呼びかけるのに対して、モーツァルトは悲しんでいる人の横で、「オレもまた悲しくてしんどいのよ」と寄り添ってくれる音楽だと言った人がいました。
実は、この録音は、私が生まれて初めて救急車で運ばれるという経験をした後に、家に帰ってきてから初めて聞いた音楽でした。そして、「モーツァルトは悲しみと辛さに寄り添ってくれる音楽」という「慧眼」に深く共感させてくれる演奏でもありました。
言うまでもないことですが、そう言う経験をした後にすぐに「音楽」などを聞けるものではありません。オーディオ装置の電源をオンにするのも億劫で、漸く何か聞いてみようかと思うまでには数日の時を必要としました。
そして、その時に「何を聞いてみようか」と考えて選び出したのが、この「パパ・クライバー」のモーツァルトだったのです。
今では考えられないような分厚い響きで最初の和音が鳴り響くのですが、その響きはどこまでも柔らかく、疲れ切ったからだと心にはこの上もなく心地よいものでした。
そして、もう一つ気づいたのは、そう言う響きでありながら音楽は決して重くなることはなく、それはカルロスの音楽を思わせるようなしなやか生命力にあふれていることです。
ただし、エーリッヒの音楽はただの「癒し」ではなく、同時に暖かい生命の燦めきのようなものもまた聞き手に与えてくれます。カルロスの場合にはその生命力が横溢しすぎて、いささか弱っている状態の人にとっては過剰に思えてしまうときがあるのですが、それこそあらゆる苦難を舐めてきたエーリッヒの音楽にはその様な「過剰」は一切存在しないのです。
いや、この書き方は反対ですね。まさに、その様な音楽を幼いころから聞き続けてきたがゆえに、あのカルロスの芸術があるのです。
エーリッヒが亡くなるのは956年1月27日ですから、このケルン放送交響楽団との録音は、本当に最後の最後とも言うべき時期の演奏だったことになります。
戦前はナチスに異を唱えたが為に南米に逃れざるを得なくなり、戦後はまさに「ナチスに異を唱えた」という正当性ゆえに目に見えない嫌がらせと圧力を受けたのがエーリッヒでした。
しかし、そう言う理不尽に対して一言の愚痴もこぼさず、ただひたすら音楽だけをやり続けたのがエーリッヒという男でした。
そして、そんなエーリッヒに対して、戦後も唯一好意的であり続けたのがフルトヴェングラーだけだったと言うことは、今の時代に生きる私たちにとっても深く心に留めておいていいことかもしれません。
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