ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽団 1957年9月6日録音
Brahms:Symphony No.2 in D major, Op.73 [1.Allegro non troppo]
Brahms:Symphony No.2 in D major, Op.73 [2.Adagio non troppo]
Brahms:Symphony No.2 in D major, Op.73 [3.Allegretto grazioso (quasi andantino)]
Brahms:Symphony No.2 in D major, Op.73 [4.Allegro con spirito]
ブラームスの「田園交響曲」
ブラームスが最初の交響曲を作曲するのに20年以上も時間を費やしたのは有名な話ですが、それに続く第2番の交響曲はその一年後、実質的には3ヶ月あまりで完成したと言われています。ブラームスにとってベートーベンの影がいかに大きかったかをこれまた物語るエピソードです。
第2番はブラームスの「田園交響曲」と呼ばれることもあります。それは明るいのびやかな雰囲気がベートーベンの6番を思わせるものがあるかです。
ただ、この作品はこれ単独で聞くとあまり違和感を感じないでのですが、同時代の他の作品と聞き比べるとかなり古めかしい装いをまとっています。この10年後にはマーラーが登場して第1番の交響曲を発表することを考えると、ブラームスの古典派回帰の思いが伝わってきます。
オケの編成を見ても昔ながらの二管編成ですから、マーラーとの隔絶ぶりはハッキリしています。
とは言え、最終楽章の圧倒的なフィナーレを聞くと、ちらりと後期ロマン派の顔がのぞいているように思うのは私だけでしょうか。
第1楽章 Allegro non troppo
冒頭に低弦が奏する音型が全曲を統一する基本動機となっている。静かに消えゆくコーダは「沈みゆく太陽が崇高でしかも真剣な光を投げかける楽しい風景」と表現されることもあります。
第2楽章 Adagio non troppo - L'istesso tempo,ma grazioso
冒頭の物憂げなチェロの歌がこの楽章を特徴づけています。
第3楽章 Allegretto grazioso (Quasi andantino) - Presto ma non assai - Tempo I
間奏曲とスケルツォが合体したような構成になっています。
第4楽章 Allegro con spirito
驀進するコーダに向けて音楽が盛り上がっていきます。もうブラームスを退屈男とは言わせない!と言う雰囲気です。
劇場的な面白さに溢れた演奏
劇場的な面白さに溢れた演奏
イッセルシュテットのライブ演奏は穏健なスタジオでの録音と較べると随分様子が異なることは、モーツァルトのジュピター(1961年録音)を紹介したときに気づきました。
スタジオと違うのは当然なのですが、最初から気合いの入り方が違います。しかし、手綱を緩めることはないのでコントロールは失っていません。
そして、音楽は最終楽章のフーガに向けてじわじわと盛り上がっていくのですが、その最後にいたって一気に力を解放するかのようにため込んでいた力が解放されます。「驀進するモーツァルト」というのもおかしな表現なのですが、しかし最後はそう言うしかないような盛り上がりで締めくくられるので、「穏健」どころの話ではありません。
ライブ録音というのは劇場での芸であり、何度も繰り返し聞かれることを前提としたスタジオ録音とは異なるのは当然と言えば当然です。
しかし、おかしな話なのですが、オーケストラのクオリティが上がったことも原因かもしれないのですが、ライブでもスタジオ録音であるかのような演奏を指向する指揮者が最近は増えてきているような気がするのです。
昔は、クナパーツブッシュに代表されるように、スタジオ録音でもライブであるかのように演奏することを疑わない人もいたのですから、面白い話です。
劇場というのは本来は不思議な世界であるはずなのです。
それは日常の生活からは切り離された空間であり、どれほどのハイ・エンドシステムをあてがったとしても、日常的な空間の中で享受しなければいけないオーディオ的な世界とは根本的に異なる世界だったはずです。
ところが、昨今のクラシック音楽の演奏会には、そう言う特別なワクワク感を引き起こされる事が少なくなってきたように思うのです。
ついでながら、私はお芝居を見に行くのも好きなので、そちらの方もよく足を運びます。
そして、その二つを較べてみると、日々つまらなくなっているのは音楽の演奏会の方です。
お芝居にも「劇場中継」というものがあるのですが、あれはもう実際の劇場でお芝居を観ることと較べればお話にならないほど味気ないものです。
ところが、演奏会の方は、こんな演奏ならばオーディオで音楽を聞いていた方がましだと思うときもあります、と言うか、そう思うときの方が多くなっているような気がするのです。
役者が台本通りの台詞を一字一句間違わずに立て板に水のようにしゃべったからと言って素晴らしい芝居になるわけではありません。そんな事は論議するまでもないほどに自明のことです。
ところが、クラシック音楽の世界では、楽譜に書かれた音符を一音も蔑ろにせずに正確に音に変換することが出来れば、それで事足れりと考えているとしか思えないような演奏が少なくないのです。
そして、不幸だと思うのは、そう言う価値観が一部の聴衆にとっても共有されてしまっていることです。
この録音は1957年のモントルー音楽祭での演奏のようです。
イッセルシュテットと北ドイツ放送交響楽団はこの年の音楽祭に出演していたようで、これ以外にもドヴォルザークの「新世界より」の録音 が残っています。
その「新世界より」の方は「正確」さだけを尊ぶ「現代的価値観」からすれば問題の多い演奏かもしれません。
何しろ、冒頭のホルンからしてこけていますし、音程的に不安定になっている部分も散見されます。
おまけに、あの録音では曲の最後で何人かの聴衆がフライングで拍手をしてしまい、それを茶化すかのようにイッセルシュテットは最後の音を目一杯引き延ばという「おまけ」までついていました。
しかし、ブラームスはこのコンビにとっては本線中の本線とも言うべきレパートリーですから、「新世界より」のような不都合を感じる場面はほとんどありません。
いわゆる「手の内に入った」レパートリーなのですから当然と言えば当然なのですが、それでいながらライブならではの熱さに溢れた演奏になっていることは見逃してはいけません。
イッセルシュテットは、何度も聞かれることを前提としたスタジオ録音では古典的な規矩を崩さずに穏やか音楽的表現へと己を抑制する人でした。
しかし、そう言う「穏やかで中庸の美」に溢れている人でも、劇場では全く異なった姿を見せていた事を証明する演奏なのです。
そう思えば、今のクラシック音楽家の演奏会に何が欠けているかは明らかなのではないでしょうか。
よせられたコメント 2018-11-28:joshua カイルベルト とmozart beethovenでイメージが重なってきますが、カイルベルト が8歳下で、先に亡くなりました。その間ヒトラー政権との関わりはよく分からない。不惑のイッセルシュテットは離婚を選びドイツに残ります??。妻はユダヤ系だったから、苦渋の思いで、イギリス??にやったのでしょう。その後、別人と再婚しますが、先妻との息子が音楽プロデューサー、という縁で、あの初のベートーヴェン全集が実現したのは、感慨があります。時代は違いますが、東西ドイツに2人の妻を持ったスウィトナーと似て
ませんか?家族と仕事の合間に揺れた2指揮者。
日本とイッセルシュテットは、カイルベルト やスウィトナーほどには語られないですね。確か、2回晩年に来日してました。
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