ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年5月3日録音
Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [1.Reveries - Passions. Largo - Allegro agitato e appassionato assai - Religiosamente]
Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [2.Un bal. Valse. Allegro non troppo
Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [3.Scene aux champs. Adagio]
Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [4.Marche au supplice. Allegretto non troppo]
Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [5.Songe dune nuit de sabbat. Larghetto - Allegro]
ベートーベンのすぐ後にこんな交響曲が生まれたとは驚きです。
私はこの作品が大好きでした。「でした。」などと過去形で書くと今はどうなんだと言われそうですが、もちろん今も大好きです。なかでも、この第2楽章「舞踏会」が大のお気に入りです。
よく知られているように、創作のきっかけとなったのは、ある有名な女優に対するかなわぬ恋でした。
相手は、人気絶頂の大女優であり、ベルリオーズは無名の青年音楽家ですから、成就するはずのない恋でした。結果は当然のように失恋で終わり、そしてこの作品が生まれました。
しかし、凄いのはこの後です。
時は流れて、立場が逆転します。
女優は年をとり、昔年の栄光は色あせています。
反対にベルリオーズは時代を代表する偉大な作曲家となっています。
ここに至って、漸くにして彼はこの恋を成就させ、結婚をします。
やはり一流になる人間は違います。私などには想像もできない「しつこさ」です。(^^;
しかし、この結婚はすぐに破綻を迎えます。理由は簡単です。ベルリオーズは、自分が恋したのは女優その人ではなく、彼女が演じた「主人公」だったことにすぐに気づいてしまったのです。
恋愛が幻想だとすると、結婚は現実です。
そして、現実というものは妥協の積み重ねで成り立つものですが、それは芸術家ベルリオーズには耐えられないことだったでしょう。
「芸術」と「妥協」、これほど共存が不可能なものはありません。
さらに、結婚生活の破綻は精神を疲弊させても、創作の源とはなりがたいもので、この出来事は何の実りももたらしませんでした。
狂おしい恋愛とその破綻が「幻想交響曲」という実りをもたらしたことと比較すれば、その差はあまりにも大きいと言えます。
凡人に必要なものは現実ですが、天才に必要なのは幻想なのでしょうか?
それとも、現実の中でしか生きられないから凡人であり、幻想の中においても生きていけるから天才ののでしょうか。
私も、この舞踏会の幻想の中で考え込んでしまいます。
なお、ベルリオーズはこの作品の冒頭と格楽章の頭の部分に長々と自分なりの標題を記しています。参考までに記しておきます。
「感受性に富んだ若い芸術家が、恋の悩みから人生に絶望して服毒自殺を図る。しかし薬の量が足りなかったため死に至らず、重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見る。その中に、恋人は1つの旋律となって現れる…」
- 第1楽章:夢・情熱
「不安な心理状態にいる若い芸術家は、わけもなく、おぼろな憧れとか苦悩あるいは歓喜の興奮に襲われる。若い芸術家が恋人に逢わない前の不安と憧れである。」
- 第2楽章:舞踏会
「賑やかな舞踏会のざわめきの中で、若い芸術家はふたたび恋人に巡り会う。」
- 第3楽章:野の風景
「ある夏の夕べ、若い芸術家は野で交互に牧歌を吹いている2人の羊飼いの笛の音を聞いている。静かな田園風景の中で羊飼いの二重奏を聞いていると、若い芸術家にも心の平和が訪れる。無限の静寂の中に身を沈めているうちに、再び不安がよぎる。
『もしも、彼女に見捨てれられたら・・・・』
1人の羊飼いがまた笛を吹く。 もう1人は、もはや答えない。
日没。遠雷。孤愁。静寂。」
- 第4楽章:断頭台への行進
「若い芸術家は夢の中で恋人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。その行列に伴う行進曲は、ときに暗くて荒々しいかと思うと、今度は明るく陽気になったりする。激しい発作の後で、行進曲の歩みは陰気さを加え規則的になる。死の恐怖を打ち破る愛の回想ともいうべき”固定観念”が一瞬現れる。」
- 第5楽章:ワルプルギスの夜の夢「若い芸術家は魔女の饗宴に参加している幻覚に襲われる。魔女達は様々な恐ろしい化け物を集めて、若い芸術家の埋葬に立ち会っているのだ。奇怪な音、溜め息、ケタケタ笑う声、遠くの呼び声。
”固定観念”の旋律が聞こえてくるが、もはやそれは気品とつつしみを失い、グロテスクな悪魔の旋律に歪められている。
地獄の饗宴は最高潮になる。
”怒りの日”が鳴り響く。魔女たちの輪舞。
そして両者が一緒に奏される・・・・」
鐘の響きだけが強烈な印象となって残る不思議な演奏
ケンペと幻想交響曲というのは珍しい組み合わせだと言えます。
しかしながら、ケンペと言う人は何をやってもドイツ・オーストリア系のど真ん中に放り込んでくるので、結果としてこういう本線から外れた作品を取り上げたときの方が意外なほどに面白い演奏を聞かせてくれるのです。
ただし、その「面白さ」というのは本人が面白くしてやろうと思って「面白く」なっているのではなくて、あくまでも本人は大真面目に取り組んでいるのに、その大真面目さの結果が「面白く」なってしまっているという類のものなのです。
こういうタイプの人っていますよね。(^^;
ですから、ここにはフランス音楽特有の軽やかさや華やかさはありません。
第1楽章の「夢と情熱」からして、何とも言えず大真面目な悲恋物語という雰囲気です。
そう感じてしまうのは一つずつのエピソードを念を押すような丁寧さで語っていくからでしょう。ケンペはこの楽章だけで15分もかけているのですが、その時間以上に長く感じます。
ただし、テンポが遅いという感じはそれほどしないので音楽は重くはなっていません。
おそらくケンペはこの物語を薬物中毒による幻覚などではなくて、若き芸術家の大真面目な悲恋と悲劇として描いてみせたのだと思います。
ですから、物語の発端としての「夢と情熱」では、この後の悲劇に必然性を感じさせるだけの重みが必要だったのでしょう。
ですから、これに続く「舞踏会」にも華やかさはありませんし、「野の風景」における殺人事件にも妙なリアリティがあります。
芸術家が手にかけて亡霊となった恋人が現れるときの遠雷も、意外と近い場所に落雷しますし、亡霊の姿もおぼろげでなくはっきりと姿を見せます。
そして、「断頭台への行進」も驚くほど整然とした足取りであり、断頭台での処刑も極めて事務的に手際よく行われます。
ここまで聞いてきて、ドイツ的生真面目さで「幻想交響曲」を処理すればこんな感じになるんだなと思いつつも、期待した「面白さ」はそれほどではないなと最後の「ワルプルギスの夜の夢」に突入していったのですが、そこで鐘の音が鳴り響き始めた瞬間に凍りついてしまいました。
何という陰々滅々たる響きでしょう。
その瞬間に音楽の風景が一変するのです。
これほど陰惨な風景を作り出した鐘の音は他には思い当たりません。
その鐘の響きは西洋の教会で鳴り響くようなものではなくて、魑魅魍魎が跋扈する荒れ果てたお寺で鳴り響く梵鐘のように聞こえるのです。
おかしな表現かもしれませんが、それは日本人にとっては「この世」と「黄泉の国」を結ぶ「黄泉比良坂(よもつひらさか)」を下っていくような世界だと感じられるのです。
もちろん、ドイツ人であるケンペが黄泉比良坂(よもつひらさか)を知っていたとは思わないのですが、西洋にもオルフェウスの冥界下りというのがあります。
しかし話の陰惨さでは「イザナギの黄泉下り」の方が勝りますから(何しろ「見るな」といったニニギの姿はウジがわいて腐り果てていたのです)、この鐘の響きがつくり出す陰惨さは「黄泉下り」です。
しかしながらその鐘の音が途切れると何事もなかったかのように陰惨な風景は姿を消します。
そして、再び音楽は整然と前進を開始します。
ですから、あの鐘の響いていた時に立ちあらわれたあの「陰惨な世界」はいったい何だったんだと言う思いが残ります。
ただし、それもまたケンペなりの「大真面目さ」がもたらした結果であり、そうすることで何かを狙ったものでなかったことは間違いないはずです。
そして、全てを聞き終わった後に残るのはあの「陰惨な鐘の響きだけ」なのです。
いや、さすがに「陰惨な鐘の響きだけ」と言えば言い過ぎかもしれませんが、それでもあの鐘の響きだけが強烈な印象となって残ることだけは疑いもない事実です。
やはり、ケンペは本線を外れたときの方が面白いようです。
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