ドヴォルザーク:交響曲第1番 ハ短調 Op.3 「ズロニツェの鐘」
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団 1965年12月1日~3日録音
Dvorak:Symphony No.1 in C minor (B.9) "The Bells of Zlonice" [1.Maestoso - [Allegro]]
Dvorak:Symphony No.1 in C minor (B.9) "The Bells of Zlonice" [2.Adagio di molto]
Dvorak:Symphony No.1 in C minor (B.9) "The Bells of Zlonice" [3.Allegretto - Trio]
Dvorak:Symphony No.1 in C minor (B.9) "The Bells of Zlonice" [4.Finale. Allegro animato]
中古楽譜店で「再発見」されたドヴォルザークのファースト・シンフォニー
ドヴォルザークのファースト・シンフォニーなのですが、この作品が表舞台に現れるには長い年月と複雑な経緯を経ています。
まず、この作品の創作動機はよく分かっていないのですが、おそらくはドイツでの作曲コンクールに出品することが主たる目的だったと考えられています。
しかし、この交響曲は入選することもなく、さらにはスコアも返還されることはなかったのです。
しかし、ドヴォルザーク自身もこの若書きのシンフォニーに対する未練はほとんどなかったのか、返還されないままに放置してしまったのです。
そんなドヴォルザークのファースト・シンフォニーの存在に気付いたのがドヴォルザークとは全く縁戚関係のない「ルドルフ・ドヴォルザーク」という歴史学者でした。彼は、何気なくたずねた中古楽譜の店でこのファースト・シンフォニーの総譜を見つけたのです。
オイオイー(^^;、コンクールの事務局はスコアを返還しなかったどころか、中古屋に売り飛ばしていたのかよ、と思わず突っ込みを入れたくなる出来事です。
ただし、ルドルフはそのスコアが本当にドヴォルザークの手になるものなのかどうか確信が持てなかったのでしょうか、結局はそのシンフォニーのスコアを公表することなくしまい込んでしまうのです。
そして、そのしまい込まれたスコアが再び発見されるのは、ルドルフが亡くなった後に息子が遺品を整理していた1923年のことでした。
驚いた息子はそのスコアをすぐにプラハ音楽院に持ち込み、そしてヴァイオリンの教授だったインドルジヒ・フェルトの鑑定で、それが母国の偉大な作曲家であるドヴォルザークのファースト・シンフォニーであったことが確認されたのです。
ところが、この話にはさらに先があって、その発見された交響曲の出版をその息子は何故か許可しなかったのです。
彼がそれを拒否した理由はよく分からないのですが、結局は、チェコが社会主義国になってドヴォルザーク全集の出版が国家事業としてはじめられるようになったことで、漸くにして1961年に国立音楽出版社から出版されることになりました。
ちなみに、作曲家本人にであるドヴォルザークは、そう言う交響曲を書いたことは当然の事ながら覚えていたのですが、スコアが手元にないと言うことで、その若書きの作品は自分自身で破棄したものと思いこんでいたようです。
また、その残された自筆楽譜に記されていたのでしょうか、1865年2月11日に作曲に着手されたことと、同年の3月24日に完成されたことははっきりと分かっています。
ドヴォルザークという人は古今稀に見るほどの旋律創造の才に恵まれた人であったために、勢いに乗れば驚くほどのスピードで作品を仕上げることが出来た人でした。それにしても、ファーストシンフォニーをわずか40日で仕上げたとは驚きです。
なお、この作品を語るときに常に持ち出されるのが、「ハ短調→ハ長調」という構造がベートーベンの5番を連想させることです。
そして、ドヴォルザーク自身も交響曲のあるべき姿としてそ運命交響曲ををモデルにしたことはうかがえます。
しかし、出来上がった音楽を聞いてみれば、そこにはドヴォルザークならではの旋律的な感覚が前面に出てきて、それは明らかにシューベルト的な世界に近いものになっています。
そして、そこに、ドヴォルザークが深く影響を受けていたワーグナー的な華やかさと濃厚さが漂っています。
つまりは、23歳のドヴォルザークがそれまでの人生において影響を受けた様々な要素が寄せ集められて、そこへ初めての交響曲を作曲することへの熱い思いが注がれたような音楽になっているのです。
それを未熟と呼ぶのは容易いのですが、それでも第2楽章の豊かな歌心はドヴォルザーク以外の何ものでもない独自性を既に備えています。
世の中には一生かかっても、こんなに美しい音楽は一つもかけずにその人生を終えてしまう作曲家の方が多いのです。
なお、この交響曲のタイトルとして「ズロニツェの鐘」と名づけたのはドヴォルザーク自身です。
ただし、そのタイトルから想像されるような鐘の音が鳴り響くわけではありませんし、そのタイトルにまつわるような何らかの標題性があるわけではありません。
ズロニツェは、ドヴォルザークが13才の時に稼業の肉屋の仕事を継ぐために修行に出された土地で、そこで彼は肉屋の修行をしながら音楽を学びはじめたのです。
おそらくは、その懐かしい思い出をこのファースト・シンフォニーに重ね合わせて「ズロニツェの鐘」というタイトルを与えものと考えられています。
リズム感の良さと造形の確かさが音楽に素晴らしい生命感を与えている
ドヴォルザークの交響曲と言えば第9番「新世界より」だけが飛び抜けて有名です。そして、美しい旋律のあふれている第8番とブラームス的な佇まいをみせる第7番がそれに続きます。
それ以外の6番以前の交響曲と言うことになると、さて、知識としてそう言う作品があることは知っていても実際に聞いたことがあるという人は少ないのではないでしょうか。
実際、コンサートのプログラムにのることはほとんどありませんし、録音の数も7番以降の作品と較べると桁違いに少ないというのが実態です。
ただし、ヨーロッパではここまでひどい選別はされていないようで、とりわけ中欧の国々ではそれなりに6番以前の交響曲もコンサートのプログラムにのるんだよという話は聞いたことがあります。
少しばかり録音の歴史を調べてみたのですが、第9番はすでに1920年代に初録音があったようです。
第8番は1935年、第7番は1938年にそれぞれターリッヒとチェコフィルとのコンビで初録音されていますし、第6番の世界初録音は1938年のヴァツラフ・ターリヒ指揮(チェコ・フィルハーモニー管弦楽団)によるものらしいです。
ただし、5番以前の交響曲については初録音がいつであったのかはよく分かりませんでした。
と言うわけで、ドヴォルザークの交響曲の全容を多くの人にはじめて提示したのが、このケルテスとロンドン響による全集録音であったことは間違いありません。
ケルテスとロンドン響は以下のような順番でこの全集を完成させています。
- 交響曲第8番 ト長調 作品88(B.163):1963年2月22日~26日録音
- 交響曲第7番 ニ短調 作品70(B.141):1964年3月5日~6日録音
- 交響曲第5番 ヘ長調 作品76(B.54):1965年12月6日~10日録音
- 交響曲第6番 ニ長調 作品60(B.112):1965年12月6日~10日録音
- 交響曲第3番 変ホ長調 作品10(B.34):1966年10月11日~12日録音
- 交響曲第4番 ニ短調 作品13(B.41):1966年10月14日~17日録音
- 交響曲第9番 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」:1966年11月21日~12月3日録音
- 交響曲第2番 変ロ長調 作品4(B.12):1966年11月21日~12月3日録音
- 交響曲第1番 ハ短調 作品3(B.9) 「ズロニツェの鐘」:1966年12月1日~3日録音
最も有名な「新世界より」が随分後回しになっているのは、すでにウィーンフィルとの録音がカタログにあったからです。
あらためてケルテスの指揮による録音で初期、中期の作品を聞いてみると、「無視」されてしまうほどつまらない音楽ではないことはすぐに分かります。
そして、もう一つ面白いと思ったのは、6番以前の交響曲に関しては5番と6番、3番と4番、1番と2番を2曲ずつセットにして録音をしていることです。
これは、決して営業上の理由で、売れそうにもないマイナー作品をセットにしたというような下世話な理由ではありません。
そうではなくて、ドヴォルザークの初期の交響曲は、習作期としての1番と2番、世間で認められるために古典派やロマン派の交響曲の成果を積極的に取り入れた3番と4番、そして作曲家としてようやくにして認められることでボヘミアの民族的な色彩を色濃く打ち出した5番と6番というように区分されるからです。
その様なドヴォルザークの作曲家としての成長と発展を意識して全集を仕上げたところに、この録音にかけたケルテスの意欲が読み取れます。
ただし、誤解されやすいのですが、彼は決して「お国もの」としてドヴォルザークの交響曲に取り組んだわけではありません。
ケルテスはハンガリー出身の指揮者ですから、厳密に言えば民族的出自はマジャールです。日本人の感覚からすればこういう中欧圏の国々はどこも同じように見えてしまうのですが(^^;、チェコのドヴォルザークとは距離的にはお隣でも、その精神の愛用は随分と異なるのです。
ですから、何となく中欧圏の出身なので「お国もの」なのかと思ってしまうと、とんでもない勘違いを招いてしまいます。
だいたい、ハンガー出身の指揮者って、名前を数え上げるだけで一つのイメージが出来てしまうほどであり、そのイメージは牧歌的なボヘミアの風情とはほど遠いのです。
フリッツ・ライナー、ユージン・オーマンディ、ジョージ・セル、ゲオルグ・ショルティ・・・ですからね・・・。(^^;
ただし、ケルテスはそこまで独裁的でもなければ恐くもありません。
しかし、「民族的情緒」という実体不明のあやふやなものに寄りかかって、アンサンブルや造形の曖昧さを胡塗するような音楽とは遠く離れた位置にあります。たとえば、ドヴォルザークお得意の甘くロマンティックな旋律などはその甘さに引きずられることなく、実に伸びやかで清潔な佇まいを崩すことはありません。
しかし、それでも、ひたすら直線的で厳しい造形を目指した同郷の恐い先輩方とは違って、かなり思い切った曲線的な表情付けで濃厚な音楽を聞かせてくれる場面もあった人でした。セルにしても、ライナーにしても、彼らがこういう民族的な色彩が濃い音楽を取り上げると、その色合いを見事なまでに脱色をして国籍不明のコスモポリタンな音楽に仕立て上げてしまうのですが、そう言う生き方とは明らかに異なります。
それは、活動の本拠がアメリカかヨーロッパかと言うことが大きく影響しているのかも知れません。
しかしながら、弾むようなリズム感の良さと造形の確かさはマジャールの先輩方を彷彿とさせるものがあります。このあたりの勘の良さみたいなものはマジャールの血なのかもしれません。
確かに、ドヴォルザークの交響曲全集と言えば、このすぐ後にロヴィツキの全集なども出て唯一絶対というポジションはすぐに失ってしまうのですが、それでも録音のクオリティの高さとも相まって(録音エンジニアはDeccaのKenneth Wilkinsonです!!)、未だその価値は失っていないと断言できます。
よせられたコメント
2018-04-10:ウィルソン
- 私はこの全集を第7番目的で購入した記憶がありますが、初期の各作品に対する目を開かせてくれたという点でケルテスには本当に感謝しております。
旋律の美しさと金管の決然たるフォルテというドヴォルザーク作品の美質を、ケルテスは余すところなく再現してくれているという気がします。
本曲ですが、第4楽章冒頭には何となく鐘が連打されているような響きを感じます。ドヴォルザーク自身がそれを意図して書いたのか分かりませんが。
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