シューベルト:交響曲第8番 ロ短調 D.759 「未完成」 & 交響曲第6番 ハ長調 D.589
エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1957年5月22日、25日録音
Schubert:Symphony No.8 in B Minor, D.759 "Unfinished"[1.Allegro moderato]
Schubert:Symphony No.8 in B Minor, D.759 "Unfinished"[2.Andante con moto]
Schubert:Symphony No.6 in C major, D.589 "Little C Major" [1.Adagio - Allegro]
Schubert:Symphony No.6 in C major, D.589 "Little C Major" [2.Andante]
Schubert:Symphony No.6 in C major, D.589 "Little C Major" [3.Scherzo. Presto - Piu lento]
Schubert:Symphony No.6 in C major, D.589 "Little C Major" [4.Allegro moderato]
わが恋の終わらざるがごとく・・・

この作品は1822年10月30日に作曲が開始されたと言われています。しかし、それはオーケストラの総譜として書き始めた時期であって、スケッチなどを辿ればシューベルトがこの作品に取り組みはじめたのはさらに遡ることが出来ると思われています。
そして、この作品は長きにわたって「未完成」のままに忘れ去られていたことでも有名なのですが、その事情に関してな一般的には以下のように考えられています。
1822年に書き始めた新しい交響曲は第1楽章と第2楽章、そして第3楽章は20小説まで書いた時点で放置されてしまいます。
シューベルトがその放置した交響曲を思い出したのは、グラーツの「シュタインエルマルク音楽協会」の名誉会員として迎え入れられることが決まり、その返礼としてこの未完の交響曲を完成させて送ることに決めたからです。
そして、シューベルトはこの音楽協会との間を取り持ってくれた友人(アンゼルム・ヒュッテンブレンナー)あてに、取りあえず完成している自筆譜を送付します。しかし、送られた友人は残りの2楽章の自筆譜が届くのを待つ事に決めて、その送られた自筆譜を手元に留め置くことにしたのですが、結果として残りの2楽章は届かなかったので、最初に送られた自筆譜もそのまま忘れ去られてしまうことになった、と言われています。
ただし、この友人が送られた自筆譜をそのまま手元に置いてしまったことに関しては「忘れてしまった」という公式見解以外にも、借金のカタとして留め置いたなど、様々な説が唱えられているようです。
しかし、それ以上に多くの人の興味をかき立ててきたのは、これほど素晴らしい叙情性にあふれた音楽を、どうしてシューベルトは未完成のままに放置したのかという謎です。
有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。
また、別の説として前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかったと言う説もよく言われてきました。
しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでそのように主張するなら分かるのですが、凡人がそんなことを勝手に言っていいのだろうかと言う「躊躇い」を感じる説ではあります。
ただし、シューベルトの研究が進んできて、彼の創作の軌跡がはっきりしてくるにつれて、1818年以降になると、彼が未完成のままに放り出す作品が増えてくることが分かってきました。
そう言うシューベルトの創作の流れを踏まえてみれば、これほど素晴らしい2つの楽章であっても、それが未完成のまま放置されるというのは決して珍しい話ではないのです。
そこには、アマチュアの作曲家からプロの作曲家へと、意識においてもスキルにおいても急激に成長をしていく苦悩と気負いがあったと思われます。
そして、この時期に彼が目指していたのは明らかにベートーベンを強く意識した「交響曲への道」であり、それを踏まえればこの2つの楽章はそう言う枠に入りきらないことは明らかだったのです。
ですから、取りあえず書き始めてみたものの、それはこの上もなく歌謡性にあふれた「シューベルト的」な音楽となっていて、それ故に自らが目指す音楽とは乖離していることが明らかとなり、結果として「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思われます。
この時期の交響曲はシューベルトの主観においては、全て習作の域を出るものではありませんでした。
彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8(9)番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。
その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。
ちなみに、この忘れ去られた2楽章が復活するのは、シューベルトがこの交響曲を書き始めてから43年後の1865年の事でした。ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによってこの忘れ去られていた自筆譜が発見され、彼の指揮によって歴史的な初演が行われました。
ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。
- 第1楽章:アレグロ・モデラート
冒頭8小節の低弦による主題が作品全体を支配してます。この最初の2小節のモティーフがこの楽章の主題に含まれますし、第2楽章の主題でも姿を荒らします。
ですから、これに続く第2楽章はこの題意楽章の強大化と思うほど雰囲気が似通ってくることになります。また、この交響曲では珍しくトロンボーンが使われているのですが、その事によってここぞという場面での響きに重さが生み出されているのも特徴です。
- 第2楽章:アンダンテ・コン・モート
クラリネットからオーベエへと引き継がれていく第2主題の美しさは見事です。
とりわけ、クラリネットのソロが始まると絶妙な転調が繰り返すことによって何とも言えない中間色の世界を描き出しながら、それがオーボエに移るとピタリと安定することによって聞き手に大きな安心感を与えるやり方は見事としか言いようがありません。
ベイヌムらしい推進力は後退して、余裕を持って音楽を歌わせる姿勢が前面に出ています
ベイヌムはベートーベンは1曲しか正規に録音しなかったのですが、シューベルトは3曲も録音しています。
ただし、その選択はかなり変わっています。
- 交響曲第3番 ニ長調 D.200 1955年6月6日、9日録音
- 交響曲第6番 ハ長調 D.589 1957年5月22日、25日録音
- 交響曲第8番 ロ短調 D.759 「未完成」 1957年5月22日、25日録音
1950年のライブ録音として第9番「グレート」が残っていますから、普通ならば「未完成」か「グレート」あたりを最初に取り上げると思うのですが、まず最初に取り上げたのは第3番で、その後に6番と「未完成」を取り上げています。
ベートーベンに関しても最初に2番から録音していますから、ベイヌムという人は非常に慎重な人だったのかもしれません。
時間はたっぷりあるんだから、まずは外堀から慎重に埋めていくというスタンスが感じ取れます。
ただし、ブラームスやブルックナーというのは手に入っているという自信があったのでしょう、そこは躊躇わずにどんどんと踏み込んでいっています。
まずは自信のあるところからしっかりと己の領域を確保していき、もう少し考えたいプログラムについては、慎重に歩を進めていくという感じです。
そして、それもまた、時間はたっぷりあると信じて疑わなかったからでしょう。
ただし、このシューベルトの3曲に関しては、2年の隔たりはベイヌムの立ち位置をかなり変えてしまっているように感じます。そして、その変化はかなり本質的な部分にまで及んでいるように見えます。
55年に録音した第3番は、51年のブラームスに刻み込まれていた姿がほぼそのままに残っています。
ただし、シューベルトらしく柔和に歌う部分になるとギヤを入れ替えて歌わせるあたりは少し変わったかなと思わせますが、それも通り過ぎればもとの強烈な推進力に満ちた世界に舞い戻っていきます。そして、そのオンとオフ(と言うのもおかしな表現ですが)の絶妙な切り替えがこの演奏の魅力になっていたりします。
それと比べると57年に録音された6番と未完成では、ベイヌムらしい推進力は後退して、余裕を持って音楽を歌わせる姿勢が前面に出てきます。
問題は、この変化をどう見るかなのですが、ブラームスの交響曲でもこれと似たような傾向が伺えました。
少なくない人たちはこの変化をベイヌムの衰え、下降線と見る人が多いのですが、私にはそれは「音楽は縦割りだ!」というスタンスから「歌うべきところはしっかり歌う」というスタンスに変わろうとする「経過」だと感じたモノです。
それと同じ事がこのシューベルトの録音を巡っても言えるのではないでしょうか。
そう言えば、カンテッリもまた私見によれば、トスカニーニの引退によってその呪縛から解き放たれたように音楽の姿を変えようと模索しているように見えました。
50年代前半は疑いもなく即物的な音楽が席巻した時代でした。
そして、そう言う縦割りの厳しい音楽から横へのラインも重視した歌う音楽に少しずつ変わろうとし始めた時期がその後半になってやってきたように思えます。
カラヤンもまた、50年代の前半はフィルハーモニア管でスタイリッシュでこの上もなく正統的なベートーベンを録音しました。
しかし、それが終着点でなかったことは明らかであり、彼もまた紆余曲折を経てドーピングとも言える横へ横へとつながっていく美学を確立していきました。
ベイヌムやカンテッリが普通に寿命を全うして活躍していれば、異論はあるかもしれませんが、カラヤンのような「歌う」方向の音楽を彼らなりに作っていったのではないかと妄想してしまうのです。
ただし、それはドーピング的なレガートしていく音楽ではなかったでしょう。
もしも、それがこのシューベルトの3番のように、オンとオフを巧妙に切り替えていく方向で音楽が進化していったのならば、随分と面白い音楽を聞かしてくれたかもしれないと妄想してしまいます。
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