クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワー グナー」

ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1966年1月28日~29日録音



Bruckner:Symphony No.3 in D minor, WAB 103 [1.Gemasigt, mehr bewegt, misterioso]

Bruckner:Symphony No.3 in D minor, WAB 103 [2.Adagio. Bewegt, quasi Andante]

Bruckner:Symphony No.3 in D minor, WAB 103 [3.Scherzo: Ziemlich schnel]

Bruckner:Symphony No.3 in D minor, WAB 103 [4. Finale: Allegr]


ブルックナーというのは試金石のような存在でした。

吉田秀和氏が50年代に初めてヨーロッパを訪れたときのことを何かに書いていたのを思い出します。

氏は、「今のヨーロッパで聞くべきものは何か」とたずねると、その人は「まず何はおいてもクナッパーツブッシュのワーグナーとブルックナーは聞くべきだ」と答えます。そこで、早速にクナが振るブルックナーを聞いてみたのですが、これがまたえらく単純な音楽が延々と続きます。とりわけスケルツォ楽章では単調きわまる3拍子の音楽が延々と続くので、さすがにあきれてしまって居眠りをしてしまいました。ところが、再び深い眠りから覚めてもまだ同じスケルツォ楽章が演奏されていたのですっかり恐れ入ってしまったというのです。

そして、その事をくだんの人に正直に打ち明けると、その人は、「日本人にはベートーベンやブラームスが精一杯で、ブルックナーはまだ無理だろう」と言われたというのです。

50年という時の流れを感じさせる話ですが、ことほど左様にブルックナーの音楽を日本人が受容するというのは難しいことでした。
いや、歴史をふりかえってみれば、ヨーロッパの人間だってブルックナーを受容するのは難しかったのです。

あまりにも有名なエピソードですから今さらとも思われるのですが、それでも知らない人は知らないわけですから簡潔に記しておきましょう。

初演というのは怖いもので、数多のスキャンダルのエピソードに彩られています。その中でも、このブルックナーの3番の初演は失敗と言うよりは悲惨を通り越した哀れなものでした。
ブルックナーはこの作品をワーグナーに献呈し、献呈されたワーグナーもこの作品を高く評価したためにウィーンフィルに初演の話を持ち込みます。そして、友人のヘルベックの指揮で練習が始められたのですが、わずか1回で「演奏不可能」としてその話は流れてしまいます。
しかし、指揮者のヘルベックはあきらめず、ワーグナー自身も第2楽章のワーグナー作品の引用などを大幅にカットすることによって作品を凝縮させることで、再び初演に向けた動きが現実化し始めます。ところが、そんな矢先にヘルベックがこの世を去ってしまいました。
そこで、仕方なくブルックナー自身の指揮で初演を行うようになってしまったのです。

ブルックナーの指揮はお世辞にも上手いといえるようなものではなく、プロの指揮者のもとで演奏することになれていたウィーンフィルにとってはまさに「笑いもの」といえるような指揮ぶりだったようです。
そんな状態で初演の本番をむかえたわけですから演奏は惨憺たるもので、聴衆は一つの楽章が終わるごとにあきれ果てて席を立っていき、最終楽章が終わったときに客席に残っていたのはわずか25人だったと伝えられています。
そして、その25人の大部分もその様な酷い音楽を聴かせたブルックナーへの抗議の意志を伝えるために残っていたのでした。ウィーンフィルのメンバーも演奏が終わると全員が一斉に席を立ち、一人残されたブルックナーに嘲笑が浴びせかけられました。

ところが、地獄の鬼でさえ涙しそうなその様な場面で、わずか数名の若者が熱烈にブルックナーを支持するための拍手を送りました。その中に、当時17才だったボヘミヤ出身のユダヤ人音楽家がいました。
彼の名はグスタフ・マーラーといいました。
あまりにも有名なエピソードです。

この、なんだか訳の分からないブルックナーの音楽を日本に紹介する上で最も大きな功績があったのが朝比奈と大フィルとのコンビでした。
彼らは、マーラーブームやブルックナーブームがやってくるずっと前から定期演奏会でしつこく何度もブルックナーを演奏していました。そして、その無謀とも思える試みの到達点として1975年のヨーロッパ演奏旅行における伝説の聖フローリアンでの演奏が生まれます。

このヨーロッパ演奏旅行で自信を深めた彼らはその帰国後にジャンジャンという小さなレーベルで2年をかけてブルックナーの交響曲全集を完成させます。このレコードはその後「幻のレコード」として中古市場でとんでもない高値で取引されるようになり、普通の人では入手が困難になっていたのですが、数年前に良好な状態でCD化されてようやく私のようなものでも手元にも届くようになりました。

そして、手元に届いたジャンジャン盤のCDの中から真っ先にとりだして聞いてみたのがこのブルックナーの3番「ワーグナー」でした。

理由は簡単です。
私が生まれて初めて生で聞いたブルックナーが朝比奈&大フィルによるブル3だったからです。
そのときのコンサートの感動は今も胸の中に残っています。

クラシック音楽を聴き始めた頃の私にとって吉田大明神の文章はまさにバイブルでしたから、「ブルックナーというのは難しい音楽だ」という身構えた気持ちで出かけました。
ところが、朝比奈と大フィルが作り出す音楽には難しさや晦渋さなどは全く感じませんでした。それどころか、そこで展開された音楽はヨーロッパの大聖堂を思わせるような「壮麗」の一言に尽きるような素晴らしいものでした。

私はその一夜の経験ですっかりブルックナーが大好きになってしまい、その後次々とブルックナーのLP(CDではなくLPの時代でした)を買いあさるようになったのでした。
そんな思い出を懐かしみながら再生したジャンジャン盤のブル3はお世辞にも上手いとはいえない演奏でした。しかし、その演奏にはブルックナーへの深い愛と献身が満ちていました。
こういう演奏に技術的な批評など何の意味もありません。

これより上手いブルックナー演奏なら掃いて捨てるほどあります。ブルックナーに対する深い尊敬を感じさせる演奏も少なくはありません。
しかし、これほど深い献身を感じさせる演奏は私は知りません。
初演の舞台で嘲笑をあびながら一人孤独に立ちつくしたブルックナーが、それから100年を経た東洋の島国でこのような演奏がなされたことを知れば、どれほどの深い感謝を捧げたことでしょう。

そして、その様な朝比奈&大フィルのコンビとともにクラシック音楽に親しんでこれたことが、私にとっても最も幸福な思い出の一つとなっています。


徹底的に整理し見通しを良くした演奏


ブルックナーというのは、それまでの交響曲の歴史の中においてみればどこか「わけの分からない」ところがたくさんある音楽です。
ですから、誰とは言いませんがピアニストから転向した某指揮者などは「アマチュア作曲家」などと言う恐れを知らぬ(^^;言葉を奉ったりするのです。

ただし、ブルックナーの音楽を愛する人に言わせれば、その「わけの分からない」ところこそが魅力なのであって、そう言うわけの分からない部分に出会うたびに、「楽譜にそう書いてあるんだから取りあえずはそのまま演奏しようや!」みたいなスタンスを取る指揮者の方が好まれたりするようです。
いささか語弊があるかもしれないのですが、ブルックナーという音楽は余り物を考えないタイプの指揮者の方が相性がいいようなのです。
そして、それとは逆に、徹底的にものを考える指揮者がブルックナーを演奏するとどうなるかの見本がここにあります。

まずは見事なまでに、ある意味ではまるで古典派の交響曲であるかのように整理されきっています。
そして、ブルックナー特有のオルガン的な響きが一掃されていて、内部の見通しが非常にいいことがその整理整頓に大きな役割を果たしていることに気づかされます。

ブルックナーというのは色々な楽器をユニゾンで響かせる部分が多いのですが(それが彼の音楽を単色にしている一因でもあるのですが)、セル&クリーブランド管では、ユニゾンで演奏する部分は一分の隙もなくユニゾンで演奏されています。このコンビであればそれは当然のことなのですが、ユニゾンはまるで誰かがソロで演奏してるがごとくで、そこからは一切の曖昧さは除去されています。

ところが、普通のオケだとそこまでの精度でユニゾンの部分を揃えるのは至難の業です。私の誤解かもしれませんが、複数の奏者の間でどうしても生じてしま細かい「ずれ」が結果としてブルックナーの「オルガン的な響き」の要因の一つとなっているのではないかと思うのです。
そして、その事はオーケストラ全体においても同様で、「ジャン!」と終わる部分は常に明解に「ジャン!」と終わっています。決してその「ジャン!」が「ジャーャン!」みたいな曖昧さで誤魔化されることはありません。

そう言う意味では、これは凄い演奏だとは思うのですが、それではこのブルックナーが多くの人に愛されるのか問われれば話はまた別です。
おそらくは、かなりの人から、とりわけブルックナーの音楽を愛する人からは拒否されることは容易に想像がつきます。

マーラーの音楽は余分な脂肪も含めて愛することができる「デブ専」の音楽であるとすならば、ブルックナーは見通しの悪い曖昧さも含めて愛さないといけない音楽なのかもしれません。
そんな音楽をセルは常に整理しきってしまい目の前の霧を追い払ってしまいます。
この演奏を聞くと、彼がかつてマーラーの4番に施した徹底的なダイエット演奏を思い出します。

ただし、私はそう言うセルのスタンスを愛してきましたから、これもまたありかなという気はします。ただし、私の刷り込みは「朝比奈」なので、違和感はないとは言えないのですが・・・(^^;。
だたし、私の中にも物事は常にスッキリと整理され、それらが論理的に分析されないと我慢できない性があるようで、それがセルへの強いシンパシーに繋がっているのかもしれません。

この演奏はそう言うセルの特徴が良かれ悪しかれ、もっとも色濃く出ている演奏だと言えそうです。

よせられたコメント

2017-04-30:原 響平


2021-10-12:コタロー


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