モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201 (186a)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1965年8月録音
Mozart:Symphony No. 29 in A major, K.201 [1. Allegro moderato]
Mozart:Symphony No. 29 in A major, K.201 [2. Andante]
Mozart:Symphony No. 29 in A major, K.201 [3. Menuetto
Mozart:Symphony No. 29 in A major, K.201 [4. Allegro con spirito]
ザルツブルグにおける宮仕え時代の作品・・・ザルツブルグ交響曲
ミラノでのオペラの大成功を受けて意気揚々と引き上げてきたモーツァルトに思いもよらぬ事態が起こります。それは、宮廷の仕事をほったらかしにしてヨーロッパ中を演奏旅行するモーツァルト父子に好意的だった大司教のシュラッテンバッハが亡くなったのです。そして、それに変わってこの地の領主におさまったのがコロレードでした。コロレードは音楽には全く関心のない男であり、この変化は後のモーツァルトの人生を大きな影響を与えることになることは誰もがご存知のことでしょう。
それでも、コロレードは最初の頃はモーツァルト一家のその様な派手な振る舞いには露骨な干渉を加えなかったようで、72年10月には3回目のイタリア旅行、さらには翌年の7月から9月にはウィーン旅行に旅立っています。そして、この第2回と第3回のイタリア旅行のはざまで現在知られている範囲では8曲に上る交響曲を書き、さらに、イタリア旅行とウィーン旅行の間に4曲、さらにはウィーンから帰って5曲が書かれています。
これら計17曲をザルツブルグ交響曲という呼び方でひとまとめにすることにそれほどの異論はないと思われます。
<ザルツブルク(1772年)>
交響曲第14番 イ長調 K.114
交響曲第15番 ト長調 K.124
交響曲第16番 ハ長調 K.128
交響曲第18番 ヘ長調 K.130
交響曲第17番 ト長調 K.129
交響曲第19番 変ホ長調 K.132
交響曲第20番 ニ長調 K.133
交響曲第21番 イ長調 K.134
K128~K130は5月にまとめて書かれ、さらにはK132とK133は7月に書かれ、その翌月にはK134が書かれています。これらの6曲が短期間に集中して書かれたのは、新しい領主となったコロレードへのアピールであったとか、セット物として出版することを目的としたのではないかなど、様々な説が出されています。
他にも、すでに予定済みであった3期目のイタリア旅行にそなえて、新しい交響曲を求められたときにすぐに提出できるようにとの準備のためだったという説も有力です。
ただし、本当のところは誰も分かりません。
この一連の交響曲は基本的にはハイドンスタイルなのですが、所々に先祖返りのような保守的な作風が顔を出したと思えば(K129の第1楽章が典型)、時には「first great symphony」と呼ばれるK130の交響曲のようにフルート2本とホルン4本を用いて、今までにないような規模の大きな作品を仕上げるというような飛躍が見られたりしています。
アインシュタインはこの時期のモーツァルトを「年とともに増大するのは深化の徴候、楽器の役割がより大きな自由と個性に向かって変化していくという徴候、装飾的なものからカンタービレなものへの変化の徴候、いっそう洗練された模倣技術の徴候である」と述べています。
<ザルツブルク(1773~1774年)>
交響曲第22番 ハ長調 K.162
交響曲第23番 ニ長調 K.181
交響曲第24番 変ロ長調 K.182
交響曲第25番 ト短調 K.183
交響曲第27番 ト長調 K.199
交響曲第26番 変ホ長調 K.184
交響曲第28番 ハ長調 K.200
交響曲第29番 イ長調 K.201
交響曲第30番 ニ長調 K.202
アインシュタインは「1773年に大転回がおこる」と述べています。
1773年に書かれた交響曲はナンバーで言えば23番から29番にいたる7曲です。このうち、23・24・27番、さらには26番は明らかにオペラを意識した「序曲」であり、以前のイタリア風の雰囲気を色濃く残したものとなっています。
しかし、残りの3曲は、「それらは、---初期の段階において、狭い枠の中のものであるが---、1788年の最後の三大シンフォニーと同等の完成度を示す」とアインシュタインは言い切っています。
K200のハ長調シンフォニーに関しては「緩徐楽章は持続的であってすでにアダージョへの途上にあり、・・・メヌエットはもはや間奏曲や挿入物ではない」と評しています。
そして、K183とK201の2つの交響曲については「両シンフォニーの大小の奇跡は、近代になってやっと正しく評価されるようになった。」と述べています。そして、「イタリア風シンフォニーから、なんと無限に遠く隔たってしまったことか!」と絶賛しています。
そして、この絶賛に異議を唱える人は誰もいないでしょう。
時におこるモーツァルトの「飛躍」がシンフォニーの領域でもおこったのです。そして、モーツァルトの「天才」とは、9才で交響曲を書いたという「早熟」の中ではなく、この「飛躍」の中にこそ存在するのです。
モーツァルトには「幸福」こそが最も似合います
カラヤンのモーツァルトは至って評判が悪いのですが、何故かしらこの65年の8月にまとめて録音された一連のモーツァルトは悪くないのです。いや、悪くないと言うよりは、非常に素晴らしいのです。調べてみると、以下の作品が録音されています。
Symphony No. 29 in A major, K.201
Symphony No. 33 in B flat major, K.319
Serenade In G Major, K.525 Eine kleine Nachtmusik
Divertimento No.15 in B Flat Major, K.287
Divertimento in D, K.334
さらに振り返ってみると、この前年の8月にはバッハのブランデンブルク協奏曲を一気に録音しています。(正確に言うと、第6番だけは翌年の2月22日に管弦楽組曲の2番、3番と一緒に録音しています。)
カラヤンがこういう作品をこういう形でまとめて録音するというのは珍しいことです。そこで、その理由を調べてみて分かったのは、これら一連の録音は全て夏の避暑地における録音だと言うことです、
カラヤンはブランデンブルグ協奏曲を録音した1964年から、夏は避暑地のサンモリッツで過ごすようになりました。そして、そのサンモリッツに気の合うベルリンフィルのメンバーを呼んで気楽な感じで演奏会やセッション録音を行ったのです。
64年はブランデンブルグ協奏曲、65年はモーツァルト作品をまとめて録音し、67年から68年にかけてはヘンデルの合奏協奏曲とモーツァルトのディヴェルティメントを録音しています。そして、そう言う録音活動以外にも気楽な演奏会も行っていたようで、そう言う活動場所はサンモリッツ誌が全て全面的にバックアップをしていたようです。それらは、気の張りつめた音楽活動ではなく、まさに夏の避暑の合間における楽しみとしての音楽活動という面が強かったようです。
そして、この優雅な夏の日々は72年まで続くことになります。
この何とも言えず力の抜けた楽しげなモーツァルトは、カラヤンとベルリンフィルが本気で録音したそれ以外のモーツァルトよりもはるかにモーツァルトらしいのです。
ここにはカラヤンとベルリンフィルが紡ぎ出す過剰なまでの響きがないのです。そして、その薄めの響きがバッハにおいてもモーツァルトにおいても、明らかにプラスに働いているような気がするのです。
おそらくは、サンモリッツに集ったのはベルリンフィルの主なメンバーではあったでしょうがフルメンバーではなかったはずです。
クレジットが「ベルリンフィル管弦楽団」とはなっていても、その編成はかなり小ぶりであったと思われます。
ところが、その小編成の弦楽合奏が紡ぎ出す響きの何という美しさ!!
そして、独奏ヴァイオリンのうっとりするような響きと伸びやかなホルンの何という美しさ!!
これを聞いてしまうと、何故にカラヤンは本気モードの時にあそこまで過剰な響きでモーツァルトを描き出そうとしたのかと疑問に思わざるを得ません。その気になりさえすれば、このサンモリッツの時のように透明感あふれるモーツァルトの世界を描き出すことができたのに!!
しかし、できるけれどもやらなかった、と言う事実を私たちは直視すべきなのでしょう。
私は、この小編成のオケが紡ぎ出す世界こそがモーツァルトらしい世界だと思うのですが、カラヤンはそうは思わなかったと言うことです。
そして、あのカラヤンが思わなかったものを、我々ごときがあれこれ言って何になると言うのでしょう。
私がいかに過剰と思っても、そこにカラヤンが求めたモーツァルトの姿が示されているのならば、私たちはそれを敬して受け入れるしかないのです。
ただ、この8月の録音に刻まれた音楽は、疑いもなくカラヤンとベルリンフィルの最も幸福な時代の記録であることは事実です。
そして、モーツァルトには「幸福」こそが最も似合うということだけは間違いないようです。
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