チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1961年6月23日録音
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [1.Andante - Allegro con anima]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [2.Andante cantabile con alcuna licenza]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [3.Valse. Allegro moderato]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [4.Finale. Andante maestoso - Allegro vivace]
何故か今ひとつ評価が低いのですが・・・
チャイコフスキーの後期交響曲というと4・5・6番になるのですが、なぜかこの5番は評価が今ひとつ高くないようです。
4番が持っているある種の激情と6番が持つ深い憂愁。その中間にたつ5番がどこか「中途半端」というわけでしょうか。それから、この最終楽章を表面的効果に終始した音楽、「虚構に続く虚構。すべては虚構」と一部の識者に評されたことも無視できない影響力を持ったのかもしれません。また、作者自身も自分の指揮による初演のあとに「この作品にはこしらえものの不誠実さがある」と語るなど、どうも風向きがよくありません。
ただ、作曲者自身の思いとは別に一般的には大変好意的に受け入れられ、その様子を見てチャイコフスキー自身も自信を取り戻したことは事実のようです。
さてユング君はそれではどう思っているの?と聞かれれば「結構好きな作品です!」と明るく答えてしまいます。チャイコフスキーの「聞かせる技術」はやはり大したものです。確かに最終楽章は金管パートの人には重労働かもしれませんが、聞いている方にとっては実に爽快です。第2楽章のメランコリックな雰囲気も程良くスパイスが利いているし、第3楽章にワルツ形式を持ってきたのも面白い試みです。
そして第1楽章はソナタ形式の音楽としては実に立派な音楽として響きます。
確かに4番と比べるとある種の弱さというか、説得力のなさみたいなものも感じますが、同時代の民族主義的的な作曲家たちと比べると、そういう聞かせ上手な点については頭一つ抜けていると言わざるを得ません。
いかがなものでしょうか?
伝説の名録音?マーキュリー・レーベル
今もマーキュリーレーベルの録音は伝説です。
彼らのキャッチフレーズだった「You are there」は、決して誇大広告ではありません。
その録音の特徴は、とびきりの鮮明さと空間いっぱいに広がるダイナミックな響きの見事さにあると言えます。そして、この伝説の録音を実現したのが、録音史上最も耳の良いプロデューサーと言われたウィルマ・コザート(Wilma Cozart)でした。
彼女は、モノラルならば一本のマイク、ステレオ録音になってからは左右に一本ずつ追加して合計で3本というスタイルを厳格に守り続けました。いわゆるワンポイント録音という手法です。
3トラックに録音した音を2チャンネルにトラックダウンするだけですから、録音してからの調整などはほとんどできません。セッティングがある程度適当でも後から調整が可能なマルチマイク録音とは、思想が根本から違うのです。
ベストのマイクセッティングを得るためには天才的な閃きが求められます。
さらに言えば、この録音手法は演奏する側にも多大なるプレッシャーを与えます。
録音してからいかようにも料理できるマルチマイク録音と違って、ワンポイント録音の場合は演奏する側に対しても一切の誤魔化しを許さないからです。ですから、この録音で確認できるオケのクオリティには一切の誤魔化しはないのです。
コザートが実現した異次元レベルの鮮明さは顕微鏡で毛穴の奥までのぞき込むようなものでした。ですから、その録音はオケのちょっとした荒さであっても、その荒さを白日の下にさらけ出してしまいます。
これが、実に辛いところなのです。
ドラティの録音で言えば、彼が1949年から1960年まで音楽監督を務め、オーケストラビルダーとして鍛え上げていたミネアポリス交響楽団であっても、このコザートの録音だと荒さがどうしても耳についてしまうのです。言葉をかえれば、コザートはそのような部分についても、分かっていながらも一切の容赦も手抜きもしなかったのです。
ところが、オケがロンドン交響楽団なんかだと事情は全く変わってしまうのです。
ドヴォルザークのスラブ舞曲集(1958年4月録音 ミネアポリス交響楽団)では感じた荒さが、ほぼ同時期の録音である交響曲第8番(1959年 ロンドン交響楽団)ではそれほど強く感じないのです。そのことは、同じくロンドン交響楽団と録音したチャイコフスキーの4番(1960年)や6番(1960年)、ベートーベンの5番(1962年)、6番(1962年)、7番(1963年)などにも言えます。
くるみ割り人形(1962年7月)の時にも感じたのですが、この時期のロンドン交響楽団というのはただ者ではありません。
一部では、すでに落ち目になり始めていたという批評もあるのですが、この録音を聞いて落ち目と思うならばほとんどのオケはゴミ同然です。
ただし、録音芸術の面白さだなと思うのは、そう言う荒さが、逆に「You are there」というレーベルのキャッチフレーズを生々しく思い起こさせる場面もあると言うことです。それはスッピンの美女の方が上手な化粧で欠点を覆い隠した偽物の美女よりはよほど美しいと言うことです。
さらに、コザートは使用するマイクにはテレフンケンの最高級のものを使い(ステレオ録音になってからはノイマの「U-47(コンデンサ・マイクロフォン)」を3本使用)、さらには映像用の35ミリフィルムに特殊な磁気層を塗布した録音テープを使う特製の録音デッキまで用意するという徹底ぶりでした。
そして、そこまでして丁寧にすくい上げた録音データは、当然のようにいかなるリミッターやコンプレッサー、さらにフィルターなども一切使わずにそのままカッティングされました。
「初期のワンポイント録音は、その場の空気感をとらえてあまり音圧を上げずダイナミックレンジを広いまま入れるような音作りでした。・・・それらは超高級オーディオで聞けば最高にいい音でもあっても、一般リスナーには迫力不足になりかねないのも事実でした。ですから、現在はどちらのユーザーにも満足してもらえるように・・・両立を心がけています。」なんてことを恥ずかしげもなく語る現在の録音エンジニアに聞かせてやりたいほどの(まあ、知ってはいるでしょうが・・・^^;)徹底ぶりなのです。
このシンプルさへの徹底が、異次元とも言えるような鮮明さととんでもないダイナミックさを実現したのです。
しかし、そんなマーキュリーレーベルも60年代に入って大手フィリップスの傘下にはいると、コザートのような採算度外視の徹底ぶりは経営陣に嫌われて追い出される羽目になります。もう少し正確に言うと、1961年にフィリップス・レコードに買収され、1964年には「子育てに専念したい」というエレガントな建前でコザートは録音現場を去ります。
彼女が去ってからもマーキュリーの名前は残ったのですが、その内実は「伝説」と言われたレーベルのものとは全く別物になってしまいました。
ドラティは結果としてマーキュリーレーベルでチャイコフスキーの交響曲を全曲録音しているのですが、録音的には60年~61年にコザートが録音した後期の3曲と、65年の6月にコザードではないプロデューサー(Harold Lawrence)のもとで一気呵成に録音された初期の3曲とでは雰囲気がかなり変わってしまっています。ハロルド・ローレンスはコザートともにマーキュリーレーベルを支えてきた人物なので健闘はしているとは思うのですが、多くの人を驚かせた「凄み」は影を潜めています。
- チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36:ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1960年6月17&18日録音
- チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64:ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1961年6月23日録音
- チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」:ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1960年6月17&18日録音
- チャイコフスキー:交響曲第1番 ト短調 作品13 「冬の日の幻想」:ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1965年7月26日~27日録音
- チャイコフスキー:交響曲第2番 ハ短調 作品17「小ロシア」:ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1965年7月29日~30日録音
- チャイコフスキー:交響曲第3番 ニ長調 作品29 「ポーランド」:ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1965年7月30日~31日録音
いつの時代も大手というのはつまらん存在です。
半世紀も前に、録音という芸術がすでにこのレベルにまで達していたことは心に留めておくべきでしょう。変化は必ずしも進歩ではありませんし、時が経れば物事は前へ進むものだと考えるのは愚か者だけです。
よせられたコメント
2016-11-20:トリス
- 私は学生時代吹奏楽部に所属していたのでこのマーキュリーレーベルに録音を盛んに
行っていたF.フェネルとイーストマンウィンドアンサンブルのLPをよく聞いていました。当時このLPは輸入盤しかなく心斎橋のヤマハ(もう今はないですね)や三木楽器に何度も足を運び探しまっわていたことが懐かしい思い出です。
ところでウィルマ・コザートはたしか女性だとおもうんですが?
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