ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125
トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 & ウェストミンスター合唱団 (S)ジャルミナ・ノヴォトナ・(A)ケルステン・トルボルイ・(T)ジャン・ピアース・(Bs)ニコラ・モスコーナ 1939年12月2日録音
Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 Choral [1.Allegro Ma Non Troppo, Un Poco Maestoso]
Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 Choral [2.Molto Vivace]
Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 Choral [3.Adagio Molto E Cantabile; Andante; Adagio]
Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 Choral [4.Presto; Allegro Ma Non Troppo; Allegro Assai; Presto; Allegro Vivace; Alla Marcia; Andante Maestoso; Allegro Energico Sempre Ben Marcato; Allegro Ma Non Tanto; Poco Adagio; Prestissimo]
何かと問題の多い作品です。
ベートーベンの第9と言えば、世間的にはベートーベンの最高傑作とされ、同時にクラシック音楽の最高峰と目されています。そのために、日頃はあまりクラシック音楽には興味のないような方でも、年の暮れになると合唱団に参加している友人から誘われたりして、コンサートなどに出かけたりします。
しかし、その実態はベートーベンの最高傑作からはほど遠い作品であるどころか、9曲ある交響曲の中でも一番問題の多い作品なのです。さらに悪いことに、その問題点はこの作品の「命」とも言うべき第4楽章に集中しています。
そして、その様な問題を生み出して原因は、この作品の創作過程にあります。
この第9番の交響曲はイギリスのフィルハーモニア協会からの依頼を受けて創作されました。しかし、作品の構想はそれよりも前から暖められていたことが残されたスケッチ帳などから明らかになっています。
当初、ベートーベンは二つの交響曲を予定していました。
一つは、純器楽による今までの延長線上に位置する作品であり、もう一つは合唱を加えるというまったく斬新なアイデアに基づく作品でした。後者はベートーベンの中では「ドイツ交響曲」と命名されており、シラーの「歓喜によせる」に基づいたドイツの民族意識を高揚させるような作品として計画されていました。
ところが、何があったのかは不明ですが、ベートーベンはまったく異なる構想のもとにスケッチをすすめていた二つの作品を、何故か突然に、一つの作品としてドッキングさせてフィルハーモニア協会に提出したのです。
そして出来上がった作品が「第九」です
交響曲のような作品形式においては、論理的な一貫性は必要不可欠の要素であり、異質なものを接ぎ木のようにくっつけたのでは座り心地の悪さが生まれるのは当然です。もちろん、そんなことはベートーベン自身が百も承知のことなのですが、何故かその様な座り心地の悪さを無視してでも、強引に一つの作品にしてしまったのです。
年末の第九のコンサートに行くと、友人に誘われてきたような人たちは音楽が始めると眠り込んでしまう光景をよく目にします。そして、いよいよ本番の(?)第4楽章が始まるとムクリと起きあがってきます。
でも、それは決して不自然なことではないのかもしれません。
ある意味で接ぎ木のようなこの作品においては、前半の三楽章を眠り込んでいたとしても、最終楽章を鑑賞するにはそれほどの不自由さも不自然さもないからです。
極端な話前半の三楽章はカットして、一種のカンタータのように独立した作品として第四楽章だけ演奏してもそれほどの不自然さは感じません。そして、「逆もまた真」であって、第3楽章まで演奏してコンサートを終了したとしても、聴衆からは大ブーイングでしょうが・・・、これもまた、音楽的にはそれほど不自然さを感じません。
ですから、一時このようなコンサートを想像したことがあります。
それは、第3楽章と第4楽章の間に休憩を入れるのです。
前半に興味のない人は、それまではロビーでゆっくりとくつろいでから休憩時間に入場すればいいし、合唱を聴きたくない人は家路を急げばいいし、とにかくベートーベンに敬意を表して全曲を聴こうという人は通して聞けばいいと言うわけです。
これが決して暴論とは言いきれないところに(言い切れるという人もいるでしょうが・・・^^;)、この作品の持つ問題点が浮き彫りになっています。
トスカニーニ&NBC交響楽団による1939年のベートーベンチクルス
トスカニーニとNBC交響楽団による1939年のベートーベンチクルスが中途半端な状態で放置されているというご指摘をいただきました。「そんな馬鹿な・・・?」と思いつつサイトの方を確認すると、確かに中途半端な状態で投げ出されいています。
全集としてのまとめページの方を確認しても、同じ組み合わせによる50年代の録音はまとめられていますが、39年のベートーベンチクルスは何処を探しても見つかりません。
ということで、少しずつ記憶がよみがえってきました。
簡単に言えば、この1939年のNBC交響楽団とのチクルス、さらには35年以降のBBC交響楽団とのライブ録音、さらには30年代にRCAレーベルが行ったスタジオ録音が私の頭の中でこんがらがってしまうというアホさかげん故に一度整理し直そうと思って中断したのでした。そして、その後整理がついたものの、新しい録音を紹介するのに忙しく後回しとなり、そしていつしかアップしたつもりになってしまって「中途半端な状態で放置」という仕儀になったようです。
個人的には、この39年のベートーベンチクルスこそがトスカニーニによるベートーベンのベストと信じているだけに、びっくりの「放置」でした。
トスカニーニとフルトヴェングラーは並び称される二大巨匠なのですが、世代的には大きな隔たりがあります。
トスカニーニ:1867年~1957年
フルトヴェングラー:1886年~1954年
60年代生まれの指揮者といえば、マーラー、R.シュトラウスという作曲家組、ブルックナーの改鼠版で有名なシャルクやレーヴェ、そしてワインガルトナーです。ニキッシュやカヤヌスのような伝説的存在と較べても10年ほどしか隔たっていないのです。
それに対してフルトヴェングラーと同世代の指揮者といえば、ストコフスキーやパレーのように80年代近くまで、またはボールトのように80年代になっても活躍していた人もいるのです。つまり、トスカニーニの立場に立ってみれば、マーラーやニキッシュの方がフルトヴェングラーよりは世代的近いのです。
トスカニーニというのはそれほどまでに古い世代に属する指揮者だったのです。
しかし、現代のクラシック音楽のあり方に多大な影響を与えたのは、世代的には二つほど遡るトスカニーニでした。フルトヴェングラーは多くの人にその偉大さが賞揚されながらも、そして多くの猿真似を生み出しはしたものの本当の意味での継承者を持たなかった指揮者でした。
では、トスカニーニが後の世代に与えた影響とは何かといえば、一言で言えば19世紀というロマン主義の時代にまとわりついたありとあらゆる塵、芥、思いこみ、物語性などを綺麗さっぱり洗い流して見せたことでした。もっと端的に言えば、クラシック音楽にまとわりついたありとあらゆる憑きものを「悪魔払い」したことでした。
そして、好むと好まざるとに関わらず、現在においてクラシック音楽と向き合おうと思えば、この「悪魔払い」をしたトスカニーニのスタンスをまずは最初の一歩としなければ誰からも相手にされないのです。
ただし、そのスタンスを「楽譜に忠実」という短い言葉で集約することには賛成できません。それは、現実にトスカニーニの演奏が楽譜に忠実ではないと言うことだけではなくて、トスカニーニの主張が「取りあえず楽譜に忠実に演奏すればいいんだ」というようなお手軽なものではないからです。
そうではなくて、彼の方法論の肝は、まずは長い歴史の中でまとわりついた夾雑物一切を洗い流した上で、もう一度楽譜だけをたよりに作曲家の声に耳を傾けようとしたことにあります。そして、そこで何よりも重要なことは作曲家の言い分に耳を傾けその言い分を理解し納得できるだけの「大きさ」が自分にあるかどうかでした。
楽譜を丹念に研究し、その響きを精緻に分析して現実の音に変換する作業は「職人技」として実現は可能です。そして、このトスカニーニの方法論を「楽譜に忠実に」という形で矮小化して良しとする連中はそこで歩みを止めてしまっていて、結果としてオケは綺麗に鳴り響いているものの聞き終わった後に何も残らない蒸留水のような演奏がはびこることになりました。
しかし、トスカニーニの方法論をもう少し真摯に受け取るならば、それは事の始まり、スタートラインに立つことしか意味していないことは容易に理解できるはずです。その容易に理解できることを己の「小ささ」故に目を瞑るというのは情けない限りです。
しかし、こういう事をいくら言葉で語ってみても抽象論にしか過ぎません。そんな抽象論を重ねるくらいなら、この39年にトスカニーニが行ったベートーベンチクルスを実際に聞いた方がはるかに彼の言い分が伝わってきます。
ここには、トスカニーニという稀代の大指揮者がベートーベンの楽譜から聞き取ったベートーベンの声がはっきりと刻印されています。
なお、最後に、この30年代のトスカニーニのベートーベンには3系統あってややこしいので、最後に整理しておきます。
まずは、NBC交響楽団による1939年のベートーベンチクルス
交響曲第1番 ハ長調 作品21:1939年10月28日録音
交響曲第2番 ニ長調 作品36:1939年11月4日録音
交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」:1939年10月28日録音
交響曲第4番 変ロ長調 作品60:1939年11月4日録音
交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67:1939年11月11日録音
交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」:1939年11月11日録音
交響曲第7番 イ長調 作品92:1939年11月18日録音
交響曲第8番 ヘ長調 作品93:1939年11月25日録音
交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125:1939年12月2日録音
10月28日から毎週土曜日に演奏会が行われ、その様子はNBCから全米にラジオ放送がされました。
なお、このチクルスで交響曲以外に以下の作品も演奏されています。
レオノーレ第1番 作品138:1939年11月25日録音
レオノーレ第2番 作品72a:1939年11月25日録音
レオノーレ第3番 作品72b:1939年11月4日録音
フィデリオ序曲 作品72c:1939年10月28日録音
エグモント序曲 ヘ短調 作品84:1939年11月18日録音
コリオラン序曲 ハ短調 作品62:1939年11月11日録音
七重奏曲 作品20:1939年11月18日録音
合唱幻想曲 ハ短調 作品80
次に1930年代のBBC交響楽団との録音
交響曲第1番 ハ長調 作品21:1937年10月25日録音
交響曲第4番 変ロ長調 作品60:1939年6月1日録音
交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」:1937年6月17日&10月21日,22日録音(諸説あり)
交響曲第7番 イ長調 作品92:1935年6月14日録音
太字の部分がRCAから正規盤としてリリースされています。第7番はEMIからリリースされたようです。
RCAからリリースされた30年代の正規盤
交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67:NBC交響楽団:1939年2月27日,3月1日&29日録音
交響曲第7番 イ長調 作品92:ニューヨークフィル:1936年4月9日&10日録音
交響曲第8番 ヘ長調 作品93:ニューヨークフィル:1939年4月17日録音
ちなみに、1936年に録音された第7番に関してはSP盤とLP盤では音源が同一ではないようです。SPのマスターが摩滅したために、トスカニーニの希望で40年代に第1楽章だけが別テイクの音源に取り替えられたそうです。演奏に関しては当然のことながら大きな差異はないようですが天日が若干早くなっているそうです。
<追記>
ただの、「アレグロ・コン・ブリオ」にすぎない!!
時に誤解を生みそうなこのトスカニーニの言葉は、その表現の強烈さゆえに彼の音楽観を最も端的に表している言葉でもあります。
しかし、そのような言葉とは裏腹に、彼のエロイカ演奏を通して聞いてみると、少なくないブレを感じ取ることができます。
ここで紹介した録音は1939年に彼が行ったベートーベンチクスルの中のものですが、後の演奏と比べてみると、冒頭の彼の言葉を最もよく体現した演奏になっています。響きの透明性と強靭な推進力は音質的な問題を差し引いても十分に聞く価値のある演奏となっています。(ちなみに、ビクターは全9曲の中からこれだけを唯一正規盤として41年にリリースしています。)
その後大戦中に彼は二回エロイカを取り上げているのですが、こちらは一転して遅めのテンポで演奏したり、とんでもないスピードで弾き飛ばしてみたりと、なんだか実験的な雰囲気が漂うような演奏となっています。
そして最晩年の50年代の録音は、音質的には最も恵まれているのですが、なんだか中庸の美という風情で、よく言えばバランス感覚にあふれた、悪く言えばどっちつかずの演奏になっています。
トスカニーニのこのようなブレに接してみると、「楽譜に忠実」に演奏しましたという言葉の底の浅さを改めて思い知らされます。
楽譜に忠実であろうとし、ベートーベンに忠実であろうとして、トスカニーニもまた苦闘したのです。楽譜に忠実であるというのは方法論としては入り口を示しているに過ぎないという、ごく当たり前の事実を改めて教えてくれます。
エロイカという、あまりにも大きな憑き物がまとわりついている作品を、ただの「アレグロ・コン・ブリオ」として悪魔祓いをしたのがトスカニーニでした。そして、その中から彼なりのベートーベンを描き出したのがこの39年の録音だといえます。
その後の彼のあれこれのトライを無視するのは気が引けますが、後から振り返ればこれがベストだったな!と思うのはユング君だけでしょうか?
よせられたコメント 2022-05-11:望月 岳志 最近Mozart Legendary Recordingsを入手してSP期の復刻録音を聴いてその素晴らしさに感銘を受け、また加齢のためモスキート音が聞こえなくなってきていることもあいまって、古い時代の録音が以前より楽しめるようになっているようです。
そんなおり、この録音を拝聴しました。音質も1952年の残響の少ないものよりむしろ聞きやすいほどですね。1939年は、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まった年でワインガルトナーとウィーンフィルによる1935年の歴史的録音からわずか4年後のアメリカでのラジオ放送用の録音ということですが、1. Allegro ma non troppo, un poco maestoso の速度は、現代の古楽器アプローチの多くのメトロノーム重視の演奏に比較しても圧倒的な速さですね。その他の楽章のテンポ設定の点では、古楽器派は半世紀以上を経てようやくトスカニーニに追いついたと言えるのかも知れません。(第4楽章のAlla Marciaのテンポは遅いですが。)
引き締まった形式感とエネルギッシュな表現力。トスカニーニの面目躍如。素晴らしい演奏と録音を聞かせてもらいました。
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