ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21
オイゲン・ヨッフム指揮 バイエルン放送故郷楽団 1959年4月3日&5日録音
Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21 [1.Adagio Molto; Allegro Con Brio]
Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21 [2.Andante Cantabile Con Moto]
Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21 [3.Menuetto; Allegro Molto E Vivace]
Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21 [4.Adagio; Allegro Molto E Vivace]
栴檀は双葉より芳し・・・?
ベートーベンの不滅の9曲と言われ交響曲の中では最も影の薄い存在です。その証拠に、このサイトにおいても2番から9番まではとっくの昔にいろいろな音源がアップされているのに、何故か1番だけはこの時期まで放置されていました。今回ようやくアップされたのも、ユング君の自発的意志ではなくて、リクエストを受けたためにようやくに重い腰を上げたという体たらくです。
でも、影は薄いとは言っても「不滅の9曲」の一曲です。もしその他の凡百の作曲家がその生涯に一つでもこれだけの作品を残すことができれば、疑いもなく彼の代表作となったはずです。問題は、彼のあとに続いた弟や妹があまりにも出来が良すぎたために長兄の影がすっかり薄くなってしまったと言うことです。
この作品は第1番という事なので若書きの作品のように思われますが、時期的には彼の前期を代表する6曲の弦楽四重奏曲やピアノ協奏曲の3番などが書かれた時期に重なります。つまり、ウィーンに出てきた若き無名の作曲家ではなくて、それなりに名前も売れて有名になってきた男の筆になるものです。モーツァルトが幼い頃から交響曲を書き始めたのとは対照的に、まさに満を持して世に送り出した作品だといえます。それは同時に、ウィーンにおける自らの地位をより確固としたものにしようと言う野心もあったはずです。
その意気込みは第1楽章の冒頭における和音の扱いにもあらわれていますし、、最終楽章の主題を探るように彷徨う序奏部などは聞き手の期待をいやがうえにも高めるような効果を持っていてけれん味満点です。第3楽章のメヌエット楽章なども優雅さよりは躍動感が前面にでてきて、より奔放なスケルツォ的な性格を持っています。
基本的な音楽の作りはハイドンやモーツァルトが到達した地点にしっかりと足はすえられていますが、至る所にそこから突き抜けようとするベートーベンの姿が垣間見られる作品だといえます。
白紙のノートに描いた音楽
ヨッフムに関してあれこれ書いた古いページを確認していると、我ながら実に簡潔に彼のキャリアをまとめているページを発見しました。
「1902年にドイツのバイエルン地方に生まれ、1927年にミュンヘンフィルでブルックナーの7番を指揮してそのキャリアをスタートさせています。その後は、当時の指揮者稼業としてはおきまりのコースである地方の歌劇場のシェフを務めながらキャリアアップをしていきます。キール歌劇場・マンハイム州立劇場・デュイスブルク市音楽総監督(現在のライン・ドイツ・オペラ)・ベルリン放送局音楽監督ときて、1934年からはベームの後任としてハンブルク国立歌劇場音楽総監督に就任します。実に順調です。
戦後は、1949年にバイエルン放送交響楽団の創設に参加して60年まで首席指揮者を務めます。ところが、その後は危機に陥った楽団のお助けマンみたいな仕事ばかりにかり出されます。
61年にはベイヌムの急逝を受けて、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者としてハイティンクを助けます。その仕事も64年に終わると、今度はカイルベルトの急逝を受けてバンベルク交響楽団の指揮者となります。その後はこれといった決まったポジションを持たずに、あれこれのオケに客演をしてはコンサートや録音をこなして晩年を過ごしています。
見るからに柔和で穏やかな表情は「人格者」を思わせますし、残された録音もそのようなヨッフムを彷彿とさせるような穏やかでしみじみとした味わいのあるものでした。特に、最晩年にシュターツカペレ・ドレスデンと録音したブルックナーの全集は神々しいほどの美しさをたたえていました。」
1902年に生まれ、1987年になくなったその人生は、20世紀という時代をすっぽりと被うものでした。そして、一つの世紀を被うような存在であった偉大な指揮者であれば、その存在を一つの言葉でまとめることなど到底不可能な複雑な姿を持っていました。
例えば、「ヨッフムのライブは凄い!!録音とライブは全く別人だ」という言葉はよく聞かれました。また、ある人は、「ヨッフムは録音になるとまとめようという意識がはたらいてしまって音楽が小さくなる」と苦言を呈していました。
ここでもう一度、ライブの演奏会と録音の違いについての「そもそも論」を蒸し返すつもりはありませんが、少なくとも「録音」は「ライブ」の代償行為でないということだけは指摘しておきましょう。「録音」という行為は「ライブ」とは全く異なる音楽の表現様式です。
ヨッフムは「ライブ」とは異なる「録音」という表現様式の特徴を完璧に理解していました。
ですから、「録音とライブは全く別人だ」と言う言葉を「ヨッフムはライブでこそ真価が発揮される」などと解してしまえば、そういう「複雑さ」の一つをすっぽりと取り逃がしてしまうことになります。
若い頃のヨッフムはテンポを大きく動かして入念な表情づけをするようなロマティクな演奏は「演奏の姿」としては「いけないもの」だと述べていました。しかしながら、その様に述べていながらも、若い頃のライブ録音を聞くと、彼自身がいけないと言っていたような演奏をしている事が多いので、その「言行不一致」に苦笑いさせられます。まあ、お客さんを目の前にすれば「受けてなんぼ」ですから、理性のたがが外れるのは仕方がなかったのでしょう。
しかし、「録音」ならばいらぬ誘惑に負けることなく「理性のたが」をはめ続けて演奏することは可能です。結果として、派手さのない、地味な演奏をするひとという印象を持たれることになるのですが、そこで再確認しなければいけないのは、まさにその様な演奏こそが彼が理想とした音楽の姿だったということです。
しかしながら、いささか困ってしまうのは、その様な「理想」の姿は、彼が年を重ねるに従って変わっていくのです。
「ブルックナーにおいては後期ロマン時代の官能的音楽が要求するような余りに大きいアッチェレランドやリタルダンドを私は戒めたいと思う。テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開するのである。」と述べていました。
しかし、最晩年のシュターツカペレ・ドレスデンを率いて完成させた2度目の全集では、テンポを大きく動かし、アッチェレランドやリタルダンドも駆使して、神々しいまでのクライマックスを築き上げる人に変わっているのです。
しかしながら、彼の人生が全て終わってその業績が全て定まった時点から振り返ってみれば、即物的な演奏に徹していた若い時代から主情的な表現に重きをおいた晩年の様式に変わっていったというような「単純」なベクトルでまとめきれないことも明らかになってくるのでさらに困ってしまうのです。
もちろん、ザックリと眺めてみればこのベクトルでヨッフムをとらえることは間違いではないのですが、さらに細かく彼の録音を聞いていくと、彼の指揮者人生は「理」としての「即物主義」と「情」としての「ロマン主義」がせめぎ合っていたのではないかという思いもわき上がってくるのです。
ヨッフムはその生涯において、3種類のベートーベンの交響曲全集を完成させています。
- 1952年~1961年:ベルリンフィル+バイエルン放送交響楽団
- 1967年~1969年:アムステルダム・コンセルトヘボウ管
- 1976年?1979年:ロンドン交響楽団
もしも上のベクトルに当てはめるならば、最も即物的な演奏になるのが「ベルリンフィル+バイエルン放送交響楽団」による全集であり、最も主情的になるのがロンドン交響楽団を使った全集と言うことになるはずです。しかし、聞き比べてみれば最も熱くて重厚で、低弦楽器もゴリゴリしているのがヨッフム50代の録音である「ベルリンフィル+バイエルン放送交響楽団」による一番古い録音なのです。
彼が最も得意とした第6番「田園」を聞き比べてみても、じっくりとしたテンポ設定で入念に表情付けを行っているのはベルリンフィルとの54年盤なのです。
そう思って、久しぶりにロンドン交響楽団を使ったベートーヴェンの交響曲全集をザッと聞き直してみて気がつくのは(こういう再確認みたいな聴き方は作り手にとっては不本意だろうし失礼だと言うことは十分に承知してるのですが)、全9曲が明らかに一つのコンセプトのもとに統一感を持って構築されている事です。
そう言えば、誰かが「1番から9番までがまるで1曲の長大交響曲のようだ。」と述べていましたが、まさにその通りの作りになっているのです。
なるほど、そう思ってみれば、指揮者にとって「全集」を仕上げるというのはたとえてみれば罫線が引かれたノートに自分の思いを綴っていくようなものかもしれない、ということに気づかされます。
それに対して、52年から61年にかけて録音された「全集」にはその様な罫線が見あたりません。
何故ならば、この録音は結果としてはベルリンフィルと彼の手兵であったバイエルン放送交響楽団を使った「全集」として完結するのですが、おそらくヨッフムにしてもレーベルにしても始めの頃は「全集」を作るという意識などは全くなかったはずです。
結果として、その録音は白紙のノートに一枚ずつ、それぞれの交響曲の姿を思いのままに描ききったような演奏になりえたのではないでしょうか。
罫線が引かれたノートに書き込んでいくときには、その罫線に沿って書き進める必要があるためにどうしても「理」が前に出ることになり、逆に白紙のノートが与えられればその自由度の故に「情」が前に出ると言うことでしょうか。
しかしながら、そうなると、最晩年のシュターツカペレ・ドレスデンを率いて完成させたブルックナーの全集の時は、どんな罫線が引かれていたの?と突っ込まれそうです。おそらく、事はそんなに単純なことではないのでしょうし、そんな一言二言でこの偉大な存在を分かったような気になることは戒めないといけないのかもしれません。
結局は、こういう一つの時代を作ったような偉大な音楽家(音楽家に限った話ではないのでしょうが)というものは、そう言う相矛盾する要素が一つの人格の中に不思議な調和を持って共存していると言うことなのでしょう。
ですから、ヨッフムということで「誇張も気負いもない自然体の音楽」とか「汲めども尽きぬ深い味わいがしみじみと心に広がってくる」などという「お決まりの言葉」だけで分かったような気になる愚に陥ることだけは戒めなければいけないのでしょう。
<追記>
今回紹介した一番最初の、結果として「全集」となった録音のクレジットは以下の通りです。
- 交響曲第7番 イ長調 作品92:ベルリンフィル:1952年11月12日~14日録音(MONO)
- 交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125:バイエルン放送交響楽団&合唱団:1952年11月24日~26日,29日&12月1日~2日録音(MONO)
- 交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」:ベルリンフィル:1954年2月1日~5日&7日録音(MONO)
- 交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」:ベルリンフィル1954年11月9日,10日,12日,13日&16日録音(MONO)
- 交響曲第2番 ニ長調 作品36:ベルリンフィル:1958年1月27日,28日&30日録音
- 交響曲第8番 ヘ長調 作品93:ベルリンフィル:1958年4月30日&5月2日&5日録音
- 交響曲第1番 ハ長調 作品21:バイエルン放送交響楽団:1959年4月3日&5日録音
- 交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67:バイエルン放送交響楽団:1959年4月25日~27日録音
- 交響曲第4番 変ロ長調 作品60:バイエルン放送交響楽団:1961年1月26日,30日&31日録音
1959年の4月に手兵のバイエルン放送交響楽団と録音した第1番と第5番のシンフォニーは、この一連の「全集」録音の最後を締めくくるものでした。(なお、何故か第4番だけが61年に再録音されて、全集ではこのステレオ録音が収録されています)
ヨッフムが常々口にしていた「テンポを大きく動かして入念な表情づけをするようなロマティクな演奏は「演奏の姿」としては「いけないもの」だ」という主張を実践した演奏になっていて、フルトヴェングラーの影が色濃く残っている50年代初期の録音と較べるとまるで別人のようです。
オケも手兵のバイエルン放送交響楽団と言うことなので、おそらくこれが50代のヨッフムにおける「理想」的な演奏だったものと思われます。しかしながら、聞いていて決して「理」が前に出すぎたという気もしません。
古典派の交響曲という枠は守りながらも、決して己の「情」にも蓋をしていないという点では絶妙なバランスの上に成り立っている録音だと言えます。
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