シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 op.39
マルコム・サージェント指揮 BBC交響楽団 1956年8月27日録音
Sibelius:Symphony No.1in E minor Op.39 [1.Andante, ma non troppo - Allegro energico]
Sibelius:Symphony No.1in E minor Op.39 [2.Andante (ma non troppo lento)]
Sibelius:Symphony No.1in E minor Op.39 [3.Scherzo: Allegro]
Sibelius:Symphony No.1in E minor Op.39 [4.Finale: Andante - Allegro molto - Andante assai - Allegro molto come prima - Andante (ma non troppo)]
チャイコフスキーにはないシベリウスの独自の世界
ついにシベリウスがパブリックドメインの仲間入りをしました。
20世紀を代表する交響曲作家としてその立ち位置は絶対的なものと思われましたが、正直言ってその評価は少しずつ低下してきていると言わざるを得ません。北欧=シベリウスだったものが、お膝元のフィンランドあたりでも「いつまでもシベリウスでもないだろう!」という雰囲気になってきているようです。ですから、北欧のオケが来日すると何はともあれ「フィンランディアと第2シンフォニー」という依頼があるのを、やんわりとお断るすることも増えてきているようです。
それでも聞くところによると、彼の作品に支払われる著作権料は1年間で4億円に達していたそうです。クラシック音楽の作曲家なんて儲からない仕事の典型みたいに思われているのですが、なかなかどうしてたいしたものです。
そして、権利を引き継いだ人々が著作権の保護期間をひたすら引き延ばすことを主張する理由も何となく理解できます。何しろ、自分たちのおじいちゃんの死後50年が経過したある日をもって突然に4億円が消えて無くなるのですから、その無念さたるや筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。(ただし、彼の子孫はこの現実は以前から分かっていたこととして恬淡としているということです。さらに、シベリウスの権利はあちこちに分散しているようで、彼の子孫にそっくり4億円が支払われるようでもないようです。)
さて、シベリウスと言えば交響曲作家というの評価として定着しています。しかし、彼の経歴を見てみると、交響曲に着手したのはずいぶん遅い時期であることに気づかされます。
確かに、この第1番のシンフォニーの前に「クレルヴォ交響曲」を発表していますが、あの作品は声楽をともなったカンタータのような作品です。クラシック音楽の王道としての交響曲のスタイルをもった作品としてはこの第1番が番号通りに彼のファーストシンフォニーとなります。
彼はここに至るまでに、すでにクレルヴォ交響曲を完成させ、さらに「4つの伝説曲」を完成させて、すでに世界的な作曲家としての評価を勝ち取っていました。
ですから、よくこの作品にはチャイコフスキーからの影響が指摘されるのですが、この冒頭部分を聞くだけでも、チャイコフスキーにはないシベリウスの独自の世界が築かれていることが分かります。
以前、この事に関して次のように書いたことがあります。
「初期の作品はどれをとっても旋律線が気持ちよく横にのびていく。しかも、その響きは今までの誰からも聞かれなかったシベリウス独特の硬質感のあるものだ。そのひんやりとした手触りはまがうことなく北欧の空気を感じさせてくれる。
初期の作品にチャイコフスキーの影響を指摘する人が多いが、それは誤りだ。これは断言できる。チャイコフスキーの響きはもっと軟質で、その違いはシベリウス自身はっきりと認識していたはずだ。
シベリウスは最初からチャイコフスキーの亜流としてではなく、シベリウスそのものとして登場している。彼独特の響きを駆使して、伸びやかに、思う存分に音楽を歌い上げている。聞いていて本当に気持ちが良いではないか。」
この考えは今も基本的には変わりませんね。
そして、こういうシベリウスの素晴らしさがもっともよく表れているのが最終楽章でしょう。
特に、漆黒のツンドラの大地を思わせる第1主題の彼方から朝日が上ってくるような第2主題はとても魅力的だと思ったものです。そして、この辺の作り方は何故か渡辺暁雄さんがとても私の感性にピッタリ合っていて、一時彼の録音ばかり聞いているときがありました。
なお、余談ながら、冒頭のティンパニとクラリネットのみで奏でられる暗い序奏から、ヴァイオリンの刻みにのって輝かしい第1主題があらわれるところは、一時ユング君がオーディオのチェックによく使っていました。聞こえるか聞こえないかというピアニシモからオーケストラの輝かしい響きまで一気に駆け上っていくこの部分がきちんと再生できると、かなりの作品に対応できるのではないかと思います。
いわゆる「手の内」に入った音楽
トルトゥリエのエルガー:チェロ協奏曲を聴き直してみて、指揮者がサージェントであることに気づき、懐かしい思いがしました。
高校の同じクラスにクラシック音楽に入れ込んでいる変な奴がいて、カセットデッキを持ち込んでは「これを聴け!」と押しつけるのでみんなから恐れられていたのですが(^^;、何故か私とは波長があったので、その「これを聴け!」という音楽を結構面白く聴いていました。
その友人が「これを聴け!」と押しつけていたのがシベリウスでした。そして、彼はいかにシベリウスという作曲家が偉大な存在であるかを熱っぽく語っていました。
ですから、なけなしの小遣いをはたいてカラヤンの悲愴を買った次に選んだのがシベリウスだったわけです。
ただし、彼が「聴け!」というシベリウスの音楽はいまいちよく分かんないので、できれば一番安いのにしようと言うことで選んだのがニューセラフィムシリーズのサージェント盤だったわけです。
サージェントという人は存命中は結構ブイブイ言わせた人で人気もあり、ビートルズの録音現場にも「ハロー!!」等と訪ねていったりもして話題にもなったりしました。しかし、67年になくなってしまうと急激に認知度は下がってしまい、私がクラシック音楽などというものを聞き始めた70年代中頃には「セラフィムシリーズ」という廉価版の看板指揮者になっていました。そして、世がLPレコードからCDへと移行しはじめた80年代にはいると、本当に過去の人になってしまいました。
さて、どうしてそんな事になったのかと不思議にも思ったので、EMIを中心として残された彼の録音をある程度まとめて聞き直してみました。そして、その結果としてある事実に気づかされました。
サージェントという人はイギリスの作曲家の良き理解者であり支持者でもありました。エルガー、ホルスト、ブリテン等というそれなりに認知度のある作曲家だけでなく、ウォルトンやヴォーン=ウィリアムズ、さらにはアフリカ系イギリス人のサミュエル・コールリッジ=テイラー等の作品も熱心に取り上げています。
また、合唱の指揮者としてスタートしたこともあって、合唱を伴った作品の扱いは得意としていて、メンデルスゾーンの「エリヤ」、ヘンデルの「メサイア」という定番だけでなく、エルガーも「ゲロンティアスの夢」やウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」などと言うレアな作品もよく取り上げています。
そして、そう言うレアではあるけれども、彼にとっては「手の内」に入った音楽では、非常にアグレッシブな演奏を聴かせてくれます。言葉をかえれば、自信満々に「自分の音楽」を展開してくれていて聞きごたえは十分にあります。
ところが、それが一転してベートーベンやシューベルトみたいな、いわゆるドイツ・オーストリア系の正統派の音楽になると、急に行儀良くなるのです。例えば、1960年に録音したベートーベンの3番「エロイカ」やシューベルトの「未完成」になると、いわゆる楷書風のさらっとした音楽になってしまっています。それを趣味の良い外連味のない音楽と評することも出来るのでしょうが、こういう二つの顔を見せつけられると「内弁慶」という言葉が頭の上を過ぎらざるを得ません。
そして、クラシック音楽の世界というのは、辺境部分でどんなに素晴らしい演奏を聴かせても、ドイツ・オーストリア系の正統派の部分でそれなりの実績を残さないと、早晩その存在は忘れ去られるという「悲しい現実」に行き当たることになるのです。
もちろん、その事の是非、または価値判断は保留しますが、この事実に思い当たったときに思い浮かんだ顔が「OZAWA」でした。
もちろん、彼に対する評価が今後どうなっていき、どのような形で定着していくのかは私如きが云々するよう話ではありません。しかし、彼のディスコグラフィを眺めてみれば、ベートーベンの欠落はあまりに大きいと言わざるを得ません。
と言うことで、話がいささか横にそれましたが、今回紹介した一連のホルストの作品と、イギリス人が大好きだったシベリウスにの音楽に関しては、完全に「手の内」に入った音楽です。少なくとも、こういう録音だけは、後世にも引き継いでいきたいものだとは思います。
特にホルストの「惑星」は数ある同曲異演盤の中でも十分すぎるほどの存在価値がある演奏です。もちろん、昨今の録音と較べればオケのアンサンブルの精度にはもう少し注文をつけたくなる部分ありますが、普通に人間が演奏してるならば、この程度の精度もあれが十分です。逆に精度は上がっているものの、蒸留水のような無味無臭の響きを聞かれるよりははるかに好ましく思えます。
その事はシベリウスの交響曲に言えます。歌うべきところはしっかり歌っている、そして畳み込むべきところはしっかりとオケを追い込んでいる人間味溢れる演奏は聴いていて実に楽しいのです。
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