ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14
モントゥー指揮 サンフランシスコ交響楽団1950年2月27日録音
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [1.Reveries]
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [2.Un bal]
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [3.Scene aux champs]
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [4.March au supplice]
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [5.Song d'une nuit de sabbat]
ベートーベンのすぐ後にこんな交響曲が生まれたとは驚きです。
この作品が大好きでした。
「でした。」などと過去形で書くと今はどうなんだと言われそうですが、もちろん今も大好きです。なかでも、この第2楽章「舞踏会」が大のお気に入りです。
よく知られているように、創作のきっかけとなったのは、ある有名な女優に対するかなわぬ恋でした。
相手は、人気絶頂の大女優であり、ベルリオーズは無名の青年音楽家ですから、成就するはずのない恋でした。結果は当然のように失恋で終わり、そしてこの作品が生まれました。
しかし、凄いのはこの後です。
時は流れて、立場が逆転します。
女優は年をとり、昔年の栄光は色あせています。
反対にベルリオーズは時代を代表する偉大な作曲家となっています。
ここに至って、漸くにして彼はこの恋を成就させ、結婚をします。
やはり一流になる人間は違います。ユング君などには想像もできない「しつこさ」です。(^^;
しかし、この結婚はすぐに破綻を迎えます。理由は簡単です。ベルリオーズは、自分が恋したのは女優その人ではなく、彼女が演じた「主人公」だったことにすぐに気づいてしまったのです。
恋愛が幻想だとすると、結婚は現実です。そして、現実というものは妥協の積み重ねで成り立つものですが、それは芸術家ベルリオーズには耐えられないことだったでしょう。「芸術」と「妥協」、これほど共存が不可能なものはありません。
さらに、結婚生活の破綻は精神を疲弊させても、創作の源とはなりがたいもので、この出来事は何の実りももたらしませんでした。
狂おしい恋愛とその破綻が「幻想交響曲」という実りをもたらしたことと比較すれば、その差はあまりにも大きいと言えます。
凡人に必要なもは現実ですが、天才に必要なのは幻想なのでしょうか?それとも、現実の中でしか生きられないから凡人であり、幻想の中においても生きていけるから天才ののでしょうか。
ユング君も、この舞踏会の幻想の中で考え込んでしまいます。
なお、ベルリオーズはこの作品の冒頭と格楽章の頭の部分に長々と自分なりの標題を記しています。参考までに記しておきます。
「感受性に富んだ若い芸術家が、恋の悩みから人生に絶望して服毒自殺を図る。しかし薬の量が足りなかったため死に至らず、重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見る。その中に、恋人は1つの旋律となって現れる…」
第1楽章:夢・情熱
「不安な心理状態にいる若い芸術家は、わけもなく、おぼろな憧れとか苦悩あるいは歓喜の興奮に襲われる。若い芸術家が恋人に逢わない前の不安と憧れである。」
第2楽章:舞踏会
「賑やかな舞踏会のざわめきの中で、若い芸術家はふたたび恋人に巡り会う。」
第3楽章:野の風景
「ある夏の夕べ、若い芸術家は野で交互に牧歌を吹いている2人の羊飼いの笛の音を聞いている。静かな田園風景の中で羊飼いの二重奏を聞いていると、若い芸術家にも心の平和が訪れる。
無限の静寂の中に身を沈めているうちに、再び不安がよぎる。
「もしも、彼女に見捨てれられたら・・・・」
1人のの羊飼いがまた笛を吹く。もう1人は、もはや答えない。
日没。遠雷。孤愁。静寂。」
第4楽章:断頭台への行進
「若い芸術家は夢の中で恋人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。その行列に伴う行進曲は、ときに暗くて荒々しいかと思うと、今度は明るく陽気になったりする。激しい発作の後で、行進曲の歩みは陰気さを加え規則的になる。死の恐怖を打ち破る愛の回想ともいうべき”固定観念”が一瞬現れる。」
第5楽章:ワルプルギスの夜の夢
「若い芸術家は魔女の饗宴に参加している幻覚に襲われる。魔女達は様々な恐ろしい化け物を集めて、若い芸術家の埋葬に立ち会っているのだ。奇怪な音、溜め息、ケタケタ笑う声、遠くの呼び声。
”固定観念”の旋律が聞こえてくるが、もはやそれは気品とつつしみを失い、グロテスクな悪魔の旋律に歪められている。地獄の饗宴は最高潮になる。”怒りの日”が鳴り響く。魔女たちの輪舞。そして両者が一緒に奏される・・・・」
漸くにして熟成した地方オケ
モントゥーのことをかつて「プロ中のプロ」と書いたことがありました。
キャリアには恵まれず、客演活動が中心だったのですが、どのオケにいってもその指揮のテクニックだけで楽団員を信服させてしまい、「独裁せずに君臨する」と言われました。
そんなモントゥーにとって、唯一、手兵とも言えるオケだったのがサンフランシスコ交響楽団でした。
どんな経緯で、フランスからサンフランシスコに流れていったのかは分かりませんが、1935年から17年間にわたってモントゥーはこのオケの音楽監督をつとめています。そして、40年代から50年代にかけてRCAレーベルからこのコンビで40枚近いレコードをリリースしています。
ただし、この一連の録音を聞いてみると、これまたどういう経緯で、かくも多くの録音活動が行われたのだろう、と首をかしげざるを得ません。
何故ならば、40年代の録音を聞いてみると、やけに元気はいいもののかなり荒い演奏をしているからです。
もっと、はっきりと言えば、かなり下手くそなのです。
かくもへたくそなオケに対して天下のRCAレーベルが継続的に録音活動オファーしたというのは、ひとえにモントゥーの商品価値が高かったということなのでしょう。
そして、オケに対して「独裁者」的な立場で望むことをよしとしなかったモントゥーは、実に長い時間をかけてゆっくりとこのへたくそなオケを熟成させていきます。
そう、それはまさに「育て上げる」と言うよりは「熟成」といった方がぴったりな感じで、少しずつ少しずつ完成度を上げていっているのです。
こういうへたくそな地方オケを引き受けたビッグネームがもう一人いましたね、ジョージ・セルです。
セルは、こういうへたくそな地方オケを前にしたときに、真っ先に実行したのはメンバーの3分の2をクビにしてしまうと言う「血の粛清」でした。
しかし、そう言うやり方はモントゥーの気質とは全く合わないものだったようです。
吉田秀和は「彼はまた『より美しい性』からもたっぷり愛され、彼自身も、女性たちやよい食事、よいワイン、そうしてよい音楽を存分に愛する人間に属していた」と書いていました。
19世紀的素養に恵まれ、何よりも生きることを楽しんだ男にしてみれば、同じ音楽仲間であるオケのメンバーに対して強圧的態度を取るなどと言うことは性に合わなかったのでしょう。そして、そんな長い熟成期間を経て、漸くにして一人前のオケに育ってきたのが50年代だったようです。
世上に名高い、この50年録音の「幻想交響曲」の録音は、ホントに下手くそだった地方オケが、ついに世界レベルにまで熟成したことを世に証明しました。
このコンビの一番良いところは、指揮者がオケを一切締め上げていないことから来る前向きな勢いが横溢していることです。
40年代には、その前向きな勢いだけが前に出すぎて演奏の精度が全く追いついていなかったのが、漸くにしてその両者が良い具合にバランスがとれるようになったのです。
とは言え、荒いことは荒いです。そう言う荒さは至る所に顔を出しますが、しかし、この横溢する希薄と前向きな推進力は貴重です。
幻想を一番最初に聞く録音としては不向きでしょうが、あれこれ聞き飽きた後に聞いてみるには価値ある一枚です。
また、最終楽章の鐘の音が実に見事に録音されています。この鐘を聞くだけでも値打ちがあると言った人もいたようです。
よせられたコメント
2015-04-26:原 響平
- モントウー指揮の幻想交響曲のなかで、この演奏がベスト。ウイーンフィルとの演奏をLP時代から聴いてきたが、このサンフランシスコ交響楽団との録音を聴いてからは、メインで聴くのはこの演奏ばかり。とにかく、第4楽章と、第5楽章の迫力のある演奏は、聴いていて気持ちが良い。モントウーの絶頂期は、ひょっとしたら1950年頃だった?。さて、晩年の北ドイツ放送響の演奏は、録音が悪く、さらに枯れた演奏で、オススメ出来ない。丁度、アンセルメが、晩年にニューフィルハーモニア管と再録音した、ストラビンスキーの火の鳥と似ている。巨匠の晩年は、この音を聴けぐらいの威勢の良さは、全く影を潜め,刺が無くなる事が多い。
2015-04-29:題名のない子守唄
- サンフランシスコ響盤は、特に最後の2楽章はアッチェレランドの追い込み方が半端じゃないんですよね。第4楽章の終わり方も印象的。地方オケとの録音なので好き放題やりました感が前面に出てます。ウィーンフィル盤は、これと比べるとおとなしくなっちゃって物足りないです。
2015-05-12:ytk
- 「すごく熱い演奏だと感じました。最終楽章の鐘の音は、見事な録音ですが、音程的には微妙にもう少し低いと最高だと思います。」
と書きましたが、
「すごく熱い演奏だと感じました。最終楽章の鐘の音は、見事な録音ですが、3つ目の音は音程的には微妙にもう少し低いと最高だと思います。」
です。
2022-09-13:ロゼフレイヴァー
- この演奏を若いころ初めて耳にしたときは、第4楽章の最後の音や最終楽章の鐘の明るい音にびっくりしたものでした。この両楽章は確かに白眉だと思いますが、それまでの楽章の一気呵成の進め方、荒いといえば荒いですけれども、何とも爽快で、変に神経質な暗さを感じさせないところがとても気に入っています。70年以上も昔のLP最初期の録音ながら、この明晰さもすばらしい。老境に入った今、これが一番お気に入りの演奏になりました。(どういうわけか、これを聴くと昔見たモノクロの幻想交響楽という映画を思い出します)。それにしても、モントゥーの再録音はウィーンフィルではなく、ロンドン響あたりでやってくれていたら、さぞかし溌剌としておもしろかったのではないかなと、個人的には想像してしまいます。
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