ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
セルジュ・チェリビダッケ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1945年11月21日録音(Sergiu Celibidache:the Berlin Philharmonic Orchestra Recorded on November 21, 1945)
Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98 [1.Allegro non troppo]
Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98 [2.Andante moderato]
Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98 [3.Allegro giocoso]
Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98 [4.Allegro energico e passionato]
とんでもない「へそ曲がり」の作品

ブラームスはあらゆる分野において保守的な人でした。そのためか、晩年には尊敬を受けながらも「もう時代遅れの人」という評価が一般的だったそうです。
この第4番の交響曲はそういう世評にたいするブラームスの一つの解答だったといえます。
形式的には「時代遅れ」どころか「時代錯誤」ともいうべき古い衣装をまとっています。とりわけ最終楽章に用いられた「パッサカリア」という形式はバッハのころでさえ「時代遅れ」であった形式です。
それは、反論と言うよりは、もう「開き直り」と言うべきものでした。
しかし、それは同時に、ファッションのように形式だけは新しいものを追い求めながら、肝腎の中身は全く空疎な作品ばかりが生み出され、もてはやされることへの痛烈な皮肉でもあったはずです。
この第4番の交響曲は、どの部分を取り上げても見事なまでにロマン派的なシンフォニーとして完成しています。
冒頭の数小節を聞くだけで老境をむかえたブラームスの深いため息が伝わってきます。第2楽章の中間部で突然に光が射し込んでくるような長調への転調は何度聞いても感動的です。そして最終楽章にとりわけ深くにじみ出す諦念の苦さ!!
それでいながら身にまとった衣装(形式)はとことん古めかしいのです。
新しい形式ばかりを追い求めていた当時の音楽家たちはどのような思いでこの作品を聞いたでしょうか?
控えめではあっても納得できない自分への批判に対する、これほどまでに鮮やかな反論はそうあるものではありません。
チェリビダッケという「へそ曲がり」
私のてもとには、70年代と90年代に録音したブラームスの4番がありますが、明らかにこの古い録音が一番すぐれています。
同時にいろんなことを考えさせてくれる演奏でもあります。
まずなによりも「明晰」な演奏であり、明らかにフルトヴェングラーに対する対抗意識を感じ取ることができます。
そして、そういうチェリの棒に応えて見事な演奏を展開しているベルリンフィルの能力にも驚かされます。ベルリンが瓦礫の山となって連合国に降伏したのはわずか半年前のことです。その悪条件の中において、フルヴェンとは全く異なる演奏様式を求めるチェリの棒に応えてこれほどの水準を維持している事は驚嘆に値します。
そして、これほどの素晴らしい音楽を作り出しながら、何故にチェリはベルリンをカラヤンに追われることになったのかと言う疑問もわいてきます。
彼の求める音楽のベクトルはフルトヴェングラーとは対照的ですが、カラヤンとは明らかに同質です。そして両者が作り出す音楽を比較すればどう考えても当時のカラヤンよりは数段上です。
カラヤンがチェリを追い落としてベルリンのポストを獲得する過程で何があったのかは分かりませんが、それがチェリにとって耐え難いことであったことは容易に推察できます。
ライバルの力が明らかに自分を上回っていても、ポストから追われるというのは辛いことです。それが、どう考えても自分よりも劣る人物に追い落とされるとなると、その胸中は察するに余りあります。
私はチェリのへそ曲がり人生はここからスタートしたのだと思います。
カラヤンが「メジャーの帝王」へと駆け上がっていくのを見て、自らは「マイナー」に徹するという「へそ曲がり」で対抗し、精神の均衡を保とうとしたのではないでしょうか。
録音という行為を拒否したことも、カラヤン的な上昇志向への反発として考えれば実に有効なパフォーマンスです。この事についてチェリ自身はあれこれと難しげな事を語っていますが、どう考えても「後付の理屈」のような気がしてなりません。
メジャーで活躍する指揮者へのとんでもない「毒舌」も、インタビューでの人を馬鹿にしたような受け答えも、そういうへそ曲がり人生という観点から見れば全て納得がいきます。
そして、そのようなへそ曲がり人生を貫き通した戦後数十年という歳月は、マイナーに徹したがゆえにカリスマ性を生み出し、その音楽に神秘性を与える域にまで上りつめたことは事実です。
チェリは自らが望んだように「マイナーの帝王」へと上りつめ、マイナー性に徹することでメジャーをのりこえる存在となりました。
それはそれで、素晴らしいことで、なにも文句を申し上げるようなことはありません。(^^;;
その事は認めながらも、この45年に録音された、若き日の「へそが曲がる前の素晴らしい演奏」を聞かされると、あるはずのない「if」を想像してしまいます。
それは、もしその実力に相応しく戦後のベルリンのシェフとして君臨し、へそが曲がることもなしにメジャーの世界で活躍していたらどのよう音楽を作り出してくれただろう?という「if」です。
おそらくはへそ曲がり人生の中で生み出した以上の成果を残してくれたと思うのですがいかがなものでしょうか。
へそ曲がりのチェリを愛する(マイナーの帝王としてのチェリを愛する)多くのファンからお叱りをうけるでしょうが、この若き日の素晴らしい演奏を聞かされると、そういう愚にもつかぬ「if」を思わず想像してしまうユング君です。
よせられたコメント
2008-05-20:koco
- これはいわゆる晩年のミュンヘン・フィルのようなテンポの遅さはとくにないですし、とても聴きやすいと思います(個人的には結構好き!)
チェリビダッケ氏はブラ4の録音をこのBPOに、70年代にはシュトゥットガルト放送響と、さらにミュンヘン・フィルと録音していてどれも聴いてみましたが、明らかに年をとるにつれてテンポも遅くなっているのがわかります
2008-08-09:やまあらし
- 素晴らしい演奏だと思います。後年の演奏と比べても指揮、オーケストラとも非常に冴えているのではないでしょうか。奇を衒うことなく、それでいて飽きさせることもない音楽作りは本当に難しいことだと思いますが、この演奏はそれを実現しています。
ただ、カラヤンとの類似性は非常に限定的だと考えます。私はカラヤンが大好きなのですが、ブラームスに関しては誇大表現が過ぎる感があり、あざとさの全くないこの演奏とはかなり解釈が異なるように思います。特に第1楽章のコーダに関しては正反対の演奏です。確かに両者ともフルトヴェングラーと対照的かもしれませんが、それは両者が同質であるということではないと考えます。
このようなコメントで恐縮ですが、カラヤンに関してはおそらく管理人様より多く聴いていると思うので、敢えて書かせていただきました。
2009-03-15:かなパパ
- 1楽章の冒頭を聴き比べをして、この演奏が各楽器の旋律が一番聞き取れて気に入りました。
ただ、もう少しビオラの音が大きかったら、中低音部のチェロとビオラの会話の様な旋律も聞こえて最高なのにと思いました。(高音部でのヴァイオリンと木管楽器の会話は、はっきりと聞き取れます)
うまく表現できませんが、
この曲は各楽器の旋律が会話のようにからみあっていて、曲が進んでいくと次々に各楽器の会話の組み合わせが変わって、すばらしい音楽になっているので、大好きです。
冒頭から高音部ではヴァイオリンと木管楽器の会話、中低音部ではチェロとビオラの会話が同時に演奏されるのだから...
2009-04-20:セル好き
- 愛聴盤はカルロスクライバーですが、違和感無く聴けました。というかむしろチェリビダッケの方が、演奏のところどころに漂う巨匠的なゆとり感を含め、表現に幅が感じられて一枚上手ですね。
見通しの良さでもセル並みと思えるほどの快演です。
2009-11-23:原 正美
- 壮年期のチェリビダッケの演奏は晩年の演奏と基本的に変化は無い。ただ、第三楽章、第四楽章の高揚感、情熱的な躍動感は晩年の演奏からは聞けないものである。録音年代を考えると、戦争からの復興と、平和への憧憬も背景にあるが、それ以上にチェリビダッケのこの曲に対しての思いが勝ったベストの演奏。
2010-12-07:ヨシ様
- これは素晴らしい演奏ですね。
ユング君の言うように、もしもチェリビダッケがベルリン・フィルの常任指揮者になって録音もしていたならばかなりの名演奏が期待出来たわけで、誠に残念ですね。
ベルリン・フィルの常任ならば、あれ程にはテンポも遅くはならなかった気もします。
2011-04-08:htam
- この録音は弱音部の緊張感が素晴らしいと思います
ですが少しピッチが低めなのが気になりますかね.....
チェリビダッケが「ピッチをいじった」と言ったのもわかる気がします
2012-03-04:チャリ
- 確かにチェリの音楽はへそ曲がりの音楽だと思います。
何か音楽的な必然性があってあのような異常に遅いテンポや敢えて音楽の自然な流れを拒否するかのような音作りをしているものとは思えません。
仰るとおり、カラヤンとの競争に敗北したことがその唯一の理由だと思います。
また、録音嫌いというよりもレコーディング嫌いと言う方が正しくて、これもやはりカラヤンへのよく言えば対抗心、しかしその実態はレコードの売れ行きという客観的事実でカラヤンとの競争に敗北することから逃げた、ということの方が正しかったのだと思います。
カラヤンよりチェリの方が数段格上であったというユングさんの個人的な見解を否定するような幼稚さは持ち合わせておりませんが、チェリの屈折した人間性への洞察には強く共感いたします。
それにしても、一人の優れた音楽家にその音楽性そのものを放棄させる程の欧米社会における指揮者という職業の熾烈な競争について、考えさせられます。
ただ、チェリが本当にカラヤンよりも数段優れているという自信があり、なおかつカラヤンの政治的な策略でベルリンフィルから追い落とされたと考えていたのであれば、自分の音楽性まで放棄してへそ曲がりで異様な演奏をし続けることはなかったのでは?
ミュンヘンフィルを鍛え上げ、その数段格上の芸術性豊かな演奏でカラヤン・ベルリンフィルを凌駕出来たのではないのでしょうか?
そうしなかったのは、チェリ自身はユングさんの個人的見解と異なる見解を持っていたということなのではないでしょうか?
チェリはカラヤン、そしてフルトヴェングラー同様、芸術家特有の並外れた人間的弱さを抱えていたのだと思います。
芸術家とは本来そのようなものであり、芸術とはそのような人間的弱さの中にこそ存在するものなのではないでしょうか?
芸術家にまともな人格や精神性などを求めるのは、愚の骨頂であり、体育会系の単細胞的志向と言わざるを得ません。クラシック音楽に道徳的価値を求めようとする態度は芸術としての音楽に対する冒涜に等しいものであります。
少なくとも芸術系を自認されるのであれば、芸術とは、人格や人間性、精神性などという、道徳的な価値から開放されて本来の自己を回復し、根源的な自己肯定を行うために必要不可欠なものであるという最低限の了解が必要なのでは?
自己の才能のみを信じ、大いなる野望に立ち向かい、破れ、屈折したチェリの芸術家としての弱さこそを愛すべきであります。
指揮者たちの競争を単なる世俗的な出世競争としてしか捉えられず、その敗者に対する日本人特有の判官贔屓的感傷と同情を注ぎ、勝者に対する妬みと憎しみを向けるような幼稚で不幸な状況から早く脱出しなければなりません。
こんなことをやっているのは日本だけであり、これもまた日本のガラパゴス現象なのであり、文化的引き篭もりの一種なのでしょう。(笑)
2012-10-16:エリ
- チェリビダッケのライヴが多く発売されるようになってきましたね。逆に録音嫌いだった人を思うとおもしろいとも感じます。テレビでドビッシーの「海」やムソルグスキーの「展覧会の絵」の来日ライヴを見たことを思い出しました。一般的にテンポが遅くてある種違和感をもちましたが、いかにも立派な音楽を聴いたような充実感も感じました。評価が大きく分かれる指揮者ですが、曲の本質に迫ろうという心は強く感じます。ドイツ音楽だけでなく比較的広いレパートリーをこなした面も忘れてはならないと思います。彼の残した言葉で印象的なものは「ベートーヴェンの第五と第九は終楽章がよくない。しかしその前の3つの楽章がすばらしいので自分は演奏するのだ。」という言葉です。みなさんどう思いますか。もっと聴き込んでみたい指揮者です。
2013-01-24:oTetsudai
- 大変な名演奏で感激しました。私はベイヌム@アムステルダム・コンセルトヘボウをよく聴いていましたのでブラームスの秋の終わりに枯葉が舞い散るような早めのテンポの演奏が本来は好きなのですが、この演奏はブラームスの曲ではなく完全にベートーベンの交響曲の演奏だと思います。2楽章、3楽章は「運命」との類似を強く感じます。面白いのは演奏を聴いていると「ベートーベンを指揮するフルトヴェングラー」を想起してしまうのです。彼は無意識ながらフルトヴェングラーをめざしていたのではないでしょうか。
2019-02-01:信一
- >彼の求める音楽のベクトルはフルトヴェングラーとは対照的ですが、カラヤンとは明らかに同質です。
まったく同感です。なかなか言い出しにくいことをズバッといっていただいて、ありがとうございました。(笑)
この二人から、音楽は”響き”になったと思います。私はシューリヒトのファンですが、シューリヒトにしても父クライバーや、あのトスカニーニも、彼らにとって音楽はまずは”動き”であり、響きは結果であったのではないでしょうか?カラヤンとチェリから響きが目的になり、現代の演奏家につながっているように思います。
2021-06-21:ブラ1も
- ウイーン交響楽団との第1交響曲もいいです。最近若いころのチェリ演奏を聴いてます。1957年のベルリン放送とのベト7も素晴らしいと思いますが後半が録音できてないんですよね。1970年代にフランスのORTFとの演奏もあるみたいですが、すでに自然な流れを拒否し始めてるので1957年の録音がコンプリートだったらよかったとしみじみ思います。というか1990年半ばまで活躍した指揮者のあえて40年代や50年代の演奏をサルベージしなきゃいけないって・・・変ですよね?
2022-01-08:杉本正夫
- 1992年にベルリンフィルとブルックナー7番を客演した際のリハーサルが残されています。楽員の表情を見るとウンザリしているというか怯えているというか・・・
音楽性云々というよりは、一緒に仕事するのは御免だと思われてカラヤンを選んだのではと考えてしまいます。
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