ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調
フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィル 1951年4月23日録音
Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第1楽章」
Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第2楽章」
Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第3楽章」
Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第4楽章」
はじめての成功
一部では熱烈な信奉者を持っていたようですが、作品を発表するたびに惨めな失敗を繰り返してきたのがブルックナーという人でした。
そんなブルックナーにとってはじめての成功をもたらしたのがこの第7番でした。
実はこの成功に尽力をしたのがフランツ・シャルクです。今となっては師の作品を勝手に改鼠したとして至って評判は悪いのですが、この第7番の成功に寄与した彼の努力を振り返ってみれば、改鼠版に込められた彼の真意も見えてきます。
この第7番が作曲されている頃のウィーンはブルックナーに対して好意的とは言えない状況でした。作品が完成されても演奏の機会は容易に巡ってこないと見たシャルクは動き出します。
まず、作品が未だ完成していない83年2月に第1楽章と3楽章をピアノ連弾で紹介します。そして翌年の2月27日に、今度は全曲をレーヴェとともにピアノ連弾による演奏会を行います。しかし、ウィーンではこれ以上の進展はないと見た彼はライプツッヒに向かい、指揮者のニキッシュにこの作品を紹介します。(共にピアノによる連弾も行ったようです。)
これがきっかけでニキッシュはブルックナー本人と手紙のやりとりを行うようになり、ついに1884年12月30日、ニキッシュの指揮によってライプツィッヒで初演が行われます。そしてこの演奏会はブルックナーにとって始めての成功をもたらすことになるのです。
ブルックナーは友人に宛てた手紙の中で「演奏終了後15分間も拍手が続きました!」とその喜びを綴っています。
まさに「1884年12月30日はブルックナーの世界的名声の誕生日」となったのです。
そのことに思いをいたせば、シャルクやレーヴェの業績に対してもう少し正当な評価が与えられてもいいのではないかと思います。
無念さを抱き続けて
今さらフルトヴェングラーの古い録音を引っ張り出してくるのはどうかとも思ったのですが、いろいろな思いも交錯して取り上げてみることにしました。
いささか話が生臭くなることはお許しください。
ドイツだけに限った話ではなく、どの民族においても同様ですが、民族というものは全てにおいて偉大であったり、全てにおいて罪深かったりするわけではありません。おそらくは、その中に、この上もない偉大さと勇敢さが存在するかと思えば、その隣にどうしようもない偏狭さと残酷さが同居しているという有様です。
そして、フルトヴェングラーという人は、どれほど罪深い偏狭さと残酷さを見せつけられたとしても、それも含めた「ドイツ」というものを捨て去ることのできなかった人でした。
そして、この「ドイツ」という部分を「日本」という言葉に入れ替えて、そして8月15日という特別な日においてみれば、私の中に交錯している「思い」をある程度は理解していただけるかもしれません。
私は決して保守的な人間だとは思っていません。そして、過去になした行為の偏狭さと残酷さには真摯な認識と反省が必要だろうとは思っています。しかしながら、お家の事情で、時々思い出したように「お前は昔こんな悪いことをやったのから真剣に謝れ」などと言われ続けたら、やはり正直なところ「怒り」は感じます。
そして、その「怒り」の正体は何だろうと自問してみて思い当たるのは、一つの側面にしかすぎない「罪深さ」で民族の全てが塗り込められる事への「無念」さです。
おそらく、大戦後のフルトヴェングラーの胸の中にもそのような「無念」さが渦巻いていたのではないかと思います。
彼がナチスを毛嫌いしていたのは事実です。
しかし、いかに嫌っていようと、それもまたドイツの一部であることは認めざるを得なかったのがフルトヴェングラーという人でした。そうでなければ、彼もまた多くの知識人たちと同様にドイツを去っていたでしょう。
それは、どうしようもないほどの民族の恥部であっても、彼はそれも含めたあるがまの「ドイツ」を愛していたのです。つまりは、フルトヴェングラーという人は骨の髄まで「ドイツ人」だったのです。
それだけに、大戦後はその罪深さだけでドイツが塗り固められることにこの上もない無念さを感じていたのではないでしょうか。
そのようなライン上に彼のブルックナー演奏をおいてみると、そう言う風潮への必死の異議申し立てであったことに気づきます。いや、「異議申し立て」というのは正しくないかもしれません。それは、辱められ恥辱にふるえる「ドイツ」を必死の思いでかばい立てをしているようにすら聞こえます。
かわいそうなドイツ、そしてかわいそうな日本。
二つの世代を経て、そして経済的な発展を遂げて世界の大国となっても、その根底の構造は何も変わっていません。歴史は常に勝者によって書かれるものであり、敗者はいつまでその「無念」さを抱き続けなければならないのでしょうか。
よせられたコメント
2015-04-26:Joshua
- 文章による批評は怖いもので、宇野氏の講談社+α文庫(廃刊)本では、この演奏が、3種類ある中で「録音も含めて最も悪い」とされていました。(同じ1951年でもこちらはカイロでの演奏。ローマでの5月1日盤は49年につぐ評価を得ています。)
虚心坦懐に聴けば、実にいい演奏です!
宇野氏が、いつどこから発売された演奏を聴いたのか当然不明ですが、1998年の発刊から15年経った今、「このサイトのこの演奏」のように相当美しく克明に聴き取れる演奏だと気づかされるわけです。一体に、YUNG氏のサイトでは、わたしが聴いてきた同曲同録音は、音が改善されています。録音状態が鑑賞評価を左右するのは明らかで、このことはありがたく思っています。この4月23日盤は、感動的です!
ここからは、蛇足になりますが、49年盤が今度は気になりだしましたところ、レコ芸1月号で、ワーナークラシックからSACD復刻が出ました。國土氏の批評は、「LPとは別物の如く」ですが、これを信じ過ぎると多少ガッカリですが、CDしか聴けない私には、SACDの出す音が「かくや!」と想像はされる出来栄えです。音のよくなった分、そしてこれ以上の音改善は想像しがたいですが、より大きな感動が得られたのは事実です。それに、気づくと、音がいいし細部が聴き取れるので、反復して聴いています。それも感動要素を作ってるんじゃないかと。49年会場にいた人たちは、65年後のこうした聴かれ方なぞ、つゆ想像できなかったでしょうに。(エンジニアは除いて)
昔聴き入った演奏が、自然な復刻でよりよい音で聴ける。
理科嫌いのわたしでも、このことに関しては、科学技術に感謝したい思いです。ひょっとして、音作りの魔法に騙されているのかも。
そういう思いが聴いていて時折しないでもありませんが、どうなんでしょうねえ?
YUNGさんや諸氏方々に教えを乞いたいです。
<管理人のコメント>
>一体に、YUNG氏のサイトでは、わたしが聴いてきた同曲同録音は、音が改善されています。
そう言うお褒めにいただけるならば、それは「音作りの魔法」ではなくて、丁寧に音源となるファイルを作成していることに尽きるかと思います。
昔のオーディオは出口のクオリティが全てでしたから、スピーカーが王様でした。
今のオーディオは入り口が全てです。
PCオーディオならばファイルのクオリティと、その純度をいかに落とさないでDAコンバータまで届けるかが勝負です。ここでクオリティが落ちれば、後はどれほど高価なアンプやスピーカーをあてがっても意味を持ちません。SACDがCDに対してアドバンテージを持つのはそのためですが、CDクオリティであっても十分に配慮を持っでデータを取り出せばSACDと遜色ないレベルで再生できるはずです。
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