チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36
カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1954年7月録音
Tchaikovsky:交響曲第4番 「第1楽章」
Tchaikovsky:交響曲第4番 「第2楽章」
Tchaikovsky:交響曲第4番 「第3楽章」
Tchaikovsky:交響曲第4番 「第4楽章」
絶望と希望の間で揺れ動く切なさ
今さら言うまでもないことですが、チャイコフスキーの交響曲は基本的には私小説です。それ故に、彼の人生における最大のターニングポイントとも言うべき時期に作曲されたこの作品は大きな意味を持っています。
まず一つ目のターニングポイントは、フォン・メック夫人との出会いです。
もう一つは、アントニーナ・イヴァノヴナ・ミリュコーヴァなる女性との不幸きわまる結婚です。
両方ともあまりにも有名なエピソードですから詳しくはふれませんが、この二つの出来事はチャイコフスキーの人生における大きな転換点だったことは注意しておいていいでしょう。
そして、その様なごたごたの中で作曲されたのがこの第4番の交響曲です。(この時期に作曲されたもう一つの大作が「エフゲニー・オネーギン」です)
チャイコフスキーの特徴を一言で言えば、絶望と希望の間で揺れ動く切なさとでも言えましょうか。
この傾向は晩年になるにつれて色濃くなりますが、そのような特徴がはっきりとあらわれてくるのが、このターニングポイントの時期です。初期の作品がどちらかと言えば古典的な形式感を追求する方向が強かったのに対して、この転換点の時期を前後してスラブ的な憂愁が前面にでてくるようになります。そしてその変化が、印象の薄かった初期作品の限界をうち破って、チャイコフスキーらしい独自の世界を生み出していくことにつながります。
チャイコフスキーはいわゆる「五人組」に対して「西欧派」と呼ばれることがあって、両者は対立関係にあったように言われます。しかし、この転換点以降の作品を聞いてみれば、両者は驚くほど共通する点を持っていることに気づかされます。
例えば、第1楽章を特徴づける「運命の動機」は、明らかに合理主義だけでは解決できない、ロシアならではなの響きです。それ故に、これを「宿命の動機」と呼ぶ人もいます。西欧の「運命」は、ロシアでは「宿命」となるのです。
第2楽章のいびつな舞曲、いらだちと焦燥に満ちた第3楽章、そして終末楽章における馬鹿騒ぎ!!
これを同時期のブラームスの交響曲と比べてみれば、チャイコフスキーのたっている地点はブラームスよりは「五人組」の方に近いことは誰でも納得するでしょう。
それから、これはあまりふれられませんが、チャイコフスキーの作品にはロシアの社会状況も色濃く反映しているのではとユング君は思っています。
1861年の農奴解放令によって西欧化が進むかに思えたロシアは、その後一転して反動化していきます。解放された農奴が都市に流入して労働者へと変わっていく中で、社会主義運動が高まっていったのが反動化の引き金となったようです。
80年代はその様なロシア的不条理が前面に躍り出て、一部の進歩的知識人の幻想を木っ端微塵にうち砕いた時代です。
ユング君がチャイコフスキーの作品から一貫して感じ取る「切なさ」は、その様なロシアと言う民族と国家の有り様を反映しているのではないでしょうか。
帝王カラヤンへの一里塚
生誕100周年という事で某国営放送で特集番組が組まれるほどにカラヤンの人気は健在です。個人的にはあまり好きな人ではないのですが、その衰えぬ人気を前にして少しは正面からつきあわないといけないのかなと思いだしたのは昨年あたりからです。
流石に70年代のベルリンフィルを相手にした演奏はなかなか聴く気にはなれないので、今は50年代のフィルハーモニア管との録音をポリポツリと聞いています。おかげで、レッグとのコンビで完成させたベートーベンの交響曲全集からは『「帝王カラヤン」のおごりは微塵もなく、ひたすらベートーベンの音楽に仕える真摯な姿』・・・などを発見して驚かされたりしました。
しかし、このチャイコフスキーには後のカラヤンの姿がはっきりと刻印されていて苦笑させられました。
おそらく、このような演奏は長くクラシック音楽を聞いてきた人には好ましく思われないはずです。とにかく主旋律が強調されすぎて、内声部の細かい動きがすっかり塗りつぶされてしまっています。その結果として、立体感と陰影を失った平板でのっぺりとした印象がぬぐいきれません。口さがない言い方をすれば「風呂屋の看板」みたいな演奏です。
しかし、その事は同時に旋律重視の流麗な音作りと言うことになり、クラシック音楽に日頃縁の薄い人にとっては耳あたりのいい音楽に仕上がっているという見方も出来ます。さらに、決めるべきところはビッシと決めていますから、格好いいと言えば実に格好いい演奏に仕上がっています。
それは、まさに後のカラヤンの姿を彷彿とさせる「ミニ・カラヤン」そのものの演奏です。
ベートーベンの演奏ではあれほども素晴らしい造形感覚を発揮したカラヤンです。やろうと思えば同じ事がチャイコフスキーでも出来たはずです。しかし、彼はあえてチャイコフスキーを「風呂屋の看板」みたいに仕上げました。疑いもなく、確信犯です。そして、その「確信」こそが彼を「帝王」へと押し上げたのではないでしょうか。そう思えば、この演奏は帝王カラヤンへの一里塚だと言えます。
そして、ほぼ同じ時代に
ムラヴィンスキーが録音したチャイコフスキーと聞き比べると、この二人の音楽に対するスタンスの違いを歴然と感じ取ることが出来るでしょう。
そう言えば、いつぞや「売れる音楽こそがもっとも価値の高い音楽なんだ。あなたが何を言おうと、宇多田がバッハよりもたくさんCDが売れるという事実がある以上、宇多田はバッハよりもすぐれている」というメールをいただいたことがあります。・・・(( '‐'+)
さすがに、カラヤンはそこまで思いきることは出来なかったでしょうが、それでも「売れないクラシック音楽」では駄目だという思いがあったはずです。
売れる売れないなどは全く眼中になく己の信ずる音楽に殉じたムラヴィンスキーは偉くて、売れるクラシック音楽に殉じたカラヤンは駄目だというのは長年の「定説(?)」でした。しかし、昨今のクラシック音楽界の低調さを見ると、事はそれほど単純ではなかったのかもしれません。彼もまた、方向性こそ違えクラシック音楽に殉じたのです。
よせられたコメント
2009-05-20:ロングロウ
- いつも批評などを興味深く読ませていただいております。
>「売れる音楽こそがもっとも価値の高い音楽なんだ。あなたが何を言おうと、宇多田がバッハよりもたくさんCDが売れるという事実がある以上、宇多田はバッハよりもすぐれている」というメールをいただいたことがあります。
ユングさんは当然こうは思われていないと思いますが、私もそうは思いません。どちらが優れているかはそれだけでは分からないと思います。なぜなら大衆は扇動され易いからです。一度火がつくと本当に価値が分かっている人の10倍位はすぐに関心を持ちます。
しかしながら、誰も見向きもしないような音楽に価値があるとも捉えにくいものがあります。カラヤンが録音を通して目指していたのは、そういう意味を十分理解したうえでなされていたのではないでしょうか。限られた人が聞くコンサートと対象が無限大のレコードの違いです。
大衆にアピールする音作りが、クラシックを聞き込んで造詣が深い人からは物足りなく思えたりするのかもしれません。ただ、そういった中にいくつかものずごい演奏があったりするので私は好きですけれど。
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