ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1957年2月22日〜23日録
Beethoven:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」 「第1楽章」
Beethoven:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」 「第2楽章」
Beethoven:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」 「第3楽章」
Beethoven:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」 「第4楽章」
無人島の一枚
こういうサイトを運営しているとお正月というのは特別な意味があります。それは、50年という時の流れによって、著作権という檻から解き放たれた作曲家や録音がパブリックドメインの仲間入りをするからです。
ですから、お正月には、その一年を象徴するような歴史的な意味のある録音をアップすることにしています。
昨年はグールドによるゴルドベルグ変奏曲をアップすることができました。
さて、今年はどうするかです。
まずは、ユング君にとっては特別な意味のあるセル&クリーブランド管弦楽団によるエロイカがパブリックドメインの仲間に入りました。よくある「無人島の1枚」という質問があれば、ユング君は躊躇うことなくこの一枚を選びます。ですから、普通ならこれで即決なのですが、今年は強力な対抗馬が存在します。
シベリウスです。
フィンランドの作曲家であるシベリウスはいわゆる「戦時加算」とは無縁で、死後50年ですっきりとパブリックドメインの仲間入りです。(世間では著作権の保護期間の延長をめぐって喧しいですが、クラシック音楽の世界ではシベリウスがこちら側に来れば、後は意味のある作曲家は片手ぐらいです。シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィッチ・・・くらいかな?)
さて、このどちらを年明けの先頭バッターに選ぶべきかで少しばかり悩んだのですが、やはりユング君にとって特別な意味のあるセルのエロイカを選ぶことにしました。シベリウスの作品は2番バッターとして登場してもらうことにしましょう。
セルとクリーブランドはモノラルの時代にも4番・5番・6番を録音していますが、ベートーベンの交響曲を本格的に世に問うたのはステレオの時代になってからです。
少し整理してみますと、以下のようになります。
交響曲第3番 op.55 1957年2月22〜23日録音
交響曲第7番 op.92 1959年10月30日録音
交響曲第8番 op.93 1961年4月15日録音
交響曲第6番 op.68 1962年1月19〜20日録音
交響曲第4番 op.60 1963年4月5〜6日録音
交響曲第1番 op.21 1964年10月2日録音
交響曲第5番 op.67 1964年10月11&25日録音
交響曲第2番 op.36 1964年10月23日録音
交響曲第5番 op.67 1966年9月22日録音
交響曲第9番 op.125 1967年8月25日録音
最近は随分と手軽に「全集」を仕上げる指揮者が多いのですが、こうしてみると、セルとクリーブランドのコンビは一つ一つの作品を丁寧に取り組んでいって、その結果として全集に仕上がったことがよく分かります。それ故に、全ての作品がこの上もなく高い完成度を保持しています。
そして、その中でも最高の出来を示しているのがこのエロイカです。聞くところによると、この録音がエピックレーベルにとっても初めてのステレオによる録音だったようで、録音のクオリティに関しては不満が残る部分もあります。その事はセル自身も感じていたと思うのですが、結果的には全集として完成させるときに録りなおしはしていません。
理由はかんたんです。録音に少しの不満はあっても、演奏そのものは完璧だったからです。そして、その完成度はその後のこのコンビをしても凌駕することが不可能なレベルにまで達していたからです。
自己批判力の弱い指揮者というのはいとも簡単に再録音を行いますが、セルはその様なタイプの指揮者とは最も遠く離れた場所にいた指揮者でした。
エロイカという作品の魅力は、整理されきっていないが故の「巨大」さがあることです。その整理されきっていない部分を整理されないままに放り出して巨大さを演出したのがフルトヴェングラーだとすれば、整理されきっていない部分を徹底的に整理して、鋼鉄の肉体をもった英雄像を構築して見せたのがセルのエロイカでした。この両者を聞けば、とても同じ作品とは思えないほどです。
ですから、フルヴェンを最高と思う人にはセルのエロイカは我慢できない代物でしょうし、セルのエロイカが最高だと思う人にとっては、フルトヴェングラーは言うまでもなく、それ以外のいかなるエロイカをもってしても不満に感じることでしょう。
こういう演奏の聞き比べでナンバーワンを捜すことは愚かなことです。エロイカという巨大な作品に向き合ってそれぞれの指揮者とオケがいかに格闘したのかが重要です。
それにしても、セルのことを正確さだけを追求する「冷たい機械」などと誰が言い始めたのでしょうか。このエロイカの第1楽章の驀進するベートーベンを聴けば、彼の中にどれほどのパッションがたぎっていたかはすぐに分かるはずです。さらに、それに続く第2楽章、葬送行進曲の深い感情は大袈裟な身振りとは全く無縁ですが、まさに世阿弥が語った「秘すれば花」なりの世界が存在します。そして、圧巻なのは、鞭が撓るような鋼鉄の響きで構築されていく巨大な変奏曲形式による最終楽章です。
ここにこそ疑いもなく20世紀におけるオーケストラ芸術の頂点があります。ユング君はそう確信してきましたし、その確信は今後も揺らぐことはないでしょう。
音楽史における最大の奇跡
今日のコンサートプログラムにおいて「交響曲」というジャンルはそのもっとも重要なポジションを占めています。しかし、この音楽形式が誕生のはじめからそのような地位を占めていたわけではありません。
浅学にして、その歴史を詳細につづる力はありませんが、ハイドンがその様式を確立し、モーツァルトがそれを受け継ぎ、ベートーベンが完成させたといって大きな間違いはないでしょう。
特に重要なのが、この「エロイカ」と呼ばれるベートーベンの第3交響曲です。
ハイリゲンシュタットの遺書とセットになって語られることが多い作品です。人生における危機的状況をくぐり抜けた一人の男が、そこで味わった人生の重みをすべて投げ込んだ音楽となっています。
ハイドンからモーツァルト、そしてベートーベンの1,2番の交響曲を概観してみると、そこには着実な連続性をみることができます。たとえば、ベートーベンの第1交響曲を聞けば、それは疑いもなくモーツァルトのジュピターの後継者であることを誰もが納得できます。
そして第2交響曲は1番をさらに発展させた立派な交響曲であることに異論はないでしょう。
ところが、このエロイカが第2交響曲を継承させ発展させたものかと問われれば躊躇せざるを得ません。それほどまでに、この二つの間には大きな溝が横たわっています。
エロイカにおいては、形式や様式というものは二次的な意味しか与えられていません。優先されているのは、そこで表現されるべき「人間的真実」であり、その目的のためにはいかなる表現方法も辞さないという確固たる姿勢が貫かれています。
たとえば、第2楽章の中間部で鳴り響くトランペットの音は、当時の聴衆には何かの間違いとしか思えなかったようです。第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。
それほどまでに、この作品は時代の常識を突き抜けていました。
しかし、この飛躍によってこそ、交響曲がクラシック音楽における最も重要な音楽形式の一つとなりました。いや、それどことろか、クラシック音楽という芸術そのものを新しい時代へと飛躍させました。
事物というものは着実な積み重ねと前進だけで壁を突破するのではなく、時にこのような劇的な飛躍によって新しい局面が切り開かれるものだという事を改めて確認させてくれます。
その事を思えば、エロイカこそが交響曲というジャンルにおける最高の作品であり、それどころか、クラシック音楽という芸術分野における最高の作品であることをユング君は確信しています。それも、「One of the Best」ではなく、「The Best」であると確信しているユング君です。
よせられたコメント
2009-08-19:山上士
- 素晴らしい演奏ですね。
終楽章のコーダなど一気呵成に突き進み
ホルンのファンファーレは聴く度に鳥肌が立ちます。
2010-05-11:あきちゃん
- クラシック音楽の素晴らしさを教えてくれた友人がフルトベングラーの大ファンだったので私がセルのLPを買ってしばらくして彼に聴かせた時は大変でした。「これじゃぁナポレオンが駆けだしちゃってるじゃないか」等と失礼なことを言いながら彼は半ば無理やり愛聴番を聴かせててくれました。セルのテンポに慣れた私には当時の両指揮者の日本における勢力地図や意味ありげな遅いテンポに何故か若干のコンプレックスを感じたのも正直なところです。でもやはりセルは凄い、洗練を極めただけなら他にも思い当たる人は居るけれど、厳格といわれる彼は本当はとても高いところで自由奔放に振舞っている。だから彼の演奏には息苦しさも無くいつまでも色あせない、私はそう思っています。10点満点以外考えられません。
2010-06-24:愛知 大島
- エロイカが大好きです。もっとも音楽に関しては筋金入り(?)の素人です。初めて聴いた生演奏が2007年11月20日,外山雄三さん指揮・愛知県立芸術大学管弦楽団による定期演奏会でした。(私にチケット下さった同僚のご子息がホルンを担当しておいででした)でも,外山さんの手が動き始めると同時に,体全体がふるえるのを感じました。そして「なるほど,CDで聴くこの音は,この楽器がこうやって出しているんだ」ということを具に知ることができました。それにしてもあらためて感じたのは,この曲のフィナーレをなめらかに演奏することがいかに難しいかということでした。「ド素人がアホなことを」と言われそうですが,やはり大好きなフルトベングラーのエロイカでも,最終章は若干のキレの悪さを感じてしまいます(何と無謀な発言でしょうか!!)。そんな私の耳に聞こえるセルのエロイカは,「参りました」の一言です。「緻密」「奔放」は相反する概念ですが,緻密に構築された奔放さ・豪快さをこの演奏からは感じ取れる気がします。
2010-10-15:onchan
- 以前はよく聴いていましたが、音質の良い7番を聞いてからはすっかり疎遠になっています。
余りにも音質が薄すぎて・・・。それと3楽章のホルンの重奏をほめている意見も結構拝見しますが、あれはどう聞いてもダレて音程が上がらない状態でしょう。結構ホルン(マイロン・ブルーム?)の音程は悪いと思いますよ。
2010-10-16:Joshua
- Myron Broomが1番を吹く、この演奏。
第3楽章トリオは、剃刀のようなシャープさで、楽譜を忠実に再現しています。
スコアを知る方なら、たいていの演奏(特にウィーンフィル)は、ハイEsを落とさない
ように、C-D-Esと上がっていく間にある、短い休止符を無視してしまっています。
というよりも、あの休止符を守るようにホルンを吹くと、セルクリのような音になるのです。
3人とも最高の緊張度で吹いているのがわかります。之に匹敵するこのコンビの演奏では、新世界第4楽章ハイEソロあとのトゥッティ前、連作交響詩モルダウのメロディ=C-C-CCC-C-G-E-G....の三重奏、チャイコの5番第4楽章、1番ソロ(d-es-fis-H-Hの音形)がすぐ思い出されます。ベイヌムがいた頃のコンセルトヘボウの1番奏者、ウーデンベルクも同じようなことがいえます。このサイト、同じくセル指揮でDvorakの8番でウーデンベルクの音が如実に聴けますよ。3メートル強の真鋳の管を、作曲者の書いたように鳴らすのは、本当に大変だと思いますよ。
2010-10-18:Joshua
- 昨日のエロイカのコメントでホルン奏者ブルームのつづりが間違ってましたので、訂正いたします。
Broom だと、「箒」になってしまいますしね。正しくは、Bloomです。
「花、開花期、最盛期」の意味ですね。
Myron Bloomについては、邦訳紹介では
http://www.ne.jp/asahi/szell/cleveland/bloom.htm
英語の紹介では、年配となった写真入で
http://www.music.indiana.edu/department/horn/BloomBio.shtml
がおもしろいですので、ご紹介します。
演奏紹介には以下のようなものがあります。
ブラームス/ホルン三重奏曲変ホ長調
1960年6月22?24日
http://www.geocities.jp/nahorn1950/page348.html
ベートーヴェン/ホルン・ソナタ ヘ長調Op17
1977年10月29日
http://www.geocities.jp/nahorn1950/page349.html
R・シュトラウス/管弦楽作品集
CD
1.家庭交響曲Op53
2.ホルン協奏曲第1番変ホ長調Op11
1961年10月27日(2)
http://www.geocities.jp/nahorn1950/page195.html#lcn001
家庭交響曲では、最高音の3度上のハイA(シューマンのコンツェルトシュテックも
これが最高音)を、あっけらかんと吹ききっています。
2010-12-11:たつほこ
- 大好きです。
英雄交響曲は、クラシック音楽のレコードを買い始めた頃に、フルトヴェングラー指揮、ウィーンフィルの疑似ステレオを最初に買いました。
お下がりの 当時既に古めかしいステレオで聴いていました。
その後、ベートーヴェンの没後150年のレコ芸の付録だったかに、ワルターも良いぞ、と書かれていて、コロンビア響とのレコードも買いました。
それが、同じ曲を違う指揮者で聴いた最初だったとおもいます。
そのようにレコ芸に育てられた田舎の中学生は、セルを聴くことはありませんでした。
最近はCDでは18世紀オーケストラやブロムシュテットで聴いていました。
(年末は文化会館の連続演奏会で興奮し、今年5月には、プレートル指揮、ドレースデンで聴きました。そう思うと、この一年は英雄交響曲に恵まれた一年でした。)
このFLAC、聴いてびっくり。
いい音ですね。iTuneでは聴けないので、VLCで聴きましたが、それ以来、他の曲もiTuneでは聴けなくなりました(Macなので、選択できるプレイヤーはあまりないようです)。
美しくて生き生きとした英雄交響曲。
大好きです。
この後、グレートや4番のコンチェルトもセルで聴いています。
興奮冷めやらぬ、にわかファン状態です。
2011-04-09:クライバーファン
- 昔読んだ吉田秀和の世界の指揮者という本の中で、トスカニーニの1953年のエロイカを批評するところで、自分が実演で聞いた演奏ではセルの演奏が最高、なぜならフレーズがトスカニーニのようにぶつ切りにならず、なめらかにつながるからだというようなことが書いてあったと記憶します。
FLACの方を聞いてみました。全体の造形はトスカニーニに近いですが、確かに音を叩き付けて、ブツブツ切るような感じではありません。弦の音も思いのほか柔らかい感じです。カラヤンなんか聞いていると柔らかすぎに聞えますが、セルの音の柔らかさはカラヤンとトスカニーニの中間ぐらいでしょうか。アクセントがトスカニーニほど強烈ではなく、ネットリと耳にまとわりつく感じですね。第1楽章の展開部が特にそうで、何度来ても耳が釘付けになる絶妙なネットリ感です。指揮者はこの音を得るために何度もリハーサルしたのでしょう。第1楽章では、独特のリズム感と完璧に統制された個々の楽音に耳が行きましたが、全体的に圧倒的な高揚感のようなものが足りない感じです。指揮者が十分に抑制するほうに重きを置いているからでしょうか。
高揚感という意味では、第2楽章のほうが高揚しており、耳に迫ってきます。ただトランペットをはじめとする金管楽器の音色は弦に比して最上とは言えないのではないでしょうか。これは私が個人的に突出したトランペットの音が嫌いなだけかもしれません。
全体的には、古い録音のため、オーケストラの音色が褪せており、実際の音が持っていたであろう音の鮮やかさは残念ながらある程度消えてしまっているようです。それでも弦楽器の音はさすがに良く、独特のリズム感、程よく柔らかい音は十分に伝わってきます。
個人的には、トスカニーニが演奏した1949年のセッション録音が、この路線の演奏の中では一番好きですが、この演奏も名演だと思います。
2012-10-06:エロイカ大好き
- エロイカが大好きです。ベートーヴェンの交響曲で初めて聴いた曲でした。ヤーノシュ・フェレンチク指揮ハンガリー国立管弦楽団が来日した公演をNHKデレビで見ました。セルも来日のプログラムで演奏したそうですね。1970年大阪万博の年らしいです。吉田秀和氏が絶賛していました。本盤でもアーティキュレーション、フレージングが完璧で一糸乱れぬアンサンブルはさすがです。セルの指揮はとてもていねいで分かりやすかったらしいですね。やっぱりエロイカはいいなあとこの演奏を聴くと思います。プロ中のプロの演奏です。こういう演奏に一種のかたぐるしさを感じる方もおられると思いますが、エロイカってこんなにすばらしい曲であると模範を見せてくれるような演奏です。実直なだけでなくロマンも十分に感じます。私の大好きなセル、クリーブランドです。
2012-10-12:エリ
- 以前フルトヴェングラーの演奏を聴いて感動しましたが、セルは対照的と言っていいほど違っていて驚きました。セルは「冷たい」と言う人がいますが決してそうは思いません。この「英雄」もほどよい情熱がありますし、自然な推進力もあると思います。それにしてもみごとに原曲のよさ、新鮮さを表現していて、いつも、始めてこの曲に接したような初々しい気持ちにさせられます。レコード音楽はだれでも繰り返し聴くことになるのですが、変なパフォーマンスをしていないので聴くたびにまた感動するように思います。知性と感性のバランスもよく、飽きるところもありません。何かあってもOKの一発勝負のライヴ型とは対照的で好きです。クリーヴランドの合奏もすばらしい。
2012-12-06:マオ
- 「英雄」はやはり古今の音楽中、最高級の音楽だと思います。自己に正直で、自信に満ち溢れ、作曲技巧も充実し、しかも大胆です。古い殻から飛び出そうとする意欲も伝わってきます。特に独特のアクセントが全曲にわたって生きていると思います。セルとクリーヴランドの演奏も以上と全く同じことが言えるのではないでしょうか。つまり曲と演奏が完全に一致した超名演だと思います。フルトヴェングラーなどと比べると即物的な演奏かもしれませんが、決して「こじんまり」とはしていません。再生装置では音量を自由に調整できますが、実演のクリーヴランド管弦楽団はものすごいボリュームだったそうです。しかもあのすごい室内楽的なアンサンブルで…。想像しただけで鳥肌が立ちます。このディスクでもその演奏を満喫できます。セルとクリーヴランドを代表する名演奏と言えると思います。
2013-01-06:Duke
- 最初の10秒間で取り込まれました。
今日の掃除のBGMで捗りそうです。
指揮者は解釈をすることで,もう一度作曲しているのですね。名曲の紹介をこれからもお願いします。
至福の午後掃除の途中にて
2013-07-17:弥彦山
- 「英雄」は9曲の交響曲で一番好きです。演奏も星の数ほどあり、私はそのほんの一部を聴きましたが、セルは5本の指に入る名演だと思います。やや硬いかなあと感じるときもありますが、適度な情緒もあり、何より前向きな姿勢というか情熱が内にあり、すばらしいと思いました。
2014-03-26:nakamoto
- 吉田秀和がベートーヴェン交響曲全集のイチオシとして、セル・クリーヴランドを挙げていました。ベートーヴェンの交響曲自体、私は回数をあまり聴きません。大切な存在故です。年にせいぜい1回か2回づつぐらいです。だから、セルについてもそんなに何回も聴いていないのですが。正直な感想を言いますと。フルトヴェングラーは、深い深い楽園へ連れて行ってくれます。ベームは天上の世界へ連れて行ってくれます。セルは、生身の生きているベートーヴェンに合わせてくれます。ベートーヴェンの偉大で完璧な力動感と構成力とを、私に示してくれます。このエロイカなんかは、曲の素晴らしさに巻き込まれて、次々と素晴らしい楽想が、私に体当りしてきてくれます。もし誰かクラシック音楽をあまり知らない人に、ベートーヴェンとは?と聞かれたら、セルとクリーヴランドの交響曲全集を聴きなさい!と言うでしょう。これほどベートヴェン自体の素晴らしさを、伝えてくれる録音は無いと思っています。
2013-10-02:フランツ
- セルのベートーヴェンはいいですね。音楽に真正面から向き合って、真摯に曲本来の姿を再現してくれます。真面目なだけでなく深い情緒もあふれていることも聞き逃してはならないと思います。クリーヴランドの技術・音楽性もすばらしいです。この「エロイカ」も超名演ですが、究極の名演は「第九」のように思います。身の引き締まるような音楽に惹かれます。これからもセルのベートーヴェンをアップしてほしいです。
2016-01-24:ヨシ様
- セルの英雄。最高の名演ですね。ただ、ユング君も書かれているように録音が良くないです。
余談ですが、セルの日本公演の最後の曲目が英雄だったと思います。
その音源が残っていないのでしょうか?
もし残っているのなら、是非聴いてみたいですね。
<管理人の追記>
この日の様子はNHKが放送したので、録音テープはNHKの倉庫に必ず眠っているはずです。これはセルを愛するものにとっては有名な話です。
ですから、NHKがそれを最後まで公開しない(できない)のならば、死んでから幽霊になってでも忍び込んで聞いてみたいというセルフリークもいました。
2018-10-29:ナルサス
- たった一つ、この素晴らしい演奏に疑問があります。
それは、何故第一楽章提示部の繰り返しを行わなかったのかということです。
今月、ヘルベルト・ブロムシュテットの自伝の和訳が発売され、さっそく入手して読了しました。ドイツの女性音楽評論家がブロムシュテットの訪れた先々で行ったインタビューをもとに構成されており、彼の生い立ちから修業時代、シュターツカペレ・ドレスデン時代の東西二重生活の模様やゲヴァントハウス管を復活させるための尽力、そして今なおより良い楽曲解釈を探求してやまぬ姿を書き表した非常に高質な内容でした。
ブロムシュテットもまた「エロイカ」を十八番とする指揮者です。本の最終章でベートーヴェンの(速すぎるとされてきた)メトロノーム指示は ―盲目的に従ってはいけないものの― 正しいと主張している場面があり、その具体例として「エロイカ」第一楽章のテンポ設定を挙げています。
(以下引用)
まちがったテンポでの演奏は興味深い結果を引き起こします。たとえば、《英雄》の第一楽章はもともと提示部の反復を要求しています。しかし、反復はほとんどされることがありません。なぜでしょうか。もしその楽章をゆっくりと演奏しすぎた場合、二度とは聴いていられないからです。もしその楽章をメトロノーム表示の要求どおり、「コン・ブリオ(快活に)」で演奏した場合は、反復が素晴らしい効果をあげます。
(引用ここまで)
作曲家が反復指示をしている曲であれば、その反復指示が合理的であるような演奏であるべきという考え方には非常に説得力を感じます。
セルがこの演奏で、もし第一楽章提示部の繰り返しを行っていれば、これほどまでに繰り返しが効果を発揮した演奏はちょっと想像し辛いです。まことに惜しまれてなりません。
フルトヴェングラー、クナはもちろん、ワルターも、そしてトスカニーニですら第一楽章の繰り返しは省略しています。それどころか件のブロムシュテットですらシュターツカペレ・ドレスデンとのベートーヴェン交響曲全集では繰り返しを行っていません。
「エロイカの第一楽章は繰り返しを省略して演奏する」というのが「伝統」と化していてセルほどの巨匠ですらその伝統には無批判だったのでしょうか。
先述の本でブロムシュテットの発現が突き刺さります。
「伝統にはめったに真実はないのです。」
それでも、「間違い」だらけのフルトヴェングラーの演奏にも聞く側は心惹きつけられてやまないのですから、演奏という再現芸術はある種のいかがわしさと無限の魅力が同居した不思議な世界なのでしょう。
2019-07-23:原 響平
- このセルの英雄は後世に語り継がれる永遠の名盤。当時のクリーブランド管の演奏はセルの描くベートーベン像を忠実に再現した。これはセルの特徴ともいうべき徹底的にミスを許さないというオーケストラの練習の賜物。だからこそ、この演奏は少編成のオーケストラで演奏をしているかのような錯覚に陥る。スピーカーから聴こえる音楽は各楽器の音色・響きがピッタリと息が合っている。まるで弦楽四重奏の演奏の様に。弦も上手いし金管も上手い。特にセルの吹かせるホルンは絶品だ。尚、セルはこの流れでベートーベンの交響曲No7も録音しているがこれも名演。さて当方の願いは1970年の大阪万博の来日公演の演奏が録音で残されていないかな?との想いが募る。来日公演のシベリウスの交響曲No2はCD化されており当時の聴衆の感動を隈なく再現している。吉田秀和氏の「あのエロイカを聴いていた時間、あんな時間を、もう一度、どこかで持てるだろうか?」の言葉。是非、聴きたい。
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