クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調,K271「ジュノーム」

(P)クララ・ハスキル:パウル・ザッハー指揮 ウィーン交響楽団 1954年10月録音





Mozart:ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271 「ジュノム」 「第1楽章」

Mozart:ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271 「ジュノム」 「第2楽章」

Mozart:ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271 「ジュノム」 「第3楽章」


突然の芸術的成熟

21歳をむかえたモーツァルトは今までのピアノコンチェルトは全く相貌を異にした成熟した作品を生み出します。それが、今日「ジュノーム」という愛称で親しまれているK271のコンチェルトです。
この飛躍をもたらしたのは、この作品の愛称のもとになっているフランスの若き女性ピアニストであったジュノームとの出会いだと言われてきました。彼女は、この作品が生み出される前年にザルツブルグを訪れて何度か演奏会を行い、その演奏が若きモーツァルトに芸術的インスピレーションを与えてこの作品に結実した・・・と言うのです。

しかし、肝心のこのジュノームという人については、残念ながら詳しいことが分かっていませんでした。
現在のモーツァルト研究の大家たるザスローも次のように述べています。

彼女は偉大なピアニストだったのだろうか?
若くて美くしかったのだろうか?
彼女については何も分かっていない。

結構筆まめでたくさんの手紙を残しているモーツァルトですが、このジュノームに関してはほとんど詳しいことはふれられていません。彼がふれているのは、ミュンヘンでの演奏会でこの作品を演奏したことを父親に告げる手紙で「ジュノミ用」と書いていることと、パリでの滞在時で彼女と再び会ったことをほのめかしていることだけです。そして、重要なことは彼は一度も「ジュノム嬢 Mademoiselle Jeunehomme」とは表現していないことです。

さらに言えば、この作品に「ジュノーム」という愛称をつけたのは第3版のケッヘル番号の改訂を行ったアインシュタインであり、第2版までのケッヘル番号まではその様な愛称がなかったことも知られています。そして、全く自明のことであるかのように「ジュノーム協奏曲」という愛称をつけたアインシュタインなのですが、いったい何を根拠にしてその様なネーミングをしたのかは彼自身全くふれていません。
つまりは、突然のようにアインシュタインによってこのK271の協奏曲は「ジュノーム協奏曲」という名前をつけられたのですが、モーツァルト研究の権威というか、神様のような存在であるアインシュタインが「ジュノーム協奏曲」と名付けたのならば、いったい誰がその事に異を唱えることが出来るでしょうか。結果として、それ以後のケッヘル番号の編集作業ではこのネーミングは疑問の余地のないものとして受け継がれ、今日ではすっかり「ジュノーム協奏曲」という愛称は定着してしまいました。

しかし、それでは、かんじんのジュノームとは何ものなのか?
それが全く持って分からなかったわけです。
ところが、この謎についに終止符がうたれるときがきました。
その第一報はニューヨーク・タイムスの記事で
「A Mozart mystery has been solved at last.」
と報じられました。

この根拠となったのはローレンツという研究者がウィーンの古文書館を調査して発見した事実でした。ただし、この記事はあまり詳しいものでなく、その後ローレンツ自身の発表によって詳細が明らかにされるのですが、その発表までにローレンツのもとには詳細を尋ねるメールが山のように舞い込んだそうです。

彼が古文書館での調査で明らかにした事実は以下の通りです。
まずは、長年「ジュノーム嬢」とされてきた女性は「パリの有名な舞踏家でモーツァルトの親友の一人だったジャン・ジョルジュ・ノヴェールの娘の ヴィクトワール・ジュナミー Victoire Jenamy であった」ということです。そして、ヴィクトワールがなかなかの技量を持ったピアニストだったことも、当時の演奏会評などから明らかになりました。美しかったかどうかは分かりませんが、なかなかのピアニストだったことだけは確かだったようです。
このノヴェールとはその後深いつきあいになり、パリ旅行の時は彼の力を借りてフランス風の大規模オペラの注文をとろうとしています。そして、彼のために「レ・プチ・リアンのためのバレエ音楽」も書いています。
ただし、この作曲に対しては謝礼が支払われることはなかったようで、父親宛の手紙の中で「あらかじめ謝礼がどのぐらい支払われるのか分からないときは、絶対に何も書かないつもりです。今回のは、まったくもってノヴェールへの友情の結果にほかなりません。」などと書いています。

最後に蛇足になりますが、最終楽章にフランス風の宮廷舞踏の音楽が挿入されるのは、ジュノム嬢の祖国フランスをほのめかすウィットだと言われてきましたが、どうやらモーツァルトがそこでほのめかしたのはジュナミ嬢の父親だったようです。

心の伴侶


若い時代を闘病で費やしたと言うこともあるでしょう。さらに、他人を押しのけてまでも自分が前に出ようということが全くない人でしたから、若い頃の彼女の演奏会は気心の知れた仲間内でのサロンという風情のものが大部分でした。
そんな彼女に転機が訪れたのは50年代以降でした。カザルスやチャップリンとの交友などを通してようやくにして彼女の演奏が世間に知られるようになります。そう言う意味では彼女のキャリアはほとんど50歳をこえてからのもでした。
しかし、世間に知られるようになったとは言っても、とにかく控えめではにかみやの女性だったので、スターにのし上がっていくというような活動とはほど遠いものでした。

ジュリーニがこの頃のハスキルを知るのに相応しいエピソードを語っています。
ジュリーニはショパンのコンチェルトをハスキルと演奏するために招かれました。場所はロンドンのロイヤル・フェスティヴァルホールです。
リハーサルには時間があったのですが、早めにその会場を訪れてみると小柄な女性が一心にピアノに向かって練習をしています。その小柄な女性がハスキルでした。
ジュリーニに気づいたハスキルは立ち上がると彼に向かって「自分がまず全曲を弾くので、後で意見を言って下さい」と言って静かに全曲をピアニシモで演奏をはじめました。
それは、あらゆる手管を駆使して大見得を切るような演奏とは極限までに隔たった演奏でありながら、その表現する内容と深みにおいて今までのあらゆる音楽体験を凌駕するものでした。ジュリーニはそれを奇跡の体験と呼び、「自分自身の音楽体験の中の最高の出来事」だったと語っています。

コンサートホールに詰めかけた聴衆を興奮の渦に巻き込むような名人芸とは全く縁のない人でした。
淡々と、そう、いつも淡々と、それこそ全く何もしていないように見えるほどに淡々と演奏しているのに、聞き進んでいくうちにじんわりと涙がこぼれてくるような演奏をする人でした。
ホロヴィッツのようなピアニストの凄さは誰にでもすぐに分かります。もちろん、それはそれでとても凄いことなのですが、ハスキルのようなピアニストの素晴らしさも分かると、音楽を受け入れる幅がぐんと広がります。

ハスキルってみんなが騒ぐほど凄いピアニストなの?って言う人がいます。とても、正直な言葉だと思います。
多くの人がふれようともしない演奏家を探し出してきて「これは凄い!」と褒めることは意外と易しいことですが、みんなが凄いと褒めている演奏家を「これはつまらない」とダメ出しをするのはとても難しいことですし、勇気のいることです。
そして、その様な自分の感性を大切にすることはとても重要なことだと思います。
しかし、世間のみんながそれなりに評価しているという「現実」はある程度は重く受け止めるべき事でもあります。もしも、ハスキルってどこが凄いの?と思われる方は、今は無理して聞かなくても心の片隅に「ハスキル」という名前をとどめておいて、時を経て機会があればまたお聞きいただければうれしいです。もしかしたら、人生のどこかで彼女はあなたにとってかけがえないの心の伴侶となるかもしれません。


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