サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番 イ短調, Op.33(Saint-Saens:Cello Concerto No.1 in A Minor, Op.33)
(Cello)ガスパール・カサド:イオネル・ペルレア指揮 バンベルク交響楽団 1960年5月録音(Gaspar Cassado:(Con)Ionel Perlea Bamberg Symphony Orchestra Recorded on May, 1960)
Saint-Saens:Cello Concerto No.1 in A Minor, Op.33
チェロ協奏曲へのサン=サーンスの貢献

チェロという楽器を独奏楽器に据えた協奏曲というのは、ピアノは言うまでもなく、同じ弦楽器の仲間であるヴァイオリンと較べても圧倒的に数は少ないです。そして、ただ単に少ないだけでなく、その出来映えの方も今ひとつパッとしないというのが通り相場です。
そんな中で異彩を放っているのがドヴォルザークのチェロ協奏曲です。その作品に接したブラームスが「人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに」と嘆いたというのは有名な話です。
そう言うチェロ協奏曲の世界において、サン=サーンスもまた2つの作品で貢献しています。
- チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33(1872年)
- チェロ協奏曲第2番 ニ短調 作品119(1902年)
何故、ドヴォルザークについてふれたかと言えば、この30年を隔てて書かれた2つの協奏曲の間に、ドヴォルザークの作品が位置するからです。
ブラームス風に言えば、第1番の協奏曲は未だ人の手で優れたチェロ協奏曲が書けるとは誰もが気づいていなかった時代の作品であり、第2番は気づいてしまった後の時代の作品だと言うことになるのです。
そう思ってこの2つの作品に接してみると、第1番は明らかにシューマン風です。
それは、3つの楽章が切れ目無しに演奏されるというスタイルだけの話ではなくて、20分程度という作品の規模も、「急ー緩ー急」という伝統的なスタイルなどにおいてもよく似ているのです。
ただし、サン=サーンスというのは基本的に旋律の人ですから(そんな事勝手に言い切っていいのか^^;)、シューマンの協奏曲と較べれば音楽ははるかに流麗になっています。とは言え、その他のサン=サーンス作品と較べてみれば、その流麗さにもどこか堅さが感じられる部分があって、そこにチェロを独奏楽器に起用する難しさがあるのかな、等と思わされたりします。
それに対して、第2番はドヴォルザーク以後の作品です。
チェロという楽器を独奏楽器として、あそこまで伸びやかに、そして時には豪快に歌わせることが出来るということを証明されてしまっては、それと同じ路線でその上を行くことは難しいと感じたのでしょうか。第2番では、旋律の人であるサン=サーンスがその路線をきっぱりと捨て去っていることに気づかされます。
このあたりが「芸術」における「独創性」という魔物の怖さでしょうか。
気楽な聞き手にしてみれば、ドヴォルザークがあそこまでチェロを歌わせたのですから、旋律の人サン=サーンスもそれと同じように思う存分チェロを歌わせる作品を書いてくれればよかったのにと思うのですが、それはプライドが許さなかったのでしょう。
結果として生み出された第2番の協奏曲はかなりひねくれた音楽になっています。
作曲家自身も「難しすぎるため第1番ほど広まることはないだろう」と述べたという話が伝わっています。
しかし、現在のチェリスト達にとっては何の問題もないレベルですし、ひねくれ指向の作品も受け入れられやすい土壌は出来上がっていますから、今後は少しずつ評価が進むかもしれません。
カサドが見せる二つの顔
振り返ってみれば、カサドが活動した時代はチェリスト多産の時代でした。
まずは大御所のカザルスは存命で、指揮活動との両輪で未だに現役でした。
さらに、豪快なシュタルケル、美音系の貴公子フルニエなども全盛期でした。それ以外に、思いつくだけでも、トルトゥリエ、ナヴァラ、ピアティゴルスキー、ジャンドロン、マイナルディ、さらにヤニグロも指揮活動に重点をおくのはこれよりも先の時代でした。
そして、若きロストロポーヴィチにデュ・プレなどが登場してくるのもこの時代でした。
これ以上名前を挙げていくのも煩わしいので避けますが、カサドはその誰とも似通っていないように思った時期がありました。
とりわけ、バッハの無伴奏の録音を聞いたときはそのことを強く感じて、その感想を宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」になぞらえて「セロの音がごうごうひびく」と書いたものでした。しかし、その後彼の録音を聞いていくうちにあのバッハは師であるカザルスを強く意識した特別なものであったことに気づかされました。ですから、あのバッハに関してはカザルスのような「像のダンス」のようにはならないものの、それでもどこか無骨なところがあって、それが野武士のような雰囲気を感じさせたのでした。
やはり弟子は師から多くのことを学びながらも、いつかはそこから離れていかなければなりません。例えば、協奏曲の分野ではカサドは次第にチェロこそが王様というスタイルではなくて、オーケストラとのバランスを取りながら客観性の高い造形に傾くようになっていったように思えます。そのことは、ハイドンとボッケリーニの協奏曲において、アンドレ・ナヴァラとの比較で強く感じたものです。
それは、おそらくは多くのチェリストたちと伍していくためには、即物主義的な客観性の高い音楽を求める時代の流れを無視することはできなかったのでしょう。とりわけ戦後の録音ではその傾向が強いようです。
ハイドンやボッケリーニだけなく、ラロやサン=サーンス、シューマンの協奏曲などはその典型的な例でしょう。
しかし、離れようとしながらも、どこかでついカザルスを思わせるような演奏スタイルが顔を出します。とりわけ、チェロが主体の音楽であればそれは顕著で、その最たるものがバッハの無伴奏だったのです。
話はいささか横道にそれますが、カサドの妻は大変な資産家であり、フィレンツェにあるお城で暮らしていました。カサドもまたそういう妻の影響で貴族的な生活をしていたためか、彼は政治的には極めて無頓着であり、戦時中にはドイツやオーストリアでも演奏活動を行い、さらにはスペインでも演奏活動を継続してしまいました。
いうまでもなく、彼のそのような振る舞いはカザルスを激怒させました。
もちろん、彼はカザルスを深く尊敬していましたからカザルスの意に背くような意図があったわけではなく、ただただ無頓着だったのです。そう、驚くほどに政治的には無頓着な人だったのです。
年老いたカザルスの怒りはなかなか解けることはなく、二人の絶縁状態は戦後も長く続きました。そして、1955年にメニューヒンの仲介によって二人のわだかまりは氷解したのでした。そして、その直後に長い介護の果てに妻がこの世を去りました。
おそらく、カサドの戦後の音楽活動が本当の意味で再開したのはその時だったのでしょう。
偉大な師を持つというのは基本的には幸せなことなのでしょうが、それは同時にその語の葛藤を運命づけられることになるとも言えます。
そして、そんなことを考えているとふと、澤田瞳子の「星落ちて、なお」を思い出しました。直木賞を受賞した作品なのですが、読んでいない人には何のことやら全く分からないでしょうが、説明し始めると長くなりすぎます。しかし、わかる人にはわかってもらえると思います。
そういえば、彼女の母親である澤田ふじ子もまた時代小説を専門とする作家でした。師と弟子の関係というのは難しいもののようです。
しかし、ここでのカサドの演奏を聞くと、彼こそは紛うことなくカザルスの衣鉢を継ぐべきチェリストだったと思わざるを得ません。
これほども豪快で骨太なチェロは、カザルスとカサドという系譜以外でなかなか聞くことのできないものです。
そして、1958年には原と再婚し「デュオ・カサド」として再び活発な演奏活動が再開できたのは幸運でした。
カサドが第2回チャイコフスキー国際コンクールの審査員を務めるためにソ連におもむいたときにもソ連各地で「デュオ・カサド」の演奏会を行い、その合間に行われたのがこのこの「カサド・アンコール・アルバム」の録音でした。
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