チャイコフスキー:交響曲第2番 ハ短調 作品17 「小ロシア」(Tchaikovsky:Symphony No.2 in C minor Op.17 "Little Russian")
ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1946年3月10日~11日録音(Dimitris Mitropoulos:Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on March 10-11, 1946)
Tchaikovsky:Symphony No.2 in C minor Op.17 "Little Russian" [1.Andante sostenuto-Allegro vivo]
Tchaikovsky:Symphony No.2 in C minor Op.17 "Little Russian" [2.Andantino marziale quasi Moderato]
Tchaikovsky:Symphony No.2 in C minor Op.17 "Little Russian" [3.Scherzo. Allegro molto vivace]
Tchaikovsky:Symphony No.2 in C minor Op.17 "Little Russian" [4.Finale. Moderato assai - Allegro vivo]
交響曲を書くという「使命」
チャイコフスキーは交響曲を書くことを求められれていました。
何故ならば、遅れたロシアが音楽の分野でもヨーロッパに追いつくためには、クラシック音楽の王道である交響曲の分野において、ヨーロッパの音楽家が書いた交響曲に劣らないような「交響曲」をロシアの音楽家が書くことが求められていたからです。
もちろん、チャイコフスキーに先んじて交響曲を書いたロシアの音楽家は存在しました。たとえば、チャイコフスキーの師であったアントン・ルビンシテインは既に3曲の交響曲を書き上げていました。
しかし、それらの交響曲は既存のスタイルをなぞっただけの亜流の音楽の域を出ることはなく(聞いたことがないので無責任な受け売りです^^;)、未だ助走にしか過ぎませんでした。
ですから、ルビンシテインが初代の院長となって創設されたペルブルグ音楽院の目的は遅れたロシアが音楽の面でもヨーロッパの水準にまで引き上げることでした。
そして、その音楽院の第1期生として最優秀の成績で卒業したのがチャイコフスキーだったのです。
ロシアの音楽界は、この若き天才にロシアが超えなければいけない課題を託したのです。
ですから、彼は1865年に音楽院を卒業すると、すぐに交響曲の作曲に取りかかります。そして、その翌年の1866年に第1番の交響曲「冬の日の幻想」を完成させます。
おそらく、今でもコンサートで取り上げられる事がある「ロシア初の交響曲」としてはこれが間違いなく第1番です。
しかし、この交響曲を示された師のルビンシテインは全く気に入らなかったようです。理由は単純です。ヨーロッパの交響曲が持っている強固な形式感が希薄だと感じたのです。
確かに第1番の交響曲は、明らかに交響詩的な性格を色濃く持っています。
そこにあるのは主題を構成する動機をもとに音楽を論理的にくみ上げていくのではなく、彼が愛したロシアの大地のイメージを次々と提示していくような音楽だったからです。
いや、提示していくのではなくて、まるで聞き手がロシアの大地を逍遙していくかのような雰囲気の音楽なのです。
ルビンシテインにしてみれば、オレが期待したのはこんな音楽じゃない!と言いたかったのでしょうね。
しかし、そんな師の不興にかかわらず、これを評価して初演を実現してくれた人がいました。
それが、1866年に開校されたモスクワ音楽院の初代院長、ニコライ・ルビンシテインでした。
アントン・ルビンシテインの弟であり、偉大なピアニストとして名を残した人です。(ただし、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏不可としてはねつけたことでも有名です)
至る所にロシアの民謡の旋律が使われていて、さらに最終楽章では革命的な学生運動の中で歌われた「花が咲いた」のメロディが使われています。
そういうあたりも師の不興を買った原因のようです。
そして、それに続けて書かれたのが交響曲第2番でした。
この作品は1872年7月に着手し10月には完成し、さらに翌年の1月には初演がされています。
第1楽章と終楽章でウクライナなの民謡が用いられているので「ウクライナ」もしくは「小ロシア」と呼ばれるようになった作品ですが、それはチャイコフスキー自身が与えた標題ではありません。
ただし、この作品も後に大幅に手を加えられ、1879年の第2稿が決定版となっています。
1879年と言えばすでに彼の個性がはっきりと刻印されるようになった第4番の交響曲が書き上げられた翌年です。
そして、その改訂は部分的な手直しというよりは「改作」に近いものだったので、番号は2番と若くても内容的にはかなり充実したものになっています。
チャイコフスキーの初期シンフォニー3曲の中ではもっとも演奏機会の多い作品だと言えます。
どう見ても相性の悪そうな組み合わせですが
ミトロプーロスとチャイコフスキーという組み合わせはどう見ても相性が悪そうな気がします。しかし、調べてみると結構たくさんの録音を残しています。交響曲で言えば以下の4曲です。
チャイコフスキー:交響曲第2番 ハ短調 作品17 「小ロシア」
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調, Op.36
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調, Op.64
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調, Op.74「悲愴」
これ以外では組曲の第1番なども録音していますし、ラフマニノフなどもそれなりに録音していますから、彼が生まれ育った風土などいうものはミトロプーロスにとってはそれほど問題ではなかったようです。
でも、生まれ育ったギリシャの光り輝く陽光に満ちあふれた世界と、暗鬱な雪雲におおわれたロシアの地ではあまりにもかけ離れていますから、そう言うスラブの風土を色濃く反映した作品をどの様に受け止めていたのかは興味があります。
まず面白いのはこの4曲の中ででは一番最後に録音した第6番「悲愴」です。
おそらく、多くの人はこれを聞けば「何じゃこりゃ?」と思うはずです。最初の2楽章は早めのテンポで実にあっさりと音楽は流れていって、そこにはチャイコフスキーが「私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」と言うほどの悲しみは欠片も見いだせません。そして、何故か第3楽章の「Allegro molto vivace」だけがやけに元気がよいのです。そして最終楽章ではそれなりの表情づけをしようという意図は感じるのですが、その他の一般的な悲愴の演奏と較べればこれもまたかなりあっさりとした感じです。
結果として、第3楽章の振り切れたような勢いと元気よさだけが印象に残るというおかしな事になっているように思えるのです。
それと比べると、これよりも少し前の1954年に録音した第5番の方はかなりチャイコフスキー的です。とりわけ第1楽章ではかなり細かく表情づけがされていて、続く第2楽章の「Andante cantabile」では間違いなくある種の深い感情に満たされていることは否定できません。ただし、それはいわゆる「スラブの憂愁」の土臭さよりはもっと洗練されて純化された感情です、
もちろん、悪くはありません。
そして、それ以後の2つの楽章は真っ直ぐに突き進んでいくのですが、これまたいつも思うことなのですが、この交響曲の最終楽章は真面目にきちんと演奏すればするほどその構成の弱さが浮き上がってくるのです。おそらく、これをベートーベンの交響曲に肩を並べる音楽だとの強い確信を持ったムラヴィンスキー以外の手ではこの楽章を納得させるのは難しいのかもしれません。
そして、最初から最後までまるでベートーベンの交響曲に対峙するかのように真っ当に演奏したのが、この中では一番早い時期に録音した第4番でしょう。1940年の録音と言うことで録音のクオリティには不安は残るのですが聞いてみればそれも大丈夫で、この作品が持つ堂々とした佇まいが見事に再現されています。
しかし、このアプローチならばロシア的なもへの共感は必要がありません。
この作品の使命は、ロシアが音楽の分野でもヨーロッパに追いつくために、ヨーロッパの音楽家が書いた交響曲に劣らないような「交響曲」をロシアの音楽家が書くことであり、その責務を真に果たし得たのがこの第4番だったからです。ですから、そこには民族的なものへの共感は必ずしも必要不可欠なものではなかったからです。
そして、1946年に録音した第2番「小ロシア」では、そのアプローチだけでは不足する弱さが残っているので、聞き手に対して飽きさせないようにそれなりの表情づけを行っています。こういう、細かい手練手管で聞き手を惹きつけるのはミトロプーロスの得意な技ですから、それが見事にツボにはまっている演奏だと言えます。
と言うことで、おそらくこれら一連のチャイコフスキー作品はミトロプーロス自身が強い共感を持って「どうしても録音したい」という思いで望んだものではないような気がします。
おそらくはレーベル側の要望だったのでしょう・・・か。
そして、ギリシャの陽光とスラブの憂愁はなかなか相容れるのは難しかったのかもしれませんが、そこはそれ、一流の指揮者ならではの腕でそれなりに料理をしています。
まあ、そう考えればおもしろくもあり、大したものだとも思わざるを得ません。
いやいや、やはり大したものです。
よせられたコメント
【最近の更新(10件)】
[2025-07-30]
エルガー:行進曲「威風堂々」第3番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 3 in C Minor])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-07-28]
バッハ:前奏曲とフーガ ハ長調 BWV.545(Bach:Prelude and Fugue in C major, BWV 545)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-07-26]
ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92(Beethoven:Symphony No.7 in A major ,Op.92)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Berlin Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-07-24]
コダーイ: ガランタ舞曲(Zoltan Kodaly:Dances of Galanta)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1962年12月9日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 9, 1962)
[2025-07-22]
エルガー:行進曲「威風堂々」第2番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 2 in A Minor])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-07-20]
ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調, Op.53「英雄」(管弦楽編曲)(Chopin:Polonaize in A flat major "Heroique", Op.53)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-07-18]
バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565(Bach:Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-07-16]
ワーグナー:ローエングリン第3幕への前奏曲(Wagner:Lohengrin Act3 Prelude)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月30日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 30, 1959)
[2025-07-15]
ワーグナー:「タンホイザー」序曲(Wagner:Tannhauser Overture)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1964年12月7日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 7, 1964)
[2025-07-11]
ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral")
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1960年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1960)