シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番 イ短調 D.845(Schubert:Piano Sonata in A minor, D.845)
(P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音(Wilhelm Kempff:Recorded on February, 1965)
Schubert:Piano Sonata No.16 in A minor, D.845 (Op.42) [1.Moderato]
Schubert:Piano Sonata No.16 in A minor, D.845 (Op.42) [2.Andante Poco Moto]
Schubert:Piano Sonata No.16 in A minor, D.845 (Op.42) [3.Scherzo: Allegro Vivace - Trio: Un Poco Piu Lento]
Schubert:Piano Sonata No.16 in A minor, D.845 (Op.42) [4.Rondo: Allegro Vivace]
そういうものが書きたかったから書いたのだ
1825年にシューベルトは3つのピアノソナタを書いています。ドイチェ番号でいうと「D.840:ハ長調」「D.845:イ短調」「D.850:ニ長調」です。しかし、ハ長調のソナタは第3・4楽章が未完成のまま放置されていて、そのアイデアをもとにイ短調のソナタが完成されていることは明らかなので、ある意味では「試作品」と見ることができます。(ただし、実用上の問題として、ハ長調のソナタは別の人物が補筆して完成させたものを使って独立した作品として演奏されることが一般的です)
これら一連のソナタは、ハ長調交響曲が完成された直後に創作されており、シューベルトがアマチュア的な作曲家からプロの作曲家へと大きく羽ばたきはじめた時期に一致しています。さらに、シューベルトにとって「ソナタ形式」はベートーベンを意識せずにはおれないジャンルでしたが、その桎梏からようやくにして解き放たれ、シューベルト独自の音楽語法を獲得しはじめた時期でもあります。
そして、ここでお聞きいただいているイ短調のソナタは、これら3つのソナタの中では作曲されてからわずか半年後には出版されるという幸運に巡り会っています。
シューベルトはここに至るまでに14曲以上ものソナタを書きながら、それらはいずれも出版の機会に恵まれなかったのですから、まさに画期的とも言える出来事でした。
しかしながら、そう言う幸運に恵まれた音楽ならば、さすがにこれだけは少しは愛想がいい音楽なのかと思えば、やはり、依然として取っつきは悪いですね。
そう言えば、この作品がある程度のポピュラリティが持てたのは、「のだめカンタービレ」でのだめがコンクールの課題曲にこれを選んだからです。そして、そこでものだめは「「シューベルトは、なかなか気難しい人です。がんばって話しかけても、なかなか仲良くなれません」と千秋にメールをしていました。
千秋は、もっと素直にシューベルトの言い分に耳を傾けろとアドバイスをするのですが、なかなかにそれを聞き取るのは難しい音楽であることは事実です。
第1楽章 Moderato イ短調 2/2拍子
この楽章を聞いているとミラ村上春樹のシューベルト評が思い出されます。「シューベルトはピアノ・ソナタを書くとき、頭の中にどのような場所も設定していなかったのだ。彼は単純に『そういうものが書きたかったから』書いたのだ。お金のためでもないし、名誉のためでもない。頭に浮かんでくる楽想を、彼はそのまま楽譜に写していっただけのことなのだ・・・。」
第2楽章 Andante con moto ハ長調 3/8拍子
シューベルトのピアノソナタの中では唯一の変奏曲形式で書かれた楽章・・・らしいです。そのせいか、シューベルトのピアノソナタの緩徐楽章を特徴づける歌謡性からは少し距離を置いた音楽になっています。
第3楽章 Allegro vivace-Trio:Un poco piu lento イ短調 3/4拍子
メヌエットではなくて、スケルツォ。ただし主題自体はあまりそう言う雰囲気はなくて、どちらかと言えばアクセントの付け方や強弱の付け方がスケルツォ的・・・らしいです。
第4楽章 Allegro vivace イ短調 2/4拍子
明快なロンド形式なのですが、それでもこの最終楽章でどうやってまとまりをつけたらいいんだ!!・・・と悩んでいるうちに、気が積めば500小節を超えちゃった・・・みたいな音楽、と言えば叱られるでしょうか。ただし、イ短調の中にホ長調やイ長調が姿を見せるあたりは、「シューベルトの音楽は片目で笑い片目で泣いている」と評される特徴がよくあらわれています。
悲しみと告白に寄りそう
ブレンデルはケンプのことを「エオリアン・ハープ」にたとえました。
「エオリアン・ハープ」とは自然に吹く風によって掻き鳴らされるハープのことで、神のはからいでそれが上手く鳴ったときは、誰もかなうものがないほどに見事に鳴り響くと言われています。
つまり、ケンプもまた、神のはからいで上手く鳴り響いたときは、それこそ誰もかなうものがないほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれるピアニストだと言うことなのです。
そして、そう言うケンプの素晴らしさが見事にあらわれているのが1960年代のシューベルトのピアノ・ソナタ全集でしょう。
その全集録音は1965年に始まって1970年に完了しています。
つまりは、残念なことにその全集の少なくない部分がパブリック・ドメインからこぼれ落ちてしまったと言うことです。法改訂によって1967年までにリリースされたものしかパブリック・ドメインにならないので、このサイトで紹介できるのは以下の録音だけです。
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D.894「幻想」 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音
シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番 イ短調 D.845 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音
シューベルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 D.840 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 D.664 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
しかし、欲を言えばきりがないのであって、5曲だけでもパブリック・ドメインとしてすくい上げることが出来たことを慶ぶべきでしょう。
言うまでもないことですが、ここには聞いてすぐに分かる華やかさはありません。ケンプはシューベルトのソナタについて常にこのように語っていたようです。
大部分のピアノソナタは、巨大なホールの光輝くライトの下で演奏されるべきものではない。これらのソナタは、とても傷つきやすい魂の告白だからです。もっと正確にいいますと、独白だからです。
静かに囁きかけるため、その音は、大きなホールでは伝わりません。
そうです、ケンプの演奏はシューベルトにかかわらず、常に静けさに満ちているのです。最近、聞いた60年代のモーツァルトやベートーベンの協奏曲であっても、そこには静けさと吹き渡る風のような自然さに満ちています。
ですから、ケンプの晩年の演奏に対してテクニックの衰えなどを指摘しても何の意味もないのです。
彼は常に作品と向き合って、真摯にその悲しみと告白に寄りそうことだけを大切にしています。ですから、聞き手は彼の紡ぎ出す響きの中にそれを聴き取る努力を求めます。それは何気ないテンポの揺らぎであり、意味深い休止符の提示であったりします。そして、それは決して聞く人の耳をすぐにとらえる華やかさとは無縁です。シューベルトは、そのピアニッシモに自分の心の奥底の秘密を託しているのです。
しかし、一度そのケンプの嘆きとシューベルトの嘆きが共鳴していることを聞き取る瞬間があれば、おそらくこの一連のソナタの演奏は人生の宝物となることでしょう。
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