クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23(Tchaikovsky:Concerto For Piano And Orchestra No.1 in Flat Minor, Op.23)

(P)ジョルジ・シフラ:アンドレ・ヴァンデルノート フィルハーモニア管弦楽団 1958年9月録音(Gyorgy Cziffra:(Con)Andre Vandernoot The Philharmonia Orchestra Recorded on September, 1958)





Tchaikovsky:Concerto for Piano and Orchestra No.1 in B-flat minor Op.23 [1.Andante non troppo e molto maestoso-Allegro con spirito]

Tchaikovsky:Concerto for Piano and Orchestra No.1 in B-flat minor Op.23 [2.Andantino semplice-Allegro vivace assai]

Tchaikovsky:Concerto for Piano and Orchestra No.1 in B-flat minor Op.23 [3.Allegro con fuoco]


ピアノ協奏曲の代名詞

ピアノ協奏曲の代名詞とも言える作品です。
おそらく、クラシック音楽などには全く興味のない人でもこの冒頭のメロディは知っているでしょう。普通の人が「ピアノ協奏曲」と聞いてイメージするのは、おそらくはこのチャイコフスキーかグリーグ、そしてベートーベンの皇帝あたりでしょうか。

それほどの有名曲でありながら、その生い立ちはよく知られているように不幸なものでした。

1874年、チャイコフスキーが自信を持って書き上げたこの作品をモスクワ音楽院初代校長であり、偉大なピアニストでもあったニコライ・ルービンシュタインに捧げようとしました。
ところがルービンシュタインは、「まったく無価値で、訂正不可能なほど拙劣な作品」と評価されてしまいます。深く尊敬していた先輩からの言葉だっただけに、この出来事はチャイコフスキーの心を深く傷つけました。

ヴァイオリン協奏曲と言い、このピアノ協奏曲と言い、実に不幸な作品です。

しかし、彼はこの作品をドイツの名指揮者ハンス・フォン・ビューローに捧げることを決心します。ビューローもこの曲を高く評価し、1875年10月にボストンで初演を行い大成功をおさめます。
この大成功の模様は電報ですぐさまチャイコフキーに伝えられ、それをきっかけとしてロシアでも急速に普及していきました。

第1楽章冒頭の長大な序奏部分が有名ですが、ロシア的叙情に溢れた第2楽章、激しい力感に溢れたロンド形式の第3楽章と聴き所満載の作品です。

凄味のあるピアニスト


ジョルジュ・シフラはリストの再来と言われたピアノのヴィルトーゾとして知られていますが、いわゆるコアなクラシック音楽ファンからは底の浅い指がよくまわるだけのピアニストとみなされてきました。
ピアニストの世界では、バックハウスやケンプのような深い精神性に満ちた演奏をする人が一番偉いんであって、技巧を誇示して、聴衆の俗受けを狙うようなピアニストは一段も二段も落ちるとみなされてきました。さらに、得意なレパートリーがリストというのでは、それは偉大なクラシック音楽を体現する芸術家からはほど遠いピアノ弾き芸人みたいな評価すらされてきました。

それにしてお、このリストの再来と言われたシフラの前半生は「悲惨」の一言に尽きます。
貧しい家庭に生まれたシフラは、一家の家計を助けるためにわずか5歳でサーカスでのピアノ演奏をはじめました。客のリクエストしたテーマをもとに即興で演奏して日々5枚の銀貨を稼いだと語っています。
そんな、「小さなモーツァルト」に興味をひかれたのがハンガリーの有名な作曲家だったドホナーニで、彼の計らいによってシフラはリスト音楽院に入学を果たします。そして、そこでもっとも優秀なピアニストにおくられるフランツ・リスト賞を獲得します。

しかし、女神が微笑みかけたのは一瞬で、その後の彼の人生はさらに過酷きわまるものへと突き進んでいきます。
いよいよコンサートピアニストとして羽ばたこうとするときに第2次世界大戦が勃発し、一兵卒としてロシア前線におくられます。そして、彼はウクライナで負傷し3ヶ月間も目も耳も聞こえないほどのダメージを受けるのです。そして、信じがたいことに、その傷がようやくにして癒えると彼は再び戦場に送られます。

戦争が終わった後には何も残らず、彼は場末のジャズ・バーでピアノを弾くことで妻子を養います。そして、ついにその様な生活から逃れるためにハンガリーからの亡命を計画するのですが、国外脱出に失敗して過酷な収容所生活をおくります。
その時の過酷な労働(ひとつ60kgの大理石を運ぶ仕事を毎日10時間こなした。)によって手首の腱を伸ばしてしまいます。

そして、何とか釈放されたあとにハンガリー動乱が起こり、彼は妻子を連れて徒歩で国境を越え、胸まで水に浸かりながら川を渡って西側への脱出を計ります。この時、鉄条網をかいくぐったときに右手に傷を負い、その傷跡は生涯消えなかったと言われます。
彼がコンサート・ピアニストとして活躍をはじめることが出来たのは、まさにその命がけの亡命によって西側に脱出したことによって始まったのです。
そして、西側の聴衆は、このハンガリーから逃れてきたピアニストの驚くべきテクニックに驚嘆し、一躍トップ・ピアニストへと上りつめていったのです。

ですから、そんな男のピアノが、たとえ西側に出て世界的なコンサートピアニストとしての成功を勝ち取ったからと言って、決してコンクール上がりのお上品なピアニストが演奏するような音楽になるはずがないのです。
突然にピアノを強打したり、テンポを上げたりするシフラ流を俗受けを狙ったあざとい手法と見る人もいるでしょう。指はよくまわるけれども、アラっぽいタッチを指摘して、洗練さにかける芸人のピアノと馬鹿にする向きもあります。
しかし、シフラにとって音楽とはこういうものでしかあり得なかったのです。

生きるためには、酒場の酔客にも受ける必要があり、受けるためには振り向かせなければいけなかったのです。そして、そんな音楽の中に、人生に対する恨み辛みをグッと飲み込んで、それらに屈しなかった不屈の男の強さが底光りしているのです。
そして、さらにしっかりと耳を傾けてみれば、彼の演奏は彼なりに考え抜かれたものであることに気づくはずです。
シフラは常に「作品は磨き込まれなければいけない」と述べていました。そして、磨き抜かれることによって作品はその本来の美しさを得て輝きはじめると言っているのです。
お上品なピアニストと較べれば外連味がありすぎるかもしれませんが、それは決して恣意的で客受けだけを狙ったものではないのです。

ジョルジュ・シフラ、凄味のあるピアニストです。

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