ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調, Op.58(Chopin:Piano Sonata No.3 in B minor, Op.58)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1951年発行(Guiomar Novaes:Published in 1951)
Chopin:Piano Sonata No.3 in B minor, Op.58 [1.Allegro maestoso]
Chopin:Piano Sonata No.3 in B minor, Op.58 [2.Scherzo]
Chopin:Piano Sonata No.3 in B minor, Op.58 [3.Largo]
Chopin:Piano Sonata No.3 in B minor, Op.58 [4.Finale:Presto non tanto-Agitato]
ショパンのピアノソナタ
ショパンのピアノソナタは3曲残されていますが、そのうちの第1番は10代後半の若書き作品です。
この若書きの作品はショパン自身が出版を希望したものの出版社からは無視されます。ところが、彼が名声を博するようになると今度は出版社がショパンに校正を依頼するのですが、今度はそれをショパンが拒否します。そんなこんなで、結局はショパンが亡くなってから「遺作」として出版され手、ようやくにして日の目を見ることになります。
この第1番のソナタには、ショパンらしい閃きよりは、彼が若い時代にいかに苦心惨憺してソナタ形式を身につけようとしたかという「努力」の後が刻み込まれています。それでも、第3楽章のラルゲットからは後のショパンのノクターンを思わせるような叙情性が姿を見せています。いかに習作といえども、やはりショパンはショパンなのです。
それに対して、残りの二つのソナタ、作品35の変ロ短調のソナタと作品58のロ短調ソナタは、疑いもなくショパンの全業績の中でも大きな輝きを放っています。
特に「葬送」というタイトルの付いた変ロ短調のソナタはショパンの作品の中でも最も広く人口に膾炙したものです。
この葬送ソナタは愛人サンドの故郷の館で作曲されたもので、ある意味ではこの二人の最も幸福な時代を反映した作品だともいえます。
この作品の中核をなすのは言うまでもなく、第3楽章の葬送行進曲です。この葬送行進曲は、このソナタが着想されるよりも前にできあがっていたもので、言葉をかえれば、変ロ短調のソナタはこの葬送行進曲を中核としてイメージをふくらませて完成されたといえます。そういう意味では、3つもしくは4つの楽章が緊密な関係性を保持して構築される一般的なソナタとはずいぶんと雰囲気の異なった作品になってしまっています。
そのあたりのことを、シューマンは「ショパンは彼の乱暴な息子たち4人を、ただ一緒にくくりつけた」と表現しています。
もちろん、シューマンはソナタの約束事に反していることを批判しているのではなくて、そういう古い約束事を打ち破って独創性に富んだ作品を生み出したショパンを評価しているのです。それは、有機的な統一感に欠けるという、この作品に寄せられた批判に対するシューマンらしい弁護の論だったのです。
それにしても、二人の最も幸福な時代に葬送行進曲を中核としたソナタを書くというのは何とも不思議な話です。しかし、ここでの「葬送」の対象は個人的なものではなく「祖国ポーランド」であることは明らかです。そう思えば、そういう大きなテーマに取り組むには「幸福」が必要だったと考えれば、それもまた納得できる話です。
そして、その葬送行進曲から5年後に作品58のロ短調ソナタが書かれます。
ショパンにとって宿痾の病だった結核はますます悪化し、さらに父の死というニュースは彼にさらなる打撃を与えます。しかし、そんなショパンのもとを姉夫婦が訪れることで彼は元気を回復し再び創作活動に取り組みます。この作品は、そんなつかの間の木漏れ日ような時期に生み出されたのです。
この作品の大きな特徴は、変ロ短調ソナタとは異なってソナタらしい有機的な統一感を感じ取ることができることです。しかし、音楽の規模はより大きく雄大なものになるのですが、しかしながら決してゴツゴツすることなく、その中にショパンらしい「美しさ」と「叙情性」がちりばめられています。
しかし、世間とは難しいもので、そのような伝統的なソナタ形式への接近ゆえに、リストなどは「霊感よりも努力の方が多く感ぜられる」と批判しています。
変ロ短調ソナタでは伝統からはずれることで有機的な統一性がないことを批判され、逆にロ短調ソナタでは有機的統一への接近故に霊感の欠如と批判されます。
やはり、ダンテが言うように「汝の道を歩め そして人々をして その語るに任せよ」ですね。
考え抜いた演奏
ギオマール・ノヴァエスはかなりまとまった数のショパン作品を録音しています。この時代を考えれば(今の時代も同じかも)当然と言えば当然なのかもしれませんが、やはり聞き手にとっては嬉しい事実です。
ノヴァエスは「ブラジルの偉大なピアニスト」といわれることもあり、「パンパスの女パデレフスキー」とよばれることも多かった人です。このパンパスとは言うまでもなく、ブラジル南部に広がる草原地帯のことです。幼い頃に育ったブラジルの風土や文化は彼女の心の奥深い部分に根を張っている事は否定できないでしょう。
しかし、10代半ばでパリに移り住み、パリ音楽院でイシドール・フィリップに学ぶ事でピアニストとしての基礎を固め、その後はアメリカを中心に、とりわけニューヨークを拠点に活動を行いましたから、音楽的には生まれ故郷のブラジルとの関わりはそれほど大きくはないと思われます。
ですから「パンパスの女パデレフスキー」という異名の「パンパス」の方は音楽的にはあまり影響はあたえておらず、重要なのは、「女パデレフスキー」の方でしょうか。つまり、彼女が19世のロマン主義的なピアニストを連想させる事の方が重要かもしれません。
つまりは、彼女の出発点はヴィルトゥオーゾ的ピアニストとしてのものであり、優れたテクニックで数多くの作品を楽々と弾きこなす存在だったと言うことです。
そして、何よりも丹念に旋律線を歌い込むピアニストで、それもまた同時に情緒過多になることなく無理のない歌い回しの枠を崩すことはありませんでした。
その前提として、彼女は考え抜くピアニストであったと言うことは忘れてはいけないでしょう。
確かに、彼女は実演において二度と同じようには演奏しなかったと言われるのですが、それは気のおもむくままに演奏したというのではなく、常に考え続けて、その考えたことを次のコンサートでは披露したと言うことなのです。
「考えるな、感じろ!」とはブルー・スリーの言葉ですが、クラシック音楽の世界では真逆で「感じるな、考えろ!」が基本とならなければいけません。感じるがままに演奏してものになるほどこの世界は単純ではありません。
ヴィルトゥオーゾ的ピアニストで「パンパスの女パデレフスキー」などという異名を奉られれば、いかにも感情のおもむくままにピアノを弾いていたような誤解を与えるのですが、彼女のベースは考え抜くことでした。
すでに紹介済みなのですが、セルやクレンペラーなどを従えて多くの協奏曲を演奏したり録音したのは、そう言う彼女の姿勢が高く評価されていたからです。
そして、録音されることを目的とした演奏であるならば、それまでの演奏活動の中で考え抜いた事の決算という意味をもっていたはずです。ですから、結果としてその演奏は高雅で情感溢れるものであり、時にはショパンのパッションが力強く描き出されたりもするのですが、かといってそれは鬼面人を驚かすようなものではありません。
そして、ショパンのように次から次へと新しい録音が登場してくるような世界では、その演奏が十分に魅力的であったとしても、その上に積み重なっていく大量の録音によっていつかは覆い尽くされ聞き手の視野から消えていくのが宿命みたいなものです。
おそらく、ショパンのような音楽は存命中のピアニストが一番有利なのでしょう。亡くなってしまえば、いつかは聞き手の視野から見えなくなっていくのが宿命です。もちろん、例えばコルトーのような例外はありますが。
それだけに、こういうサイトではそう言う埋もれた録音の山の中からノヴァエスのような存在を拾い出すのが大きな役割なのでしょう。
あらためて彼女のショパン演奏を聞けば、どれもこれも安心してショパンの世界に浸れる安定感と叙情性に溢れています。
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