ショパン:ポロネーズ第3番 イ長調, Op.40-1「軍隊」/第4番ハ短調, Op.40-2
(P)アルトゥール・ルービンシュタイン:1964年3月4日~6日録音
Chopin:Polonaises No.3 in A Op.40-1 "Military"
Chopin:Polonaises No.4 in C minor Op.40-2
雄々しさと憂愁
ポロネーズの起源はよく分かっていませんが、おそらくこれもまた原型はポーランドの農民の儀式や労働の場における踊りだったろうと思われます。それが、やがて上流階級に浸透していく中で3拍子の中庸の速度でもって歩くように行列をつくって踊る音楽として発達し、やがては宮廷において堂々としたリズムが特徴的な器楽曲として定着していったものと思われます。そして、その様に定形化したポロネーズは国外にも広まり、ヨーロッパ各国の作曲家も積極的にそのスタイルを取り入れた作品を書くようになっていきました。
しかし、ポーランドの作曲家にとっては、大国による領土分割という悲劇の中で、ポロネーズは特別な意味を持たざるを得ませんでした。そして、ショパンもまたその様な特別な意味を持った音楽としてのポロネーズに子供時代から親しみ、実際に彼が初めて書いた作品はポロネーズであったと伝えられています。(7歳の時のト短調)
しかし、それらのポロネーズはいわゆる舞曲的な性格が強いもので、後の成熟したショパンの手になるポロネーズとは佇まいが随分と違います。
ショパンは少しずつ曲の規模を拡大し、リズムも定型のものではなくてより自由なリズムへと変化していきます。
そして、それらは全て、民族の精神を生の形で描き出すのではなくて、より自らの民族的主張を具現化した芸術的な高みへと引き上げようとしたものでした。
より具体的に言えば、ロシアの圧政に苦しめられたポーランドの憂愁と、それを打ち破ろうとする雄々しさを表現しようとするものだったと言えます。
マズルカもまた民族的な楽曲ですが、ポロネーズはそう言うショパンの民族的主張を真正面に据えていると言えます。
ですから、ショパンのポロネーズと言えば一般的に以下の7曲です。
作品番号順に1番から7番というナンバーも割り振られています。
- ポロネーズ第1番嬰ハ短調, Op.26-1
- ポロネーズ第2番変ホ短調, Op.26-2
- ポロネーズ第3番イ長調, Op.40-1「軍隊」
- ポロネーズ第4番ハ短調, Op.40-2
- ポロネーズ第5番嬰ヘ短調, Op.44
- ポロネーズ第6番変イ長調, Op.53「英雄」
- ポロネーズ第7番変イ長調, Op.61「幻想」
ポロネーズ, Op.40
この2作品もOp.26の2作品と同じように、基本的にはポロネーズの定型スタイルからは大きく離れていません。
特に、第3番のイ長調の「軍隊」とよばれることの多い作品は極めて豪放で軍隊的な性格を持っています。そして、その豪放なスタイルがほぼ作品全体を通して一貫して使われているので厳格にテンポを維持して演奏することを求めます。
20世紀の大ピアニストであるアルトゥール・ルービンシュタインはこの作品のことを「ポーランドの偉大さをあらわしいる」と述べています。
なお、この作品40の2曲に関しては次のような逸話が残されています。同じ事が作品53にも語られていてたりもして真偽のほどは不明ですが、興味深い話なので紹介をしておきます。
ショパンがある夜ピアノに向かって楽想にひたっていると、突然彼の部屋にポーランドの貴婦人や武士たちが行列をなして侵入してくる幻想に襲われます。そして、その幻想があまりにもリアルだったのでショパンは恐怖のあまり部屋を抜け出します。そして、そこへは一晩中戻ることはなかったというものです。
ルービンシュタインがこのこに「ポーランドの偉大さ」を見いだし、第4番のハ短調のポロネーズに「ポーランドの没落」を見いだしたのも、そう言うエピソードが影響していたのかもしれません。
確かに、この第4番と南ヘペアリングされているハ短調のポロネーズは極めて陰鬱な情緒によって塗り込められています。また、中間部の連続する転調は不気味で不安定な感情を聞き手に抱かせます。まさに、そこに「ポーランドの没落」を見いだすのは文学的解釈として切り捨てるには惜しいものがあります。
ルービンシュタインの「大きさ」
気づいてみれば、ショパンのポロネーズをあまりアップしていないですね。
さらに言えば、60年代以降にルービンシュタインが録音したショパン作品もほとんどアップされていないですね。
ルービンシュタインはショパンのピアノ曲をまとまった形で3回録音しています。言うまでもなく、SP盤の時代、モノラル録音の時代、そしてステレオ録音の時代です。そして、市場に広く出回っているのがステレオ録音の時代で、その録音を持ってルービンシュタインというピアニストの評価がなされています。
しかしながら、20代の頃から90歳を迎える直前まで現役のピアニストとして活躍した「巨人」の姿を、そのような限られた一時期だけで代表させることは大きな過ちを引き起こします。そして、老婆心ながらつけ加えれば、ルービンシュタインというピアニストはそのようなあやまりを引き起こしやすい人だと言うことです。
極めて大雑把に眺めてみれば、彼のピアニスト人生はホロヴィッツとの関わりで三分割出来そうです。
「ホロヴィッツと出会う以前」「ホロヴィッツと格闘した時代」そして「ホロヴィッツにとらわれなくなった晩年」です。
ただし、くせ者なのは、それが単純に「SP盤」「モノラル録音」「ステレオ録音」の時代に重なっていない点です。
具体的な年代で言えば、おおむねこうなるでしょうか。
- 「ホロヴィッツと出会う以前」・・・~1937年頃(もちろん、彼がホロヴィッツと出会ったのはこれよりも前ですが、ピアノに向かう姿勢としてホロヴィッツの存在が未だに影響を与えていないと言う意味で、出会う前と表現しました。)
- 「ホロヴィッツと格闘した時代」・・・1938年頃から1960年頃まで(38年、39年に録音されたマズルカ集あたりが分岐点)
- 「ホロヴィッツにとらわれなくなった晩年」・・・1961年頃~(61年に録音されたショパンの第1番協奏曲あたりが分岐点)
ただし、この時代区分は、どこかのエライ評論家先生によって確定されたものではなく、あくまでも私の独断によるものですから、あちこちで言いふらすと「恥」をかく恐れがありますのでご注意のほどを。
この区分に従いますと、スケルツォに関して言えば、モノラル録音もステレオ録音も同じ時代に区分されます。ルービンシュタインのステレオ録音によるショパンは、その大部分が60年代以降に録音されているなかで、このスケルツォとバラードだけが1959年に録音されています。そのためか、両者の演奏のスタイルというか風情というか、そういうものはあまり変わりません。
そして、こういう単純な図式化はディテールを塗りつぶすのでよろしくないとも思うのですが、この2つの録音だけが、ステレオ録音のなかでは、その強靱さと逞しさで異彩をはなっているのですが、今回の集中的な聞き込みで自分なりに納得できました。
そして、そうなると、スケルツォに関しては無理をして古いモノラル録音を聞く必要はないと言うことになります。そして、これも図式化の誹りを免れないかもしれませんが、ワルツ集に関して言えば、63年のステレオ録音よりも53年のモノラル録音の方が好ましく思えます。53年録音が極めて優秀なモノラル録音であることも、そう言う判断を後押ししてくれます。
もちろん、その事を最終的に判断するのはそれぞれの聞き手ですから、その判断材料としてモノラル録音を紹介することは意味なきことではないでしょう。
もうホロヴィッツと張り合うのはいいとばかりに肩の力の抜けたステレオ録音期の録音に対して好意的にとらえる人もいるでしょうし、そこに技術的な衰えを嗅ぎ取って「ルービンシュタインなんて大したことのないピアニストだ」と視野の外に置いてしまう人もいるでしょう。
そして、最初にもふれたのですが、世間的にはステレオ録音期のルービンシュタインを以てピアニストとしてのルービンシュタイン全体を評価化してしまって、どちらかと言えば否定的な捉え方をする人は少なくないのです。
ただし、LPレコードの時代には、彼のモノラル録音やSP盤時代の録音なんてほとんど目にしませんでしたし、レコード会社の提灯持ちのような評論家は新しい録音がでれば昔の録音のことなどはそっちのけで誉め倒していましたから、聞く耳のある人はそう言う評価に否定的な意見を持ったのは当然だとも言えます。
まあ、レコ芸の推薦盤などと言うものに大きな意味のあった時代を知るものにとっては懐かしい話です。
しかし、ルービンシュタインという人は、そう言う狭い範囲であれこれ言えるほど小さい存在ではありません。やはり20代から90代まで現役でステージに立ち続けた芸人魂は半端ではありません。
それ故に、3回重なっても彼の録音を全て紹介する必要があるでしょう。そして、その全体像を見渡すことによって、ルービンシュタインというピアニストの「大きさ」に気づかれる切っ掛けになればと長っています。
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