ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108
(P)ウィリアム・カペル:(Vn)ヤッシャ・ハイフェッツ 1950年11月29日~30日録音
Brahms:Violin Sonata No.3 in D minor, Op.108 [1.Allegro]
Brahms:Violin Sonata No.3 in D minor, Op.108 [2.Adagio]
Brahms:Violin Sonata No.3 in D minor, Op.108 [3.Un poco presto e con sentimento]
Brahms:Violin Sonata No.3 in D minor, Op.108 [4.Presto agitato]
ロマン派におけるヴァイオリン・ソナタの傑作

ブラームスは3曲のヴァイオリン・ソナタを残していますが、これを少ないと見るかどうかは難しいところです。確かに一世代前のモーツァルトやベートーベンと比べると3曲というのはあまりにも少ない数です。しかし、ベートーベン以降のロマン派の作曲家のなかで3曲というのは決して少ない数ではありませんし。
さらに、完成度という観点から見ると、これに匹敵する作品はフランクの作品以外には思い当たりませんから、そういう点を考慮すれば3曲というのは実に大きな貢献だという方が正解かもしれません。
ブラームスの第1番のソナタは1878年から79年にかけて、夏の避暑地だったベルチャッハで作曲されました。
45才になってこのジャンルに対する初チャレンジというのはあまりにも遅すぎる感がありますが、それはブラームスの完全主義者としての性格がそうさせたものでした。
実は、この第1番のソナタに至るまで、知られているだけでも4曲のソナタが作曲されたことが知られています。そのうちの一つはシューマンが出版をすすめたにもかかわらず、リストたちの忠告で思いとどまり、結果として失われてしまったイ短調のソナタも含まれています。
他の3曲は弟子の証言から創作されたことが知られているものの、ブラームスによって完全に破棄されてしまって断片すらも残っていません。
ブラームスがファーストシンフォニーの完成にどれほどのプレッシャーを感じていたかは有名なエピソードですが、そのプレッシャーは決して交響曲だけに限った話ではありませんでした。ベートーベンが完成形を提示したジャンルでは、ことごとくプレッシャーを感じていたようで、そのプレッシャーがヴァイオリン・ソナタというジャンルでも大量の作品廃棄という結果をもたらしたようです。
では、ヴァイオリン・ソナタという形式の「何」が、ブラームスに対して多大な困難を与えたのでしょうか。
もちろん、私ごとき愚才がブラームスの心中を推し量ることなどできようはずもないのですが、そこを無理してあれこれ思案をしてみれば、おそらくはヴァイオリンとピアノのバランスをどうとるかという問題だったのではないかと思います。
言うまでもないことですが、ヴァイオリン・ソナタの歴史を振り返ってみれば、ヴァイオリンとピアノという二つの楽器が対等な関係ではなくて、どちらかが主で他が従という形式をとっていました。それが、モーツァルトという天才によって初めて両者が対等な関係でアンサンブルを形成する音楽へと発展していきました。
そして、この方向性のもとで一つの完成形を示したのが言うまでもなくベートーベンでした。
しかし、一連のベートーベンの作品を聴いてみると、事はそれほど単純ではないことに気づかされます。
鍵盤楽器としてのピアノの機能が未だに貧弱だったモーツァルトの時代では、ヴァイオリンとピアノは十分に共存できましたが、ベートーベンの時代になるとピアノは急激に発展していき、オーケストラを向こうに回して一人で十分に対抗できるまでの力を蓄えてしまいます。
それに比べると、ヴァイオリンという楽器は弓の形状は多少は変わったようですが、弓を弦に擦りつけて音を出すという構造は全く変わっていないわけですから大きな音を出すにも限界があります。
ですから、クロイツェル・ソナタなどでピアノが豪快にうなりを上げて弾ききってしまうと、さすがのベートーベンをもってしてもヴァイオリンがかすんでしまう場面があることを否定できません。
そして、ロマン派の時代になるとピアノはその機能を限界まで高めていきます。(ブラームスのピアノコンチェルトの2番を聴くべし!!)
つまり、頭の中だけでこの両者を丁々発止のやりとりをさせて上手くいったと思っても、実際に演奏してみるとピアノがヴァイオリンを圧倒してしまい「何じゃこれ?」という結果になってしまうのです。
つまり、この二つの楽器の力量差を十分に配慮しながら、それでもなおこの二つの楽器を対等な関係でアンサンブルを成立させるにはどうすればいいのか?
これこそが、45才まで書いては廃棄するを繰り返させた「困難」だったのではないでしょうか?
もっとも、これは私の愚見の域を出ませんから、あまりあちこちでいいふらさないように・・・(^^;
しかし、ブラームスのヴァイオリン・ソナタを聴くと、この二つの楽器が実に美しい調和を保っていることに感心させられます。
ベートーベンでは、時にはピアノがヴァイオリンを圧倒してしまっているように聞こえる部分もあるのですが、ブラームスではその様な場面は皆無と言っていいほどに、両者は美しい関係を保っています。そして、その様な絶妙のバランスを保ちながら、聞こえてくる音楽からはしみじみとした深い感情がにじみ出してきます。
これはある意味では一つの奇跡と言っていいほどの作品群です。
ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調op.108
このソナタは第2番ソナタと2年しか隔たっていないのに作品の雰囲気が大きく異なります。
第2番のソナタではあれほどまでも幸福感につつまれていたのが、この第3番のソナタでは晩年のブラームスに特徴的な渋くて重厚な雰囲気が支配しています。
この変化をもたらしたものは親しい友人たちの「死」でした。トゥーンにおける幸福な生活はわずか一年しか続かす、その後は彼の回りで親しい友が次々と亡くなっていきました。この事はブラームスに大きな衝撃を与えることになり、彼の作品は短調のものが多くなって、避けられぬ人の宿命に対する諦観のようなものがどの作品にも流れるようになっていきます。
この第3番のソナタでも、第2楽章のG線だけで歌われる冒頭のメロディからはその様な傾向をはっきりと聞き取ることができます。
強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代のカペルを少し違った視点から眺められる
カペルのショパンを聴いて「もう少しカペルの録音を聞き込んでみないといけないな」と書いたのは2014年の事だったみたいです。
最近、ふとカペルの録音を引っ張り出してきて聞いてみる機会があったのですが、あらためて「これはすごいや」と思って、自分が昔書いたものを調べてみれば8年前にそんな事を書いていたことを発見して驚いてしまいました。
カペルを取り上げるのは随分と久しぶりになるので(プロコフィエフの録音を追っていて協奏曲を取り上げたことはありましたが、その時の関心は作曲家のプロコフィエフであってソリストのカペルにはほとんど注意が向いていませんでした)、簡単にカペルの紹介を繰り返しておきます。
ウィリアム・カペル(William Kapel)といえば、「ホロヴィッツの再来」と呼ばれるような華々しいキャリアと、そのキャリアが飛行機事故によってわずか31歳で断ち切られたことの悲劇性が常について回ります。さらに、その事故の報に接したホロヴィッツが「これで私がナンバーワンだ。」と語ったというエピソードによってその悲劇性はさらに飾り立てられることになります。
しかしながら、同じように若くして、そしてほとんど同時代にこの世を去ったリパッティが今も多くの人の記憶にとどまっているのと比べると、カペルの記憶はずいぶんと薄らいでしまっていることは否めません。そして、今回、あまり多いとはいえない彼の録音をまとめて聞いてみて、その理由が少しはわかったような気がしました。
リパッティは33歳でこの世を去りましたが、すでに彼ならではの世界を築いていました。しかし、カペルはホロヴィッツを意識したのか、ひたすら強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代を脱皮して、心の内面を繊細に表現しようとする新しい世界に足を踏み入れた矢先に人生を断ち切られました。
それは、終わりを意識してピアノに向き合わざるを得なかったリパッティと、そういうことは夢に思わずにピアノに取り組んでいたカペルの違いでしょう。カペルにしてみれば、そんなにも生き急ぐように歩を進める必要などは全く感じていなかったでしょうし、おそらくはじっくりと時間をかけて一つ一つを丹念に確かめながら音楽を熟成させていくつもりだったのでしょう。
そう思えば、真に悲劇的だったのはリパッティではなくカペルの方だったことに気づかされました。
カペルの室内楽録音というのはかなり珍しくて、おそらく正規録音としては以下の3つだけだと思われます。
- ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調, 作品19
- ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番 ヘ短調, Op.120-1
- ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108
この中で一番聴き応えがあるのがラフマニノフでしょう。
ラフマニノフの作品ですから、ピアノが大活躍することは言うまでもないのですが、まさに聞き手が期待する以上にカペルは華やかパフォーマンスを繰り広げてくれます。この作品に関しては
ネルソヴァとバルサムによる録音を取り上げているのですが、ラフマニノフがこの作品にどれだけのピアノの名人芸を込めているかがよく分かるのはカペルの方です。
そして、名前はあまり知られていないのですが、チェリストのエドマンド・クルツもそう言うカペルに対抗して伸びやかで力強い響きで対抗しています。
エドマンド・クルツはシカゴ交響楽団の首席チェロ奏者を務めるなどした後にソリストに転向して、1945年にアルトゥーロ トスカニーニ指揮のNBC 交響楽団とドヴォルザークのチェロ協奏曲を録音しています。当時は「非の打ちどころのない技術」「輝きを失うことのない暖かく官能的な性質」をもったチェリストと評されたようです。
次に注目したいのはハイフェッツと協演したブラームスです。
こういう二重奏でハイフェッツと協演すると相手はどうしても腰が引けてしまうものです。しかし、カペルは臆することなく、おそらくはヴァイオリンとピアノの二重奏としてブラームスが思い描いたであろうバランスを崩していません。あわせて、あらためてハイフェッツのヴァイオリンの凄みと美しさにもひたることが出来る演奏です。
そして、最後がプリムローズと協演したブラームスのヴィオラ・ソナタです。これはもう完璧にカペルが圧倒してしまっています。
言うまでもなく、このソナタは最初はクラリネット・ソナタでした。それが後に作曲者自身によってヴィオラ用に編曲されたのがこのヴィオラ・ソナタです。
しかし、これは個人的な感想ですが、この作品はやはりクラリネット版の方がしっくりいくような気がします。とりわけ、カペルのような強靭なピアニズムが爆発するような相方だと、いささかヴィオラが気の毒に思えてくる部分があります。例え、それがプリムローズであっても、「やっとれんなぁ」と思ったのではないでしょうか。
とは言え、この3つの録音は、ひたすら強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代のカペルを少し違った視点から眺められると言うことで、実に興味深い演奏ではないかと思われます。
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