クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

マーラー:交響曲第2番 「復活」ハ短調

ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽&合唱団 (S)オダ・バルスボルク (A)ジークリンデ・ワーグナー 1956年11月12日録音





Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [1.Allegro maestoso]

Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [2.Andante moderato]

Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [3.In ruhig fliessender Bewegung]

Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [4.Urlicht]

Mahler:Symphony No.2 "Resurrection" [5.In Tempo des Scherzos]


交響曲の時代の終焉を飾った人、それがマーラーでした

交響曲の時代の終焉を飾った人、それがマーラーでした、と書けば反論が返ってくるかもしれません。マーラー以後も交響曲を書きつづけた人がいるからです。
たとえば、シベリウス、たとえば、ショスタコーヴィッチ。

しかし、彼らの交響曲は、クラシック音楽の中心に座りつづけてきた交響曲のありようとはどこかが違います。
シベリウスはその最後において、これ以上は切り詰めようもないほどの単楽章の7番で最後を飾ります。ショスタコーヴィッチも、14番では歌曲集だといわれても仕方のないような形に行き着きます。

そう言う意味では、ハイドン、ベートーベンと受け継がれてきた王道としての交響曲は、恐竜のように巨大化した果てに、マーラーで滅びてしまったと言っても言い過ぎではありません。

それにしても、巨大なシンフォニーです。普通に演奏しても90分はかかります。最終楽章だけでも30分ではおさまりきれません。オーケストラの構成も巨大化のきわみに達します。
彼はその晩年において、演奏に1000人を要する第8交響曲を生み出しますが、その巨大化のへの傾向はこの第2番でもはっきりとしています。特にこの最終楽章のラスト数分間にわたって繰り広げられる絢爛たる響きは特筆ものです。

そう言えば、この絢爛たる響きに魅せられて、これ一曲だけの指揮者になった人物がいました。彼は、そのために事業を起こして成功をおさめ、稼いだお金で指揮法を学び、プロのオーケストラを雇っては練習を重ねました。
そして、仕事の合間をぬっては、一曲だけの指揮者と銘打って演奏会を行いました。もちろん、自分のお金でオーケストラを雇ってですが、評判が高まるにつれて、時には正式に招かれることもあったようです。CDも出して、店頭に並べられたこともありました。

名前を確認しようとして資料を探したのですが、なかなか見つかりません。記憶では、なんとか・キャプランと言ったような気がします。(ジェームス・キャプランだったかな?当時は結構話題になったのですが、人の記憶なんて当てにならないものです・・・ギルバート・キャプランですね。2002年12月にはウィンフィルと録音もしていますね。大したものです。)
専門家筋では小馬鹿にしたような対応が大勢でしたが、私は、アメリカの金持ちと言うのは粋なことをするもんだと感心したものです。まさに、彼は自らの生涯をかけて、この作品を愛しつづけたのです。

<どうでも言い追記>
彼を小馬鹿にしていた評論家連中を沈黙させたのは、彼が愛した「復活」のキャプラン校訂による国際マーラー協会クリティカル・エディションの出版でした。
これは意外と知られていないことですが、マーラー演奏の時に結構深刻な問題となるのが、楽員の使っているパート譜と、指揮者の使うスコアが一致しない事が「普通」だという怖ろしい事実です。
そして、キャプランは色々なオケに客演して「復活」を演奏するたびにこの怖ろしい「事実」にたびたび遭遇するのですが、普通の指揮者ならばそんな事はやってられないことを、この「復活」一曲だけの指揮者はやってのけたのです。

彼は、まずマーラーの自筆譜を購入します。「復活」の自筆譜はバラバラの状態で世界中に散逸していたらしいのですが、彼はそれら全てを買い集めます。(なんて素敵なお金の使い方!!)

さらに音楽学者のレナーテ・シュタルク=フォイトの協力を得て、従来の出版譜と買い集めた自筆譜をつきあわせてその差異を細かく検証・分析し、400に及ぶ問題点や疑問箇所を抽出したのです。そして、その研究成果をもとに、「復活」の決定版とも言うべき「キャプラン校訂による国際マーラー協会クリティカル・エディション」を出版し、成果を世に問うたのです。
2002年にウィーンフィルに招かれて行った録音は、まさにそのキャプラン校訂版による世界初の録音だったのです。

これを持って、彼を小馬鹿にしていた評論家達は全て沈黙しました。
重ねて言いますが、大した男です。
<どうでも言い追記終わり>

マーラーは指揮者としては頂点を極めた人ですが、作曲家としてはそれほど認められることもなく世を去りました。彼は晩年、いつか自分の作品が認められる時代がくるはずだと信じてこの世を去りました。

60年代にバーンスタインがNYOとの共同作業で完成させたマーラーの交響曲全集は、マーラー再評価への偉大な狼煙でした。
彼は晩年にもうひとつの全集を完成させていますが、マーラーの福音を世につたえんとの気概に燃えた旧全集は今もその価値は失っていないと思います。
それ以後、CDの登場によって、マーラーは一躍クラシック音楽の表舞台に飛び出し、マーラーブームだといわれました。
今ではもはやブームではなく、クラシック音楽のコンサートにはなくてはならないスタンダードなプログラムとして定着しています。

まさに彼が語ったように、「巨人」の「復活」です。

ブルドーザーか何かで一直線の道を作りあげてそこを驀進していく


これはもう強烈なマーラーです。そして、あらためてこの時代におけるマーラーというのは「未開の荒野」であったことを再認識させられます。

この演奏は例えてみれば、マーラーが入念に設えた曲がりくねった小道を全く無視をして、そこにブルドーザーか何かで一直線の道を作りあげてそこを驀進していくような演奏です。これを聞けば、少し前に紹介したスワロフスキーの演奏は、客観性は保持しながらも、マーラーの細かい指示にはそれなりに配慮していた事がよく分かります。

そう言えば、バーンスタインが60年代に手兵のニューヨークフィルと完成させたマーラーの交響曲全集について次のように書いたことがありました。

彼は、己の感性と共感をフルに発揮して演奏してもヨーロッパの正統的伝統から「間違ってるんじゃない?!」と言われなくてもすむような対象を探していたんだと思います。

マーラーこそは、己が深い共感を持って対峙できる音楽でありながら、同時にヨーロッパの伝統という「垢」というか「苔」というか、そう言うものがほとんどついていない音楽だったのです。
なにしろ、マーラーの弟子だったワルターやクレンペラーが師の作品を何とか多くの人に理解してもらおうと孤軍奮闘が続いていた時代です。それでもなかなか理解は広まらず、一部の現代音楽に強い指揮者が時たま取り上げる程度にとどまっていたのです。
バーンスタインにとって、マーラーこそは漸くにして探り当てた金鉱だったのです。


まさにヨーロッパの古き伝統を体現しているようなイッセルシュテットがこのような演奏をしていたのですから、間違いなくバーンスタインにとってはマーラーこそは探り当てた金鉱だったことでしょう。
それにしても、容赦なく叩きつけられる打楽器の凄まじさは尋常ではありません。

それは、まるで、せっかく作りあげた一直線の道路の路肩がマーラーの圧力で崩れだしていくのを押し留めるために、土留めのための杭を力一杯打ち込んでいるように聞こえます。
間違いなく、一番最初に聞いてはいけない演奏であることは間違いないのですが、マーラー演奏の歴史を振り返る上では一度は聞いておいてもいい録音でしょう。

よせられたコメント

2023-08-14:大串富史


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