クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

モーツァルト:ピアノソナタ第12番 ヘ長調 K 332

ギーゼキング(P) 1953年8月1日〜20日録音





Mozart:ピアノソナタ第12番 K.332「第1楽章」

Mozart:ピアノソナタ第12番 K.332「第2楽章」

Mozart:ピアノソナタ第12番 K.332「第3楽章」


モーツァルトの独白

残念ながらユング君にはモーツァルトのピアノソナタを一つ一つ取り出して詳細に解説する能力はないので、その全体を概観することによって解説にかえることをお許ししていただきたいと思います。
しかし、モーツァルトのピアノソナタというのは、その一つ一つがユニークな個性を持っていてそれぞれが他とは代え難い魅力を持っていることはいうまでもないのですが、全体を眺めることによってモーツァルトという希代の天才の大まかな姿を確かめることができるというジャンルでもあります。ピアノは彼にとっては第二の言語のようなものであり、ソナタという形式は身構える必要のない独白でした。
ですから、ピアノソナタを全体として概観することは、その様なモーツァルトの内なる「独白」をたどっていくようなものであり、そうすることによって一つ一つに注目していたのでは気づかなかった全体像が見えてくるという言い訳もそれほど説得力に欠ける物言いではないかもしれません。

いろいろな数え方があるのでしょうが、モーツァルトはその生涯に18曲のピアノソナタを残しています。そして年代的に並べてみると、上手い具合に前半の9曲と後半の9曲に分けることができるようです。
(前半)
ソナタ第1番 ハ長調 K279 1775  ミュンヘン
ソナタ第2番 ヘ長調 K280 1775 ミュンヘン
ソナタ第3番 変ロ長調 K281 1775 ミュンヘン
ソナタ第4番 変ホ長調 K282 1775 ミュンヘン
ソナタ第5番 ト長調 K 283 1775 ミュンヘン
ソナタ第6番 ニ長調 K 284 1775 ミュンヘン
ソナタ第7番 ハ長調 K 309 1777 マンハイム
ソナタ第9番 ニ長調 K 311 1777 マンハイム
ソナタ第8番 イ短調 K 310 1778 パリ

(後半)
ソナタ第10番 ハ長調 K 330 1783 ? ヴィーンorザルツブルク
ソナタ第11番 イ長調 K 331 1783 ? ヴィーンorザルツブルク
ソナタ第12番 ヘ長調 K 332 1783 ? ヴィーンorザルツブルク
ソナタ第13番 変ロ長調 K 333 1783 ? リンツ ?
ソナタ第14番 ハ短調 K 457 1784 ヴィーン
ソナタ第18番 ヘ長調 K 533 1788 ウィーン
ソナタ第15番 ハ長調 K 545 1788 ヴィーン
ソナタ第16番 ロ長調 K 570 1789 ヴィーン
ソナタ第17番 ニ長調 K 576 1789 ヴィーン

まずは前半の9曲から見ていきます。
これはケッヘル番号からも分かるように、1番から6番までがK279からK284までの通し番号になっています。さらに、7番から9番までがK309までK311までの通し番号になっていますから、この前半の9曲は二つのグループに分かれるということは誰だって気がつきます。

まず1番から6番までのソナタですが、これは「偽りの女庭師」を上演するために過ごした1775年のミュンヘンで作曲されています。
ここで不思議に思うのは、早熟の天才であったモーツァルトが彼にとっては言語のような存在であったピアノのためのソナタを19才になるまでに作曲しなかったのは何故かということです。しかし、少し考えればその疑問は氷解します。
きちんと発言しなければいけないことならば人は何かに書き付けますが、日常のつぶやきをいちいち書き記す人はいません。ピアノの演奏はモーツァルトにとっては日常のつぶやきのようなものであったがゆえに書き記す必要を感じなかったということです。ですから、モーツァルトは19才になるまでピアノソナタを書かなかったのではなくて、書き残さなかったととらえるべきなのでしょう。

この6曲でワンセットになったピアノソナタは、オペラの上演のために冬を過ごしたミュンヘンでデュルニッツ男爵からの注文に応えて作曲したものです。他人に渡すのですから、さすがに脳味噌の中にしまい込んでおくわけにもいかず、ようやくにして「書き残される」ことで第1番のピアノソナタが日の目を見たということです。
アインシュタインも指摘しているようにこれらのソナタは明らかにハイドン風の特徴を持っています。「モーツァルトは完全に自分自身になりきっていない。彼は再び自分自身を発見しなければならない。」と言うように彼はこれらの作品をあまり高く評価していません。しかし、これらの作品は3ヶ月という短い期間に集中して作曲されたことが分かっており、おそらくは今までの即興演奏などでため込んできたあれこれのアイデアをここに凝縮してまとめたものだと思えば、これらは疑いもなく10代のモーツァルトの自画像だといえます。
実際に聞いてみれば分かるようにハイドン風といっても、それぞれの作品の顔立ちはいずれも個性的です。とりわけ第6番のソナタは規模が大きく、まるで交響曲をピアノ用に編曲したような風情だといわれてきました。また、第3楽章の大規模な変奏曲形式はモーツァルトのソナタとしては他に例がなく、厳格な父レオポルドもこの作品をとても高く評価していました。とりわけ33小節にも及ぶアダージョ・カンタービレの第11変奏は本当に美しい音楽です。

さて、この6曲に続く3曲は、就職先を求めて母と二人で行ったパリ旅行の途中で作曲されたものです。
この演奏旅行は、父レオポルドの厳格な監督から生まれて初めて解放された時間を彼に与えたと言う意味でも、さらには当時の最先端の音楽にふれることができたという意味でも、さらにはパリにおける母の死という悲劇的な出来事に遭遇したという意味においても、モーツァルトの人生における重要なターニングポイントとなった演奏旅行でした。

K310のイ短調ソナタに関してはすでに語り尽くされています。ここには旅先のパリにおける母の死が反映しています。あまりにも有名な冒頭の主題がフォルテの最強音で演奏される時、私たちはいいようのないモーツァルトの怒りのようなものを感じ取ることができます。そしてその怒りのようなものは第2楽章の優しさに満ちた音楽をもってしても癒されることなく、地獄の底へと追い立てられるような第3楽章へとなだれ込んでいきます。
疑いもなく、ここには母の死に直面した当惑と、その死に直面して何の為すすべもなかったふがいない己への怒りが満ちているように思えます。

そして、それに先立つ二つのソナタK309とK311から、レオポルドの監督から逃れて思う存分に羽を伸ばしているモーツァルトの素顔が透けて見えるだけに、その痛ましさはよりいっそう深まります。
パリへ向かう途中のアウグスブルグとマンハイムで作曲されたと思われるK309とK311には自由を満喫して若さと人生を謳歌している屈託のない幸せなモーツァルトの喜びがあふれています。この二つのソナタとイ短調ソナタを比べてみると、わずか6ヶ月で人はこんなにも飛躍できるものなのかと驚嘆させられます。

さて次は後半の9曲ですが、これもまたK330からK333までの連続した番号が割り当てられている4つのソナタを一つのまとまりとしてとらえることが可能です。
従来は、K310のイ短調ソナタとこれら4つのソナタはパリで作曲されたものと信じられていて「パリ・ソナタ」とよばれてきました。この見解にはあのアインシュタインも同意していていたのですから、日本ではそのことを疑うものなどいようはずもありませんでした。
例えばあの有名な評論家のU先生でさえ若い頃にはハ長調k330のソナタに対して「フランス風のしゃれた華やかさに彩られているが、母の死の直後に書かれたとは思えない明るさに支配されており、ここにもわれわれはモーツァルトの謎を知らされるのだ。」などと述べていました。しかし、これは決してU氏の責任ではないことは上述した事情からいっても明らかです。何しろ、モーツァルトの大権威ともいうべきアインシュタインでさえその様に書いていたのですから。
しかしながら、現在の音楽学は筆跡鑑定や自筆譜の紙質の検査などを通して、K330からK333にいたる4つのソナタはパリ時代のものではなくて、ザルツブルグの領主であるコロレードとの大喧嘩の末にウィーンへ飛び出した頃の作品であることを明らかにしています。さらに、K333のソナタはザルツブルグに里帰りをして、その後再びウィーンに戻るときに立ち寄ったリンツで作曲されたものだろうということまで確定しています。

これら4つの作品にはイヤでイヤでたまらなかったザルツブルグでの生活にけりを付けて、音楽家としての自由と成功を勝ち取りつつあったモーツァルトの幸せな感情があふれているように思います。それはこの上もなく愛らしくて美しく、それ故にあまりにも有名なK331のソナタにだけ言えることではなくて、この時代のモーツァルトを象徴するような「華」をどの作品からも感じ取ることができます。
そんな中でとりわけ注目したのがK333のロ長調ソナタです。これは音楽の雰囲気としてはK330のソナタと同じようにまじりけのない幸福感につつまれていますが、愛好家が楽しみのために演奏する音楽というよりはプロの音楽家がコンサートで演奏するための作品のように聞こえます。とりわけ第3楽章ではフェルマータで音楽がいったん静まった後に長大なフルスケールのカデンツァが始まるあたりはアマチュアの手に負えるものとは思えません。さらにピアノをやっている友人に聞いてみると、第1楽章の展開部のあたりも全体の流れをしっかり押さえながら細部の微妙な動きもきっちりと表現しないといけないので、これもまたけっこう難しいそうです。
おそらくは、モーツァルトが自分自身がコンサートで演奏することを想定して作曲したものではないかと考えられます。しかし、作品を貫く気分は幸福感に満ちていて、その意味ではこの時代のソナタの特徴をよく表しています。

モーツァルトはさらに翌年にはK 457のハ短調ソナタを書いています。これはきわめて劇的な性格を持ったソナタであり、後のベートーベンにもっとも強く影響を与えた作品だといわれています。また、このソナタはK475の幻想曲ハ短調とセットで演奏されることが多くて、その関係が昔からいろいろと取りざたされてきた作品でもあります。
このソナタはモーツァルトの弟子であったトラットナー夫人のために書かれたものです。当時のコンサートではソナタの演奏に先立って幻想曲風の即興演奏を披露する事がよくあったそうです。演奏者がモーツァルト本人ならば、お得意の即興演奏を披露してからソナタにはいるのは何の問題もなかったでしょうが、演奏者が夫人の場合となるとそれはちょっと困ったことになります。そこで、おそらくはトラットナー夫人がコンサートで演奏するときのために、前半で披露する即興演奏を作曲してあげたのがハ短調の幻想曲ではなかったのかというのが現在の定説となっているようです。
おそらくは必死で暗譜したトラットナー夫人は即興であるかのようにこの幻想曲を演奏し、その後に譜面を前にしてハ短調ソナタを演奏したのではないでしょうか。しかし、当時のピアノの可能性を限界まで使い切ったと思えるほどに広い音域とダイナミックな音量が求められるこのソナタを提供されたトラットナー夫人はそれなりの技量を持った女性であっただろうことが想像されます。

さて、ようやくにして残るは4曲となりました。
しかし、残念ながらこの最後の4曲はそれぞれが独自の世界を形作っていて、何らかのグループにまとめることは不可能なようです。

ウィーンでの成功ははかなく消え去ろうとしていました。生活の困窮によって家賃の高い家に住むことが難しくなったモーツァルト夫妻は頻繁に転居を繰り返すようになります。そして、フリーメーソンの友人であった裕福な商人、ミヒャエル・ブラベルグに泣きたくなるような借金の手紙を何通もしたためるようになります。
この時期にモーツァルトは3つのピアノ曲を書いています。
一つはピアノのためのアレグロとアンダンテK533で、これに旧作のロンドヘ長調K494をくっつけてピアノソナタに仕立て上げ、ホフマイスターから出版しています。言うまでもなく生活のために売り飛ばすのが目的でしたが、晩年のモーツァルトを代表するすぐれたピアノ曲に仕上がっています。
第1楽章は将来のジュピターシンフォニーにつながっていくような対位法の世界です。しかし、注目すべきは第2楽章に現れる強烈な不協和音です。まるで一瞬地獄の底をのぞき込むような音楽は、隣り合って作曲されたK540アダージョにも共通する特徴です。
このアダージョの方はどのような経緯で作曲されたのかは全く分かっていませんが、これこそは救いがたい悲劇性に貫かれた音楽となっています。アインシュタインはこのピアノのためのソロ音楽を「モーツァルトがかつて作曲したものうちでもっとも完璧で、感覚的で、もっとも慰めのないものの一つである。」と述べています。

そしてもう一つのピアノソナタ、K545はそれほど技量の優れない弟子たちのために書かれた音楽で、ピアノの前に縛り付けられた子どもたちがおそらくは200年以上にもわたって嫌々演奏してきた作品です。
しかし、この音楽にはモーツァルトのもっとも最上のものが詰め込まれています。極限にまでそぎ落とされながらもその音楽はモーツァルトらしいふくよかさを失なわず、光が飛び跳ねるような第1楽章から深い情感の込められた第2楽章、そして後期ロマン派のピアノ音楽を予想させるような第3楽章まで、いっさいの無駄をそぎ落として組み上げられたその音楽は一つの奇跡とも言えます。

そして、最後の二つのソナタです。
内田光子は1789年に作曲されたこの二つのソナタのことを「K457/K475のピアノの可能性を駆使しきった曲を忘れたかのごとくチェンバロの世界に戻る」と語っています。
モーツァルトはこの年に自らの苦境を脱するためにプロイセン王家を訪ねて就職の可能性を探ります。その旅の途中にライプティッヒを訪れてバッハの音楽に改めて大きな影響を受けています。
K570のソナタは「初心者のための小ソナタ」と題されているように技量に優れない弟子のために書かれたソナタと思われますが、対位法の産物とも言えるこの作品は左手で軽やかに伴奏をつけながら右手で歌わせるというのは決して易しくはありません。
これに続く、プロイセン王女のために書かれた最後のピアノソナタK576は易しいピアノソナタという注文にも関わらず、全く易しくない、それどころか彼のピアノソナタの中ではもっとも難しいだろうと思われる作品に仕上がっています。
アインシュタインは「フィナーレではプロイセンの王女のことは全く考えていない。・・・アダージョの深い憧れと慰めの中でも王女は考えていない」と述べ、この作品を「偉大な先駆者大バッハへの感謝としての創造物である」と断じています。

以上、きわめて荒っぽいスケッチではありますが、是非ともモーツァルトが生み出した珠玉のような18のソナタを一度は通して聴かれることをおすすめします。

ロマン主義的歪曲からの解放


ギーゼキングといえば即物主義の代表選手のように言われます。彼こそはモーツァルトをロマン主義的歪曲から救い出して、現在のモーツァルト演奏への道を切り開いた存在として、とりわけこのソナタの全曲録音は長くスタンダードな位置にありました。

ここでは少し、ロマン主義的歪曲についてふれておきたいと思います。
何年か前に「海の上のピアニスト」という映画が公開されました。その中で「ピアノ競争」というのが演じられるシーンがあり強く印象に残っています。おそらく見られた方もいると思うのですが、あそこには19世紀におけるピアノの名人とはどういう存在であったかがはっきりと示されていて強く印象に残るシーンでした。
それは、例えばショパンのワルツを何秒で演奏でできたとか、ただでさえ難しい作品をさらに難しく編曲してその名人芸を誇示するとかそういうたぐいのもだったのです。ショーンバーグの言葉を借りれば、「ピアノを演奏するとは最小の時間に最大に音符を弾くことを意味していたのです。」
そこでは音楽作品というのは、そういう人間離れした名人芸を披露するための道具、手段でしかなかったのです。今でも前世紀の名人として伝説になっているような、例えばホフマンやゴドフスキー等というピアニストはそういう修羅場をくぐり抜けて名声を獲得したピアニストでした。(もしかしたら、ラフマニノフなんかもそういう仲間にはいるのかもしれません)
ですから、貧弱な録音ではありますが、わずかに残されている彼らの演奏を聞いてみれば、驚くほどにドライな解釈であること驚かされます。そしてテクニックはその後に続くコルトーやシュナーベルなんかよりは遙かにしっかりしているように聞こえます。しかし、さらに聞き込んでみると、そのドライさはさらにその後に続くギーゼキングなどの即物主義のピアニストたちのドライさとも雰囲気が違います。それは、どこかスポーツ選手が名人芸を披露しているようなあっけらかんとしたドライさです。

さて、こういう一群のピアニストの対極にバッハマンやパデレフスキーに代表されるようなとんでもなく主観的な演奏を展開したピアニストたちがいます。これも貧弱な録音で確かめるしかないのですが、実に好き勝手に演奏していることは分かります。テクニックという点ではホフマンたちのグループの足元に及ばないことはすぐに分かります。というか、楽譜に書かれてあるとおりに正確に演奏する必要性を感じていないかのような演奏であり、その時々の気分によって弾きたいように弾くというピアニストたちです。
ただし、こういう演奏はツボにはまると麻薬のようなもので、一部に根強く熱烈な支持者が存在しますのでこれ以上あれこれ申し上げるのはこの辺で止めておきましょう。

こういう時代背景の中から生み出されてきたのが即物主義という考え方です。
鋭い人はすでに気づかれていると思うのですが、ホフマンのグループとバッハマンのグループは対極にあるかのように見えて、実はメダルの裏表の関係です。それはかつての自民党と社会党が保守と革新という対立軸を作り出しているように見えながら、実はともに同じ穴の狢だったというのとよく似ています。もしくは桜田門と山菱が同じ旅館で忘年会をしたときに、誰がどっちの構成員か分からなかったという笑えないような笑い話とも似ています。ちょと、違うかな・・・(;=ゝ=)
つまり、両方とも音楽作品は目的ではなくて手段になっているという点で同じ穴の狢なのです。
ホフマンたちは音楽作品を己のテクニックを誇示するための道具にしましたし、バッハマンたちは己の主観的感情や気分を顕示するための道具にしたのです。

ですから、シュナーベルからギーゼキングにつながっていく即物主義の流れは、その様な演奏家と作曲家の関係を180度転換させるものだったのです。作曲家等という存在はどこかに忘れ去られ、その作品さえもが音楽とは全く別の何者かを誇示するための道具に貶められていたものをもう一度拾い上げて、今度は演奏家がその作品に仕えようと言うのが即物主義の意味するところだったのです。
ですからシュナーベルもギーゼキングもまずは謙虚にスコアと向かい合うことが基本でした。そして、己のテテクニックや感性はそのスコアに込められた作品の真実を再現するための手段として捧げられるようになったのです。

確かにこういう風に書いてしまうとあまりにも歴史を簡略化しすぎているかもしれませんし、「作品の真実」なんてのもずいぶんとお手軽で曖昧な物言いではありますが、本質的なものはそれほどはずしてはいないはずです。
そして、そういう歴史の中でギーゼキングを見つめ直してみると、このシンプルな上にもシンプルなモーツァルト演奏の本質が見えてくるはずです。確かに、今日の贅沢な耳からすればもう少し愛想というか、ふくよかな華やぎというか、そういう感覚的な楽しみが少しはあってもいいのではないかと思う側面があることも事実です。
例えば、内田によるソナタの全曲演奏を聞けば、ギーゼキングと同じような透明感に満ちたモーツァルトでありながら、感覚的な楽しみにも不足はしていません。しかし、その様な内田の演奏も源流をたどっていけばこのギーゼキングの演奏に行き当たるはずです。

ただし、ギーゼキングの演奏に感覚的な楽しみが少ないと言ったのは半分は正解で半分は間違っています。いわゆるテンポを揺らしたり派手なダイナミズムで耳を驚かせるというような「ヨロコビ」とは皆無と言っていいほど無縁ですが、彼の指から紡ぎ出される「音」には陶然とさせられるような「ヨロコビ」が満ちています。
それにしても、これは何という「音」でしょう。
それは同じように音色の魅力をふりまくホロヴィッツやミケランジェリたちの音色とも違います。とんでもなく透明感に満ちていながらガラスのようなもろさとは全く無縁の強靱と言っていいほどの硬質な響きです。そして、ピアノからこのような音色を紡ぎだした人は他には思い当たりません。

この「音」で、シンプルな上にもシンプルにモーツァルトが演奏されるとき、それは他に変えがたい魅力を21世紀になっても保持していることを否定できません。今もってこれはモーツァルト演奏の一つのスタンダードとしてのポジションを失っていません。

よせられたコメント

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