クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a 「告別」

(P)ヴィルヘルム・ケンプ 1964年9月15日~18日録音





Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [1. Das Lebewohl (Adagio - Allegro)]

Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [2. Abwesenheit (Andante espressivo)]

Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [3. Das Wiedersehen (Vivacissimamente)]


「爆発」するベートーベンから「沈潜」するベートーベンへの変わり目のようなものが垣間見られる

ベートーベンのもっとも有力なパトロンであったルドルフ大公が、ナポレオンのオーストリア侵入のためにウィーンを離れなければならなくなり、それを契機として作曲されたソナタだと言われています。
作品とは直接関係のないことではあるのですが、この大公はベートーベンにとってはきわめて重要な人物でしたから、少しばかりふれておきたいと思います。

ルドルフ大公はオーストリア皇帝レオポルト2世の末子として生まれました。
この二人が出会ったのは、1803年から1804年にかけて、ベートーベンからピアノと作曲の授業を受けた時でした。

この時、ルドルフは15歳、ベートーベンは33歳でしたから、この年の開きがベートーベンの狷介さを和らげたのでしょうか、それ以後二人の結びつきは長く続き、ルドルフもベートーベンに対する深い尊敬の念を持ち続けました。

そして、1808年に、ウェストファリアの宮廷がベートーベンを招こうとしたときに、このルドルフが中心となってウィーンの貴族に呼びかけ、ベートーベンに生涯確実な年金を支払うことでウィーンに引き留めました。
この年金は、その後、ナポレオンの侵攻などによって多くの貴族が財政的な危機に陥る中で空手形になっていくのですが、その中で最後まで約束を果たし続けたのがルドルフ大公でした。

ルドルフは生来病弱であり、激務に耐えることはできなかったと伝えられています。
そのためもあってか、政治的な権力の世界からは距離をとる生き方をして、大司教から枢機卿というコースを辿ります。

ですから、彼にとって音楽というものの存在は非常に大きかったのだろうと想像されます。
実際、ルドルフ大公は幾つかの作品も残していて、それは長きにわたって「お殿様の手慰み」程度の凡庸な音楽と思われていたのですが、最近になってその見直しも進んでいるようです。

そして、その様なルドルフの生き方がベートーベンとの関係を長きにわたって良好なものとしたのでしょう。
また、この二人の間では親しく手紙のやり取りもされていて、ベートーベンにとっては年若い存在でありながら、色々な面で頼れるパトロンであったことは間違いないようです。

この作品に対しては、「告別」というタイトルを巡って出版社との間で悶着が起こり、その悶着の中で「この作品は大公にさえ捧げられていません」等と書き送っていたりします。
しかし、このような言い方はベートーベンならではの「短気」の表れでしょう。

戦争自体はすぐに集結して、やがて大公もウィーンに帰還したために、それぞれの楽章に「告別」「不在」「再会」と表題をつけたのはベートーベンです。
ただし、そのような表題を付すべきかどうかずいぶんと悩んだようではあるのですが、それでも最終的にその様な標題をつけてルドルフ大公に献呈しているのですから、この作品とルドルフ大公の関係を否定する方が不自然だと言わなければなりません。


第1楽章冒頭は3つの音で始まるのですが、この響きは明らかにホルンを想定しています。そして、このホルンの響きはこのソナタ全体に鳴り響いています。
この時代におけるホルンの響きには「隔たり」「孤独」そして「記憶」をあらわすというコンセンサスがありました。そして、それに続く数小節の間に何かを追い求めるような切ない感情が見事に吐露されています。
その意味では、この第1楽章は疑いもなくルドルフ大公との「告別」を暗示しています。

また、注意しなければいけないのは、この冒頭の3つの音がこのソナタ全体のモットーになっていることです。
もちろん、こういうシンプルなモットーから巨大な作品を構築するというのが中期のベートーベンが追い求めた手法でしたから、それがここで使われていても何の不思議もありません。

しかし、ベートーベンは、ここではその3つのモットーから巨大な構築物を作るのではなくて、それを縦糸、横糸として一枚の布の中に織り込んでいくようにして音楽を紡いでいるのです。
もちろん、作品としては中期の作品らしく、例えば当時のピアノで使用可能だった最高音から最低音まで駆け抜けるなどという派手な技巧を披露していますが、それでいながらがむしゃらに驀進していく姿は影を潜めています。

また、もう一つの特徴は不協和音を巧みに使用して告別の痛みを暗示したりもしている事です。
そして、最後は左手が低音域に下降するのに対して、右手がその8倍の速さで最高音まで駆け上がります。
ローゼン先生はそれを遠くに消え行こうとしているものを追いかけて自らも消え失せていくかのようだと評しています。

続く第2楽章はハ短調なのですが、この主調がなかなか確立しないという事をピアニストは分析する必要があるようです。
もちろん、多くの聞き手はその様なことは全く気にもしないのですが、その不安定さが間違いなく「不在」に伴う不安感の表出となっていることは聞き取れます。

また、この楽章で注意が必要なのは、ベートーベンが使用していたピアノには存在しない低音のE音が用いられていることです。
この事は、与えられた現実の中にとどまろうとしないパッションの発露であり、ピリオド演奏の原理主義的価値観に対するベートーベンからの異議申し立てのように聞こえます。

そして、この不在の感情はそのまま一気に第3楽章への「再開」の喜びへと爆発していきます。
そして、この最終楽章で注意しなければいけないのは、展開部におけるダイナミクスの処理であるとローゼン先生は指摘しています。

冒頭で喜びを爆発させた以上は、それ以上の喜びを形として表すことは不可能だと考えたかのように、静かなままで展開部は進行します。にもかかわらず、多くのピアニストはそこでクレッシェンドの誘惑から逃れることは難しいと述べています。
この「爆発」するベートーベンから「沈潜」するベートーベンへの変わり目のようなものが垣間見られる場面かもしれません。

なお、作品番号の「81a」というのは、「告別ソナタ」よりも少し前にボンの出版社が六重奏曲(2本のホルンと弦楽四重奏のための室内楽曲)を「作品81」として出版したので、ベートーベンの作品をすべて出版していたプライトコプフが作品番号の順番を乱さないために「81a」と「81b」と整理したためです。
なんだか「Op,81a」というと、「Op.81」という「第1稿」があるような気になるのですが、そういうわけではありません。

神から与えられた恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響く演奏


演奏家の本質的な部分を考える上で「コンプリートする人」と「コンプリートにはこだわらない人」というのは一つの指標になるはずです。
しかし、世の中は常に「例外」が存在するのであって、この二分法が全く意味をなさない演奏家というものも存在します。やはり、そう言うシンプルな「図式論」で割り切れるほど現実はシンプルではないと言うことなのでしょう。

一般的にいって「コンプリートする人」というのはその一連の演奏に一貫した「論理」みたいなものが通底しています。ですから、その論理に従って一つずつの作品と丁寧に向き合い、じっくりと時間をかけて「全集」を完成させるというのが通常のスタイルです。
例えば、ピアニストで言えばバックハウスなどはその典型だと思うのですが、彼は2回目のベートーベンの全集に10年以上の時間をかけながら結果として29番のソナタを残してこの世を去りました。
モノラル録音による1回目の全集にしても1950年から1955年までの長い時間を要しています。

つまりは、じっくりと時間をかけて一つずつの作品と向き合って丁寧に仕上げていくのがそう言うタイプの演奏家の特徴なのです。
ところが、このケンプというピアニストに関しては、そう言う「常識」が通用しないのです。

外面的に見れば、彼は疑いもなく「コンプリートする人」の部類に入ります。
何しろ、彼はモノラル録音で1回、ステレオ録音で1回の計2回もベートーベンのソナタをコンプリートしているからです。最晩年には、当時は取り上げる人もそれほど多くなかったシューベルトのソナタもほぼコンプリートしています。

さらに調べてみると、ケンプは戦時中の1940年代にもベートーベンの全曲録音に取り組んでいました。
結果としてこの全集は未完成に終わったのですが、もし完成していればシュナーベルに続くコンプリートになる予定でした。
そしてもう一つ、1961年の来日の時にNHKのラジオ放送のためにベートーベンのソナタを全曲録音しているのです。

つまりは、彼はその生涯においてベートーベンのソナタの全曲録音に4回も取り組み、その内の3回は完成させているのです。


  1. 1940年~1943年:SP録音(未完成)

  2. 1951年~1956年:モノラル録音

  3. 1961年:ラジオ放送のためのライブ録音

  4. 1964年~1965年:ステレオ録音



61年のライブ録音は10月10日,12日,14日,16日,26日,27日,30日の7日間で行われています。来日時の限られた日程の中での録音だったのでそれは仕方がないことだったのですが、それ以外のセッション録音の方はクレジットを見る限りはそれなりに時間をかけて取り組んだかのように見えます。
ですから、外見上は疑いもなく「コンプリートする人」のように見えるのです。

ところが、詳しい録音のクレジットが残っている50年代のモノラル録音と60年代のステレオ録音をさらに細かく調べてみると、一見するとそれなりに時間をかけて取り組んだように見えながら、その実態は61年のライブ録音とそれほど変わりのないことに気づくのです。
例えば50年代のモノラル録音をもう少し詳しく見てみると以下のような日程で行われています。


  1. 1951年9月20日:作品110/作品111

  2. 1951年9月21日:作品90/作品106

  3. 1951年9月22日:作品57/ 作品78/作品79

  4. 1951年9月24日:作品53/作品81a

  5. 1951年10月13日:作品7

  6. 1951年12月19日:作品2-2/作品2-3/作品10-1/作品10-2

  7. 1951年12月20日:作品14-2/作品26/作品27-1/作品10-3/作品14-1

  8. 1951年12月21日:作品28/作品31-1/作品31-2

  9. 1951年12月22日: 作品31-3

  10. 1951年9月25日&12月22日:作品49-1

  11. 1951年10月13日&12月22日:作品2-1

  12. 1951年9月25日: 作品49-2/作品54/作品101/作品109




  1. 1953年1月23日:作品13

  2. 1956年5月3&4日:作品27-2

  3. 1956年5月4&5日:作品22



つまりは1951年の9月と12月の10日ほどの間に集中して録音がされていて、落ち穂拾いのように53年と56年に3曲が録音されているのです。
録音の進め方としては61年のライブ録音の時とそれほど大差はありません。

そして、それと同じ事がステレオ録音の方に言えるのです。
煩わしくなるのでこれ以上細かいクレジットは紹介しませんが、ザックリと言って、64年の1月に29番以降の後期のソナタを4曲録音して、その後は9月の4日間で中期の9曲、11月の4日間で初期作品を中心に12曲、そして年が明けた1月の4日間で残された7曲を録音して全集を仕上げているのです。

つまりは、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ケンプという人は「コンプリートにこだわらない人」の感性を持って「コンプリート」しているように見えるのです。
「コンプリートにこだわらない人」の特徴は己の感性に正直だということです。

ですから、普通そう言うタイプの人は「好きになれない音楽」「共感しにくい音楽」をコンプリートするためだけに無理して録音などはしないのですが、なぜかケンプという人は己の感性に従って淡々と録音をしていくのです。
そして、時には1950年12月20日のように、この一日だけで5曲も録音を仕上げてしまったりするのです。
ちなみにその前日には4曲を仕上げていますから、この2日間だけで全体の3分の1近くを仕上げてしまったことになります。

そして、その淡々とベートーベンの音楽を鳴り響かせるケンプの姿に接していると、ブレンデルの「ケンプはエオリアンハープである」という言葉を思い出さざるを得ないのです。
おそらく、ケンプにとってベートーベンやシューベルトの音楽は、好きとか嫌いなどと言う感情レベルで判断するような音楽ではなかったのでしょう。
それはまさに神から与えられた恩寵であり、その恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響くだけだったのかもしれません。

風が吹けば鳴り、風が吹かなければ鳴りやむ、ただそれだけのことだったのかもしれません。

例えば、8番のパセティックの冒頭、普通ならもっとガツーンと響かせるのが普通です。29番のハンマークラヴィーアにしても同様です。

ところが、ケンプはそう言う派手な振る舞いは一切しないで、ごく自然に音楽に入っていきます。そして、その後も何事もないように淡々と音楽は流れていきます。
あのハンマークラヴィーアの第3楽章にしても、もっと思い入れタップリに演奏しようと思えばできるはずですが、ケンプはそう言う聞き手の期待に肩すかしを食らわせるかのように淡々と音楽を紡いでいきます。

普通、こんな事をやっていると、面白くもおかしくもない演奏になるのが普通ですが、ところがケンプの場合は、そう言う淡々とした音楽の流れの中から何とも言えない感興がわき上がってくるから不思議です。
おそらく、その秘密は、微妙にテンポを揺らす事によって、派手さとは無縁ながら人肌の温かさに満ちた「歌」が紡がれていくことにあるようです。

パッと聞いただけでは淡々と流れているだけのように見えて、その実は裏側で徹底的に考え抜かれた「歌心」が潜んでいます。


ケンプのモノラル録音全集に対してこういう言葉を綴ったことがあるのですが、このステレオ録音に対しても全く同じ事が、いやそれ以上にその言葉はステレオ録音の方にこそ相応しいのかもしれません。

しかし、彼の録音をさらに聞き込んでいく中で気づかされたのは、彼の魂とも言うべ「微妙にテンポを揺らす事によって」紡ぎ出される「人肌の温かさに満ちた歌」は、「徹底的に考え抜かれた歌心」ではなくて、まさに彼に吹き寄せる風によって生み出され多た「歌」だったと言うことです。そして、そう言う風が鳴り響かせる「歌」に身を任していれば、音楽にとってテクニックというものはどこまで行っても「手段」にしかすぎないと言うことを再認識させられるのです。

しかしながら、その「歌」の幻想的なまでの心地よさは認めながらも、それでもベートーベンの音楽には演奏する側にとっても聞く側にとっても「傾注」が必要だという事実にも突き当たります。
そして、ケンプの演奏はその様な「論理に裏打ちされた傾注」によって構築されたベートーベンではないことは明らかなのです。ベートーベンという音楽を象るアウトラインが曖昧であり、率直に言ってぼやけていると言われても仕方がありません。つまりは「緩い」のです。

もちろん、そう言う「傾注」と「エオリアンハープ」が同居することなどはあり得ない事ははっきりしています。
そして、その事が明確であるがゆえに、まさにそこにこそケンプの演奏の魅力と限界があると言わざるを得ないのです。
そう考えれば、彼のエオリアンハープ的資質が存分に発揮されるのはベートーベンではなくてシューベルトなんだろうと思われます。

しかし、そこから先のことはシューベルトの録音を取り上げたときに、さらに突っ込んで考えてみたいと思います。

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