クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベルワルド:交響曲第1番 ト短調「厳粛な交響曲」

ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 1962年2月録音





Berwald:Symphony No.1 in G minor "Serieuse" [1.Allegro con energia]

Berwald:Symphony No.1 in G minor "Serieuse" [2.Adagio maestoso]

Berwald:Symphony No.1 in G minor "Serieuse" [3.Stretto]

Berwald:Symphony No.1 in G minor "Serieuse" [4.Adagio-Allegro molto]


スウェーデンのもっとも独創的でモダンな作曲家

フランツ・アドルフ・ベルワルドは、スウェーデン出身の指揮者プロムシュテットなどの貢献などもあって少しずつその存在が知られるようにはなってきましたが、それでも同時代の独襖系の作曲家と較べればその認知度は大きく劣ります。
それにしても、その人生を振り返ってみれば、実に波瀾万丈の連続だったようです。

1796年にスウェーデンの音楽家の家系にに生まれたベルワルドは少年の頃から優れた音楽的才能を発揮していました。しかし、宮廷楽団でヴァイオリニストを務めていた父が亡くなると経済的苦境に陥り音楽活動を継続していくのが困難になります。そこで、彼は心機一転してベルリンに移り住んで創作活動を続けようとするのですが作曲家として認められることはなく、生きていくために整形外科と理学療法の診療所を開業します。
ところが、この診療所が成功をして財を築くことに成功すると、再びウィーンやパリに移り住んで創作活動を再開します。しかしながら、作曲家としての芽が出ることはなく、再びスウェーデンに戻ったベルワルドはガラス工房などを経営しながら創作活動を続けます。

その様なベルワルドの作品がようやくに認められたのは最晩年のことだったのですが、それでもハンスリックなどから「想像力とファンタジーに欠ける作曲家」という酷評を受けました。しかしながら、他方では彼の「ピアノ五重奏曲」を初見で弾いて、その出来映えを高く評価したリストのような音楽家もいたのです。
そして、その評価が確固たるものとなっていくのは彼が亡くなってからのことで、とりわけ、アウリンやステンハンマルら、スウェーデンの音楽家がベルワルドの作品を積極的に紹介し始めたことが契機となりました。そして、20世紀にはいると「スウェーデンのもっとも独創的でモダンな作曲家」と言われるようになり、それが後にプロムシュテットなどの活動につながっていくのです。

ベルワルドはその恵まれぬ創作活動の中においても多くの作品を残しているのですが、そのエッセンスが凝縮されているのが4つの交響曲だと言われています。それらの交響曲は1842年から1845年にかけてのごく短い期間に一気に創作されているのですが、ベルワルドが存命中に演奏されたのは「厳粛な交響曲」という標題がついた第1番だけでした。(1843年にストックホルムでベルワルド立ち会いの下で初演されたらしい)
第2番に至っては自筆楽譜が失われ、スケッチの綿密な調査に基づいてようやく演奏可能な版が作成されたのは20世紀に入ってからのことで、1914年にストックホルム王立歌劇場管弦楽団によって初演されています。
第3番はスコアが失われることはなかったのですが、それでも初演は1905年のことでした。そして、その初演を指揮をしたアウリンによってスコアには随分たくさんの変更が加えられていて、本来の形が復活するのはプロムシュテットによって新版が作成される1965年を待たなければいけませんでした。

そして、第4番はベルワルド自身がもっとも自信を持った作品だったようなのですが、それでも生前には演奏されず、ベルワルドの没後10年にあたる1878年にストックホルム王立歌劇場管弦楽団によって初演されています。

ベルワルドが創作活動を行った時期というのは、若い頃にベートーベンが活躍する姿を目の当たりにしながら、その後シューマンやメンデルスゾーン、ショパンやリストが活躍する姿を横目で睨みながらの時期だったと言えます。そして、一時移り住んだパリではベルリオーズが大きな位置を占めていました。
そう言う意味では、彼もまた古典派から初期ロマン派へと向かいつつある流れの中で創作活動を行ったのですが、そこにある種の北欧的感性のようなものも息づいていたのが最大の特徴だったと言えます。そして、その作品の完成度の高さは、同時代に多くの交響曲を残したロマン派の音楽家たち、シューマン、メンデルスゾーンと較べても遜色はないように思われます。

ベルワルド:交響曲第1番 ト短調「厳粛な交響曲」



この交響曲はベルワルドの存命中に唯一演奏された交響曲です。そして、彼が残した4つの交響曲の中でももっともロマン派的な雰囲気が濃厚な作品となっています。
ベルワルドという人は意外なほどに幅広いジャンルを手がけているのですが、その中に「ソリアのエストレッラ」という歌劇も含まれています。今では上演される機会はほとんどないと思われるのですが、この歌劇は彼が存命中に上演された数少ない作品の一つで、この歌劇の序曲と交響曲第1番の第1楽章はほぼ同じ音楽と言うことです。

そう言う意味でも、この交響曲の第1楽章は彼が書いた交響曲の中ではもっともロマン的な情緒に溢れているといえます。
続く第2楽章では牧歌的な雰囲気と嵐のような激しさが交錯するのですが、そこにも「ソリアのエストレッラ」からのモチーフがたくさん用いられているようです。

そして、第3楽章では通常ならば「Scherzo」が用いられるのですが、ベルワルドはここを「ストレット(Stretto)」としています。それは、ただ単に速度をよりはやめるのではなくて、より一層の緊迫感を欲したのでしょう。それは悲劇的な感情は押し寄せてくるような音楽なのですが、中間部では突然かけ離れた調へ転調することで音楽の雰囲気が突然変わるのがベルワルドらしいといえます。
そして、その辺りが母国のスウェーデンではなかなか認められなかった要因だったのかもしれません。

フィナーレ楽章は切れ目なしに演奏されるのですが、その「Adagio」の部分は楽章全体から言えば導入部にあたります。主部はそれに続く「Allegro molto」なのですが、いわゆる第1主題にあたる部分がなかなか登場しません。やがて、弦と木管の強奏によってその主題が登場するのですが、その主題の出し方が当時としてはいささか不器用に感じられたようで、その辺りも彼が評価されなかった一因となったようです。
そして第2主題がややテンポを落として登場すると、最後はオーケストラ全体がピアニシモからフォルティシモへと華々しく駆け上がって全曲を閉じるという派手な終わり方をします。

ドイツ・オーストリア系の正統派交響曲という視点で構成すればこうなった


イッセルシュテットにしてみれば非常に珍しい録音だと思われます。そして、はてさて、どういう経緯でこのような作品を録音することになったのかと思案してみれば、そうか、イッセルシュテットは1955年から1964年までストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めていたことに気づきました。
イッセルシュテットと言えば北ドイツ放送交響楽団の指揮者というイメージが強いのですが、この10年間はストックホルムでの仕事も兼任していたのです。

そして、そう言うつながりに目をつけて録音の依頼をしてきたのがフランスのレーベルだった「ACCORD」でした。このレーベルは21世紀に入ってからユニヴァーサル・ミュージックに買収されて、その傘下のマイナーレーベルの音源も「ACCORD」としてリリースされるようになってしまって正体不明の訳の分からない存在になっているのですが、もとをただせば伝統あるフランスのレーベルでした。
そう言えば、この同じ年にイッセルシュテットと北ドイツ放送交響楽団はブラームスのハンガリー舞曲の全曲録音を行っているのですが、それもまた「ACCORD」でした。

すでにふれた事があるのですが、イッセルシュテットという人は、その実力のわりには録音運のない人でした。50年代の初めには「Decca」と、その中頃には「CAPITAL」と専属契約を結んでまとまった録音を継続できそうな雰囲気になるのですが、あれやこれやの不運も重なって実現しませんでした。
ですから、特定のメジャーレーベルと専属契約を結んで、そのレーベルのカタログを作りあげていく中核的な地位を占めることが出来なかったのです
結果として、その時々に依頼のあったあれこれのレーベルと録音を行うというスタイルが続き、ようやく最晩年に日の光が当たって「Decca」とベートーベンの交響曲全集の録音などを行うことが出来るようになったのでした。

ですから、このベルワルドの録音もイッセルシュテットにとってはどれほど意欲的に取り組もうと思えたのかは疑問です。しかしながら、母国の偉大な作曲家であったベルワルドの作品を録音すると言うことになれば、ストックホルム・フィルの方ばやる気全開、それこそ120%の意気込みで録音に臨んだことは疑いありません。
ですから、イッセルシュテットにしてみれば、そう言うやる気満々のオーケストラを上手くコントロールしながら、この馴染みのうすい交響曲をベートーベンから初期ロマン派に至る過程にある作品として造形しているように聞こえます。
もちろん、ベルワルドという作曲家を本当の意味で世に出したのはプロムシュテットの功績だと思うのですが、それと比べればいささかどっしりとしすぎた表現かもしれません。
時代を考えればおそらくは手探り状態での音楽作りだったのではないかと思われるのですが、それ故に、ドイツ・オーストリア系の正統派交響曲という視点で構成すればこうなったという雰囲気だったのかもしれません。

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