チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 Op.48
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1966年10月録音
Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48 [1.Pezzo in forma di sonatina. Andante non troppo - Allegro moderato ]
Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48 [2.Valse. Moderato. Tempo di Valse]
Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48 [3.Elegia. Larghetto elegiaco ]
Tchaikovsky:Serenade for Strings in C Major Op.48 [4.Finale (Tema russo). Andante - Allegro con spirito ]
スランプ期の作品・・・?

まずは、弦楽セレナード、そして4つの組曲、さらにはマンフレッド交響曲の6曲です。マンフレッド交響曲は、その標題性からしても名前は交響曲でも本質的には多楽章構成の管弦楽組曲と見た方が自然でしょう。
まず第4交響曲は1877年に完成されています。
- 組曲第1番:1879年
- 弦楽セレナード:1880年
- 組曲第2番:1883年
- 組曲第3番:1884年
- マンフレッド交響曲:1885年
- 組曲第4番:1887年
そして、1888年に第5交響曲が生み出されます。
この10年の間に単楽章の「イタリア奇想曲」や幻想的序曲「ロミオとジュリエット」なども創作されていますから、まさに「非交響曲」の時代だったといえます。
何故そんなことになったのかはいろいろと言われています。まずは、不幸な結婚による精神的なダメージ説。さらには、第4番の交響曲や歌劇「エウゲニ・オネーギン」(1878年)、さらにはヴァイオリン協奏曲(1878年)などの中期の傑作を生み出してしまって空っぽになったというスランプ説などです。
おそらくは、己のもてるものをすべて出し切ってしまって、次のステップにうつるためにはそれだけの充電期間が必要だったのでしょう。打ち出の小槌ではないのですから、振れば次々に右肩上がりで傑作が生み出されるわけではないのです。
ところが、その充電期間をのんびりと過ごすことができないのがチャイコフスキーという人なのです。
オペラと交響曲はチャイコフスキーの二本柱ですが、オペラの方は台本があるのでまだ仕事はやりやすかったようで、このスランプ期においても「オルレアンの少女」や「マゼッパ」など4つの作品を完成させています。
しかし、交響曲となると台本のようなよりどころがないために簡単には取り組めなかったようです。しかし、頭は使わなければ錆びつきますから、次のステップにそなえてのトレーニングとして標題音楽としての管弦楽には取り組んでいました。それでも、このトレーニングは結構厳しかったようで、第2組曲に取り組んでいるときに弟のモデストへこんな手紙を送っています。
「霊感が湧いてこない。毎日のように何か書いてみてはいるのだが、その後から失望しているといった有様。創作の泉が涸れたのではないかと、その心配の方が深刻だ。」
1880年に弦楽セレナードを完成させたときは、パトロンであるメック夫人に「内面的衝動によって作曲され、真の芸術的価値を失わないものと感じている」と自負できたことを思えば、このスランプは深刻なものだったようです。
確かに、この4曲からなる組曲はそれほど面白いものではありません。例えば、第3番組曲などは当初は交響曲に仕立て上げようと試みたもののあえなく挫折し、結果として交響曲でもなければ組曲もと決めかねるような不思議な作品になってしまっています。
しかし、と言うべきか、それ故に、と言うべきか、チャイコフスキーという作曲家の全体像を知る上では興味深い作品群であることは事実です。
<弦楽セレナード ハ長調 Op.48>
チャイコフスキーはいわゆるロシア民族楽派から「西洋かぶれ」という批判を受け続けるのですが、その様な西洋的側面が最も色濃く出ているのがこの作品です。チャイコフスキーの数ある作品の中でこのセレナードほど古典的均衡による形式的な美しさにあふれたものはありません。ですから、バルビローリに代表されるような、弦楽器をトロトロに歌わせるのは嫌いではないのですが、ちょっと違うかな?という気もします。
チャイコフスキー自身もこの作品のことをモーツァルトへの尊敬の念から生み出されたものであり、手本としたモーツァルトに近づけていれば幸いであると述べています。ですから、この作品を貫いているのはモーツァルトの作品に共通するある種の単純さと分かりやすさです。決して、情緒にもたれた重たい演奏になってはいけません。
- 第1楽章 「ソナチネ形式の小品」
- 第2楽章 「ワルツ」
- 第3楽章 「エレジー」
- 第4楽章 「フィナーレ」
オケの響きを変えていくための「作業場」と化している
カラヤンが多くの人々から受け入れられた最大の魅力は、ベルリン・フィルというオーケストラを徹底的に鍛えて、未だ誰も耳にしたことがなかったような希有の響きを実現したことであり、その希有の響きによってきわめて「完成度」の高い「録音」を作りあげたことでしょう。
とりわけ、「録音」という行為に関して言えば、それがもっている「価値」をはじめて明らかにした指揮者でした。
言うまでもないことですが、いわゆる「巨匠」と呼ばれた昔の偉大な指揮者達は「録音」という行為に対して基本的には「懐疑的」でした。
音楽とは劇場において演奏されるものであり、その「劇場」という神聖な空間において、演奏者と聴衆が「時と場所」を共有することによってその価値が真に明らかとなるものだったのです。そして、「録音」というものは、その「時と場所」を共有できない人のために用意された「やむを得ない代替措置」にしかすぎなかったのです。
そして、このような考えは今もなくなってはいません。
CDを何枚も買うくらいなら、一度でいいからコンサート会場に足を運んでほしいと語る演奏家は少なくありません。
しかし、カラヤンはその様な「常識」に対して真っ向から挑戦した人でした。
彼は、コンサートは数千人を相手にした営みだが、録音はその向こうに数十万人の聞き手が存在していることを明確に意識していた音楽家でした。そして、「時と場所」を共有している数千人に対する営みと、「時と場所」を共有していない数十万人を相手にした営みとでは、同じ音楽を演奏するという行為であっても、その質は全く異なることも完璧に理解していました。
カラヤンのリハーサルは細部に徹底的にこだわり、そう言う細部が自分のイメージ通りに演奏できるまで執拗に繰り返しました。
オーケストラにしてみれば実にウンザリするような時間だと思うのですが、そのウンザリするような繰り返しが結果として録音の完成度を高め、それがレコードの売り上げに結びつき、結果として自分たちの収入の向上に結びつくという現実を見せつけられれば誰も文句も言えなくなるのです。
カラヤンという男が本当にしたたかだと思うのは、60年代の初めにベートーベンやブラームスの交響曲という本線中の本線でオーケストラの信頼を勝ち取ると、それを梃子としていよいよ自分が理想とするオーケストラの響きを作り始めることです。
61年から63年にかけてそう言う本線の録音を終えると、64年からはチャイコフスキーやムソルグスキー、リムスキー・コルサコフなどのロシア音楽、夏の避暑地でのバッハやヘンデル、モーツァルトなどの録音が増えてくるのです。
特にチャイコフスキーへの集中は明らかで、そこでは、明らかにオケの響きを変えていくための「作業場」と化しているように思えるほどです。
もちろん、その事は「展覧会の絵」や「シェエラザード」でも同様です。
ここでは、すでにドイツの田舎オケだったベルリンフィルの面影は全くありません。あのザラッとした生成りの無骨な響きはフルトヴェングラー時代からのトレードマークだったのですが、その古い響きはカラヤンがオケのシェフに就任してからの10年で完全に過去のものになってしまいました。
ただし、低弦楽器を中心とした分厚めの低域を土台としてバランスよく響きを積み上げていくスタイルは失っていません。
それは、この「弦楽のためのセレナード」でも「くるみ割り人形」の組曲でも同様であり、昨今よく聞かされる薄めの蒸留水のような響きとは異なります。そして、その様なオーケストラの音づくりは最後まで変わることはありませんでした。
その意味では、カラヤンという人の根っこは今という時代から振り返ってみれば「古い世代」に属する音楽家だったのだと気づかされます。
そして、今もなお彼の音楽が聞き続けられる背景には、そのような「古さ」があったからではないかとも思われます。
ただし、例えばバルビローリのセレナードなんかと較べてみると、カラヤンの生真面目さみたいなものも伝わってくる演奏でもあります。
バルビローリは「ミニ・カラヤン」みたいな言われ方をされたのですが、彼の音楽はもっと爛熟しています。そして、そう言う爛熟した音楽をやるにはカラヤンは生真面目すぎたようです。
確かに、弦楽器は徹底的に磨き抜かれていますが、バルビローリみたいなトロトロ感はありませんので、崩れ落ちようとする魅力ではなくて、ひたすら立派さが前面に出てきます。
「くるみ割り人形」での管楽器の上手さと音色の美しさも見事なのですが、それもまたひたすら生真面目で立派です。
ただし、こうして作りあげられた60年代中葉のベルリンフィルの響きは、個人的には頃合いのいいところかなとも思われます。しかし、カラヤンにとってはこれもまた一つの通過点であったことは70年代の録音で明らかになっていくのです。
ただし、あそこまで腰のない響きに変貌してしまうと、さすがに違和感を感じてしまう人が多くなったことは事実です。
しかし、あのドーピングされたような音色でも、低弦楽器の分厚い響きは健在でした。
それだけは、終生変わることはありませんでした。
カラヤンがこの世を去って30年近い時間が経過しました。
80歳を超えての死ですから十分に生きた人だったと思うのですが、それでもピリオド演奏が台頭してくる時代まで、後もう少し長生きをしていたならば、そう言うムーブメントに対してどういう姿勢をとったのかは少しばかり興味があります。
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