ハイドン:交響曲第86番
ワルター指揮 ロンドン交響楽団 1938年録音
Haydn:交響曲第86番「第1楽章」
Haydn:交響曲第86番「第2楽章」
Haydn:交響曲第86番「第3楽章」
Haydn:交響曲第86番「第4楽章」
パリ交響曲の中では最大の楽器編成を持つ作品
ハイドンはパリの出版者からの依頼ではじめて交響曲を書いたときも、楽器編成はエステルハージ家のものと同じ編成でした。しかし、パリ交響曲の最後を飾る二つの作品(この86番と82番「熊」)では、ティンパニーを追加し、さらにこの86番の交響曲ではトランペットまでも追加してより華やかな作品に仕上げています。
いかに大貴族とはいえ、宮廷のなかのコンサートと多くの聴衆を収容したコンサートホールでは求められるものが違うことに気づいたと言うことでしょうか。その意味では、エステルハージ家のオケとは比べものにならないほどに強力なザロモンのオーケストラを前提とした一連のザロモンセットへと飛躍していく契機なった作品といえるかもしれません。
ハイドンの交響曲の概要
ハイドンがはじめて交響曲を作曲した時期については1759年と1757年という二つの説がありました。1759年とする説は、グリージンガーなる人物が最晩年のハイドンから聞き取りを行って交響曲のナンバーリングを行ったときに、ハイドンが第1番の交響曲と語った作品の創作時期が1759年だったためです。
しかし、グリージンガーが聞き取りを行ったときのハイドンは老境にあって記憶力がかなり曖昧になっていたようで、番号と創作時期は必ずしも一致していないことは指摘され続けてきました。そのため、ハイドンの第1番の交響曲は必ずしも最初の交響曲ではないと言う疑問も提出されていたわけです。
そしてこの論争は、チェコで一つの筆写譜が発見されることで決着が付きました。その筆写譜とは1758年というと言う日付の入った37番の交響曲の筆写譜です。これによって、ハイドン自身が第1番と語った交響曲よりも前に、既にいくつかの交響曲が書かれていたことが明らかとなり、少なくともその最初の創作時期は1757年までさかのぼることになったわけです。
それでは、最後の交響曲は何かと聞かれれば、こちらの方は明確に答えることができます。それは、第2期ザロモンセットと呼ばれる一連の交響曲であり、1793年から95年にかけて6曲の交響曲が創作されています。
つまり、ハイドンは40年をこえる年月をかけて100をこえる交響曲を書き続けたわけで、その創作期間は1756年にザルツブルグで生まれ、1791年にウィーンで亡くなったモーツァルトの全生涯を覆い尽くしてなお余りがあります。さらに、ハイドンという人はルーティンワークとしてたくさんの交響曲を書き続けたわけでなく、常に実験的精神を忘れることなく様々なトライを試み続けることによって、結果として100をこえる交響曲が積み上がったわけです。ですから、時期が異なればそれは同一人物の手になる作品とは思いがたいほどに変容を遂げているのがハイドンの交響曲の特徴です。
そのために、創作時期によっていくつかのグループに分類して把握することが一般的です。
1.ウィーン時代(1757〜1761年):モルツィン伯爵家の楽長時代
ハイドンの最初期の交響曲が創作された時期ですが、自筆楽譜は一切残っていないため、どこの交響曲がこの時期に作曲されたのかは筆写譜などの研究によって推定するしかないようです。1・4・5・11・19・32・33・37番あたりは間違いなくこの時期の作品だとされているようです。
2.エステルハージ家の副楽長時代(1761〜1766年):週2回行われる演奏会のために交響曲を作曲していた
ハイドンが本格的に交響曲の創作に着手したのはこの時代です。自筆楽譜から間違いなく断定できる10曲に加えて、およそ25曲程度がこの時代の作品だと言われています。6番「朝」・7番「昼」・8番「晩」の三部作や22番「哲学者」、31番「ホルン信号」などが代表作です。
3.エステルハージ家の楽長に昇進した時代(1766年〜1775年):ヴェルナーの死去によって楽長に昇進して、宗教音楽やオペラにも関与しはじめた時代
この時代にハイドンは劇的な短調の作品を書いたために「疾風怒濤の時代」と呼ばれてきましたが、最近はその様な特徴付けには疑問が出されています。確かに、44番「悲しみ」や49番「受難」などは悲劇的な色彩が強い作品ですが、それは表現の可能性を追い求める中での一つの創造物であり、それをハイドン自身の人生と関連づける見方は今日では否定されています。この時代の代表作としては前述の2作品以外に45番「告別」がとりわけ有名です。
4.オペラの時代(1775〜1784年):エステルハージ家のオペラ監督として活躍した時代
雇い主である侯爵がオペラを好み、そのためにオペラ監督として劇場の仕事が中心に座っていた時代の作品です。交響曲もその様な侯爵の好みを反映して舞台音楽のような娯楽性が前面にでた作品が多くなっています。ハイドンはその様な試みには飽き飽きしてしまったようで、後に「古いパンケーキのような作品」とぼやいています。この時代の特徴があらわれた作品としては、53番「帝国」、55番「校長先生」、59番「火事」、60番「うかつ者」などが有名です。
5.外国からの依頼の時代(1785〜1790年):外国の出版社からの依頼で交響曲を作曲した時代
侯爵家の楽長として、侯爵家のためだけに音楽を書いてきたハイドンが、はじめて出版者からの依頼で作曲をした時代です。フランスの出版者からの依頼で書いたパリ交響曲(82〜87番)がその最初の者で、88番「V字」、92番「オックスフォード」が特に有名です。
6.ロンドンでの活躍の時代(1791〜1795年):いわゆるザロモンセットと呼ばれる交響曲を作曲した時代
長年仕えた侯爵の死によって事実上自由となったハイドンが、ロンドンの興行主ザロモンの依頼でイギリスに渡り、新作の交響曲を中心とした演奏会を行いました。第1回目の渡英で書かれたのが93〜98番までの第1期ザロモン交響曲、2回目の渡英のために書かれたのが99番〜104番の第2期ザロモン交響曲です。今日では、この両者を併せてザロモンセットと呼ばれますが、ハイドンの交響曲の到達点を示す素晴らしい作品群です。どれをとっても素晴らしい作品ばかりですが、94番「驚愕」はハイドンの全作品中でも最も有名な作品だといえます。それ以外でも、100番「軍隊」、101番「時計」、104番「ロンドン」などは今日のコンサートなどでもよく取り上げられる作品です。
コケティッシュでチャーミングなハイドン
ワルターは戦前のSP番録音で残したハイドンとしては100番「軍隊」が有名ですが、それ以外にも86番や92番の交響曲の録音を残してくれています。
この86番のシンフォニーでは相棒がイギリスのオケなので味はいささか薄めですが(ウィーンフィルによる100番「軍隊」の方が濃すぎるのかもしれませんが・・・)、ワルターらしい実に魅力的なハイドンを聴かせてくれています。誤解を恐れずに一言で言えば、コケティッシュでチャーミングなハイドンです。
古楽器演奏が全盛の昨今では、このような演奏を聞くと奇異に感じたり、中には拒絶反応を示す人も多いようですが、私などはこちらの方がよほど落ち着いて聞いていることができます。
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