チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴(Pathetique)」
フリッチャイ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年7月1日~4日録音
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor Op.74 "Pathetique" [1.Adagio - Allegro non troppo]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor Op.74 "Pathetique" [2.Allegro con grazia]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor Op.74 "Pathetique" [3.Allegro molto vivace ]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor Op.74 "Pathetique" [4.Adagio lamentoso]
私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。

チャイコフスキーの後期の交響曲は全て「標題音楽」であって「絶対音楽」ではないとよく言われます。それは、根底に何らかの文学的なプログラムがあって、それに従って作曲されたというわけです。
もちろん、このプログラムに関してはチャイコフスキー自身もいろいろなところでふれていますし、4番のようにパトロンであるメック夫人に対して懇切丁寧にそれを解説しているものもあります。
しかし6番に関しては「プログラムはあることはあるが、公表することは希望しない」と語っています。弟のモデストも、この6番のプログラムに関する問い合わせに「彼はその秘密を墓場に持っていってしまった。」と語っていますから、あれこれの詮索は無意味なように思うのですが、いろんな人が想像をたくましくしてあれこれと語っています。
ただ、いつも思うのですが、何のプログラムも存在しない、純粋な音響の運動体でしかないような音楽などと言うのは存在するのでしょうか。いわゆる「前衛」という愚かな試みの中には存在するのでしょうが、私はああいう存在は「音楽」の名に値しないものだと信じています。人の心の琴線にふれてくるような、音楽としての最低限の資質を維持しているもののなかで、何のプログラムも存在しないと言うような作品は存在するのでしょうか。
例えば、ブラームスの交響曲をとりあげて、あれを「標題音楽」だと言う人はいないでしょう。では、あの作品は何のプログラムも存在しない純粋で絶対的な音響の運動体なのでしょうか?私は音楽を聞くことによって何らかのイメージや感情が呼び覚まされるのは、それらの作品の根底に潜むプログラムに触発されるからだと思うのですがいかがなものでしょうか。
もちろんここで言っているプログラムというのは「何らかの物語」があって、それを音でなぞっているというようなレベルの話ではありません。時々いますね。「ここは小川のせせらぎをあらわしているんですよ。次のところは田舎に着いたうれしい感情の表現ですね。」というお気楽モードの解説が・・・(^^;(R.シュトラウスの一連の交響詩みたいな、そういうレベルでの優れものはあることにはありますが。あれはあれで凄いです!!!)
私は、チャイコフスキーは創作にかかわって他の人よりは「正直」だっただけではないのかと思います。ただ、この6番のプログラムは極めて私小説的なものでした。それ故に彼は公表することを望まなかったのだと思います。
「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
チャイコフスキーのこの言葉に、「悲愴」のすべてが語られていると思います。
悲劇的なものへの親近感
楽しい音楽というものを聞いたことがない・・・と、言ったのはシューベルトだったでしょうか。確かに、すぐれた音楽というものはその中になにがしかの悲劇性を内包しているものです。よく言われるように、それが澄み切った青空のようなモーツァルトの長調の作品であっても、その青さの中に言いしれぬ悲劇性が顔を覗かせていたりするものです。
そして、病を得てからのフリッチャイの音楽を聴いていると、そう言う悲劇的なものへの傾斜が大きくなっているような気がします。
そして、作品によっては、そう言う悲劇的なものに肩入れしすぎるがゆえに、かえって足下をすくわれているような場面もあるかのように見えます。その典型が59年に録音されたモーツァルトのト短調シンフォニーでしょう。
これはもう語り尽くされるほどに語り尽くされていることですが、モーツァルトは壊れやすいのです。
ただし、その同じ録音を聞いて、それを形にとらわれずに作品が内包している悲劇性に肉薄したという人がいたとしても、私は否定しようとは思いません。
ただ、こうやって彼の晩年の録音を聞いていると、その悲劇性におぼれるように対峙してもそれほど作品の形が崩れないものと、驚くほどにそう言うスタンスを拒否するものがあると言うことです。拒否するものの典型が言うまでもなくモーツァルトです。
逆に、形が崩れない典型はチャイコフスキーの音楽でしょうか。
とりわけ、59年に録音された「悲愴」は、この作品の最も優れたアプローチの一つでしょう。そして、ドイツ・グラモフォンがこのすぐれた録音をお蔵入りさせてしまったことには驚きを禁じ得ません。
同じように、リストの前奏曲やスメタナのモルダウのようなロマン派の小品を聞いていると、悲劇的なものへの近しさというスタンスが実に上手くはまっているように思えます。そう言えば、ウェーバーの舞踏への招待なんかも実にいい感じです。
ところが、シュトラウスのワルツのような音楽になると悲劇性がいたって希薄なので、今度はそこへ自分の気分を反映させようとして逆におかしな事になっているような場面もあったりします。そう言う録音を聞いていると、どうしてこんなものを取り上げたんだろうと訝しく思ってしまいます。(まあ、レーベル側からの要望があったのでしょうね。)
それから、意外だなと自分でも思ったのがベートーベンです。61年に録音された運命などは、ズブズブに悲劇性に絡め取られているように聞こえるのですが、ベートーベンにはそれを引き受ける強さがあります。
そして、バルトークのような作品になると、その悲劇性が数学的な精緻さで構築されていることは手に取るように分かるので、そこで悲劇性に足下をすくわれるようなことは起こるはずもないと言うことです。それどころか、あの60年にアンダを迎えて録音されたピアノ協奏曲の録音を聞いていると、バルトークの悲劇性とフリッチャイの悲劇性が同化して、まるで孔子の従心「心の欲する所に従いて矩を踰えず」のような境地に達しているかのようです。
しかし、そうやって彼の晩年(と言っても40代の若さだったわけですが)の録音を聞いていると、その素晴らしさは認めながらも、失ったものの大きさも感じずにはおれません。
あの、50年代の初頭に聞くことが出来た、弾むようなリズム感に裏打ちされた、精緻でありながらも強い推進力に満ちた音楽は姿を消してしまいました。それは、この隔てられた二つの時期において録音された同一の作品を聞いてみると、そのお思いはよりいっそう強くなります。
既に紹介しているものとしては、モーツァルトの二つの交響曲(29番・41番)があるのですが、41番のジュピターなどは古い録音の方に好ましさを感じている自分がいたりします。
それ以外にも、チャイコフスキーの「悲愴(53年・59年)」やドヴォルザークの「新世界より(53年・59年)」などもあります。
変わることによって得たものが大きかった事は否定しませんが、同じように失ったものも大きかったことも否定しようがありません。
ただ、こうやってフリッチャイについてあれこれ述べていながら、実は大きな欠落があることも自覚しています。
それはただの一つも彼のオペラ作編の録音について触れていないことです。
これでは、少なく見積もってもフリッチャイという指揮者の半分しか見ていないと言うことになります。ですから、それなりにペラ作品の録音を概観してからだと、また違ったフリッチャイの姿が見えてくるのかもしれません。
ですから、彼についてこれ以上のことをあれこれ言おうと思えば、それなりに彼のオペラを聞いてからにした方がいいのかもしれません。
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