ショーソン:詩曲 作品25
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1946年録音
Chausson:Poeme Op.25
世紀末を反映した音楽
ショーソンは若くして(44歳)不慮の事故(一部では自殺説もあるそうです)で亡くなったために、日本での認知度はあまり高くないようです。
そんな中で、唯一知れ渡っているのがこの「詩曲」です。
しかし、神秘的に静かに始まって、そしてあまりおおきな盛り上がりも見せずに最後も静かに曲を閉じるこの作品は、それほど一般受けする作品とも言えません。
ショーソンは表面的には非常に恵まれた環境のもとでその人生を送ったかのように見えます。幼い頃から優れた家庭教師によって英才教育を施され、幸せな結婚と裕福な家庭生活を築き上げると言う、ヨーロッパにおける典型的な中産階級の一員でした。
しかし、そんな表面的な豊かさとは裏腹に、彼の作品からは、その内面に巣くっているどうしようもないペシミズムが見え隠れします。
この「詩曲」の全編を覆っている夢も、儚さだけでなく、何だかゾッとするような情念があちこちで姿を見せます。それは疑いもなく、世紀末ヨーロッパを蔽っていた、とらえ所のない漠然とした焦燥感や苛立ちのようなものが反映しています。
最初はツルゲーネフの『勝ち誇れる恋の歌』に触発されて書き始められたものの、やがてはその標題性を破棄して、ただ単に『詩曲』とされたのは、狭い文学世界のテーマを乗り越えて、その様な時代の風を反映したより普遍性の高い作品になった事への自負もあったのでしょう。
早熟の天才
ジネット・ヌヴーというヴァイオリニストを語るとき私は二つのことを忘れてはいけないと考えています。
まず一つめは、その驚くべき早熟さについてです。
彼女はわずか7歳で、パリのサール・ガボヴォーにてブルッフのヴァイオリン協奏曲で公式のデビューを飾っています。そして、10歳にして大家ジョルジュ・エネスコに学び、それでも物足りなくて11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリのクラスに入る事を許されます。さらに驚くべきはそのクラスも入学後わずか8ヶ月で首席に輝いて卒業してしまったことです。
しかし、真に驚くべき事は、15歳の時にカール・フレッシュの勧めで参加した第1回ヴィエニャフスキ国際音楽コンクールで優勝したことです。
「エー、15歳でコンクールに優勝?そりゃ凄いんでしょうが、でも驚くほどのことではないでしょう」
全くその通り、それだけでは何も驚くべき事ではありません。
ただし、そのコンクールでヌヴーに敗れて2位になったのがすでに26歳になっていたダヴィッド・オイストラフだと知ればいかがでしょう?
ヌヴーに敗れたオイストラフは妻に宛てた手紙の中で「2位になれたことで、ぼくは満足している」と述べ、ヌヴーのことを「悪魔のようだった」と絶賛しています。
15歳の小娘が26歳のオイストラフを凌駕したのです。そして、その事実をオイストラフ自身も素直に認めざるを得ないほどの凄さだったのです。
これを早熟と言わずしてなんと言えばいいのでしょうか。
ヌヴーと言えば、悲劇の飛行機事故によって30歳で早世したことが語られます。そのために、残された録音も少なく、長生きしていればどんなに素晴らしい演奏を聴かせてくれたことだろうと言う「イフ」がよく語られます。
ヌヴーのスタジオ録音は戦前の38年から39年にかけての小品集と45年から48年にかけてのロンドンでのレコーディングだけです。10代の後半と20代後半の限られた時期にしかスタジオ録音を残していません。
しかし、ヌヴーに関して言えば、たとえ戦前の10代の録音であっても、それをほんの小娘の未熟な録音などとは努々疑ってはいけません。15歳でオイストラフに「悪魔のようだった」と言わしめたヴァイオリニストの録音が未熟であるはずはないのです。ヌヴーの録音に若さ故の青さを指摘する記述も散見するのですが、どこに耳がつているかと思ってしまいます。
実は、これより先に、ヌヴーに負けないほどの早熟の天才がいました。しかし、その天才は長く活躍した故に、若い時代の早熟ぶりに関してはみんな忘れてしまいました。
そう、ハイフェッツです。
ですから、この完璧な天才をけなす言葉は一つしかなかったのです。
「そう、確かに彼は凄いよ。でも、あいつは13の時からちっとも進歩していない。」
早熟の天才が真の天才になるというのはそう言うことなのです。
そして、もしもヌヴーが長生きできていたならば、果たしてハイフェッツのように語られたかどうかは分かりません。もしかしたら、ただの早熟の天才で終わった可能性も否定できません。
ただ、疑いもない事実は、彼女もまたハイフェッツのように若くして一つの頂点に達していたと言うことです。
ですから、彼女の教育に携わったジュール・ブーシュリやカール・フレッシュは、その言葉を信ずるならば、ごくわずかの純粋にテクニック的な事柄についてしかアドバイスをしなかったそうです。
しかし、10歳の時に彼女を教えたジョルジュ・エネスコは「こんどはこの曲を少し違ったふうに奏いてごらん。」というテクニック面以外のアドバイスをしました。それに対して10歳のヌヴーは「わたし、自分が感じたようにしか奏けません」と言い返したという話が伝説として伝えられています。
まあ、10歳だったから怖いものなしだったとも言えるのでしょうが、この「わたし、自分が感じたようにしか奏けません」と言い返した言葉の中に私が注目したい2つめがあります。
それは、ヌヴーというヴァイオリニストは最初から最後まで、己の信じる音楽だけを表現し続けたと言うことです。
ただし、それを上のような言葉にしてしまえば陳腐です。どんな盆暗でも「俺の音楽を聴いてくれ!」なんて言いますからね。
しかし、盆暗は表向きはそんなことを言っていても、その実は周囲から評価されようとして右往左往しているが常なのです。本当にその言葉通りに、まわりの評価や雑音などには一切耳を貸さず、掛け値なしに自分の信じた音楽を貫き通した演奏家などは滅多にいるものではありません。
しかし、10歳にしてエネスコの助言に対して「わたし、自分が感じたようにしか奏けません」と言い返したヌヴーは、その言葉を生涯守り続けました。ヌヴーがヴァイオリンを使って表現しようとしたものは、徹頭徹尾、自分自身だったのです。
この世の中で一番強いのは自分を信じている人です。
そして、その信じた自分を表現するとき、人は最大の力を発揮し、そして信じがたいほどの事を現実に成し遂げてしまいます。
ヌヴーの音楽は、その信じがたいことを成し遂げた一つの偉大なる例です。
ヌヴーの演奏を聴けば、表面的には明らかにハイフェッツの存在を意識せずにはおれなくなった時代の演奏家であることは事実です。高いテクニックで作曲家がスコアに託した音符を音化していく事はすでにこの時代の演奏家の義務となっていたはずです。そして、彼女は10代の前半においてその義務を完全に果たしていたのです。
しかし、彼女のヴァイオリンによって音化された音楽は間違ってもハイフェッツの亜流などにはなっていません。どれを聞いてもヌヴーが信じた音楽となっています。
それ故に、彼女の演奏はどれを聴いても強い緊張感を維持しながらも、その内側からメラメラと炎が吹き上がるような熱さを感じます。ハイフェッツになくてヌヴーにあるのはこの燃え上がる炎です。
彼女が残したスタジオ録音は以下の通りです。
少ないと言えば本当に少ない数です。飛行機事故にあったアメリカでの演奏旅行の後にはベートーヴェンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、さらにはエドウィン・フィッシャーとの協演によるブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲の録音が予定されていたそうです。そう思えば、無念の思いはこみ上げますが、それでも、これだけ残ったことを神に感謝しないといけないのでしょう。
<1938年録音>
クライスラー:バッハの様式によるグラーヴェ ハ短調
スーク:4つの小品 op.17?第3曲「ウン・ポコ・トリステ」
スーク:4つの小品 op.17?第2曲「アパッショナータ」
ショパン/ロディオノフ編:夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)
グルック:『オルフェオとエウリディーチェ』?メロディー
パラディス/ドゥシキン編:シチリア舞曲
<1939年録音>
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調 op.18
タルティーニ/クライスラー編:コレッリの主題による変奏曲
<1945年録音>
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 op.47
<1946年録音>
ショパン/ロディオノフ編:夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)
ディニーク/ハイフェッツ編:ホラ・スタッカート
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.77
スカルラテスク:バガテル
ファリャ/クライスラー編:歌劇『はかなき人生』?スペイン舞曲
ラヴェル:ツィガーヌ
ラヴェル:ハバネラ形式の小品
スーク:4つの小品op.17
ショーソン:詩曲op.25
<1948年録音>
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ ト短調
シベリウスのコンチェルトは45年の録音としては驚異的に音がよかったので、それに続く46年録音も期待したのですが、何故か理由は分からないのですがかなり音質は落ちます。
理由はよく分かりませんが・・・、それでもこの時代の録音としてはかなり良好です。そう言う意味では、ヌヴーはかなり幸運だったと言えそうです。
しかし、この時代としてはかなり良好な状態で演奏がとらえられているが故に、あれこれ聞いていくうちにだんだんとしんどくなってきました。
たとえば、ショーソンの「詩曲」、冒頭の短いオーケストラの序奏に続いて独奏ヴァイオリンがピアニッシモで入ってきます。そして、オーケストラが沈黙する中を、そのヴァイオリンが単音で一本の旋律線を描き出していき、それが次第に音量を増していって一つの頂点に達したところで再びオーケストラが伴奏をはじめます。
これは、ヴァイオリンのソリストとしては極限状態といえるほどの怖さでしょう。しかし、ヌヴーはその怖さの中を、これまた極限とも言えるほどの緊張感を維持してその一本のラインを描いていきます。ヌヴーのヴァイオリンには内なる精神の炎が感じられると言うことはよく言われることなのですが、私は彼女の「詩曲」やシベリウスのコンチェルトを聞いていると、その炎の向こう側に、ある種のせっぱ詰まった切なさ・・・いや違うな・・・、開くはずのない壁に血を流しながら爪を立てているような姿を感じ取ってしまいます。
録音が悪くて、何をやっているのかそんな細部まで見通せない演奏ならそんなしんどい思いはせずにすむのですが、彼女はこの時代の演奏家としては録音のクオリティに恵まれたが故に、そう言うしんどさを聞き手に与えてしまうような気がします。
そして、そう言えばこのヌヴーみたいに命を削るみたいに演奏していた小娘がいた事を思い出しました。
ジャクリーヌ・デュ・プレです。
そして、この二人はともに飛行機事故と難病によってあまりにも若くしてキャリアに終止符を打ってしまいました。多くの人はそのことを残念に思うわけですが、しかし、こういう演奏を聴かされると、こんなにも命を削りながらその後も末永く(?)ヴァイオリンやチェロを演奏し続ける彼女たちの姿は私には想像がつきません。
それはあまりにも酷な要求です。
そう思ってハイフェッツの詩曲を聞いてみました。
(Vn)ハイフェッツ アイズラー・ソロモン指揮 RCAビクター交響楽団 1952年12月2日録音
ハイフェッツもまたそのコワーい一本のラインを見事に描ききっていきます。しかし、その技は「音のサーカス」です。
描き出されるラインは見事ですが、そこには綽々たる余裕があります。彼は己の命を削るようにしてそのラインを刻み込むようなことはしません。
プロはトータルで勝負しますが、アマチュアは一回一回に命をかけます。
ハイフェッツはものの見事なまでのプロの演奏家だったのに対して、ヌヴーは本質的にアマチュアの演奏家だったのかもしれません。
そう言えば、メジャーリーグのピッチャーは100球で交代しますが、高校野球のピッチャーは平気で200球も300球も投げます。さらに連投だって平気でやってのけます。そう言う命を削るような姿に多くの人は「感動」するのですが、ヌヴーの演奏にもそれと似たようなものを感じてしまうのは私だけでしょうか。
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