チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36
クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1963年1~2月録音
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor Op.36 [1st movement Andante sostenuto?Moderato con anima]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor Op.36 [2nd movement Andantino in modo di canzona]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor Op.36 [3rd movement Scherzo (Pizzicato Ostinato). Allegro]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor Op.36 [4th movement Finale. Allegro con fuoco]
絶望と希望の間で揺れ動く切なさ
今さら言うまでもないことですが、チャイコフスキーの交響曲は基本的には私小説です。それ故に、彼の人生における最大のターニングポイントとも言うべき時期に作曲されたこの作品は大きな意味を持っています。
まず一つ目のターニングポイントは、フォン・メック夫人との出会いです。
もう一つは、アントニーナ・イヴァノヴナ・ミリュコーヴァなる女性との不幸きわまる結婚です。
両方ともあまりにも有名なエピソードですから詳しくはふれませんが、この二つの出来事はチャイコフスキーの人生における大きな転換点だったことは注意しておいていいでしょう。
そして、その様なごたごたの中で作曲されたのがこの第4番の交響曲です。(この時期に作曲されたもう一つの大作が「エフゲニー・オネーギン」です)
チャイコフスキーの特徴を一言で言えば、絶望と希望の間で揺れ動く切なさとでも言えましょうか。
この傾向は晩年になるにつれて色濃くなりますが、そのような特徴がはっきりとあらわれてくるのが、このターニングポイントの時期です。初期の作品がどちらかと言えば古典的な形式感を追求する方向が強かったのに対して、この転換点の時期を前後してスラブ的な憂愁が前面にでてくるようになります。そしてその変化が、印象の薄かった初期作品の限界をうち破って、チャイコフスキーらしい独自の世界を生み出していくことにつながります。
チャイコフスキーはいわゆる「五人組」に対して「西欧派」と呼ばれることがあって、両者は対立関係にあったように言われます。しかし、この転換点以降の作品を聞いてみれば、両者は驚くほど共通する点を持っていることに気づかされます。
例えば、第1楽章を特徴づける「運命の動機」は、明らかに合理主義だけでは解決できない、ロシアならではなの響きです。それ故に、これを「宿命の動機」と呼ぶ人もいます。西欧の「運命」は、ロシアでは「宿命」となるのです。
第2楽章のいびつな舞曲、いらだちと焦燥に満ちた第3楽章、そして終末楽章における馬鹿騒ぎ!!
これを同時期のブラームスの交響曲と比べてみれば、チャイコフスキーのたっている地点はブラームスよりは「五人組」の方に近いことは誰でも納得するでしょう。
それから、これはあまりふれられませんが、チャイコフスキーの作品にはロシアの社会状況も色濃く反映しているのではと私は思っています。
1861年の農奴解放令によって西欧化が進むかに思えたロシアは、その後一転して反動化していきます。解放された農奴が都市に流入して労働者へと変わっていく中で、社会主義運動が高まっていったのが反動化の引き金となったようです。
80年代はその様なロシア的不条理が前面に躍り出て、一部の進歩的知識人の幻想を木っ端微塵にうち砕いた時代です。
私がチャイコフスキーの作品から一貫して感じ取る「切なさ」は、その様なロシアと言う民族と国家の有り様を反映しているのではないでしょうか。
クレンペラーのチャイコフスキー
クレンペラーが60年代に録音したチャイコフスキーの後期交響曲では第6番が何とも言えない「怖い演奏」で異彩を放っていました。それだけに、その2年後に録音された4番と5番には大きな期待を寄せていました。音楽を構築することに執念を燃やすクレンペラーの芸風から言って、6番「悲愴」よりも4番や5番の方が相性がいいように思えるので、その期待は根拠のないものではありません。
しかし、実際に聴いてみて、その期待はものの見事に裏切られました。
最初から想像できたことですが、クレンペラーの演奏にはチャイコフスキー的なメランコリックな甘さはほとんどありません。音楽は交響的構築物として築き上げられていくばかりで、その意味では、ムラヴィンスキーなんかとベクトルは同じように見えます。しかし、何故か、出来上がった音楽は全く別物になってしまっているのです。
どうしてそんなことになるんだろうと思いを巡らせてみて思い当たったのは、両者のチャイコフスキーに対する思いの深さの違いです。
チャイコフスキーはベートーベンにも匹敵する偉大なシンフォニストだと言うことを心の底から信じた男がムラヴィンスキーでした。
しかし、クレンペラーにはそこまでの思い入れはなかったはずです。もっと有り体に言えば、どこかで舐めているような雰囲気すら漂います。
「悲愴」は音を構築していってどうなるというような音楽ではありません。
ところが、そのどうしようもないことを無理益体に押し通してしまったのがクレンペラーの61年盤でした。結果として、たとえば第3楽章の行進曲は屠殺場に引きずり出されるような恐ろしさにつつまれ、「鬼のイン・テンポ」で押し通した最終楽章ではパセティックな感情が壮大に爆発します。そして、その壮大な爆発があったが故に、音楽が永遠の闇の彼方へと消え去っていく終結部の怖さは他に類を見ません。
それに対して、4番や5番のように、交響曲としての基本的な手順を踏んでいるような作品だと、別に無理無体な仕打ちをしなくても音楽は構築していけます。しかし、そこに「尊敬」がないと、「まあ、こんなもんだろう!」という舐めた雰囲気が漂うというわけです。いささか穿ちすぎた見方かもしれませんが・・・。
しかし、どちらかと言えば第4番よりは第5番の方が面白味に欠ける演奏になっているような気がします。それは、先の穿った見方に従えば、第5番の方は「虚構に続く虚構。すべては虚構」と酷評されてしまうようなある種の「弱さ」を内包していることが否定できません。そして、クレンペラーのようなアプローチであっけらかんと演奏されるとそう言う「弱さ」があからさまにされたような気がするのです。
ですから、まだしも聴いていて心が躍るのは4番の方です。(クレンペラーファンの人・・・ごめんなさい^^;)
そんなわけで、この録音をアップすることにはためらいがあったのですが、6番「悲愴」がアップされているんだから、残りの4番と5番もアップしてほしいという声は寄せられます。確かに、私の勝手な判断でお蔵入りさせるというのは、こういうサイトの役割を考えれば控えるべき事なのでしょう。
大切なことは、できる限り多くの人に演奏を聴いてもらって、それをどう受け止めるかはそれぞれの聞き手にゆだねるというのが一番妥当なラインなのかもしれません。
ただ、ここまで読んでもう一言追加しないと誤解を招くことに気がつきました。
この4番と5番の演奏に私がかなり否定的なように読める文章になっているのですが、それはあくまで6番「悲愴」と比べての話であると言うことは理解しておいてください。メランコリックななだけの軟弱なチャイコフスキーや浪花節かと思えるような勘違い演奏よりは遙かに優れた演奏であることは付け加えておきます。
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