サティ:最後から2番目の思想
(P)チッコリーニ 1956年2月22日、29日&3月1日録音
Satie:Avant-dernieres pensees [1.dylle]
Satie:Avant-dernieres pensees [2.Aubade]
Satie:Avant-dernieres pensees [3.Meditation]
この男の正体がよく分からない。
正直言って私にはサティという男の正体がいまいちよく分かりません。「音楽界の異端児」とか、「音楽界の変わり者」などと称されるのですが、その音楽はどこかBGM的です。
ヨーロッパにおける音楽というのは基本的に、神に捧げるか、もしくは王侯貴族のテーブルを彩るかの二つしか存在しませんでした。
そんな音楽に人生を背負わせ、音楽家を職人から芸術家へと引き上げたのがベートーベンでした。。そして、その背負わせた人生の形は、市民革命の理想を「本当に」信じることができたベートーベンから世紀末のマーラーに至るまでずいぶんと姿形は変わってしまいましたが、それでも人生を引き受け続けたことは事実です。
ところが、サティの音楽はそんな重たいものはきれいさっぱり脱ぎ捨てています。
サティがパリのボヘミヤンたちのたまり場だった「黒猫」でピアノ弾きになったのは1888年のことでした。そして、その年にサティを代表する名刺代わりの作品となった「3つのジムノペディ」が生み出されます。
ちなみに、その同じ年にマーラーはファーストシンフォニーとなる「巨人」を完成させています。この2年前の86年にはブラームスのラストシンフォニーとなる第4番が初演され、さらにはその4年前の82年にはワーグナーの最後の楽劇となる「パルジファル」が初演されています。さらに付け加えれば、この1988年という年は、あのドビュッシーが初めてバイロイトを訪れる機会を得て、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」や「パルジファル」を聴いてワグネリアンの血を熱くしていた年でもあるのです。
つまりは、片方では巨大化と複雑化を肥大させていく後期ロマン派の流れが加速し、そこへへそ曲がりのブラームスがひっそりと異議申し立てをし、次の時代の牽引役となる男も己の役割を未だに認識できずにいるという時代だったのです。
私は、サティの音楽はもっと新しい時代の音楽だったと思っていたのですが、現実にはそんな時代のまっただ中で、パリの場末のシャンソン酒場でひっそりと産声を上げたのです。そう思えば、サティの音楽はとんでもなく新しいです。そして、その音楽は漸くにしてワーグナーの熱から覚めたドビュッシーに大きな影響を与えたことは間違いありません。
ところが、時代はあっという間にドビュッシーが引っ張りはじめ、サティの姿は後景へと追いやられます。たとえ、コクトーが「ドビュッシーは横道ににそれたが・・・サティはそのまま残っている」と書いてくれても、「ひとりは裕福になり、ひとりは貧しくなった」のです。
しかし、そんなサティの音楽はケージに代表されるような「現代音楽」へと引き継がれていきました。ケージは彼の「家具の音楽」を高く評価し、周囲の物音を考慮し、その物音の一部になるような音楽だと言っています。ここでは、BGMと言うことが「けなし言葉」ではなく最高の「ほめ言葉」として使われているのです。人生などというものは賭も形もなく消え去ってしまっています。
サティの音楽は通り過ぎる音楽であり、シルエットがかすかに何かを思わせるような音楽だと言われるのですが、そんな看板を掲げた音楽に「聴く」べき価値があるのかどうかは私には疑問です。しかし、そんなご託などを無視して彼の音楽に耳を傾ければ、それは間違いなく私の心を動かします。そして、その動かす原動力はどこにあるのかと問うてみれば、それはコクトーが語ったように「古典的な小道をたどった」ためだとしか思えません。
やはり、わたしには今ひとつ、この男の正体がよく分かりません。
パリッとした粋な音楽
現役最高齢のピアニストと言うことで、シルバーシート優先という麗しい習慣のあるこの国では近年になって高く評価する人も多いようです。(たとえば「
チッコリーニにいじられたい」)
それにしても、こういう老境の音楽を到達点として天まで持ち上げられると、それをもって全業績が判断されるという「恐ろしい事態」を招くので、チッコリーニ自身にとって有り難いのかどうかは微妙なところでしょう。
もちろん、この老境の音楽に「人生の意味や年齢を重ねることの大切さ」を感じる人もいるのですから、それをもって己の全業績の到達点とされてもかまわないのかもしれません。そんな詰まらぬ心配をするお前などはまだまだクラシック音楽の奥義を感じ取るには道が遠い、喝!!と言われそうです。
でもまあ、少しは若い頃の演奏を聴いておいても損はないでしょう。
とりわけ、サティの録音は彼にとっては名刺代わりみたいなものです。60年代から70年代にかけて一度、そして80年代に入ってからもう一度全曲録音をしているのですから、サティのスペシャリストと言っても文句は出ないでしょう。そして、さらに調べてみると、50年代にもすでに何曲かを録音しているのです。
50年代と言えば、サティなんて場末の酒場音楽くらいにしか思われていなかったのですから、80年代に入ってからのサティブームの中で急にサティを弾きはじめたようなピアニストとは「格」が違います。
若い頃のチッコリーニというのは、何というか、パリッとした粋な雰囲気がいつも漂っています。それは、音楽を煉瓦のように積み上げていく「ドイツ風」のピアニストたちとは正反対の場所に位置するピアニストです。そして、なるほどこういうピアノでフランス近代のピアノ曲(何故か私はこいつが苦手なんです)を聴かせてくれると、それほど「悪くない」な・・・などとおそれおおいことをほざいているのです。
<チッコリーニが50年代に録音した作品>
3つのジムノペディ
- 第1番 ゆっくりと痛ましげに
- 第2番 ゆっくりと悲しげに
- 第3番 ゆっくりと厳かに
サティにとって名刺代わりとも言うべき代表作。1番と3番はドビュッシーによってオーケストラ編曲されたので、さらに認知度が上がりました。
3つのグノシェンヌ
- 第1番 Lent et dooloureux
- 第2番 Lent et triste
- 第3番 Lent et grave
楽譜には「舌の上に」、「出かけないで」、「頭を開いて」などのフランス語によるコメントが付されていますが、まあサティらしい悪ふざけというのが一般的で、それをサティからの発想記号と真に受ける人は少ないようです。
梨の形をした3つの小品
- 開始のひとつのやり方 (Maniere de commencement)
- その延長 (Prolongation du meme)
- 小品1 (Morceau 1)
- 小品2 (Morceau 2)
- 小品3 (Morceau 3)
- おまけにもうひとつ (En plus)
- 言い直し (Redite)
これもまた、サティらしい変てこりんなタイトルの作品ですが、ここでは梨に込められた「まぬけ、うすのろ」という隠された意味が含まれています。ドビュッシーから「形式にこだわった作品」を書くように忠告を受けた事への回答がこの作品だったというわけです。
ただし、「この梨野郎!」と言っている対象が自分なのかドビュッシーなのかは不明です。ただ、サティの作品にしてはかなり形式にこだわった作品であることは事実です。
3つの夜想曲
- 第1番 Doux et calme
- 第2番 Simplement
- 第3番 Un peu mouvemente
世紀毎の時間と瞬間的な時間
- 悪意のある邪魔者 (Obstacles venimeux)
- 朝の薄明 (Crepuscole matinal)
- 花崗岩でできた狂乱 (Affolements granitiques)
サティ48歳の時の作品で、「時」を音楽で表現しようとしたも・・・らしいです。(^^;面白いのは、この作品も晩年の作品によくあるように詩を載せ作曲されているのですが、サティは演奏者への指示として「音楽の演奏中に、この文章を大声で読み上げることを禁ずる。この指定に違反するどのような行為も、その不遜なる態度に対しては、わが正義の怒りを招くであろう。どんな例外も許されない。」と警告していることです。
嫌らしい気取り屋の3つの高雅なワルツ
- 彼の容姿 (Sa taille)
- 彼の眼鏡 (Son binocle)
- 彼の脚 (Ses jambes)
ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」を意識して作曲したのではないかといわれているのですが、サティらしい皮肉の効いた作品になっています。
最後から2番目の思想
- ドビュッシーへの牧歌 (Idylle a Claude Debussy)
- デュカへの朝の歌 (Aubade a Paol Dukas)
- ルーセルへの瞑想 (Meditation a Albert Roussel)
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