モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450
(P)ケンプ カール・ミュンヒンガー指揮 シュトゥットガルト室内管弦楽団&スイス・ロマンド管弦楽団管楽器グループ 1953年9月録音
Mozart:ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450 「第1楽章」
Mozart:ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450 「第2楽章」
Mozart:ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450 「第3楽章」
ウィーン時代のピアノコンチェルト
モーツァルトのウィーン時代は大変な浮き沈みを経験します。そして、ピアノ協奏曲という彼にとっての最大の「売り」であるジャンルは、そのような浮き沈みを最も顕著に示すものとなりました。
この時代の作品をさらに細かく分けると3つのグループとそのどれにも属さない孤独な2作品に分けられるように見えます。
まず一つめは、モーツァルトがウィーンに出てきてすぐに計画した予約出版のために作曲された3作品です。番号でいうと11番から13番の協奏曲がそれに当たります。
第12番 K414:1782年秋に完成
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第11番 K413:1783年初めに完成
第13番 K415:1783年春に完成
このうち12番に関してはザルツブルグ時代に手がけられていたものだと考えられています。他の2作品はウィーンでの初仕事として取り組んだ予約出版のために一から作曲された作品だろうと考えられています。その証拠に彼は手紙の中で「予約出版のための作品がまだ2曲足りません」と書いているからです。そして「これらの協奏曲は難しすぎず易しすぎることもないちょうど中程度の」ものでないといけないとも書いています。それでいながら「もちろん、空虚なものに陥ることはありません。そこかしこに通人だけに満足してもらえる部分があります」とも述べています。
まさに、新天地でやる気満々のモーツァルトの姿が浮かび上がってきます。
しかし、残念ながらこの予約出版は大失敗に終わりモーツァルトには借金しか残しませんでした。しかし、出版では上手くいかなかったものの、これらの作品は演奏会では大喝采をあび、モーツァルトを一躍ウィーンの寵児へと引き上げていきます。83年3月23日に行われた皇帝臨席の演奏会では一晩で1600グルテンもの収入があったと伝えられています。500グルテンあればウィーンで普通に暮らしていけたといわれますから、それは出版の失敗を帳消しにしてあまりあるものでした。
こうして、ウィーンでの売れっ子ピアニストとしての生活が始まり、その需要に応えるために次々と協奏曲が作られ行きます。いわゆる売れっ子ピアニストであるモーツァルトのための作品群が次に来るグループです。
第14番 K449:1784年2月9日完成
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第15番 K450:1784年3月15日完成
第16番 K451:1784年3月22日完成
第17番 K453:1784年4月12日完成
第18番 K456:1784年9月30日完成
第19番 K459:1784年12月11日完成
1784年はモーツァルトの人気が絶頂にあった年で、予約演奏会の会員は174人に上り、大小取りまぜて様々な演奏会に引っ張りだこだった年となります。そして、そのような需要に応えるために次から次へとピアノ協奏曲が作曲されていきました。また、このような状況はモーツァルトの中にプロの音楽家としての意識が芽生えさせたようで、彼はこの年からしっかりと自作品目録をつけるようになりました。おかげで、これ以後の作品については完成した日付が確定できるようになりました。
なお、この6作品はモーツァルトが「大協奏曲」と名付けたために「六大協奏曲」と呼ばれることがあります。しかし、モーツァルト自身は第14番のコンチェルトとそれ以後の5作品とをはっきり区別をつけていました。それは、14番の協奏曲はバルバラという女性のために書かれたアマチュア向けの作品であるのに対して、それ以後の作品ははっきりとプロのため作品として書かれているからです。つまり、この14番も含めてそれ以前の作品にはアマとプロの境目が判然としないザルツブルグの社交界の雰囲気を前提としているのに対して、15番以降の作品はプロがその腕を披露し、その名人芸に拍手喝采するウィーンの社交界の雰囲気がはっきりと反映しているのです。ですから、15番以降の作品にはアマチュアの弾き手に対する配慮は姿を消します。
そうでありながら、これらの作品群に対する評価は高くありませんでした。実は、この後に来る作品群の評価があまりにも高いが故に、その陰に隠れてしまっているという側面もありますが、当時のウィーンの社交界の雰囲気に迎合しすぎた底の浅い作品という見方もされてきました。しかし、最近はそのような見方が19世紀のロマン派好みのバイアスがかかりすぎた見方だとして次第に是正がされてきているように見えます。オーケストラの響きが質量ともに拡張され、それを背景にピアノが華麗に明るく、また時には陰影に満ちた表情を見せる音楽は決して悪くはありません。
考えをあらためた?
ケンプと言えば、まずはベートーベン、そしてシューベルト言うイメージがあって、彼のモーツァルトというのは今ひとつピンときませんでした。しかし、今回まとめて聴いてみて、実にいろいろなことを考えさせられて、面白い体験ができました。
まとめて聞いた録音は概ね以下の3グループに分かれます。
カール・ミュンヒンガー指揮 シュトゥットガルト室内管弦楽団&スイス・ロマンド管弦楽団管楽器グループ 1953年9月録音
- ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450
- ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271 「ジュノーム」
フェルディナント・ライトナー指揮 バンベルク交響楽団 1960年10月録音&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1962年1月録音
- ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488 1960
- ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491 1960
- ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595 1962
- ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246 「リュツォウ」
ベルンハルト・クレー指揮 バイエルン放送交響楽団 1977年5月録音
- ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
- ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482
ひと言で言えば、50年代の二つの録音は後のものと比べればかなり異形です。元気がいいと言えばそれまでなのですが、ミュンヒンガーの指揮するオケがかなりパキパキした感じで、後の時代のピリオド楽器による演奏を思わせるほどにとんがっています。ただし、録音の周波数特性を見てみると10KHzより上の帯域がかなり急激に減衰しているのでその分は差し引かないといけないのでしょうが、それにしてもかなりの尖りぶりです。
そして、それに呼応するケンプのピアノもかなり直線的でガンガン弾いている感じがこれまた後の時代と比べれば、まるで別人の手になるもののようです。
それと比べると、60年代にライトナーと組んで録音した4つの作品は、非常に常識的なモーツァルトに仕上がっています。(27番の変ロ長調のコンチェルトはいささか遅めのテンポでもたれ気味なのが少し残念です。)ただし、この「常識的」というのは「今の目」から見てそのように感じるのであって、それをもって50年代の録音を「非常識」と言うつもりはありません。
ただ、私がこの一連の録音を聞いて面白いと思ったのは、この違いがどこに起因しているのかと言うことを考えさせられたからです。
この変化は、どう考えても「円熟した」とか「深化した」というようなきれい事で片付けられるような変化ではないです。それは、明らかに「考え方をあらためた」と言わざるを得ないほどの変化です。
50年代の直線的な演奏は明らかに、モーツァルトのピアノ協奏曲をベートーベンの協奏曲につながっていく存在として再構築しています。ですから、そこでケンプは構築への意志を見せています。
しかし、60年代の演奏からはそのような構築への意志は消えてしまって、かわりにモーツァルトの作品に内包されている微妙な光と影の織りなす繊細な世界を表現しようとする姿がはっきりと感じ取れます。
この変化を、私は「円熟」や「深化」ではなく「考えをあらためた」と感じ取ったわけです。
おそらくこの変化の背景には1956年という年が大きな意味を持っていたんだと思います。
今でこそ、モーツァルトと言えばバッハやベートーベンと肩を並べる偉大な作曲家として認知されていますが、一昔前は子ども向けの可愛らしい音楽を書いた作曲家という評価が広く定着していました。もちろん、そんな評価に異を唱える人はいましたが、社会に広く定着してしまった評価を覆すまでには至りませんでした。
そして、そのようなモーツァルトへの評価が根本から覆されて彼に対する正当な評価が社会全体に浸透し定着したのは、1956年を中心として取り組まれた生誕200年を記念する様々な取り組みによってでした。
とりわけ、LPレコードの普及に伴って多くのレーベルがモーツァルトの作品を組織的かつ大規模に録音する事によって、多くの人がモーツァルトの音楽の全貌を始めて「実際の音」として聞くことができたのです。もちろん、スコアを見て深化が理解できる人もいるのでしょうが、普通の人々は現実の「音」ととして提示されなければ何も分かりません。
その事を思えば、戦後すぐの時期に数少ない音源だけを頼りに「モーツァルト」という評論をまとめた小林秀雄の慧眼には恐れ入ります。
言うまでもないことですが、ケンプほどの男がモーツァルトの音楽を「子ども向けの可愛らしい音楽」と考えていたはずがありません。言うまでもなく、そんな社会の評価に異議を唱える気概で53年に二つの作品を録音したのだと思います。そのベクトルは、「ベートーベンの協奏曲につながっていくほどの偉大な作品」だったわけです。これは間違いないと思います。
しかし、それを「勘違いの演奏」と決めてかかるのは誤りだと思います。
ベートーベン弾きであるケンプが、己の感性を信じてモーツァルトの音楽をの価値を読み込めばこういう演奏になったわけです。その真摯さは、異形であっても聞くものに深い感銘を与えます。
しかし、1956年を境目として起こった、言わば「モーツァルト革命」とも言うべき波の中で彼は考えをあらためたんだろうと思うのです。もしかしたら、50年代に入ってから演奏活動を再開したハスキルのモーツァルトを実際に聴いたのかもしれません。(まあ、これはもう妄想にしかすぎませんが・・・)
モーツァルトの音楽は決してベートーベンの偉大なる音楽の前段階に位置するものではなくて、まさにそれのみで他に変わるものない価値と魅力を持った音楽であることを認めたのだと思います。
音楽史の中では、モーツァルトとベートーベンはともに「古典派」という枠の中におさめられるのですが、この二人は全く異質な存在です。
ベートーベンの音楽は基本的に構築していきますが、モーツァルトの音楽の魅力は光と影が織りなす繊細さの中にこそあります。それは、彼の最期のシンフォニーとなったジュピターの最終楽章においても同様です。そして、こんな事は今では誰だってえらそうに講釈を垂れることができるのですが、それをリアルタイムの中で感じ取って自分の演奏に反映していくというのはそれほど容易いことではありません。しかし、ケンプはものの見事にそのような変身を遂げて見せたのです。
ライトナーと組んで録音した4つの協奏曲は、どれもが見事なまでの繊細さに貫かれています。
どの場面をとってもピアノは控えめに鳴らされ、その微妙な音色の変化の中でモーツァルトの中に明滅する光と影が表現されています。そして、ライトナーもそう言うケンプのピアノを決して邪魔することのないようにオケをコントロールしています。
それと比べると、77年に録音された2つの協奏曲はかなり素朴です。ただし、この「素朴」というのはかなり気を使った表現です。
53年の録音は50代の後半、60年代の録音は60代の後半、そして77年の録音は80を超えての録音です。
53年の録音には気概が感じられます。60年代の録音からは芸の限りを尽くした繊細さの極みが感じ取れます。そして、77年の録音からは「枯れた芸」を感じ取らないといけないのでしょうが、いつも言っているように私は年寄りの枯れた芸には否定的です。
もっとはっきりと言えば、60年代の演奏のように芸の限りを尽くす根気と集中力を失っていることは確かです。しかし、その反面、そう言う手練手管は放棄しながら押さえるべきツボは押さえた素朴な演奏というのが好きな人はいることは否定しません。
ただ、一つ気になるのは、60年代の演奏のようなローレベルでの微妙なニュアンスというのはオーディオ装置にとっては最も苦手とする領域です。オーディオにかなり力がないと再現できない部分であることは事実ですので、できれば早急にFLACファイルはアップしたいとは思っています。
MP3ではかなりきついかもしれません。
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