ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36
カラヤン指揮 ベルリンフィル 1961年12月30日&62年1月22日録音
Beethoven:交響曲第2番 ニ長調 作品36 「第1楽章」
Beethoven:交響曲第2番 ニ長調 作品36 「第2楽章」
Beethoven:交響曲第2番 ニ長調 作品36 「第3楽章」
Beethoven:交響曲第2番 ニ長調 作品36 「第4楽章」
ベートーベンの緩徐楽章は美しい。
これは以外と知られていないことですが、そこにベートーベンの知られざる魅力の一つがあります。
確かにベートーベンが最もベートーベンらしいのは驀進するベートーベンです。
交響曲の5番やピアノソナタの熱情などがその典型でしょうか。
しかし、瞑想的で幻想性あふれる音楽もまたベートーベンを構成する重要な部分です。
思いつくままに数え上げても、ピアノコンチェルト3番の2楽章、交響曲9番の3楽章、ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス、ヴァイオリンソナタのスプリング、そしてピアノソナタ、ハンマークラヴィーアの第3楽章。
そう言う美しい緩徐楽章のなかでもとびきり美しい音楽が聞けるのが、交響曲第2番の第2楽章です。
ベートーベンの交響曲は音楽史上、不滅の作品と言われます。しかし、初期の1番・2番はどうしても影が薄いのが事実です。
それは3番「エロイカ」において音楽史上の奇跡と呼ばれるような一大飛躍をとげたからであり、それ以後の作品と比べれば確かに大きな落差は否めません。しかし、ハイドンからモーツァルトへと引き継がれてきた交響曲の系譜のなかにおいてみると両方とも実に立派な交響曲です。
交響曲の1番は疑いもなくジュピターの延長線上にありますし、この第2番の交響曲はその流れのなかでベートーベン独自の世界があらわれつつあります。
特に2番では第1楽章の冒頭に長い序奏を持つようになり、それが深い感情を表出するようになるのは後年のベートーベンの一つの特徴となっています。また、第3楽章はメヌエットからスケルツォへと変貌を遂げていますが、これもベートーベンの交響曲を特徴づけるものです。
そして何よりも第2楽章の緩徐楽章で聞ける美しいロマン性は一番では聞けなかったものです。
しかし、それでも3番とそれ以降の作品と併置されると影が薄くなってしまうのがこれらの作品の不幸です。第2楽章で聞けるこの美しい音楽が、影の薄さ故に多くの人の耳に触れないとすれば実に残念なことです。
後期の作品に聞ける深い瞑想性と比べれば甘さがあるのは否定できませんが、そう言う甘さも時に心地よく耳に響きます。
もっと聞かれてしかるべき作品だと思います。
驚くべき「推進力」の凄まじさ
50年代にカラヤンはレッグとのコンビでベートーベンの交響曲全集を完成させています。オケはベルリンフィルではなくレッグ子飼いのフィルハーモニア管です。
この録音は既にパブリックドメインとなっていますのでこのサイトでも紹介ずみです。1951年から54年にかけて、足かけ4年の歳月をかけて完成させたこの全集では、ひと言で言えば、本当に真っ当で正統派のベートーベン像が示されています。まさに「ザ・スタンダード」です。
また、1951年から54年と言うことは、カラヤンにとっては40代という、指揮者にとっては「まさにこれから!!」とも言うべき時期に録音したことになります。
そして、この全集の完成がカラヤン快進撃の狼煙となったのか、この後彼はベルリン・フィル、ウィーン国立歌劇場という重要拠点を次々に陥落させていきます。とりわけ、フルトヴェングラーの後任として手中に収めたベルリンフィルでは「終身首席指揮者兼芸術総監督」というポストを手に入れて、まさに自らの手兵として飼い慣らしていくことになります。
しかし、カラヤンという男は実に賢い奴で、ベルリンフィルの「終身首席指揮者兼芸術総監督・・・長い^^;」というポストを手に入れても、己のやり方をすぐに押しつけるようなことはしませんでした。それこそ時間をかけて少しずつ自分好みの色に染めていったという雰囲気が濃厚です。その事は、ベルリンフィルがはじめてベートーベンの交響曲全集の録音に取り組んだときに、音楽監督であるカラヤンではなくてクリュイタンスを選んだことからもうかがえます。
おそらく、カラヤンにとっては「自分がやりたいベートーベン」をベルリンフィルに分かってもらうには時期尚早と判断したのでしょう。
そして、満を持してと言う感じで彼は手兵のベルリンフィルを使ってベートーベンの交響曲の全曲録音に取りかかります。
- ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21・・・1961年12月27~28日録音
- ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36・・・1961年12月30日&1962年1月22日録音
- ベートーベン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93・・・1962年1月23日録音
- ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園・・・1962年2月13日~15日録音
- ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」・・・1962年3月9日~12日録音
- ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92・・・1962年3月13日~14日録音
- ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60・・・1962年3月14日&11月9日録音
- ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」・・・1962年10月8日~9日,12日~13日&11月9日録音
- ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」・・・1962年11月11日~15日録音
まさに一気呵成という雰囲気です。1961年の暮れに仕事に取りかかり、わずか3ヶ月ほどで第9とエロイカ以外の7曲を仕上げています。クリュイタンスが1957年2月から60年4月にかけて、およそ3年2ヶ月をかけて全曲録音したことと比べるとその「推進力」には驚かされます。
そして興味深いのは、11月の9日に9番と2番・4番の録音を仕上げてから(おそらく気になる部分を録り直したのでしょう)、その2日後に5日間をかけてエロイカを録音して全集を仕上げていることです。
おそらくは満を持して取り組んだベートーベンの交響曲全集を締めくくる録音として、それこそ裂帛の気合いをこめてエロイカ演奏したのだろうと思います。
それ故に、最後のエロイカの演奏にこそ、この全集全体に通底するカラヤンの思いがこめられています。
ネット上のコメントなどを散見すると、このエロイカの演奏のことを「あれよあれよという間に終わってしまい、狐につままれたような気になる」なんてのもあります。生意気を怖れずに言いきれば、しょぼい再生システムでこの録音を再生するとそう言う雰囲気がしなくもありません。実は、私もそんな風に思ったことがありましたから、その言わんとするところはよく分かります。
しかし、これもまた生意気を怖れずに言わせてもらえば、20代の頃から30年以上をかけて再生システムを磨いてきました。目指すところは、心地よく聞けることではなく、演奏家がその演奏と録音にこめた命がけの気合いが過たずに聞き取れることです。
そして、
PCオーディオと出会うことで、ようやくその入り口あたりにはたどり着けたかなとは思っています。
そう言うシステムでこの録音を聞くと、この途方もないエネルギーを内包した男の命がけの気合いがはっきりと伝わってきます。決して、「あれよあれよという間に終わってしまう」ような演奏ではありません。
そして、そのエネルギーによってもたらされるのは「推進力」というものが持つ驚くべき凄まじさです。
そして、そのような推進力を維持せんがために、この全集はかくも短い期間になされたんだなと納得させられた次第です。いかに脂ぎったカラヤンといえども、これほどの高いテンションを維持し続けるのは並大抵のことではなかったはずです。おそらくは、カラヤンを持ってしても、そのハイテンションを維持するのは3ヶ月が限界だったのでしょう。そうして、もう一度仕切り直しをして、最後に最高のコンディションで第9とエロイカという二つの巨峰に挑んだものと思われます。
確かに、この一連の録音では意図的に「歌う」べき部分が犠牲にされている雰囲気があります。4番の第2楽章や6番最終楽章などでは、聞きようによってはあまりにも素っ気ないと思えるかもしれません。しかし、そう言う部分にあっても、カラヤンは音楽が持つ推進力を一切犠牲にしないで驀進させていきます。そして、そうすることによって今まで聞いたことがないようなベートーベンの姿が提示されます。
もちろん、そう言うやり方が私の好みに合っているかと聞かれれば残念ながら「否」と答えるのですが、だからといって、たっぷりと歌わせることを意図的に拒否している演奏をつかまえて、歌っていないから駄目と批判するのはあまりにも愚かですし、了見が狭すぎます。
そして、その事は5番や7番の録音を聞くとさらに納得がいきます。おそらくエロイカと並んで、そのような方法論が一番上手くはまる作品だからです。そして、カラヤンはそのような期待に応えて実に見事な演奏を聴かせてくれています。ここでは、推進力は驀進の粋にまで達していて、この聞き慣れた音楽の新たな一面を提示しています。
カラヤンがこの全集に取り組んだのは50代の半ばです。おそらく50代の半ばというのは人としてもっとも意味のある仕事ができる時期です。
その事は経験が何よりもものを言う指揮者の世界にあっても同様です。まさに、頂点に向かって駆け上がっていく時期の仕事ほど魅力的なものはありません。年をとった身にはいささかその勢いは鬱陶しく思えるときもあるかもしれませんが、人がもっとも輝いて見えるのは駆け上がっていく姿です。
そして、疑いもなく、ここにはカラヤンという不世出の指揮者の輝ける姿がはっきりと刻印されています。
そう思えば、彼がベルリンフィルを完全に手中に収め、その美学を隅から隅まで徹底させた60年代後半以降の音楽は、もしかしたら著点を超えた後の下り坂の芸術だったのかもしれません。もちろん、五木寛之の言葉を待つまでもなく、人生には頂点があり、そしてその頂点を超えた後には全て平等に長く続く下り坂が待っています。その下り坂を美しく下る芸術もまた魅力あるものです。
もっとも、70年代以降のカラヤン美学が美しい下り坂だったのかは、もっと聞き込んでからじっくり考えてみたいとは思いますが・・・。
<追記>
「しょぼい再生システムでこの録音を再生するとそう言う雰囲気がしなくもありません。」という下りは、文脈を読み取ってもらえば真意は理解していただけると思うのですが、その部分だけを抜き取ると誤解を招きかねませんので、念のために追記しておきます。
ここで言及している「しょぼいシステム」というのは安物の再生システムのことを言っているわけではありません。とは言え、ラジカセのようなあまりにもチープなシステムは論外です。
いかにデジタル化が進んでも、オーディオの出口はスピーカーの振動板を振動させて空気を動かすというアナログシステムであり、その原理はエジソン以降かわることはありません。そして、アナログ領域で質を追求すれば物量が必要となり、物量はそのままコストに直結します。
演奏家は己の命を削るような思いで音楽を演奏し録音を行っています。ならば、それを受け取る側も、同じように命を削るとまではいきませんが(^^;、それなりの敬意と熱意を持って再生したいというのが私の基本的なスタンスです。
ですから、それなりの音で再生しようと思えば、それなりのコストは投下すべきだとは思っています。
しかし、オーディオが怖いのは、ならばお金を投下すればそれなりの再生音が手にはいるのかと問われれば、それは断じて「否」だと確言できることです。
つい最近も、とある有名なショップで総額500万円をくだらないシステムで音楽を聴かせてもらいました。スピーカーは定番中の定番、B&Wの802-Diamond、アンプとCDPはメーカーの名誉のために伏せますが、国内の高級オーディオメーカーの機器で、プリ・パワー・CDPがそれぞれ100万円以上の機器でした。
ところが、その再生音は驚くほどに大まかで寝そべっているとしか思えないような酷い音でした。私は、B&Wの802-Diamondがどのように鳴るのかはそれなりに知っているつもりなので、その再生音には驚きを禁じ得ませんでした。
オーディオというのはどれほどの高級機を買い込んできても、それを繋いだだけではどうしようもない世界だと言うことは分かっていたつもりですが、その「真実」をこれほどまでに鮮やかに再確認させてもらえたのは得難い経験でした。
オーディオというのは、間違いなくそれを鳴らす人の「志し」がでます。
そう言う意味で、そのような「志し」のないシステムの事を「しょぼいシステム」と表現したのです。ご理解願えれば幸いです。
それでも釈然としないという人で、さらに時間も余っているという方ならば
こちらあたりでもご覧ください。
このあたりの問題は「永遠の課題」みたいなので、この程度の追加では私の言いたいことは伝わらないようです。
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