クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調

コンヴィチュニー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 1958年録音





Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第1楽章」

Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第2楽章」

Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第3楽章」

Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第4楽章」


はじめての成功

一部では熱烈な信奉者を持っていたようですが、作品を発表するたびに惨めな失敗を繰り返してきたのがブルックナーという人でした。

そんなブルックナーにとってはじめての成功をもたらしたのがこの第7番でした。

実はこの成功に尽力をしたのがフランツ・シャルクです。今となっては師の作品を勝手に改鼠したとして至って評判は悪いのですが、この第7番の成功に寄与した彼の努力を振り返ってみれば、改鼠版に込められた彼の真意も見えてきます。

この第7番が作曲されている頃のウィーンはブルックナーに対して好意的とは言えない状況でした。作品が完成されても演奏の機会は容易に巡ってこないと見たシャルクは動き出します。

まず、作品が未だ完成していない83年2月に第1楽章と3楽章をピアノ連弾で紹介します。そして翌年の2月27日に、今度は全曲をレーヴェとともにピアノ連弾による演奏会を行います。しかし、ウィーンではこれ以上の進展はないと見た彼はライプツッヒに向かい、指揮者のニキッシュにこの作品を紹介します。(共にピアノによる連弾も行ったようです。)

これがきっかけでニキッシュはブルックナー本人と手紙のやりとりを行うようになり、ついに1884年12月30日、ニキッシュの指揮によってライプツィッヒで初演が行われます。そしてこの演奏会はブルックナーにとって始めての成功をもたらすことになるのです。
ブルックナーは友人に宛てた手紙の中で「演奏終了後15分間も拍手が続きました!」とその喜びを綴っています。

まさに「1884年12月30日はブルックナーの世界的名声の誕生日」となったのです。

そのことに思いをいたせば、シャルクやレーヴェの業績に対してもう少し正当な評価が与えられてもいいのではないかと思います。

何も考えない


前回はクレンペラーのブルックナーを紹介して、そのついでに日本語圏におけるブルックナー受容のあり方について少しばかり皮肉ってみました。しかし、そうは書いてみたものの、私だってクレンペラーのブルックナーは「どこか違うだろうな」くらいの自制心は持っています。でも、「ちょっと違うだろうな」と思ったたとしても、「そう言うのも面白いか」と思って楽しんでみる度量があってもいいかなとも思うので、あんな書き方になった次第です。

では、どこが違うのかと聞かれれば、ほぼ同じ時代に録音されたこのコンヴィチュニーの録音を聞いてもらえればいいかなと思います。

オケの機能はクレンペラーが指揮したフィルハーモニア管と比べれば随分と見劣りがします。
コンヴィチュニー&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団といえば、枕詞のように「古色蒼然たる響き」という言葉がついてまわります。何が「古色蒼然」なのか全くもってはっきりしないのであまり好きな言葉ではありませんが、まあ言わんとしていることは分からないではありません。
このコンビが生み出す響きは精緻さもなければ透明感もありません。音色はどこを切ってもくすんでいて華やかさの欠片もありません。しかし、生成りのザラッとした手触りみたいなものが感じられて、それが何とも言えない魅力となっている、そう言う響きです。
そして、そんなオケの響きが58年録音であるにもかかわらずモノラル録音で収録されているんですから、クレンペラーの60年盤と比べれば不利な条件だらけです。

しかし、そんな不利な条件にもかかわらず、聞き進んでいくと「ああ、これがブルックナーだよな!!」と思わせる何かを持っています。

おそらく、ブルックナーの音楽というのは「構築」してはいけないんだろうなと思います。別にブルックナーを馬鹿にしているわけではないのですが、音楽を構築するには「知性」が必要です。しかし、ブルックナーにはその手の「知性」が基本的に欠落していました。
その事は、基本的に「知性」で作曲したブラームスと比べてみれば明らかです。
極めて緊密な構成を持った音楽を終生書き続けたブラームスと比べてみれば、ブルックナーの音楽は構成という点では驚くほどシンプルで素朴です。とりわけフィナーレ楽章などは「構成」などというよりは、まるで大きな波が何度も打ち返しているだけのように感じたりまします。つまり、ブルックナーの音楽はブラームスのような音楽とは全く違う論理で成り立っているのです。
ただし、注意しないといけないのは、だからブルックナーは駄目なのではなく、同じように、だからブルックナーは偉大なんだ、でもないと言うことです。
ただ、「違う」と言うことだけです。

ところが、そんな音楽をクレンペラーはじっくりと考え抜いて、一つ一つのフレーズに細かいニュアンスをつけることで明確に区切りをつけ、最終的にそれらを一つの構造を持った音楽へとまとめ上げようとしているように聞こえます。それは、まるでブルックナーの音楽を古典派シンフォニーのように構築しなおそうとしているようであり、その徹底ぶりには執念のようなものすら感じられます。
そして、それはそれで素晴らしい力業として感嘆もするのですが、どこか本質を外しているような思いが払拭しきれないのです。

それと比べると、コンヴィチュニーの演奏は「何も考えていない」ように聞こえます。
ここでは音楽は構築されることはなくひたすら横へ横へと流れ続けていきます。そうです、音楽は垂直的に立ち上がるのではなくあくまでも大河のように悠々と流れていくだけなのです。コンヴィチュニーはその流れに身を任せて、ただ流れゆく音楽の邪魔をしないようにしているだけのように聞こえます。そして、結果として「ああ、これがブルックナーだよな!!」と思わせる音楽になっているのです。
そう言えば、大阪の口さがない連中が、「朝比奈は何も考えないのでブルックナーに適性があるんだ」と言っていましたが、最近になってその指摘は「口さがない」のではなくて的を射ていたように思えてきました。

しかし、そんな「アホウな音楽」はクレンペラーには耐えられなかったことでしょう。
彼は、その「訳の分からない音楽」を考え抜いて何とか「分かる音楽」に仕立て直しました。そして、どうやっても「分かる音楽」にならないとなると、たとえば第8番では最終楽章の2カ所をカットするという暴挙に出たりするわけです。そして、このカットに異議を唱えたEMIの録音スタッフに対して「第4楽章のカットなしの録音が欲しければ、別の指揮者を探せばいい」と言い放つことになるのですが、そう言う論理の上に立てば当然の仕儀だったわけです。

当然のことながら、ブルックナーはブルックナーらしく演奏するのがいいのでしょう。そして、そんなことをクレンペラーが分からなかったはずがありません。分かりながら、それでも己の筋を通さなければ気がすまなかった偏屈男の偉大さが、こういう「正統派ブルックナー」を聞かされると余計に身に染みます。

なお、余談ながら、こんな書き方をするとコンヴィチュニーがアホウみたいに読めるので少しばかり追記しておきます。
彼はベートーベンやシューマンのような作品だと、実にがっしりとした音楽を作り上げます。その意味では、音楽をキチンと構成する知性とスキルをしっかりと持った指揮者です。しかし、彼はクレンペラーほど、構築する事へのこだわりはなかったようですから、ブルックナーになるとそれに相応しい対応をすることができました。ですから、同じブルックナーでも7番みたいな流麗な音楽よりは、どこか無愛想でごっつい系の5番の方が適性があるようです。
その意味では、61年に録音したブルックナーの5番は彼の最良の遺産の一つです。惜しむらくは、初出が70年代なので、当分の間パブリックドメインにはならないことです。

よせられたコメント

2014-12-28:Joshua


2016-03-19:emanon


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