カルーソー 偉大なるオペラアリア集(1)
カルーソー 1903年~1907年録音
歌劇「ユグノー教徒」 - 第5幕 この空の下に
歌劇「真珠採り」 - 第3幕 耳に残るきみの歌声
歌劇「リゴレット」より questa o Quella
歌劇「リゴレット」 - 第3幕 美しい乙女よ
歌劇「アイーダ」 - 第1幕 清きアイーダ
歌劇「トスカ」より recondita Armonia
歌劇「トスカ」より e Lucevan le Stelle
歌劇「マノン」 - 第2幕 夢の歌 「目を閉じれば」
歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」 - ばんざい泡立つぶどう酒
歌劇「愛の妙薬」 - 第3幕 人知れぬ涙
歌劇「ドン・パスクワーレ」 - 第3幕 セレナータ 「なんという優しさ」
歌劇「イル・トロヴァトーレ」 - 第3幕 ああ、あなたこそわたしの恋人
歌劇「ラ・ボエーム」より Che Gelida Manina
歌劇「ラ・ボエーム」より O Soave Fanciulla
歌劇「アンドレア・シェニエ」 - 第1幕 ある日青空をながめて
歌劇「道化師」 - 第1幕 衣装をつけろ
歌劇「真珠採り」 - 第1幕 神殿の奥深く
歌劇「アフリカの女」 - 第5幕 おおパラダイス
カルーソー 偉大なるオペラアリア集(1)
- 歌劇「ユグノー教徒」 - 第5幕 この空の下に
- 歌劇「真珠採り」 - 第3幕 耳に残るきみの歌声
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- 歌劇「アフリカの女」 - 第5幕 おおパラダイス
オーディオの歴史をソフトとハードの両面で築き上げた立役者
最近は「新譜」で買いたいと思えるような録音がほとんどありません。それは、決して「昔は良かった」という年寄りの口癖と切って捨てるわけにはいかない「切実」さがあります。
そんな時に、「PCオーディオ実験室」の方で、「オーディオの衰退はハード面の接客だけではなく、ソフト面の満足度の低下もあるのではということです。」というコメントいただき、はたと気づくことがありました。
オーディオファンというのは圧倒的にクラシックかジャズを聞きます。そうでない人もいることはいますが、圧倒的に少数派です。そして、誰も彼もがオーディオの衰退を嘆きます。そして、その嘆きの大部分はオーディオメーカーや販売店に向けられていたのですが、ソフト面の衰退もその責任の一端をになっていたのだと言うことにあらためて気づかされました。
今までも、「聞きたいと思えるような新譜がない」と嘆き、他方では「買いたいと思えるような魅力的なオーディオ機器がない」と嘆きながら、どうしてその事が私の中で一つに結びつかなかったのか不思議なくらいです。
コメントいただいた方は、返す刀で「これぞというコンサートに足を運んでは、あまりの下手さ加減に、自宅のCDで口直しをしています。」と切って捨てています。演奏家の中には「CDなんか買ってくれなくても演奏会に足を運んでくれればその方が嬉しい」などとおっしゃる方もいますが、魅力的な新譜がないと言うことは、演奏会の質も低下していると言うことです。
それにしても、どうしてこんな事になってしまったのでしょう?
もちろん、こういう言い方は「昔は良かった」という年寄りの愚痴になる危険性を内包しています。この危険性について、私自身もかつてこのように書いたことがあります。
「例えば、20世紀の初め頃(たしか30年代?)にイザイというヴァイオリニストが亡くなりました。時の評論家は彼の死を悼んで「これで真のヴァイオリニストはこの世から消えてしまった」と嘆いたそうです。そして返す刀で「これからはハイフェッツやエネスコやティボーのような小人輩どもが跋扈するしかないと思えば情けない限りだ」と宣ったそうです。
また例えば、五味康祐なる人物がいます。
今の若い人には五味康祐と言ってもピンとこないでしょうが、存命中は剣豪小説の作家として有名な方でした。しかし、私にとっては求道者と言っていいほどに自分の全生涯をかけてクラシック音楽とオーディオを追求した人物として深く心に残っています。ですから、本職の剣豪小説(私は一冊も読んだことはありませんが・・・)以外にも、オーディオやクラシック音楽についてたくさんのエッセイを残しています。
その中の、例えば、「ベートーベンと蓄音機」などと言う一冊を読んでみますと、作曲家や作品そのものに関しては自分の耳と感性を信じて素晴らしいオマージュを語っています。ところが、演奏に関しての文章となると、そういうしなやかな感性がとたんに影をひそめてしまい、「昔は良かった」の一点張りになってしまいます。フルヴェン・ワルター・メンゲルベルグ・トスカニーニなどへのオマージュが熱く語られ(それはそれで面白いのですが)、それと比べて今の演奏家はダメになっており、これから先も期待はもてないと言う「嘆き」というか「ボヤキ」というか、そう言う言葉が繰り返し語られています。
私たちはイザイが亡くなった30年代以降の世界を知っていますし、フルトヴェングラーやワルターが亡くなったあとの世界も知っています。ですから、「小人輩が跋扈」し、「なんの望みもない」と言われた「そのあとの時代」においても、数々の素晴らしい演奏や録音が残されたことを知っています。私たちが歴史的録音の演奏について語るときに、このような物言いになることを、つまり年寄りの愚痴になることを十分に注意しなければいけないのです。 」
そのように心しても、昨今のクラシック音楽の世界には心を躍らせるような魅力がほとんど感じられません。とりわけ、私が大好きなオーケストラによる演奏となると「惨憺たる」状況です。敢えて具体的な名前は挙げませんが、この上もなく空疎な音楽を汗をしたたらせて飛び跳ねながら指揮をしている姿を見るたびに私の心は冷えていきます。
そこで、このゴールデンウィークは敢えて「古い録音」を集中的に聞いてみました。
カルーソーです。
1903年から彼が亡くなる1921年までの録音ですから、よほどの好事家でもない限りお金を払ってCDを買う人はいないでしょう。録音の歴史で言えば、マイクロフォンによる録音が始まる前にカルーソーはなくなっていますから、いわゆる「アコースティック録音」の時代です。
アコースティック録音なんて言うと粋な感じがしますが、何のことはない、大きなラッパに向かって声を張り上げて録音するのです。ですから、別名「ラッパ吹き込み」と呼ばれる極めて原始的な録音方法です。
こういう原始的な録音の時代に(おそらくは)積極的に録音活動を行った最初の一流演奏家がカルーソーでした。
彼はヨーロッパ時代にも録音を行っていたようですが、有名なのは1903年から始まった米ビクターとの録音です。
1903年に録音したのは「歌劇「ユグノー教徒」 - 第5幕 この空の下に」です。米ビクターは1901年に設立されていますから、本当の大物を招いての録音はこれが初めてだったのではないでしょうか。
正直言って、実に酷い音です。まるで、鼻をつまんで歌っているのかと思えるような音質です。
ところが翌年の「歌劇「アイーダ」 - 第1幕 清きアイーダ」になると、充分に聞ける音質になっています。そして、「聞ける」だけでなくて、彼の並外れた声の威力さえもしっかりと聞き取れます。
この違いはかなり凄いです。
おそらく、ビクターのスタッフは、この1年で「何か」をつかんだのだと思います。
同じ年に録音したトスカの「e Lucevan le Stelle(星は光りぬ)」の泣き節なども見事なものです。
そして、ビクターはこのカルーソーの録音バックに1906年から「ビクトローラ」なる蓄音機の製造販売をはじめます。木製キャビネットの中にターンテーブルとホーンを収めた蓄音機で、この最終発展系の「クレデンザ」は今でも高値で取引されています。(日本で初めて発売されたときは家一軒よりも高かったとか・・・)
当然のことですが、ビクターはクレデンザのようなものだけを発売したのではなくて、卓上のターンテーブル(発売当時は15ドルだったとか)をはじめとして、様々なサイズやスタイルの蓄音機を発売し、かなりの数を市場に送り込んだようなのです。そして、その後押しをしたのは、言うまでもなくカルーソーなどのソフト面だったことは言うまでもありません。
その意味では、カルーソーは、単に20世紀最高のテノールと言うだけでなく、それ以後のオーディオの歴史をソフトとハードの両面で築き上げた立役者だったとも言えます。
そんなカルーソーも1909年にのどの手術をしたために、それ以後は全盛期の声の「威力」は影を潜めてしまいます。そして一切の編集もお化粧も不可能なアコースティック録音は、そう言うカルーソーの衰えを残酷なまでに刻み込んでいきます。
世間では、そんなカルーソーを「高音域の輝きを失ったものの、逆に中音域の力強さでその欠点を補った」という人もいますが、そんな馬鹿なことを言ってはいけません。
高音の輝きを失った歌手を世間ではテノールとは言わないのです。駄目なものは駄目と言わなくてはいけません。
ただ、声に威力があった全盛期にはかなり奔放に歌いきっていたのが、晩年(とは言っても40代ですが)はかなり丁寧な歌い方に変わっています。そして、その丁寧さは、ライブとは違って繰り返し聞かれることになる録音では意外と重要だと言うことにカルーソーだけでなく録音スタッフも気づいていった歴史を感じ取ることができます。
言うまでもないことですが、今日の録音技術から言えば「貧弱」な音であることは事実です。
しかし、この貧弱な音の向こうから、何とも言えない熱気が感じ取れます。おそらく、今のクラシック音楽の世界に一番欠けているのは、このイケイケドンドンの「下品ささえ感じられる熱さと勢い」でしょう。
あの取り澄ました「お上品さ」の匂いをかがされるたびに、何とも言えない「おぞましいもの」を見せつけられたような気分になります。そう言うものと出会うくらいなら、アコースティック録音されたカルーソーの歌声を聞いている方がはるかに気分がいいです。
とは言え、どこかから、「頼むからこんな古い録音なんかアップしてくれるな!」という声も聞こえてきそうですが・・・(^^;。
よせられたコメント
2012-05-06:summerman
- こんにちは。いつもこのサイトにはお世話になっております。以前に2,3回コメントをしたことがあります。私はクラシック音楽を愛好している一介の高校生2年生です。特にオケが大好きで、ブラームスやブルックナー、シベリウス、マーラー、ショスタコ、あとは日本の伊福部昭や諸井三郎など、ロマン派以降のほとんどを聴きます。私の世代の愛好家(といっても知り合いに)にはあまりいないのですが、モノラルでも鑑賞の対象にしています。例えばワインガルトナーのブラームスは愛聴盤の一つに入ります。
声楽は普段あまり聴かないのですが、ユングさんが集中的に聴かれたとのことで興味を覚え、カルーソーの録音を聴かせて頂きました。なるほど、御説のように、昨今こういった熱気はあまり聴かれないのかも知れません。今やどこの演奏会(オケもピアノも室内楽も)に行っても、プロの演奏から技術的なミスはほとんど聴かれません。しかし、例えば私の大好きなリヒテルのようなミスタッチも気にしない怒濤や迫力も聴かれないのは事実です。私は詳しくはありませんが、きっと声楽家も事情は同じでしょう。
思うに音楽というのは、録音の技術向上とともに、「聴衆が参加する物」から「消費される物」に変わっていったような気がします。そしてその動きを、ミスのない完璧(必ずしも良い意味でも悪い意味でもなく)な演奏で大量の録音を行った演奏家(カラヤン然り、オーマンディ然り、ヴァント然り、セル然り、、、)が後押ししました。それは、より作曲家の意図を表出する手段でもあり、音楽を普及する手段でもあり、決して間違いではありませんでした(前掲の演奏家の録音には好きな物がたくさんあります)。しかし、同時に少しずつでも確実に、「音」が「音楽」から一人歩きを始めたのです。
その行き着く先は「空虚さ」であり、「おぞましいまでの上品さ」です。でも、その原点は、古い時代の「熱い」演奏にあったような気がすると言っては伝わらないでしょうか・・・。あの熱い音楽の時代に、聴衆は演奏家に寄り添うようになりました。大戦下ベルリンでのフルトヴェングラーの切羽詰まったような演奏などは、聴衆も含め、ホールが作った音楽の典型例でしょう。
しかし、やがて聴衆は極度の緊張の中での音楽鑑賞から離れていったのだと思います。それは前述の音楽の消費という流れの到達点でもあり、物質文明社会の発展による無緊張な日常の安定した存続の中で人々が音楽に日常を求めるようになった結果でもありましょう。
そして音楽鑑賞が緊張から切り離された後、演奏家たちは自覚はなくとも古い時代よりも熱気を失っていきました。そして緊張はあくまでもステージ上に内包し、技術というかたちでのみ表出されるようになりました。
昨今の演奏に中身がないと感じる人が多くなるのはその流れの延長です。技術に対する緊張が高まって、もっと深遠な、あるいはもっと切実な緊張は影を潜めました。
さて、こういった昨今の演奏はマイナス要素なんでしょうか。そこからしか得られない物はないのでしょうか。圧倒的に感動する演奏は確かに少ないかも知れません(もっとも先日地元オケの定期で、これまで古い物から新しい物まで数十種も聴いたチャイコの5番で人生最大の感動をしたのですが)。でも、音楽に対する感心ぐらいでは駄目でしょうか。強烈な個性も面白いけれども、曲そのものを楽しむ、インスタントの演奏が立っても良いじゃないですか。精緻な(冷めた即席の)演奏は、時代が導いた一つの答えです。私はそういった意味で新譜にも魅力を感じます。
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