ベルリオーズ:幻想交響曲
カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1954年7月録音
Berlioz:幻想交響曲 作品14 「第1楽章(夢、情熱)」
Berlioz:幻想交響曲 作品14 「第2楽章(舞踏会)」
Berlioz:幻想交響曲 作品14 「第3楽章(野の風景)」
Berlioz:幻想交響曲 作品14 「第4楽章(断頭台への行進)」
Berlioz:幻想交響曲 作品14 「第5楽章(魔女の夜宴の夢)」
ベートーベンのすぐ後にこんな交響曲が生まれたとは驚きです。
ユング君はこの作品が大好きでした。「でした。」などと過去形で書くと今はどうなんだと言われそうですが、もちろん今も大好きです。なかでも、この第2楽章「舞踏会」が大のお気に入りです。
よく知られているように、創作のきっかけとなったのは、ある有名な女優に対するかなわぬ恋でした。
相手は、人気絶頂の大女優であり、ベルリオーズは無名の青年音楽家ですから、成就するはずのない恋でした。結果は当然のように失恋で終わり、そしてこの作品が生まれました。
しかし、凄いのはこの後です。
時は流れて、立場が逆転します。
女優は年をとり、昔年の栄光は色あせています。
反対にベルリオーズは時代を代表する偉大な作曲家となっています。
ここに至って、漸くにして彼はこの恋を成就させ、結婚をします。
やはり一流になる人間は違います。ユング君などには想像もできない「しつこさ」です。(^^;
しかし、この結婚はすぐに破綻を迎えます。理由は簡単です。ベルリオーズは、自分が恋したのは女優その人ではなく、彼女が演じた「主人公」だったことにすぐに気づいてしまったのです。
恋愛が幻想だとすると、結婚は現実です。そして、現実というものは妥協の積み重ねで成り立つものですが、それは芸術家ベルリオーズには耐えられないことだったでしょう。「芸術」と「妥協」、これほど共存が不可能なものはありません。
さらに、結婚生活の破綻は精神を疲弊させても、創作の源とはなりがたいもので、この出来事は何の実りももたらしませんでした。
狂おしい恋愛とその破綻が「幻想交響曲」という実りをもたらしたことと比較すれば、その差はあまりにも大きいと言えます。
凡人に必要なもは現実ですが、天才に必要なのは幻想なのでしょうか?それとも、現実の中でしか生きられないから凡人であり、幻想の中においても生きていけるから天才ののでしょうか。
ユング君も、この舞踏会の幻想の中で考え込んでしまいます。
なお、ベルリオーズはこの作品の冒頭と格楽章の頭の部分に長々と自分なりの標題を記しています。参考までに記しておきます。
「感受性に富んだ若い芸術家が、恋の悩みから人生に絶望して服毒自殺を図る。しかし薬の量が足りなかったため死に至らず、重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見る。その中に、恋人は1つの旋律となって現れる…」
第1楽章:夢・情熱
「不安な心理状態にいる若い芸術家は、わけもなく、おぼろな憧れとか苦悩あるいは歓喜の興奮に襲われる。若い芸術家が恋人に逢わない前の不安と憧れである。」
第2楽章:舞踏会
「賑やかな舞踏会のざわめきの中で、若い芸術家はふたたび恋人に巡り会う。」
第3楽章:野の風景
「ある夏の夕べ、若い芸術家は野で交互に牧歌を吹いている2人の羊飼いの笛の音を聞いている。静かな田園風景の中で羊飼いの二重奏を聞いていると、若い芸術家にも心の平和が訪れる。
無限の静寂の中に身を沈めているうちに、再び不安がよぎる。
「もしも、彼女に見捨てれられたら・・・・」
1人のの羊飼いがまた笛を吹く。もう1人は、もはや答えない。
日没。遠雷。孤愁。静寂。」
第4楽章:断頭台への行進
「若い芸術家は夢の中で恋人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。その行列に伴う行進曲は、ときに暗くて荒々しいかと思うと、今度は明るく陽気になったりする。激しい発作の後で、行進曲の歩みは陰気さを加え規則的になる。死の恐怖を打ち破る愛の回想ともいうべき”固定観念”が一瞬現れる。」
第5楽章:ワルプルギスの夜の夢
「若い芸術家は魔女の饗宴に参加している幻覚に襲われる。魔女達は様々な恐ろしい化け物を集めて、若い芸術家の埋葬に立ち会っているのだ。奇怪な音、溜め息、ケタケタ笑う声、遠くの呼び声。
”固定観念”の旋律が聞こえてくるが、もはやそれは気品とつつしみを失い、グロテスクな悪魔の旋律に歪められている。地獄の饗宴は最高潮になる。”怒りの日”が鳴り響く。魔女たちの輪舞。そして両者が一緒に奏される・・・・」
この上もなく精緻でスタイリッシュな造形
これは文句なしに素晴らしい録音です。
まずは、音質ですが、モノラルとしては最上の部類にはいるでしょう。これほどまでに楽器の分離が良くてクリアに響きがとらえられていると、録音がモノラルであることなど聞いているうちに忘れてしまいます。
なるほど、モノラルといえどもこのレベルに達していたからこそ、EMIは「ステレオ録音」という新しい技術に懐疑的だったのだと納得がいきます。
次に、演奏ですが、これはミュンシュのような熱さにあふれた表現とは方向性は異なりますが、この上もなく精緻でスタイリッシュな造形は見事というしかありません。
とりわけ、第1楽章はまさに古典派のシンフォニーのごとく整然とした佇まいです。下手をすると、退屈なだけになってしまう第3楽章も細かいニュアンスを大切にして、実に入念に仕上げています。、何と言ってもフィルハーモニア管の管楽器群のうまさは抜群ですが、その微妙なニュアンスが圧縮ファイルのMP3で伝わるかどうかが不安です。
こういう良好な録音だと、モノラルでもFLACでアップする価値があるのかと思ってしまいます。
そして、怒濤の第4楽章と第5楽章は、まさにカラヤンの独断場でしょう。どれほど熱くなって音楽が盛大に盛り上がっても、オケに対するコントロールは絶対に失いません。ただし、そのコントロールはクレンペラーのような鬼の統率ではなく、実に自然に(?)締め上げているので、息苦しさは感じません。実に聞かせ上手なのです。
そして、こういう演奏スタイルであったがために、この当時のカラヤンは「ドイツの小トスカニーニ」などと言われました。そして、その当時のドイツにおける「新即物主義」の旗手のような位置づけを与えられていました。
しかし、この時代のカラヤンの録音をまとめて聞くようになって、私個人としては少しばかり違った考えを持つようになりました。
それは、カラヤンは己の主張として「即物主義」というスタイルを取ったのではなくて、録音とはこういうスタイルで演奏なしないと駄目だということを分かっていたがために、そして録音という行為が実演とは異なる芸術的価値と絶大な商業的価値を持っていることを見通していたがために、結果として「即物的」な演奏スタイルになったのではないかとと言うことです。
おそらく、カラヤンという人間は、そう言うイデオロギーとは最も遠い位置にいた男だったと思います。ですから、時代を経るにつれて、彼は即物的な演奏から離れていって、最後はカラヤン美学と言われる独特な世界を築き上げていくようになります。しかし、その変化は心変わりではなくて、録音という行為を突き詰めていった結果だったという意味で、彼の中では一本の線に繋がっていたのだと思います。
そして、カラヤンが避けられなかった落とし穴は、録音という行為の芸術的価値よりは商業的価値に引きずられて、売れる録音に傾斜していったことにあったのではないかと思います。
とりわけ、70年代の「レガート病」としかいいようのないカラヤン美学に徹した録音を聞くたびに、そう思ってしまいます。
まあ、そのあたりはいろいろご意見はあるかと思いますが、カラヤン美学を毛嫌いするアンチ・カラヤン派でも、この50年代の録音に関しては何の文句もないだろうとは思います。
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