モーツァルト:ピアノソナタ第9番 ニ長調 K.311
(P)アルド・チッコリーニ 1953年12月8日録音
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [1.Allegro con spirito]
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [2.Andante con expressione]
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [3.Rondo]
ピアノソナタ第9番 ニ長調 K.311

マンハイム滞在中か、もしくはそれ以前に書かれた可能性があるソナタです。
ある人はこのソナタを「生命に満ちあふれた上機嫌の打ち上げ花火」と称したのですが、レオポルドの監督から逃れて思う存分に羽を伸ばしているモーツァルトの素顔が透けて見える音楽になっています。
しかしながら、このソナタはその様な「上機嫌」さだけでなく、ソナタという形式を自分の感情の発露に添わせるように手なずけていこうという労作があちこちに見受けられます。
例えば提示部の最後で何気なく持ち入れられたモチーフが続く展開部での唯一の素材になったりしています。そして、この手法は円熟期のモーツァルトにおいて何度も用いられるようになる手法であったりもするのです。
さらに言えば、アレグロのフィナーレの充実ぶりは、その後の協奏曲のフィナーレを思わせるような音楽へと育ってきていて、モーツァルトはこの最終楽章に重点を置くことによって、今までは行わなかったような実験をしているのです。
- 第1楽章:Allegro con spirito (ソナタ形式)
- 第2楽章:Andante con espressione (展開部を欠くソナタ形式)
- 第3楽章:Allegro (ロンド形式)
大人の男へのスタート地点
モーツァルトのピアノソナタというのは、その一つ一つがユニークな個性を持っていてそれぞれが他とはかえ難い魅力を持っていることはいうまでもないのですが、全体を眺めることによってモーツァルトという希代の天才の大まかな姿を確かめることができるというジャンルでもあります。ピアノは彼にとっては第二の言語のようなものであり、ソナタという形式は身構える必要のない独白でした。
ですから、ピアノソナタを全体として概観することは、その様なモーツァルトの内なる「独白」をたどっていくようなものであり、そうすることによって一つ一つに注目していたのでは気づかなかった全体像が見えてくるという言い訳もそれほど説得力に欠ける物言いではないかもしれません。
いろいろな数え方があるのでしょうが、モーツァルトはその生涯に18曲のピアノソナタを残しています。そして年代的に並べてみると、上手い具合に前半の9曲と後半の9曲に分けることができるようです。
その内の前半の6曲はケッヘル番号からも分かるように、K.279からK.284までの6曲と、K.309からK.301の3曲に分かれます。
- ソナタ第1番 ハ長調 K.279 1775 ミュンヘン
- ソナタ第2番 ヘ長調 K.280 1775 ミュンヘン
- ソナタ第3番 変ロ長調 K.281 1775 ミュンヘン
- ソナタ第4番 変ホ長調 K.282 1775 ミュンヘン
- ソナタ第5番 ト長調 K.283 1775 ミュンヘン
- ソナタ第6番 ニ長調 K.284 1775 ミュンヘン
- ソナタ第7番 ハ長調 K.309 1777 マンハイム
- ソナタ第9番 ニ長調 K.311 1777 マンハイム
- ソナタ第8番 イ短調 K.310 1778 パリ
K.279からK.284までのソナタは「偽りの女庭師」を上演するために過ごした1775年のミュンヘンで作曲されています。
この6曲でワンセットになったピアノソナタは、オペラの上演のために冬を過ごしたミュンヘンでデュルニッツ男爵からの注文に応えて作曲したものです。他人に渡すのですから、さすがに脳味噌の中にしまい込んでおくわけにもいかず、ようやくにして「書き残される」ことで第1番のピアノソナタが日の目を見たということです。
この6曲に続く3曲は、就職先を求めて母と二人で行ったパリ旅行の途中で作曲されたものです。
この演奏旅行は、父レオポルドの厳格な監督から生まれて初めて解放された時間を彼に与えたと言う意味でも、さらには当時の最先端の音楽にふれることができたという意味でも、さらにはパリにおける母の死という悲劇的な出来事に遭遇したという意味においても、モーツァルトの人生における重要なターニングポイントとなった演奏旅行でした。
K.310のイ短調ソナタに関してはすでに語り尽くされています。
ここには旅先のパリにおける母の死が反映しているといわれ続けてきました。
あまりにも有名な冒頭の主題がフォルテの最強音で演奏される時、私たちはいいようのないモーツァルトの怒りのようなものを感じ取ることができます。そしてその怒りのようなものは第2楽章の優しさに満ちた音楽をもってしても癒されることなく、地獄の底へと追い立てられるような第3楽章へとなだれ込んでいきます。
ただし、その怒りは果たして母の死に際して為すすべのなかった己への怒りなのかどうかについては安易に結論は出さない方がいいように思います。少なくとも私にはその様な音楽とは思えません。
その辺りのことに関しては、
「男にとって・・・。」という駄文で綴ったことがありますので、興味ある方はご一読ください。
しかし、それに先立つ二つのソナタからはレオポルドの監督から逃れて思う存分に羽を伸ばしているモーツァルトの素顔が透けて見えます。
パリへ向かう途中のアウグスブルグとマンハイムで作曲されたと思われるK.309とK.311からは自由を満喫して若さと人生を謳歌している屈託のない幸せなモーツァルトの喜びがあふれています。
そして、この二つのソナタとイ短調ソナタを結びつけるのは、疑いもなくマンハイムで出会ったアロイージアの存在です。そして、その女性の存在こそが、自我の目覚めない子供だったモーツァルトをわずか6ヶ月でかくも飛躍させたのです。
パリでの就職活動に失敗して失意の中でザルツブルグに帰郷したモーツァルトは、やがて大司教のコロレドと大喧嘩をしてウィーンに旅立ちます。
貴族の召使いとして生きていくしかなかったこの時代の音楽家にとって、その喧嘩別れは命がけの決断だったはずです。
そして、そのような決断ができる男になれたスタート地点がここにこそあったのではないでしょか。
ラテン的明晰さで再構築したモーツァルト
チッコリーニは1953年と56年二回に分けてそれなりにまとまった数のモーツァルトのピアノソナタを録音しています。
1953年に録音したもの
- ピアノソナタ第2番 ヘ長調 K.280/189e(1953年12月8日録音)
- ピアノソナタ第9番 ニ長調 K.311/284c(1953年12月8日録音)
- ピアノソナタ第11番 イ長調 K.331/300i「トルコ行進曲付き」(1953年12月10日録音)
- ピアノソナタ第12番 ヘ長調 K.332/300k(1953年12月10日録音)
1956年に録音したもの
- ピアノソナタ第4番 変ホ長調 K.282/189g(1956年2月20日録音)
- ピアノソナタ第7番 ハ長調 K.309/284b(1956年2月20日録音)
- ピアノソナタ第13番 変ロ長調 K.333/315c(1956年2月21日録音)
- ピアノソナタ第15番 ヘ長調 K.533/494(1956年2月21日録音)
ただし、この3年の違いは録音のクオリティ的にはかなり大きくて、53年の録音はやや潤いにかけた響きになっているのが残念です。
ただし、そこでチッコリーニがやろうとしていることは同じです。
いわゆる、モーツァルトのピアノソナタというのはこういう風に演奏するものだという「継承」から一度自由になって、それをもう一度ラテン的な明晰さでもって再構築しようとしたものでした。そして、それは50年代という時代における大きな流れとなっていたのです。
その意味では、ほぼ同じ時期(1953年)に録音が為された
ギーゼキングの全曲録音と同じライン上にあるようにも聞こえるのですが、聞き比べてみればどこか違うような気がします。
それはあちらはゲルマンの民であり、こちらはラテンの民であるというようなものとも違います。
ギーゼキングの方は、兎に角、まとわりついているものは全て取り払って綺麗にしてみましたと言う感じでしょうか。
それに対して、チッコリーニの方は綺麗にしたものをもう一度自分が考える、もしくは信じるモーツァルトの姿に仕立て直したような気がするのです。
その意味では、これをギーゼキングが聞けば、それもまた一つの歪曲とうつるかもしれません。
しかし、楽譜に忠実な即物主義と言っても、それもまた結局はスコアを根拠とした一つの自己主張に至らなければ、人間の変わりにプログラミングされた機械にピアノを演奏させればすむと言うことになってしまいます。
その意味では、徹底的に洗い流して硬質なクリスタルのような響きでモーツァルトを演奏してみせたギーゼキングもまた、ギーゼキング的に歪曲されているわけです。
巷間、チッコリーニが最晩年に録音したモーツァルトが高く評価されているようです。
曰く、モーツァルトは無垢な子供か枯れた年寄りでないと表現できないと言うことらしいです。
まあ、そんな阿呆なことはないのですが(^^;、それでもその様な物言いが出てくるのは、スコアに書かれた音符を正確に音に変換するだけではこぼれ落ちてしまうものがあることを認めていることは間違いありません。
こういう演奏こそは、スコア睨みながら聞いてみると面白いのかもしれません。
モーツァルトのスコアというのは驚くほどなにも書かれていません。
それは、書かなくても分かるだろうというモーツァルトの思いがあるからであって、演奏する側はその様なモーツァルトの思いを正確に受け取って形あるモノしなければいけないのです。
申し訳ないですが、なにも分からない無垢な子供に演奏できるような代物ではないのです。
そして、そうやってスコアを睨みながらチッコリーニの演奏を聴けば、極めて直線的に、かつ明晰に弾ききっているように見えながら、その実はかなり細かい表情付けを与えていることに気づくはずです。
その表情付けが歪曲なのか、それともモーツァルトの意に添った「趣味のいい演奏」なのかは、聞き手の判断と見識が求められるのでしょう。
少なくとも、晩年のよたよたした演奏よりはこちらを取りたいという気にはなります。
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