モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ長調 K.218
(vn)クリスチャン・フェラス ヴァンデルノート指揮 パリ音楽院管弦楽団 1960年9月20日録音
Mozart:Violin Concerto No.4 in D major, K.218 [1.Allegro]
Mozart:Violin Concerto No.4 in D major, K.218 [2.Andante cantabile]
Mozart:Violin Concerto No.4 in D major, K.218 [3.Rondeau: Andante grazioso]
断絶と飛躍
モーツァルトにとってヴァイオリンはピアノ以上に親しい楽器だったかもしれません。何といっても、父のレオポルドはすぐれたヴァイオリン奏者であり、「ヴァイオリン教程」という教則本を著したすぐれた教師でもありました。
ヴァイオリンという楽器はモーツァルトにとってはピアノと同じように肉体の延長とも言える存在であったはずです。そう考えると、ヴァイオリンによるコンチェルトがわずか5曲しか残されていないことはあまりにも少ない数だと言わざるを得ません。さらにその5曲も、1775年に集中して創作されており、生涯のそれぞれの時期にわたって創作されて、様式的にもそれに見あった進歩を遂げていったピアノコンチェルトと比べると、その面においても対称的です。
創作時期を整理しておくと以下のようになります。
・第1番 変ロ長調 K207・・・4月14日
・第2番 ニ長調 K211・・・6月14日
・第3番 ト長調 K216・・・9月12日
・第4番 ニ長調 K218・・・10月(日の記述はなし)
・第5番 イ長調 K219・・・12月20日
この5つの作品を通して聞いたことがある人なら誰もが感じることでしょうが、2番と3番の間には大きな断絶があります。1番と2番はどこか習作の域を出ていないかのように感じられるのに、3番になると私たちがモーツァルトの作品に期待するすべての物が内包されていることに気づかされます。
並の作曲家ならば、このような成熟は長い年月をかけてなしとげられるのですが、モーツァルトの場合はわずか3ヶ月です!!
アインシュタインは「第2曲と第3曲の成立のあいだに横たわる3ヶ月の間に何が起こったのだろうか?」と疑問を投げかけて、「モーツァルトの創造に奇跡があるとしたら、このコンチェルトこそそれである」と述べています。そして、「さらに大きな奇跡は、つづく二つのコンチェルトが・・・同じ高みを保持していることである」と続けています。
これら5つの作品には「名人芸」というものはほとんど必要としません。時には、ディヴェルティメントの中でヴァイオリンが独奏楽器の役割をはたすときの方が「難しい」くらいです。
ですから、この変化はその様な華やかな効果が盛り込まれたというような性質のものではありません。
そうではなくて、上機嫌ではつらつとしたモーツァルトがいかんなく顔を出す第1楽章や、天井からふりそそぐかのような第2楽章のアダージョや、さらには精神の戯れに満ちたロンド楽章などが、私たちがモーツァルトに対して期待するすべてのものを満たしてくれるレベルに達したという意味における飛躍なのです。
アインシュタインの言葉を借りれば、「コンチェルトの終わりがピアニシモで吐息のように消えていくとき、その目指すところが効果ではなくて精神の感激である」ような意味においての飛躍なのです。
さて、ここからは私の独断による私見です。
このような素晴らしいコンチェルトを書き、さらには自らもすぐれたヴァイオリン奏者であったにも関わらず、なぜにモーツァルトはこの後において新しい作品を残さなかったのでしょう。
おそらくその秘密は2番と3番の間に横たわるこの飛躍にあるように思われます。
最初の二曲は明らかに伝統的な枠にとどまった保守的な作品です。言葉をかえれば、ヴァイオリン弾きが自らの演奏用のために書いた作品のように聞こえます。(もっとも、これらの作品が自らの演奏用にかかれたものなのか、誰かからの依頼でかかれたものなのかは不明ですが・・・。)しかし、3番以降の作品は、明らかに音楽的により高みを目指そうとする「作曲家」による作品のように聞こえます。
父レオポルドはモーツァルトに「作曲家」ではなくて「ヴァイオリン弾き」になることを求めていました。彼はそのことを手紙で何度も息子に諭しています。
「お前がどんなに上手にヴァイオリンが弾けるのか、自分では分かっていない」
しかし、モーツァルトはよく知られているように、貴族の召使いとして一生を終えることを良しとせず、独立した芸術家として生きていくことを目指した人でした。それが、やがては父との間における深刻な葛藤となり、ついにはザルツブルグの領主との間における葛藤へと発展してウィーンへ旅立っていくことになります。その様な決裂の種子がモーツァルトの胸に芽生えたのが、この75年の夏だったのではないでしょうか?
ですから、モーツァルトにとってこの形式の作品に手を染めると言うことは、彼が決別したレオポルド的な生き方への回帰のように感じられて、それを意図的に避け続けたのではないでしょうか。
注文さえあれば意に染まない楽器編成でも躊躇なく作曲したモーツァルトです。その彼が、肉体の延長とも言うべきこの楽器による作曲を全くしなかったというのは、何か強い意志でもなければ考えがたいことです。
しかし、このように書いたところで、「では、どうして1775年、19歳の夏にモーツァルトの胸にそのような種子が芽生えたのか?」と問われれば、それに答えるべき何のすべも持っていないのですから、結局は何も語っていないのと同じことだといわれても仕方がありません。
つまり、その様な断絶と飛躍があったという事実を確認するだけです。
舞台の上で自由に遊ぶ
こういうサイトをやっていると、アップする音源がパブリックドメインなのか否かを見極めるのがとても大切な仕事になります。「不知」は罪ですから、「知らなかった」は通りません。確実に裏を取る必要があります。
昔は、隣接権は録音が固定されてから50年だったので裏を取るのは簡単でした。録音データというのは調べれば必ず確定できますから。
ところが、前回の法改訂で隣接権の起算点が「録音」から「発売」に変わることでその確定が飛躍的に難しくなりました。録音データは簡単に調べはついても、その録音が世界で一番最初に発売された年(初発年)なんてのは普通の調べ方ではなかなか確定できません。
そこで、その困難を解決するために随分とたくさんの古い雑誌や書籍の収集してきました。
そして、そうやって集めてきた資料の中に、「レコード芸術推薦盤全記録(上下)」という小冊子がありました。レコード芸術が創刊30周年を記念して付録として発行した小冊子で、昭和27年の創刊号から56年12月までの間に、レコード芸術で「推薦マーク」がついた録音の全てが掲載されています。
最近はレコード芸術の「推薦」なんてのはほとんど何の意味もありませんが、この「全記録」に収められている時代には、それこそ「絶対的」な権威があったものです。
ただし、私にとって大切なのはその様な「権威」ではなくて、少なくとも日本国内で初めて「発売」された年を確定できるので重宝しています。
しかし、そんな目的が第一だとしても、その「推薦盤」の記録をつらつら眺めているといろいろと考えさせられることがたくさんあります。
例えば、セルに対する評価は日本では情けないほど低くて、その真価を知る人は少なかった等と言われてきたのですが、この「全記録」を見ると、セルのめぼしい録音の大部分には「推薦」マークが付いているのです。一般的な受け取り方はどうだったのかまでは分かりませんが、少なくとも評論家筋の間での正当に評価されていたようなのです。
そして、前振りが随分と長くなったのですが、この録音でフェラスの伴奏を担当しているヴァンデルノートという指揮者も、この時代においては次々と「推薦」マークの付いた録音をリリースしている「人気指揮者」だったことが「全記録」から分かります。
今の時代に、ヴァンデルノートという名前に反応できるのはかなりの「マニア」に属する人だと思うのですが、古い資料が持つ功徳で時代の流れというものを感じさせてくれます。
ただ、この録音を聞いてみて、この時代に何故にヴァンデルノートが高く評価されたのかはよく分かります。
演奏の基本的なスタンスは、この時代を席巻していたザッハリヒカイトな音楽作りで、オケの機能をフルに発揮して、実にくっきりと音楽の形を描き出していきます。
しかし、聞こえてくる音楽はこの上なくしなやかで生命観にあふれていて、そこにはザッハリヒカイトという言葉から連想される素っ気なさや硬直した雰囲気などは存在しません。
この満ちあふれるような生命観は、疑いもなく年寄りのものではなくて、若者にしか為しえない性質のものです。
そして時代は、強い主観性に塗り固められた音楽から抜け出して、このような音楽を求めるようになっていたのです。
しかし、面白いとのは、ソリストのフェラスの方は、ヴァンデルノートによってしつらえられた舞台の上で、自由に、そして己の思うがままのモーツァルトを演じきっている事です。
その姿は、57年にチャイコフスキーやメンデルスゾーンのコンチェルトを録音したときと何らかわりはありません。いや、それどころか57年盤の時よりも、この60年盤のモーツァルトの法がより引き締まった自由さが感じられます。
それは、おそらく、同じベクトルをもったシルヴェストリだと、その自由は本能的なものにとどまっていたのに対して、ヴァンデルノートとの場合では、より自由に振る舞うことを己自身が強く意識していたからでしょう。
指揮者にサポートされるだけだった57年盤に対して、60年盤のモーツァルトでは指揮者と勝負をしています。そして、結果として、ヴァンデルノートという舞台の上で見事に遊んで見せたのです。
60年、未だにフェラスは変わっていなかったことが確認できたどころか、よりフェラスらしくなっているのです。
とななれば、いったい何が彼を変えてしまったのでしょうか。
よせられたコメント
2016-03-12:emanon
- クラシック音楽に50年近く慣れ親しんできた自分が、意外なことに、この曲を一度も聴いたことがなかったのです!しかし、初めて聴いてみると、さすがはモーツァルト、魅力満載です。しかし、そう感じるということは、演奏の素晴らしさによるところが大きいのではないでしょうか。
残念ながら他の演奏を聴いたことがないので、評価の物差しを持ち合わせておりません。しかし素直にいい演奏だと感じたので、点数は8点としたいと思います。
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