ハイドン:交響曲第94番 ト長調 Hob.I:94 「驚愕」
フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1950年9月5日録音
Haydn:Symphony No.94 in G major, Hob.I:94 "Surprise" [1.Adagio - Vivace assai]
Haydn:Symphony No.94 in G major, Hob.I:94 "Surprise" [2.Andante]
Haydn:Symphony No.94 in G major, Hob.I:94 "Surprise" [3.Menuetto (Allegretto) - Trio]
Haydn:Symphony No.94 in G major, Hob.I:94 "Surprise" [4.Finale (Presto ma non troppo)]
ザロモン演奏会の概要
エステルハージ候の死によって事実上自由の身となってウィーンに出てきたハイドンに、「イギリスで演奏会をしませんか」と持ちかけてきたのがペーターザロモンでした。
彼はロンドンにおいてザロモンコンサートなる定期演奏会を開催していた興行主でした。
当時ロンドンでは彼の演奏会とプロフェッショナルコンサートという演奏会が激しい競争状態にありました。そして、その競争相手であるプロフェッショナルコンサートはエステルハージ候が存命中にもハイドンの招聘を何度も願い出ていました。しかし、エステルハージ候がその依頼には頑としてイエスと言わなかったために、やむなく別の人物を指揮者として招いて演奏会を行っていたという経緯がありました。
それだけに、ザロモンはエステルハージ候の死を知ると素早く行動を開始し、破格とも言えるギャランティでハイドンを口説き落とします。
そのギャラとは、伝えられるところによると、「新作の交響曲に対してそれぞれ一曲あたり300ポンド、それらの指揮に対して120ポンド」等々だったといわれています。ハイドンが30年にわたってエステルハ?ジ家に仕えることで貯蓄できたお金は200ポンドだったといわれますから、これはまさに「破格」の提示でした。
このザロモンによる口説き落としによって、1791年1792年1794年の3年間にハイドンを指揮者に招いてのザロモン演奏会が行われることになりました。そして、ハイドンもその演奏会のために93番から104番に至る多くの名作、いわゆる「ザロモンセット」とよばれる交響曲を生み出したわけですから、私たちはザロモンに対してどれほどの感謝を捧げたとして捧げすぎるということはありません。
第1期ザロモン交響曲(第93番~98番)
1791年から92年にかけて作曲され、演奏された作品を一つにまとめて「第1期ザロモン交響曲」とよぶのが一般化しています。この6曲は、91年に作曲されて、その年に初演された96番と95番、91年に作曲されて92年に初演された93番と94番、そして92年に作曲されてその年に初演された98番と97番という三つのグループに分けることが出来ます。
<第1グループ>
- 96番「奇跡」:91年作曲 91年3月11日初演
- 95番 :91年作曲 91年4月1日or4月29日初演
<第2グループ>
- 93番:91年作曲 92年2月17日初演
- 94番「驚愕」:91年作曲 92年3月23日初演
<第3グループ>
- 98番:92年作曲 92年3月2日初演
- 97番:92年作曲 92年5月3日or5月4日初演
91年はハイドンを招いての演奏会は3月11日からスタートし、その後ほぼ週に一回のペースで行われて、6月3日にこの年の最後の演奏会が行われています。これ以外に5月16日に慈善演奏会が行われたので、この年は都合13回の演奏会が行われたことになります。
これらの演奏会は「聴衆は狂乱と言っていいほどの熱狂を示した」といわれているように、ザロモン自身の予想をすら覆すほどの大成功をおさめました。また、ハイドン自身も行く先々で熱狂的な歓迎を受け、オックスフォード大学から音楽博士号を受けるという名誉も獲得します。
この大成功に気をよくしたザロモンは、来年度もハイドンを招いての演奏会を行うということを大々的に発表することになります。
92年はプロフェッショナルコンサートがハイドンの作品を取り上げ、ザロモンコンサートの方がプレイエルの作品を取り上げるというエールの交換でスタートします。
そして、その翌週の2月17日から5月18日までの12回にわたってハイドンの作品が演奏されました。この年は、これ以外に6月6日に臨時の追加演奏会が行われ、さらに5月3日に昨年同様に慈善演奏会が行われています。
第2期ザロモン交響曲(第99番~104番)
1974年にハイドンはイギリスでの演奏会を再び企画します。
しかし、形式的には未だに雇い主であったエステルハージ候は「年寄りには静かな生活が相応しい」といって容易に許可を与えようとはしませんでした。このあたりの経緯の真実はヤブの中ですが、結果的にはイギリスへの演奏旅行がハイドンにとって多大な利益をもたらすことを理解した候が最終的には許可を与えたということになっています。
しかし、経緯はどうであれ、この再度のイギリス行きが実現し、その結果として後のベートーベンのシンフォニーへとまっすぐにつながっていく偉大な作品が生み出されたことに私たちは感謝しなければなりません。
この94年の演奏会は、かつてのような社会現象ともいうべき熱狂的な騒ぎは巻き起こさなかったようですが、演奏会そのものは好意的に迎え入れられ大きな成功を収めることが出来ました。
演奏会はエステルハージ候からの許可を取りつけるに手間取ったために一週間遅れてスタートしました。しかし、2月10日から始まった演奏会は、いつものように一週間に一回のペースで5月12日まで続けられました。そして、この演奏会では99番から101番までの三つの作品が演奏され、とりわけ第100番「軍隊」は非常な好評を博したことが伝えられています。
- 99番:93年作曲 94年2月10日初演
- 101番「時計」:94年作曲 94年3月3日初演
- 100番「軍隊」:94年作曲 94年3月31日初演
フランス革命による混乱のために、優秀な歌手を呼び寄せることが次第に困難になったためにザロモンは演奏会を行うことが難しくなっていきます。そして、1795年の1月にはついに同年の演奏会の中止を発表します。しかし、イギリスの音楽家たちは大同団結をして「オペラコンサート」と呼ばれる演奏会を行うことになり、ハイドンもその演奏会で最後の3曲(102番?104番)を発表しました。
そのために、厳密にいえばこの3曲をザロモンセットに数えいれるのは不適切かもしれないのですが、一般的にはあまり細かいことはいわずにこれら三作品もザロモンセットの中に数えいれています。
ただし、ザロモンコンサートが94年にピリオドをうっているのに、最後の三作品の初演が95年になっているのはその様な事情によります。
このオペラコンサートは2月2日に幕を開き、その後2週間に一回のペースで開催されました。そして、5月18日まで9回にわたって行われ、さらに好評に応えて5月21日と6月1日に臨時演奏会も追加されました
- 102番:94年作曲 95年2月2日初演
- 103番「太鼓連打」:95年作曲 95年3月2日初演
- 104番「ロンドン」:95年作曲 95年5月4日初演
ハイドンはこのイギリス滞在で2400ポンドの収入を得ました。そして、それを得るためにかかった費用は900ポンドだったと伝えられています。エステルハージ家に仕えた辛苦の30年で得たものがわずか200ポンドだったことを考えれば、それは想像もできないような成功だったといえます。
ハイドンはその収入によって、ウィーン郊外の別荘地で一切の煩わしい出来事から解放されて幸福な最晩年をおくることができました。ハイドンは晩年に過ごしたこのイギリス時代を「一生で最も幸福な時期」と呼んでいますが、それは実に納得のできる話です。
ハイドンのベートーベン化
ベートーベンの交響曲のような、もとから「立派」な作品は、それなりに誠意と献身とスキルがあればそれなりに「立派」な音楽となって聴衆の前に立ちあらわれます。つまりは、献身すればそれに見合うだけの成果は約束されているのです。
しかし、ハイドンの交響曲というのは実に厄介な存在であり、誠意と献身とスキルをもって作品の演奏にのぞんでも、なかなか聴衆に感銘を与えるのは難しいのです。ただし、それはハイドンの交響曲が「立派」でないと言うことを言っているのではありません。そうではなくて、そう言う常なる態度で真面目に作品にのぞんだとしても、なかなかその作品が持つ魅力を聴衆の前に提示するのが難しいのです。
それだけに、おかしな話ですが、指揮者にとってもオーケストラにとっても挑戦しがいのある作品と言うことであり、昔から意外なほどに録音に恵まれています。いわゆるマエストロと言われるような指揮者であれば、それなりの作品を録音を残しています。
しかし、それらの録音が深く胸に刻み込まれる機会は決して多くあありません。つまりは、至ってコスト・パフォーマンスの悪い音楽なのです。
そんなハイドン作品の演奏の中でも、さすがにフルトヴェングラーは驚くべき成果を残しています。
最近はフルトヴェングラーの録音を聞く機会はめっきり減っているのですが、そう言えばハイドンの94番は紹介していなかったなと言うことに気づき、久しぶりに聞き直してみたのです。
そして、その演奏にすっかり感心させられてしまったのです。
この演奏は端的に言ってみればハイドンのベートーベン化に成功しているということでしょうか。
このやり方による成功例としてはクレンペラーによる録音があります。しかし、その方法論は全く異なります。
クレンペラーはベートーベンの「構築性」に焦点をあてて、ハイドンの交響曲もまたそれと同じような構築性をもってベートーベン化させていました。
しかし、フルトヴェングラーは、ベートーベンが持つある種の「大きさ」をハイドンの交響曲に持ち込むことで、クレンペラーとは全く異なる姿でベートーベン花を成し遂げてみせたのです。
おそらく、これほどに悠然たる大きさを持ってハイドンを演奏した人は他にはいないでしょう。そして、それがある種の恣意性によるのではなく、よくよく作品の世界に踏み込んでみれば、そう言う種がすでにハイドンの交響曲に含まれていることに気づかされるのです。
やはり、フルトヴェングラーというのは大した男です。
よせられたコメント
2021-05-12:joshua
- フルトヴェングラーのハイドン、1950-1952に限定して残っているようです(宇野功芳本による)。
まず、これは手に入りやすい51年版のスタジオ録ではなく、ストックホルムでのライブのようです。
演奏は聴き応えがあり、音もいいですね。LPで音割れ・キンキンする音を我慢して聞いていた演奏はどこへ行ったのかと思います。V字88番が、52年イタリア現地オケのライブがあるようですから、これも聴いてみたいですね。U氏は頗る高評価を示してます。
2021-09-04:りんごちゃん
- 正直に申し上げますと、わたしはモーツァルト以外はわからないといってもよいでしょう
それ以外のよくわからない作曲家たちの中でも一番わからない作曲家の筆頭は、実はハイドンなのです
わからないということの中身を一言で申しますと、「この人はここで一体何を聞かせたいのか」がさっぱり見えてこないということなのです
名曲と呼ばれるような曲を聞きますと、その多くは初めて聞いたときにもその独自の魅力のようなものが「勝手に」聞こえてまいりますし、繰り返し聞けばそれに何かが付け加わることもありますが、そこで作曲家が何を聞かせたいのか皆目見当がつかないといったことはあまりないでしょう
ところがハイドンの場合、何度繰り返し聞きましても何が聞かせたくてこの曲を作ったのかがさっぱり見えてこないほうが普通なのでして、彼はその点につきましては音楽史上屈指の存在なのではないかと思わないではいられません
少々極端な例えをいたしますと、ハイドンの作品は無味無臭な料理といってもよいようなものなのでして、たいへん美味しそうに見えるのに食べてみるとなんの味もしないのであれっと思い、自分の舌がおかしくなったのではないかと錯覚するようなところがあります
他の多くの作曲家の作品は、わたしにとっては外国のあるいは各地の郷土料理のようなものでして、食べたことはなかったけれども案外口にあったり合わなかったりといったところを楽しむことはできます
ハイドンの場合その味自体が感じられないので、口にあう合わない以前の話になってしまいがちなのですが、もちろんハイドンそのものが本当に無味無臭でしかない音楽だったとしたら、その名が歴史に残ることはおそらくなかったことでしょう
おそらく彼の音楽は非常に淡白かつ繊細な味が本当はするはずなのでして、その本当の味を引き出してくれる演奏に接しない限り、わたしは彼を知らないままでいるほかないのです
間違っても香辛料をたっぷり利かせたり、こってりとしたソースの味で食べさせるような料理をしてしまうようでは、全てが台無しになってしまうのは考えるまでもないのです
少々乱暴な言い方をいたしますと、フルトヴェングラーの演奏はトスカニーニのサン=サーンスのオルガン付きの演奏と同じなのですが、どこが同じかと申しますと、大変立派な借り物の衣装を着せて、その衣装の彫琢の水準の驚くべき高さをその聞かせどころとしているところなのです
管理人さんは「ハイドンのベートーベン化」と仰っておりますが、わたしもそれに異論はございません
どうもこの時代はどんな音楽も「ベートーヴェンのように」演奏するのが立派な音楽だと認識されているところがあるように感じられるのですが、トスカニーニにしてもフルトヴェングラーにしても、なんでもかんでも「ベートーヴェンのように」演奏しているように聞こえます
この時代がそれを求めるようなところがおそらくあったのでしょうし、その彫琢をここまで驚くべき水準で成し遂げた彼らがこの時代の大家となったのは、この時代ならではの現象ではあるのでしょう
この借り物の衣装は「ベートーヴェンのように」聞こえるのは間違いないのですが、実際のところベートーヴェンに対してもこれは借り物の衣装ではあるのでしょう
ベートーヴェンの場合、この借り物の衣装自体がベートーヴェンを演奏するために仕立てられ彫琢されたものであるために親和性が高く、またそれが「ベートーヴェンのように」聞こえたりするのでしょうね
ハイドンのような「無味無臭な」音楽でも、このような借り物の衣装を着せればその衣装の見事さという聞き所が生まれますので、一見立派な音楽であるかのように見えてしまいます
ただわたしは、どうもこのようなやり方には疑問が感じられてならないのです
借り物の衣装を着せるというのは、演奏家の個性という味を楽しむという意味では一つのあり方ではあるのですが、ハイドンを聞かせるという観点から申しますと本末転倒なのです
無論、ハイドンとベートーヴェンは重なるところがおそらくその見た目以上にあるようですので、その意味での親和性はそれなりに高いのでしょう
少なくともトスカニーニのサン=サーンスよりはよほど自然です
そうは申しましても、結局の所ベートーヴェンが聞きたければベートーヴェンを聞くのがよいに決まっているのでして、ハイドンの中にベートーヴェンを聞くなどというのははじめから間違っているのです
ハイドンの音楽に対して、ベートーヴェンのように聞こえるから素晴らしいなどというのは失礼にも程があるのでして、ハイドン本人も僕は大した作曲家じゃないがそこまで落ちぶれてはいないよと言うことでしょう
ベートーヴェンのように聞こえるのはベートーヴェン一人で十分なのは言うまでもないのでして、この衣装はベートーヴェンにだけ着てもらえばそれでよいのです
この衣装をモーツァルトに着せるとほとんどの場合絶望的に似合わないのですが、その珍妙さを見れば、借り物の衣装を着せるということがそもそもいかに愚かなことであるかがよくわかるでしょう
そのようなものは、それを着た人自身の本来持つ魅力が引き立ってはじめて意味があるのです
世の中には、楽譜に書かれた演奏効果それ自体を目的とするタイプの効果音といってもよい音楽と、それだけではどうにもならないタイプの音楽とが存在します
ハイドンの音楽は間違いなく後者でしょう
この曲の第2楽章の主題を2回繰り返した後の例のffにいたしましても、観客のまごまごした顔を見てにこにこしているハイドンの姿が目に浮かぶようでなくてはならないのでして、一見ただの効果音として用意されてはおりますが、ただの効果音として演奏されたのではそれを聞く価値は全くないといってもよいのです
少なくとも彼がこのff自体を聞かせたいと思ってここにおいたはずはありませんから
この生真面目な主題にいたしましても、ただ生真面目に演奏してしまったのではつまらないのでして、そこになんとも言えないおかしみが感じられるように演奏するのがよいのです
彼が変奏曲という形式をこの楽章で選択したのは、もちろんこの主題が楽章全体を通して愚直に繰り返されることを目的としているわけでして、演奏者はその「意図された退屈」といってもいい繰り返しを魅力的なものとして聞かせる必要があるのです
もちろんこういったことはこの楽章だけに限る話ではないでしょう
彼の音楽では、その出された音の演奏効果自体にその魅力の中心はないのでして、その奥に隠された彼自身を聞き手の前に引っぱり出す必要があるのです
ハイドン自身の本来持つ魅力といったものが何であるのかわたしにはわかりませんが、彼の音楽にふさわしいのは多分、彼の謙虚で温厚でお茶目な人柄がにじみ出て来るような、一枚の飾り気のない肖像画のような演奏でしょう
それがどのようなものであれ、一見無味無臭であるかのように見えるハイドンの本当の味を教えてくれる演奏こそが、ハイドンのあるべき演奏であることは言うまでもないのですが、そのような演奏にもし出会えるなら、わたしはハイドンがわからないなどと悩む必要はきっとなくなるのでしょうね
少なくとも、借り物の衣装を着せることでそれを演奏したかのように見せているうちは、そのようなところにたどり着くことは決してないのではないかという気がわたしはいたします
彼の音楽がベートーヴェンのように聞こえているうちは、その演奏が明後日の方向を向いていることだけは間違いないのです
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