モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201 (186a)
オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1963年12月19日録音
Mozart:Symphony No.29 in A major, K.201/186a [1.Allegro moderato]
Mozart:Symphony No.29 in A major, K.201/186a [2.Andante]
Mozart:Symphony No.29 in A major, K.201/186a [3.Menuetto: Allegretto; Trio]
Mozart:Symphony No.29 in A major, K.201/186a [4.Allegro con spirito]
シリアスな人間的感情を表現する音楽へと変貌
ザルツブルグ時代のモーツァルトの交響曲の中では、このK.201のイ長調のシンフォニーとK.183のト短調シンフォニーは特別な意味を持っています。それはアインシュタインが、「イタリア風シンフォニーから、なんと無限に遠く隔たってしまったことか!」と絶賛したように、音楽会の始まりを告げる序曲でしかなかったシンフォニーという形式がこの上もなくシリアスな人間的感情を表現する音楽へと変貌したことを表明しているのです。
そして、そのシリアスな表情はこの両端楽章に於いても、ト短調シンフォニーの両端楽想に於いてもはっきりと刻み込まれています。
さらにいえば、ハイドンと較べればやや物足りないと言われるモーツァルトの最終楽章は、このこのシンフォニーの最終楽章においては入念に作り込まれたソナタ形式になっています。
そして、そのシリアスな表現は中間の2楽章に力を及ぼしていて、付点音符を多用したアンダンテ楽章はこの上もなく雄弁に語り続けることで舞踏的な是界から抜け出そうとしてます。
それは続くメヌエット楽章にもおよび、それは既に舞踏の音楽と言うよりは一つのシンフォニックな世界に達しようとしています。
ただし、そう言う交響曲の世界が内包すべき「構築」という抽象性はモーツァルトらしい叙情性にくるまれています。それこそが、ハイドンが為し得なかったことであり、ベートーベンが理解できなかった世界なのでしょう。
- 第1楽章:アレグロ・モデラート(ソナタ形式)
- 第2楽章:アンダンテ(ソナタ形式)
- 第3楽章:メヌエット(複合三部形式)
- 第4楽章:アレグロ・コン・スピーリト(ソナタ形式)
クレンペラーという男だけが表現できるモーツァルト
私の中ではクレンペラーとモーツァルトというのは今ひとつピンとこない組み合わせのようです。オペラでは「魔笛」や「フィガロの結婚」で素晴らしい録音を残しているのに、交響曲や管弦楽になるとどうにも相性の悪さを感じざるを得ません。
そのためでしょうか、振り返ってみればコンセルトヘボウと録音した25番の小ト短調を1曲だけアップしてるだけです。つまりは、私の中ではあまり食指が動かない存在だったようです。
しかしながら、さすがに1曲しか上げていないというのはまずいので、コロナ禍によって時間だけは腐るほどあるので、あらためて幾つかの録音を聞き直してみました。
そして、あらためて気づいたのは、クレンペラーのモーツァルトには伸びやかさや柔らかさのような物が欠落していると言うことです。
言葉をかえれば、ハイドンのシンフォニーを演奏するときと同じような方法論でモーツァルトにのぞんでいる雰囲気なのです。そして、それがハイドンの場合だと「ハイドンの交響曲ってこんなにも立派な音楽だったのか」と感心させられるのですが、それがモーツァルトとなるとあまりにも立派に過ぎて、彼の音楽に必要な微笑みのような物が消えてしまって、何ともいえず無骨で不器用な音楽だなと感じてしまうのです。
しかし、モーツァルトの音楽のスタンダードからは離れていても、クレンペラーという指揮者はそう言う男だと割り切って聞いてみると、それはそれなりに最後まで聞かせてしまう「力」を持っていることは事実です。
そして、もう一つはっきりしているのは、60年のハフナー・シンフォニーあたりまではそう言うクレンペラーらしい厳しさを維持しているのですが、それを過ぎると明瞭にスタイルが変わってしまうことです。
例えば、62年に録音されたジュピターは明らかにテンポが遅すぎます。
率直に行って、その遅さからは彼の「衰え」を感じざるを得ません。ところが、そんなテンポ設定であっても古典派交響曲としての構造はしっかり把握して最後まで造形を崩さないが故に、聞いているうちに「こういうのもありかな」という思いがしてきます。
そして、話はいささか前後するのですが、
1955年にモノラルで録音した(これは勘違いでした。正しくは57年1月にベルリン放送交響楽団との録音でステレオでした)ト短調シンフォニーなどは、その無骨なまでの生真面目さ故に悲しみは疾走する(もっとも、小林秀雄が「疾走する悲しみ」と述べたのはト短調の弦楽五重奏曲に対してですが)のではなく、痛切な独白のように聞こえてくるのです。これもまたクレンペラーならではのモーツァルトなのかもしれません。
つまりは、全ての人が受け入れられるようなモーツァルトでないことは事実なのですが、それは逆から見れば、クレンペラーという男だけが表現できるモーツァルトの姿がそこにあることは事実なのです。
ただし、何気なく聞いた63年の29番のライブ録音にはさすがに仰け反ってしまいました。そのあり得ないほどのスローテンポでこの上もなく大きな構えでこの可愛らしい交響曲を演奏しています。そこには「リズム」などと言うものは消えてしまっていて、まるで巨大な軟体動物がのたうっているような雰囲気なのです。ですから常識的な感覚から言えば「変態」的だと言われても仕方がないでしょう。
しかし、恐ろしいのは、それでも聞いているうちにクレンペラーという男の中にある音楽の「嘘のなさ」みたいなものに惹きつけられている自分に気づくのです。
もちろん、こういう録音は一番最初に聞いてはいけないことは確かです。
しかし、多くの録音を聞いてきた人には一度はお試し願いたい録音です。
よせられたコメント
2020-10-08:つかひろ
- クレンペラーのこの曲の演奏は、既に5種類(ベルリン放送・スタジオ録音2種・デンマーク・ベルリンフィル)ほど持っていて、私のお気に入りでもあります。
所有盤と比較してですが、この演奏はライブにもかかわらず、テンションが低くノッペリとした感じです。
また、低音部の音量が大きいので旋律の明快さや彫りの深さも減退してしまっているような感じがします。
もちろん、彼特有のスケールの大きい音楽も聴けますし(モーツァルトなのに!!)、上記に挙げたことも演奏全体に大きな影響を及ぼすほどでは全然ありませんが、クレンペラーのファンとしては少し残念な感じがします。
2020-10-11:ジェネシス
- カラヤンがウィーンを去った(要するに「無類の喜びを持って」ベルリンフィルに行った)時、ウィーンフィルはその大きな空白を埋める為にベームとバーンスタインを招き、ロンドンを去った時、ウオルター.レッグはフィルハーモニアの後釜にクレンペラーを当てがったと思います。
フィルハーモニアというオケの名技性と透明さはクレンペラーの屈折した人間性を余りにもクッキリと映し出してしまっている。だからこそクレンペラーに取っ付きにくさと逆に熱狂的なファンという相反する聴き手を生んだ気がします。
私はその取っ付きにくさを寧ろ彼のスキャンダラスでさえある数々のエピソードに思いを馳せながら聴くと面白さを感じます。いや、私の方も屈折しているとは思っていますが。
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