クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543

ルドルフ・ケンペ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1956年5月3,15,18日、6月12日録音





Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [1.Adagio - Allegro]

Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [2.Andante con moto]

Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [3.Menuetto (Allegretto) - Trio]

Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [4.Finale (Allegro)]


「後期三大交響曲」という言い方をされます。

「後期三大交響曲」という言い方をされます。
それらは僅か2ヶ月ほどの間に生み出されたのですから、そう言う言い方で一括りにすることに大きな間違いはありません。しかし、この変ホ長調(K.543)の交響曲は他の2曲と較べると非常に影の薄い存在となっています。もちろん、その事を持ってこの交響曲の価値が低いというわけではなくて、逆にト短調(K.550)とハ長調(K.551)への言及が飛び抜けて大きいことの裏返しとして、その様に見えてしまうのです。

しかし、落ち着いて考えてみると、この変ホ長調の交響曲と他の二つの交響曲との間にそれほどの差が存在するのでしょうか?
確かにこの交響曲にはト短調シンフォニーの憂愁はありませんし、ハ長調シンフォニーの輝かしさもありません。
ニール・ザスローも指摘しているように、こ変ホ長調というフラット付きの調性では弦楽器はややくすんだ響きをつくり出してしまいます。さらに、ザスローはこの交響曲がオーボエを欠いているがゆえに、他とは違う音色を持たざるを得ないことも指摘しています。

つまりは、どこか己を強くアピールできる「取り柄」みたいなものが希薄なのです。

しかし、誰が言い出したのかは分かりませんが、この交響曲には「白鳥の歌」という言い方がされることがありました。しかし、それも最近ではあまり耳にしなくなりました。

「白鳥の歌」というのは、「白鳥は死ぬ前に最後に一声美しく鳴く」という言い伝えから、作曲家の最後の作品をさす言葉として使われました。さらには、もう少し拡大解釈されて、作曲家の最後に相応しい作品を白鳥の歌と呼ぶようになりました。
当然の事ながら、この変ホ長調の交響曲はモーツァルトにとっての最後の作品ではありませんし、「作曲家の最後に相応しい作品」なのかと聞かれれば首をかしげざるを得ません。
今から見れば随分と無責任で的はずれな物言いでした。

ならば、やはりこの作品は他の2曲と較べると特徴の乏しい音楽と言わざるを得ないのでしょうか。
しかし、実際に聞いてみれば、他の2曲にはない魅力がこの交響曲にあることも事実です。
しかし、それを頑張って言葉で説明することは「モーツァルトの美しさ」を説明することにしか過ぎず、結果として「美しいモーツァルト」を見逃してしまうことに繋がります。

ただ、そうは思いつつ敢えて述べればこんな感じになるのでしょうか。

まずは、第1楽章冒頭のアダージョはフランス風の序曲であり、その半音階的技法で彩られた音楽の特徴がこの交響曲全体を特徴づけています。そして、この序曲が次第に本体のアレグロへの期待感を抱かせるように進行しながら、その肝心のアレグロが意外なほどに控えめに登場します。そして、ワンクッションおいてから期待通りの激しさへと駆け上っていくのですが、このあたりの音楽の運び方は実に面白いです。

続く第2楽章は冒頭のどこか田園的な旋律とそこに吹きすさぶ激しい風を思わせるような旋律の二つだけで出来上がっています。この少ないパーツだけで充実した音楽を作りあげてしまうモーツァルトの腕の冴えは見事なものです。

そして、この交響曲でもっとも魅力的なのが続くメヌエットのトリオでしょう。これは、ワルツの前身となるレントラーの様式なのですが、その旋律をクラリネットに吹かせているのが実に効果的です。

しかしながら、この交響曲を聞いていていつも物足りなく思うのがアレグロの終楽章です。
これは明らかにハイドン的なのですが、構造は極めてシンプルで、単一の主題を少しずつ形を変えながら循環させるように書かれています。そして、その循環が突然絶ちきられるようにあっけなく終わってしまうので、聞いている方としては何か一人取り残されたような気分が残ってしまうのです。

ザスローはこれをコルトダンスの形式に従ったある種の滑稽さの表現だと書いていて、それ故にこの部分はある程度の「あくどさ」が必要だと主張しています。つまりは、モーツァルトの作品だと言うことで上品に演奏してしまうと、この急転直下がもたらすユーモアが矮小化されるというのです。
なるほど、そう言われれば何となく分かるような気がするのですが、ほとんどの演奏はこの部分で期待されるあくどさを実現できていないことは残念です。

交響曲第39番 変ホ長調 K.543


  1. 第1楽章:Adagio; Allegro

  2. 第2楽章:Andante con moto

  3. 第3楽章:Menuetto e Trio

  4. 第4楽章:Allegro



オペラの指揮者からコンサート指揮者への転身


ルドルフ・ケンペの経歴を見ていると面白いことに気づきます。
ドルトムント歌劇場のオーボエ奏者として音楽家としてのキャリアをスタートさせたケンペは、その後は地方の歌劇場の音楽監督として指揮者のキャリアを積み上げて、1950年にはドレスデンの歌劇場の音楽監督に上りつめます。
その後は、バイエルン国立歌劇場の音楽監督に転身をして、さらにはメトロポリタン歌劇場へと活躍の場を広げていきます。

ところが、50年代の中頃になるとそう言う歌劇場での活動をへらしていき、コンサート・オーケストラとの関係を深めていくのです。
それは言ってみれば、オペラの指揮者からコンサート指揮者へ転身したと言っていいほどの割り切り方でした。

その背景に何があったのかは分かりませんが、フィルハーモニア管やベルリンフィルという一流のコンサート・オーケストラへの客演指揮が増えていく中で、そう言う変化がおこったのかもしれません。
今さら言うまでもないことですが、歌劇場と言うところは伏魔殿であって、日々トラブルとの闘いみたいな処があります。ところが、生来病弱で(実際、1956年には肝臓疾患で一年間ほど活動を休んでいます)、さらには声を荒げることもない穏やか性格だったようなので、そう言う場所での活動が疎ましくなっていたのかもしれません。

ただし、そう言う方向で活動の舵を切ったことによって、50年代中頃から録音活動が増えていきます。
そして、その録音はフィルハーモニア管やベルリンフィルという一流どころが中心だったので、ケンペに対して「大器晩成型の指揮者」というレッテルを貼るのは正しくないのかもしれません。

そして、面白いのは、そう言う方向に舵を切った時期に手始めとしてモーツァルトの音楽を取り上げていることです。


  1. モーツァルト:交響曲第34番ハ長調 K.338
    フィルハーモニア管弦楽団 1955年11月24日録音

  2. モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
    ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1956年4月30日、5月3日録音

  3. モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調 K.543
    ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1956年5月3,15,18日、6月12日録音



どうして、この時期にモーツァルトを取り上げたのか疑問に思う人もいるようですが、私などはこの時期に手始めとしてモーツァルトを取り上げたのは賢明な選択だったと思います。

オーケストラの源流を辿れば、水源は2カ所存在します。
一つは、人の声や歌からの制約を逃れた純粋器楽の合奏です。
コレッリの合奏協奏曲やヴィヴァルディの協奏曲、さらにはコンサートの開始を告げる序曲などを演奏していた器楽合奏です。この流れは、ハイドンからベートーベンへと引き継がれていく世界を構築していきます。

もう一つは、人の声と密接に結びついたオペラにおける歌の伴奏を行う器楽合奏です。
そちらは、ドラマの進行に合わせて時には鳥の囁きであり、時には雷となって天を震わすことも求められた器楽合奏でした。こちらの方はモーツァルトによって代表される世界を形づくっていきます。

その2つの器楽合奏は見かけは非常に似通っていたとしても内包する世界観は全く異なるものだったのです。
そして、その二つの流れは時代とともに密やかに歩み寄って合流していく事で、ロマン派の時代になるとより高い表現力を持った魔法の楽器へと成長していくのです。
しかし、モーツァルトの時代にあっては、それらはそこまで密接には融合はしていませんでした。

ですから、その様なオーケストラを前提として書かれたモーツァルトの交響曲は、ハイドンやベートーベンのように一つの音符を蔑ろにすることもなく精緻に造形したとしても、それだけではこぼれ落ちてしまうものがあるのです。

もっと分かりやすく言えば、彼の音楽は交響曲であっても、それはオペラとの「淡い」の中に存在しているのです。
ですから、本質的にオペラの指揮者だったケンペが純粋器楽の世界に積極的にのりだしていこうというときに、モーツァルトの作品を選んだのはこの上もなく賢明だったと思うのです。

もちろん、モーツァルトの音楽はそう言うたった一つの解釈しか許さない狭量な音楽ではありません。
しかし、オペラ的な要素を失わずに作品を解釈して演奏するというケンペのスタンスは非常に有効ですし、ケンペにとっても自分の力を発揮しやすいフォールドだったことでしょう。

そう言えば、このモーツァルトの交響曲録音に先立って、55年6月にブラームスのドイツ・レクイエム、10月にはモーツァルトのレクイエムをベルリンフィルを使って録音しています。
声楽を伴った大規模な作品というのはオペラ指揮者のケンペとしては存分に力を発揮できる分野だったでしょうから、ケンペと言うのは意外なほどに緻密に歩を進める人だったようです。

それから、こういう事を書くとまたあちこちからお叱りを受けそうなのですが、この録音の価値を明らかにするには再生システムにある程度のクオリティが要求されるかもしれません。
ロイヤルフィルとフィルハーモニア管はケンペの指示に応えて実に素晴らしい響きを実現しています。
その響きは純粋器楽の合奏体としての響きではなくて、明らかにオペラのための響きであり、その芳醇でふくよかな響きによってまるで一篇のドラマでるかのようにこれらの交響曲を描ききろうとするケンペの意志に応えています。

そのもっとも素晴らしい成果は39番のメヌエット楽章のトリオです。
この部分が美しくはあってもあっさりとした印象しか受けないないとすれば、自分の再生システムを一度は疑ってみる必要があるかもしれません。

この演奏全体を覆う芳醇さが聞き取れなければ、この録音の価値は半減してしまうことは明らかです。

なお、最後に付け加えておきますと、56年に録音された39番と41番「ジュピター」はモノラル録音と記されていることが多いのですが、聞いてもらえれば分かるように立派なステレオ録音です。
そして、不思議な事にこの録音は50年以上もお蔵に入っていて、2012年になって始めて陽の目を見たようなのです。

55年のモノラル録音(交響曲第34番)はリリースして56年のステレオ録音(39番と41番「ジュピター」)はお蔵に入れてしまうとは、全く持ってEMIとは不思議なレーベルです。

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